原作(小説)ではイメージしにくい南仏の享楽的な雰囲気が、映画だとよく分かる
原作のストーリーの不自然さはそのまま
プレイボーイで40歳の父を演じているのが、撮影時47歳のデヴィッド・ニーヴン(→)というのは、年齢的にも少々無理がある
この人は粋な英国紳士なら似合うが、フランスの遊び人役は、ミスキャストだと思う
残りの3人は、適材適所
(^_^;)
原作(小説)ではイメージしにくい南仏の享楽的な雰囲気が、映画だとよく分かる
原作のストーリーの不自然さはそのまま
プレイボーイで40歳の父を演じているのが、撮影時47歳のデヴィッド・ニーヴン(→)というのは、年齢的にも少々無理がある
この人は粋な英国紳士なら似合うが、フランスの遊び人役は、ミスキャストだと思う
残りの3人は、適材適所
(^_^;)
ラディゲ「肉体の悪魔」の映画化
第一次大戦下であることが、原作よりもはっきりと示されている
夫が戦場へ行っている19歳の新妻マルト(ミシュリーヌ・プレール、←)と不倫する15歳の高校生フランソワ・ジャベール(ジェラール・フィリップ)
マルトはジャベールの子を身ごもる
戦争が終わって周囲は歓喜に満ちているが、やがて夫は戦場から帰って来る
恋の終末の予感に苦しむ二人
モノクロで画質も悪いが、原作に負けない素晴らしい映画だ
主演した二人はともに撮影時25歳なので、幼い恋の雰囲気は弱まっている
背徳の恋を周囲に余り隠そうとしない二人に、日仏の文化と社会の違い(個人主義)を感じる
(^_^;)
革命や敗戦などで体制がひっくり返ると、旧体制の上層部も路頭に迷う
明治維新では旧幕臣の多くが、単なる失業者に転落した
江戸時代初期には、多くの藩が「お取りつぶし」になって、藩士は禄を失った
何か武士以外の特殊技能を持つことは、本物の武士にとって恥とされていたから、ツブシが効かない人も多くいたことだろう
映画「一命」では、失業した武士の一家が内職をしながら、極貧の中で細々と暮らしていて涙を誘う
(T_T)
朝ドラ『エール』の「智彦さん」(奥野瑛太)(←)は、当時のふつうの人である。
がちがちに真面目で、家でも威厳を保つ主人である。
外で起こったことを、家内では話題にしない、というタイプだった。
これは軍人にかぎらず、昭和前半の家庭風景としては、ふつうのことだったとおもう。
ふつうの血の通った人として描かれていた。
軍人だったから、戦争が終わると路頭に迷う。
軍人は「政府の役人」でもあり「戦争という特殊技術の人」でもあった。
でも戦争が終わり、軍は解体されて再軍備は禁止されたので、それまでのキャリアがまったく使えない。
過去のキャリアが何も役に立たない、ただの無職である。
職を探して苦労している姿が見られた。
すべてをもてあましてる感じが出ていて、その姿を見せる役者・奥野瑛太が見事だった。
この人は、とても身体性を強く感じさせる役者だとおもう。
セリフを言う前の存在感がきちんとしていて、その佇まいだけで見入ってしまう。
再就職のときに彼の出した履歴書が映しだされていたが、それには赫々たる履歴が並んでいた。
陸軍幼学校から士官学校に進んだエリートで(幼学校は当時の中等学校にあたる)、卒業後、騎兵隊第十九連隊の少尉に任官。
最後は中佐まで昇進している。すごいエリートである。
最後の昇進はいわゆる「ポツダム昇進」、つまり敗戦が決まってからの昇進ではないかとおもわれるが、それまででも少佐である。
すごく偉い。なんか、軍人さんの位で偉さを測るのは裸の大将をおもいだしてしまうのだが、でもそういうしかない。
履歴書が映し出されたあとに、工場の鉄屑拾いの仕事があるといわれ、そんなものができるかと、憤然と席を立つシーンがあったが、たしかにそうだろう。
陸軍中佐は、ふつう鉄屑拾いをやらない。
プライドがあまりに高い。
第一次大戦の前後、15歳の少年が19歳の新妻マルトに出会い、愛(不倫)に堕ちる
マルトの夫は戦場にいる
状況は単純かつ劇的、そして主人公の少年の告白に表現される恋愛心理の分析は、残酷なほど鋭利さを極めている
ガラスケースの中にチーズがあり、戦争がガラスを割り、猫がチーズを食べたのだと比喩する
驚くべきは、作者ラディゲの14歳の時の恋愛体験を、同じく16歳のラディゲが書いていること
早熟の極みである
