転落死

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 目立ってないと死んじゃうタイプの人

  だったんでしょうかね  (^_^;)

 

舞踊家花柳幻舟(本名・川井洋子)さん(77)が転落死した。

日本舞踊の家元制度に反対し、家元を刃物で切りつけた事件などを起こしたお騒がせ屋。

群馬県警安中署の1日の発表によると、安中市の「めがね橋」下の遊歩道で2月28日、花柳さんが倒れているのが見つかり、病院で死亡が確認された。

写真を撮影中に誤って転落した可能性があるとしている。

発見されたのは28日午後5時ごろで、約1時間後に死亡が確認された。

転落したとみられる地点の高さは約23メートルで、持っていたデジタルカメラに、橋の上から真下の遊歩道を撮った写真が残っていた。

めがね橋は連続したアーチを持つ、旧国鉄信越線のれんが造りの鉄道橋で、観光客は橋の上を歩くことができる。

花柳さんは1980年2月、家元制度に反対して国立劇場で日本舞踊・花柳流家元・花柳寿輔さんを刃物で襲って負傷させ、懲役8月の実刑判決を受け、服役した。

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90年11月の天皇陛下の「即位の礼」パレードの際には、東京・南青山の路上で、天皇制を批判するビラ100枚をばらまき、爆竹を投げて現行犯逮捕された。

裁判では道交法違反罪で罰金4万円の罰金刑を受けたが、支払いを拒否して20日間の労役に服した。

「拘置所での処遇を不服として国を相手取り、本人訴訟を起こすなど、お騒がせ舞踊家として知られた。事件を起こして注目された後、自伝『冬の花火』で天皇制批判を展開したり、突然、司法試験を目指すと言ってみたり、センセーショナルな自己プロデュースをしてマスコミはそのたびに振り回されましたね」(ワイドショー関係者)

60~90年には女優、歌手、作家としても活動し、ドラマ「花柳幻舟獄中記」(84年、テレビ朝日系)、映画「幻舟」(89年)、にっかつロマンポルノ作品では整った顔立ちと体当たりの演技で濡れ場を演じ、人気を博した。

 

ベンツ逆走おじさん

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 クルマに乗ると性格が変わるDQNさん

  世の中には山ほどいますからね

 クルマにはドライブレコーダー

  今や絶対の必需品です  ((((;゚д゚))))

 

バックで道路を逆走するベンツの動画がTwitter(ツイッター)で拡散され、話題となっています。

ベンツの運転手は撮影されていることに激怒し、脅迫しています。

問題の動画は2月26日夕方、片側一車線の道路で40代~50代とみられる男のベンツが、バックで走行しているというものです。

ベンツの後続を走行していた「たかとさん」が撮影し投稿。

ベンツ逆走おじさんは動画撮影されていたことに激怒、道路上に車を止め近寄り、たかとさんの車を怒鳴りながら何度も拳で殴ったということです。

動画からは、ベンツ逆走おじさんが

「お前らめんどくせぇからやめろ!」

「ガキ、いい加減にしろよ。やめろって言ったらやめろ!」

などと車を殴りながら怒鳴っている様子が確認できます。

以下は、ベンツ逆走おじさんが激怒する動画の続きです。

ベンツ逆走おじさんは一度車に戻りましたが、怒りが収まらないのか再度、たかとさんの車に近寄り

「降りて来いよ!」

などと言い激怒。

ベンツ逆走おじさんは、たかとさんに動画撮影されていることを「おちょくられている」と勘違いし激怒している模様。

最後にベンツ逆走おじさんは

「必ず歩けないようにしてやるからな!」 ←明らかに脅迫罪

と脅迫し、車に乗って立ち去ろうとしている場面で動画は終了。

ちなみに

脅迫罪 2年以下の懲役または30万円以下の罰金

となっています。

動画にはベンツ逆走おじさんのナンバープレートがハッキリと映っており、「春日部」ナンバーということが確認できます。

なお、撮影場所については不明。

この危険運転動画にTwitter上では

「こういう運転手は免許を自主返納してほしい」

「こんなヤツが乗ってベンツのブランドイメージを壊さないで欲しい」

「顔もバッチリ映ってるから逮捕すぐだな」

「警察に証拠出して逮捕してもらうのが良いですね」

などと様々な声が多数ありました。

動画にはベンツ逆走おじさんの顔や車のナンバープレートが映っています。

この動画が証拠映像となり、今後、道路交通法違反や脅迫容疑で逮捕される可能性もあります。

 

宮中茶会

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  これから 即位の儀 改元

   しばらくは日本中が

  お祝いムードの春ですね~  (^_^;)

 

