明治通りのバイパス道路

新宿駅周辺の明治通りと御苑通りの位置(資料:東京都などの資料を基にケンプラッツが作成)

池袋と新宿、渋谷の3つの副都心をつなぐ明治通り。

JR山手線の内側に沿って走る東京都内の幹線道路だ。

慢性的な交通渋滞が問題となっているJR新宿駅の東側で、明治通りのバイパスをつくる工事が静かに進んでいる。

当初の計画が決まったのは、今から約70年前。

しかし、バイパスは開通することなく、長らく止まったままになっていた。

希少な樹木の群落がある新宿御苑の敷地に道路が掛かる計画となっていたからだ。

バイパスを整備する東京都は2005年、道路の構造を見直してこの群落を回避できるように計画を改めた。

工事は2010年からスタート。

2020年の東京五輪を前に、ようやく開通のめどがついた。

 

我々の在学中から 問題になっていた道路

一時は新宿高校が 移転になりそうだった  (^_^;)

 

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新宿高校の大躍進が止まらない

f:id:jyukenkenkyu:20060627143610j:plain←04年完成の校舎はピカピカ。7階には屋上プールがある。

 

日本屈指のターミナル、新宿駅南口より徒歩数分の場所に、新宿高校はある。

地下鉄「新宿三丁目」からなら 30秒かな? (^_^;)

高層ビルひしめく大都会の象徴のような新宿にあって、意外なほどに閑静で落ち着いた雰囲気があるのは、隣に新宿御苑が立地するからであろう。

真新しい校舎をくぐれば、部活動の練習に励む生徒たちと、校内の夏期講習に参加する生徒たちで熱気がむんむん。

時は夏休み。にもかかわらず、ほとんどの生徒がいるのではと思うほど、校内は活気で溢れていた。

今この新宿高校が、とても熱いのだ。

マスメディアから「東京都内で最も学習の面倒見が手厚い学校」とか「進学実績の伸びが都内一著しい学校」と紹介され、全国の学校関係者が公立・私立を問わず訪れるという。

 

我々の時代が 牧歌的に思えるほど

いまの新宿高校は とても熱いらしい

←主導しているのは たぶんこの人 (^_^;)

 

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大学入試センター試験

新宿高校 校長 戸田 弘美   新宿折々

 

○1月17日(土)、18日(日) 3年次生 大学入試センター試験
年が明け、3年次生にとっては、いよいよ決戦のときが来ました。

まず、1月14日(水)L.H.R.の時間に3年次生のための決起集会が視聴覚教室で開かれました。

3年次生の担任や進路指導部の教員が、様々な注意事項を確認したり激励の言葉をかけたりして、生徒を元気づけていました。

生徒は皆、真剣な眼差しで聴いていました。

これからいよいよ、長丁場の受験期間が本格的に始まります。

体調に気を付けて、強い気持ちとゆったりした心構えで、思い切り力を発揮して欲しいと心から願いました。

 

なんだか 戦争に行くみたいだね  (^_^;)

 

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史上最大のブリザード

amerika ライブカメラがとらえた27日午前3時のタイムズスクエア

 

米東海岸北部では26日から大雪となっており、ニューヨーク州知事が非常事態宣言を出した。

ニューヨークで最大75センチの積雪が予想され、米国立気象局は「史上最大のブリザード、歴史的な吹雪になるおそれがある」として警戒を呼びかけている。

NWSによると発達した低気圧の影響で、ニューヨーク州やマサチューセッツ州など東海岸北部の広い範囲を強い寒波が襲い、吹雪となっている

26日から27日にかけて予想される降雪量は最大で75センチ、瞬間最大風速30メートルを超す暴風雪のおそれがあることから、NWSでは「生命への危険性がある」としてブリザード警報を出し、史上最大のブリザードに警戒を呼びかけている。

ニューヨーク州政府のクオモ知事は「26日は午後11時以降、地下鉄やバスなどの公共交通機関を停止し、州南部では一般車両の通行を禁止する」と表明し、ニューヨーク市やロングアイランドなどの地区へ非常事態宣言を出した。

 

逆に東京は このところ暖かいね  (^_^;)

 

牛丼「すき家」の社長は新宿高校OB

tinyReportsIMG_J20120817205104 牛丼チェーンの「すき家」を運営するゼンショーホールディングスは、2010年度の連結決算で日本マクドナルドホールディングスを抜く売上高3700億円余りを達成し、外食産業のトップに立った。10年間で20倍以上の急成長だ。