ラディゲは、わずか2つの作品でフランス文学界の寵児となり、その直後にカキを食べて腸チフスになり、20歳で夭逝する
あの三島由紀夫が激賞した作品
((((;゚д゚))))
金閣寺放火事件を題材にした、三島由紀夫の代表作の一つ
放火犯人は吃音(どもり)に悩む金閣寺の見習僧で、彼の幼いころからの自伝調の内面告白が、三島独特の美文で淡々と語られている
見習僧の「建物フェチ」とも言えそうな、ファナティックな金閣に対する愛が全体の基調を成しているので、犯行動機に感情移入するのが難しい
ジョンレノンの熱烈なファンが、レノンを銃殺した事件を思い出す
彼はやがて浄土真宗の大谷大学に進学し、そこで足の不自由な男と出会い、言葉の不自由な自分との共通性を見出して接近し、親しく付き合うようになる
その親友が語る独特の人生哲学や女性観が面白い
時代背景が第二次大戦の前後で、その時代の空襲の無かった京都の雰囲気が伝わって来る
(^_^;)
▼消失前の金閣寺 金箔が剥げて枯れた風情だった
▼放火による消失直後の金閣寺
▼再建された現在の金閣寺 創建当時の姿に戻した
▲若いころのデヴィ夫人
タレントのデヴィ夫人が10/24、情報バラエティー番組『胸いっぱいサミット!』(関西テレビ)の生放送に出演。
「不妊の原因は、九割九分堕胎です!」
とトンデモ発言を繰り出し、大炎上している。
デヴィ夫人は、高額である不妊治療を補助する取り組みに賛成しつつも
「それよりも前に、日本の女性たちに
掻爬(ソウハ)をさせないことが一番良い」
と切り出し、
「(堕胎を)絶対に禁じりゃいいんですよ。
皆さん知らないけれど、不妊になるのはあの堕胎が原因です。
(中略)掻爬されると絶対に着床しないんですよ」
と、もの凄い剣幕で人工妊娠中絶に否定的な意見を述べる。
あまりの暴論に、アナウンサーが
「一部そういった考え方もありますよね」
と流すも、デヴィ夫人(→)は
「わたくし絶対正しいです!
絶対正しいです!」
と主張していた。
また、共演者から
「堕胎をしていなくても不妊になっている人は多い」
と訂正されると、
「それは嘘です。前に付き合っていた男の人とそういうことにあって、
堕胎しましたということを言えないじゃないですか。
女性は隠してますよ。全員が!」
「本当に不妊の方いるかもしれないけど、
九割九分は堕胎です。全員堕胎です」
と一歩も引きさがることなく、トンデモ主張を続けるのだった。
この発言は、放送中からネット上で大炎上を招いた。
デヴィ夫人、ひいては番組側に正式な謝罪を求める声があがる中、女性と思しきネットユーザーからは、
《この番組を見た姑から、子どもが居ない私に「あなた中絶経験があったの?」と凄い剣幕で電話がきました デヴィ夫人の問題発言、本当に迷惑です!》
《姑から「堕胎をしたのは結婚前? それとも後?」と夫に連絡がありました》
《私の不妊原因も中絶が原因なんですね(失笑) 知識もないのに発言するのは控えるべきだと思いますよ。 面白いおばあちゃんで好きだったのに、ただの糞婆に降格したわ。 全世界の不妊患者に失礼極まりない》
《何寝ぼけたこと言ってんだ 不妊についてロクに知らないのに テレビでその偏見発言はまずいよね…》
《不妊関係の問題発言の中でも最悪最低の発言だよね。これ一発で芸能界から干されても全くおかしくない》
などと、怒りの声が殺到している。
【続報】
デヴィ夫人ことタレントのデヴィ・スカルノ氏が28日、自身のブログを更新。
生放送のテレビ番組で「不妊の一番の理由は堕胎」などの発言で物議を醸している件について、説明するとともに謝罪した。
デヴィ夫人は
「去る10月24日に放送された関西テレビ『胸いっぱいサミット』における私の発言によって、不妊治療に当たっている方々、中絶せざるをえなかった方々等を心ならずも傷づけてしまったり、不快な思いをさせてしまったことは残念であり大変申し訳なく思っております」
と謝罪した。
世界の命運を左右する米大統領選挙まで
あと1週間となり、泥仕合が激化しています
アメリカ国民にはキリスト教原理主義者が多いので
性的スキャンダルは命取りになります
((((;゚д゚))))
上の写真は、2013年12月5日、北京への公式訪問中に、胡同を訪れた前副大統領ジョー・バイデンと、息子のハンター・バイデン(左)、孫娘のフィネガン・バイデン(右)。