天皇・皇后両陛下が、各界のレジェンドたちと歓談された。

白地に花々があしらわれた着物姿の、女子レスリング選手・伊調馨さん。

そして、春らしいラベンダー色のドレスに身を包んだ、フィギュアスケート・浅田真央さん。

天皇・皇后両陛下は、26日、即位30年の宮中茶会を催され、皇居・豊明殿には、各界の功労者が姿を見せた。

招かれたのは、福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治さん。

タレントの黒柳徹子さんをはじめ、およそ500人の著名人。

茶会には、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、眞子さま、佳子さまなど皇族方も出席され、両陛下は、日曜日の式典で独唱を披露した歌手の三浦大知さんなどと親しく懇談された。

高須クリニック・高須克弥院長

「身に余る光栄でして」

茶会に参加した高須院長が見せてくれたのは、お土産のボンボニエール。

皇室でお祝いごとの際に作り、招待客に配られるもの。

フジテレビ解説委員・橋本寿史さんは

「(今回は)即位10年、20年の時に開かれているお茶会と同じような形。両陛下や皇族方とお話をする機会というのが一番でして、いろいろな形でお話をし、ふれあえる機会になる」

と話した。

平成のスポーツ界を沸かせた、この3人は…。

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元プロサッカー選手・澤穂希さん

「皇后さまがまずお声がけをしてくださって、『お久しぶりです お元気ですか』ということと、『子育てはどうですか』ということを聞かれました」

バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央さん 

「天皇皇后両陛下とお話をさせていただきました。『今は何をされているんですか』という話がありましたので、『今は全国でアイスショーを回っています』とお話させていただきました」

シドニー五輪金メダリスト・高橋尚子さん

「すごく和やかな雰囲気で、すごくすてきな時間だったと思います」

さらに、サッカー・三浦知良選手は

「皇后さまに、Jリーグ元年からずっと見ていただいているということで、『ずっとサッカー界を引っ張っていてくれてありがとうございます』と言われました」

と話し、もう1人、同じ三浦の名前を持つレジェンド、プロスキーヤー・三浦雄一郎さんは

「(陛下も)若いころは、東宮御所の中でも離宮の芝生の上でも、雪が降って、スキー滑って楽しかったと。ずいぶん昔を思い出して懐かしんでおられました」

と話した。

そして、レジェンドといえば、この人。

ソチ五輪銀メダリスト・葛西紀明選手も

「今回は、30周年の記念のお茶会ということで、たぶんお会いになるのも最後になるんじゃないかと思って、僕もシーズン中なんですけど、足を運んできました。僕も世界に出たのが、30年前の高校1年生の時だったので、同じ時期を過ごせたのがうれしく思っています」

と話した。

 

 

早大医学部

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 少子高齢化が進む中で

  大学経営は厳しさを増しています  (^_^;)

 

昨年、早稲田大学の学長選挙で医学部設置を公約に掲げた田中愛治教授が当選。

早大の医学部創設が現実味を帯びてきている。

田中学長は、「単科医科大学を吸収合併する戦略に絞って考えていく」とコメント。

裏口入学事件を受けて補助金を大幅に減額された東京医科大学を吸収するのではないかと取り沙汰されている。

「基本的に他大学の統合・合併というかたちで早大医学部を創設していくと思います。他大学の医学部を統合するのではなく、田中学長は単科医科大学の吸収合併を視野に入れています。

 その“お見合い相手”は、世間で候補とみられている東京医科大学ではないでしょう。

 慶應義塾大学の安西祐一郎元塾長は『大学の統合はお見合い結婚みたいなもの』と表現しました。お互いが違う校風や歴史を持っているなかで、一緒になるわけですから。

 これまでの大学の統合事例としては、慶應大と共立薬科大、関西学院大と聖和大、上智大と同じカトリック系大学の聖母大が一緒になっています。

 関学のケースでは給与体系などの違いの問題などもあり、当初の予定よりも1年延びていますから、大学の統合はかなりエネルギーを使います」(大学業界関係者・A氏)

では、相手が東京医科大学ではないとすると、どこが有力候補となるのだろうか。

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東京女子医科大です。実は早大と東京女子医大は、日本初の共同大学院(専攻:共同先端生命医科学)を設立しています。ほかにも早大は東京農工大とも共同大学院を設立しています。

 東京女子大学の敷地内に早大が校舎を建てて研究していますが、こうした経緯もあり、最有力候補として東京女子医大が挙がってくるのです。

 共同大学院は2010年4月に開設されたので、以降、両大学の校風や歴史の相互理解が深まっているものと想像できます。

 もし、早大が“お見合い話”を持っていくのであれば、東京医科大よりも東京女子医大のほうが先だと考えるのが自然ではないでしょうか」(同)