そのオーナー社長、小川賢太郎氏(66)は、「革命家」と呼ばれるほど異色の経歴で知られる。

1948年生まれの団塊世代で、1968年に都立新宿高校から東大に入学して全共闘運動に身を投じるが、安田講堂の“落城”で敗北を味わう。

その ときの身の振り方が他の学生と決定的に違った。

多くの学生が教室に戻り、就職したのに対し、大学を中退し、今度は港湾労働者を組織化すべく、荷役会社へと 潜り込んだ。

だが、そこでも挫折と幻滅を味わい、逆に資本主義の優位性を痛感する。

今度は、「資本主義体制の下で世界の飢餓と貧困を撲滅する」という大目標を立て、急成長中だった吉野家に入社した。1978年のことだ。これが今に至る道の始まりだ。

小川氏が入社した2年後(1980年)、吉野家は経営危機が表面化した。

小川氏は孤軍奮闘して自主再建を目指したが、会社は会社更生法の適用を申請。

「米、牛肉、醤油というシンプルな組み合わせの牛丼は必ずハンバーガー並みにポピュラーになる」と確信していた小川氏は3人の部下を引き連れて独立し、ゼンショーを設立した。1982年のことだ。

 

社名の「ゼンショー」は「全勝」という意味

そこには、敗北の連続だった小川氏の「これからは全戦全勝だ」との思いが込められている。

独立した小川氏は軍隊のような「鉄の規律」を導入した。

それを物語るのが、企業理念に加え、社員や店舗スタッフの動き方までこと細かく記した「ゼンショーグループ憲章」だ。

たとえば、カウンター席の客には、注文から原則10秒で牛丼を出す。

外食産業に詳しい経営コンサルタントによれば、これは「業界最速」だ。

「営業報告から掃除に至るまでやるべきことのタイムテーブルも秒刻み。時間管理の厳しさは本社の管理部門でも同様で、商談は30分以内、歩く時は1秒に2歩以上が求められる。外食産業の多くでマニュアル化が進んでいるが、ゼンショーは突出している」

ちなみに、社員には筋力トレーニングや朝礼時のスクワットが義務付けられていたこともある。

※週刊ポスト2014年4月25日号

 

「ブラック企業」というイメージから

いかにして脱却するか  (^_^;)

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坂本龍一の教育実習

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若き日の坂本龍一作品

先日、記録ファイル整理中、坂本龍一OBが教育実習に来た年=昭和48年(1973年)の新宿高校学園祭

管弦楽部(SPO )のために書いてくれた

偶然性の音楽《グループの為の反応》が出てきました。

2枚組でしたが、後半はどうしても見つかりません。

当時のジアゾ式青写真コピーは保存性が悪く、消えかかっていましたので、やっとの思いでクリーニング。初演した元部員に見てもらったのが次の図形譜です。

学園祭当日、部員有志を急遽集めて演奏したのですが、私・野村は有志募集の仲介人役。

演奏を面白がって聴いていただけなので、読譜・奏法がどのように指示されたのか記憶がありません。

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朝陽クラブ

「朝陽クラブ」第18回、」講演と懇親の夕べは

3月11日(水)18:00~20:00、

クルーズ・クルーズ新宿店(レインボービレッジ8F)で行われます。

今回のショートスピーチは元気象庁地震課長・18回生 小宮 学さんです。(演題は後日)

参加費は3,000円、興味深い講演を楽しみながらの飲み放題の立食パーティで、どなたでも参加できます。

多くの方の参加をお待ちしています。

世田谷「ガキ」殺害予告事件

P1090588←世田谷区役所

1月10日。よく晴れた三連休の初日にもかかわらず、世田谷の街中や公園ははしゃぎ回る子どもたちの姿が少なく、静かだった。

テレビや新聞で伝えられた「子ども殺害予告メール」を警戒し、多くの親子連れが外出を控えたためだ。

また第2土曜日のため区内の多くの小中学校で授業が行われたが、集団下校への付き添いを余儀なくされた保護者もいた。

筆者自身も世田谷区に住み、子育てをする身だが、その日は子どもとともに落ち着かない気持ちのまま自宅で過ごした。

殺害予告から6日が過ぎた15日現在、幸いにも世田谷区では関連する事件は報告されていない。

警察の捜査情報と犯人逮捕が待たれる中、単なるイタズラだと片付ける段階にはなく、引き続き子どもたちの安全にはいつも以上に注意を払う必要がある。

ネット上でも多くの情報が拡散されたこの事件だが、実は殺害予告が出された当日に不正確な情報が多く出回り、ある種の混乱状態になっていたことをご存じだろうか。

それは、行政の対応がネットによる情報伝達のスピード感に対してあまりにも無頓着だったことが原因だった。

非常時にこそ活用したいネットの情報伝達力。

それを生かすために何が求められるのか、整理してみたいと思う。

 

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パ酒ポート

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日本酒蔵、ワイナリー、ブルワリーなど、北海道各地にある酒蔵巡りを楽しめるスタンプラリー帳「パ酒ポート」。

酒造メーカーの利害を超え、北海道の お酒を通じて地域を活性化し社会に貢献したいという思いが結実したプロジェクトが成功した裏には、道内のお酒業界全体を底上げしたいという参画企業の情熱 がありました。

北海道酒造組合の副会長を務める田中酒造社長の田中一良さんに「パ酒ポート」にかけた地域活性化の思いを、そしてプロジェクト実現のために奔走し、参画企業を『チーム北海道』としてまとめ上げたJTB北海道法人営業部の田村千裕にプロジェクトの舞台裏を聞きました。

 

いなおたの皆さん ぜひ1冊  (^_^;)

 

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