▲宮内庁書陵部
▲宮内庁書陵部
梅雨には早すぎるし、どうなってるんでしょう?
桜の開花との関係が気になります
(^_^;)
祇園祭り、神田祭りと並ぶ日本三大祭りのひとつ、ヤマザキ春のパンまつりが始まっています
日本全国の「パンまつり研究家」たちは、いま必死になって、お皿攻略法を研究しています
いやー、なんだか一種の高貴さ、気高さを感じてしまいます
(^_^;)
春のパンまつりは、山崎製パンが毎年2月から春にかけて開催しているキャンペーンだ。
その仕組みは、簡潔に言えば
「パンに付いてくるシールを集めるとお皿が必ずもらえる」
というもの。
しかし、毎年お皿の大きさや形状が変わったりすることから、意外と奥が深く、中には「パンまつり攻略」と称してキャンペーンを熱心に研究するファンもいる。
つまり、「もっとも安くお皿を手に入れる攻略法」を調べ続けている。
23年の春のパンまつり(開催期間:23年2月1日~同年4月30日。北海道地区のみ23年3月1日~同年5月31日)は、価格効率とカロリー効率の2つの視点で分析してみた。
その結果を覚えておけば、点数シールを効率よく集められるし、毎日のパンをよりおいしく食べられるようになるはずだ。
少し前から新橋駅前のSL周辺を工事していて、何だろな?と思っていたのですが、これ(高輪築堤)だったんですね
昨年秋に日本の鉄道開通150周年を迎え、鉄道開通時からある品川駅や新橋駅では、いろいろな行事が行われて、これもその一環のようです
150年以上前の日本人は鉄道など見たこともなかったので、明治政府で鉄道整備責任者になった大隈重信(早稲田大学の創立者、→)たちは鉄道用地の確保に非常に苦労しました
そのため都心の新橋品川間は、東京湾の浅瀬を埋め立てて線路(高輪築堤)をつくりました
日本に初めて出来た鉄道がいきなり海上を走るというのも奇抜で、下の絵(↓)のように対岸の高輪海岸には見物客が押し寄せ、小舟に乗って見物している人たちもいますね
港区高輪エリアは今でも高台ですが、高台に登るための道に手すりとして縄が張ってあり、それで高縄(たかなわ)と呼ばれていたそうで、それがいつの間にか高輪に変化しました
その後、東京湾の埋め立てが進んだために、海上だったはずの線路の周辺は地上になってしまい、高輪ゲートウェイ駅の工事で高輪築堤が出土した訳です
わずか150年前のものですから、1000年以上前の遺跡や歴史的建造物がいくらでもある日本では、余り大騒ぎするほどのものではありません
保存に手間をかけすぎると、現在の工事の障害になります
地元の港区には、あの有名なマック赤坂(←、本名:戸並誠、となみまこと)というタレント(?)港区議もいます
この人、これでも京都大学出身なんですよね
ちゃんと港区赤坂のマンションにお住まいです
港区長には区役所職員上がりの武井雅昭区長(↓)がいて、地味な実務家としてソツなく区政をこなしています
(^_^;)
▲高縄鉄道の図
右側の高台が高縄(高輪)で見物客が集まっています
右上の線路が地上に上陸しているあたりが現在の品川駅
左上の沖合には、お台場や黒船(?)まで描かれています
1世紀半前の1872年、鉄道開業時の線路を敷くため、東京湾の海上に築かれた高輪築堤(たかなわちくてい)。
それを再現した長さ22メートル、高さ1メートルの石垣が3月15日、東京・JR新橋駅前のSL広場に登場した。
地元の東京都港区による鉄道開業150周年の記念事業。
高輪築堤を解体した石を使い、新橋駅前のモニュメントとして親しまれているSLの土台として整備した。
品川駅周辺の再開発工事に伴い4年前に発掘された、高輪築堤の第七橋梁きょうりょう橋台部に使われていた安山岩267個を使って、実物のように30度の傾斜をつけた。
披露式典で、港区長の武井雅昭(→)は、日本初の鉄道が新橋—横浜間で開通したことに触れながら「鉄道発祥の地を一層、発信したい」とあいさつした。
地元・愛宕一之部連合町会会長の丸哲夫(81)も「SL広場に歴史的価値が加わった」と喜んだ。
港区によると、高輪築堤の実物の石を使ったモニュメントができるのは、明治新政府で鉄道整備の責任者だった大隈重信の故郷、佐賀県の県立博物館、東京・豊洲の広場に続いて3例目。
港区は、現地保存が一部にとどまっている築堤について、より広範囲な保存の必要性を訴えていきたいとしている。
▲虹橋(レインボーブリッジ)とお台場
▲合格祈願の絵馬の量がスゴい! (^_^;)
昨年の11月に、青梅線沿線で紅葉散歩した写真です
アップするのが、だいぶ遅くなりました
(^_^;)