米民主党大統領候補ジョー・バイデンの次男ハンター・バイデンのわいせつビデオが米メディアによって公開され、ネット上で再び話題になった。
ネットユーザーたちは、ビデオの中の女性3人の身元を分析した。
台湾の「自由時報」によると、ハンター・バイデンのわいせつビデオに写っていた女性の1人は、ハンターの姪であり、大統領候補ジョー・バイデンの孫娘である可能性が高いという。
数日前、News Maxの報道によると、ルディ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、ハンター・バイデンのコンピューターのハードディスクの証拠をデラウェア州警察に引き渡したという。
「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」で有名な佐賀鍋島藩に伝わる思想書「葉隠」を、三島由紀夫が自分流に解説している
世の中には、損得で動く人間と、そうではない人間がいる
後者でなければ大業は成し得ぬと言ったのは西郷隆盛だが、現実の社会は前者が大部分を占めている
損得で動く人間の行動は予想しやすいので安心感がある
けして無茶な行動には走らない
経済学などは、そのような合理的人間を前提として理論を構築している
しかし江戸時代、家臣が主君への忠の覚悟と生き方(死に方)を本気で貫くには、損得の感覚では具合が悪い
損得を超えた武士の哲学が必要とされ、それに応えたのが「葉隠」だった
「葉隠」は、損得勘定の武士道を、上方流(商人のようだ)と罵っている
一方、三島由紀夫(→)は天才にありがちな、かなり変わった価値観(性的嗜好と言ってもよい)の持ち主であり、「美しく高貴に死にたい」という潜在欲求(タナトス)が極めて旺盛だったように思われる
彼はそのために、自らの死を正当化し、美化し、高貴なものとするための壮大な内面世界を構築し、作品化し、行動化していった
三島にとって「葉隠」は、そのような内面世界構築の材料としては、非常に魅力に富んでいたものと思われる
「葉隠」の思想を語った山本常朝には、死を自己目的とする意識は希薄で、ただひたすら主君への忠を貫くには、生と死の二者択一の場面では、常に死を選ぶ覚悟を持てと主張しているに過ぎない
それは、三島が45歳で自決の道を選び、山本常朝が61歳(当時としては長命)で天寿を全うした違いとなって表れている
死を本気で覚悟した人間には、それまでの世間(損得勘定の世界)が従来とはまったく違って見えるのは、何となく想像できる
近松門左衛門が、死を覚悟して心中への道行(駆け落ち)に出た男女二人は「急に背が伸びた心地がする」としているのは、まことに鋭い描写だと思う
本当の人生や美意識というものは、その感覚の後に生ずるものかもしれない
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読むのは二度目(前回は大学生のころ)
育ちの良い若奥様「節子」の不倫話で、ストーリーは単純なのだが、心理描写の美文章には引き込まれる
現実には下品になりがちな不倫を、徹底的に美しく(道徳的という意味ではない)描いている
不倫実行中の人が読めば、自分たちのしていることが薄汚いことではなく、美しく高貴なことであるとの自覚を深めるかもしれない
それを三島は「美徳」と呼んでいる
まさにニーチェだ
節子を取り巻く男たち(愛人、夫、息子、父)は、定型化していて描写に奥深さはなく、ひたすら節子の心理だけを追求している
不倫が珍しくもない現代から見ると、時代の違いを強く感じるが、それが逆に今読むと新鮮さにもなっている
不倫における女の心理を男が書いたというところが、まさに文学なのだが、女性から見たら不自然な描写も多々あるのかもしれない
本書を読んだ宇野千代(→)から三島由紀夫は『あなたはよろめいたことのない人ね』と笑われたそうだ
「恋愛において、女は常にプロだが、男はアマチュアである」と誰かが言っていたなぁ
月丘夢路主演で映画にもなっている
(^_^;)
あのオーケストラ・ノットが法人化されるんですね
法人って、何とか法人? まさか株式会社?
第1回演奏会には、萌慧ちゃんの独奏もあります
(^_^;)