しかし、東京女子大側で反対意見は浮上しないのだろうか。

「確かに、東京女子医大にとって最大の支援組織である同大出身者の間で『日本でただひとつの女子医科教育の場を放棄するのか』という声があります。障壁となるのは、OG会の説得ですね。

 しかし東京女子医大病院は2001年と14年に起こした医療事故に端を発し、病院経営が厳しさを増しています。事故を受けて、厚生労働省は特定機能病院の承認を取り消しており、患者が減少しています。当然のことですが、大学経営にも悪影響を及ぼしています。

 こうした状況もあり、同大出身者には現役医師も多く発言力も強いものの、理事会ではそれほど反対は出ないとみられています。教授たちも、自分の研究費が維持されれば満足するでしょう。

 さらに、東京女子医大は医学部と看護学部しかないので、総合大学に組み込まれることによって経営が安定するというメリットもあります。

 このほかにも、両大学とも場所も同じ東京・新宿区ですから、地の利もあります」(大学業界関係者・B氏)

つまり、名古屋大が岐阜大を救済するように、早大が東京女子医大を救済合併するという構図だろうか。

「そうなりますね。今まで私大が一緒になるケースでは、総合大学が単科大学を救済する意味合いもありました。特にこれから少子化が本格化するなかで、総合大学と単科大学が一緒になっていくケースが増えるかもしれません。

 早大が医学部を持つインパクトは、かなり大きいです。おそらく早大は研究型大学を目指し、研究分野を拡大したいのでしょう。たとえば、車いすの研究でも医学部創設により、自前でできるようになります。

 当然ですが、医学部を創設すると病院経営があり、医学生の研修先になります。ところが病院経営が悪化すると、体力のない単科医科大学であれば、大学経営も直撃するのです。

 実は早大を卒業してから、他大学の医学部に入りなおしている学生も一定数おり、そういう人材も吸収できます」(同)

 早大は医学部創設で学生の裾野を広げようとする一方、実は一般入試の合格者を減らす方針を打ち出している。

「早大のみならず大学は多様な人材を集めたいという意向を持っています。早大には北九州キャンパスがあり、地方からも人材を集め、国際学生寮を東京・中野につくり、さまざまな試みを各種実施しています。

 一般入試に頼らずAO入試、留学生、推薦入試、付属高校からの進学組からも集めて、キャンパスの活性化を図る意向があるのではないでしょうか。

 もう一つは、昨今の文部科学省による大学定員の厳格化です。実は早大には仮面浪人組が一定数いて、大学に通いつつほかの大学入試にチャレンジし、翌年に東大や一橋大に合格したら早大をやめる学生が存在します。

 仮面浪人組は一般入試組だけなので、一般入試組の合格者を減らせば、2年次も定員の厳格化は図れるとの考えもあるようです」(大学業界関係者・C氏)

ちなみに不正入試事件に揺れる東京医科大は、今年の入試志願者数が昨年の3分の1になるなど不人気ぶりをみせている。

「東京医科大は過去の入試分に遡って追加合格を出したので、今年の入試合格者枠は減少します。しかも医学部の合格者は100人程度なので、10人追加合格者がいると1割減るので難易度が高くなります。しかも、公平な入試をするので男子のボーダーラインが上がるため敬遠されました。

 ちなみに以前、ある大学の歯学部が入試をめぐり文科省から厳重注意を受け、無視するのであれば卒業しても学生に国家試験を受けさせないとの厳しい指導を受けたことがあります。

 東京医科大も公平な入試を行わなければ、学生が医師国家試験を受けることができない可能性も出てくるため、絶対に公平な入試を行うでしょう」(同)

いずれにしても「早大医学部」誕生は近い!、かもしれない。

 

睡眠負債 sleep debt

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 もうすぐ春ですね~♪

  春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く

 春はとてもとても眠い季節です

  そして同じくらい秋も眠い季節です

 さらに夏と冬も眠い季節です  (^_^;)

 


 

1日24時間という限られた時間の中で、やらなければいけないことが山積している。

だから、睡眠時間を犠牲にするのはやむをえない。

とかく日本人は、そう考えがちです。

もともと日本人の場合、睡眠時間を削って何かに励むことを「美徳」のように捉え、「寝る間も惜しんで」仕事や勉強をすることが必要だ、というメンタリティが根づいてしまっているのでしょう。

しかし、それが逆に、体調をガタガタにするだけでなく、仕事の成果さえも台無しにしてしまっていたとしたら……。

「睡眠負債」は取り返しのつかない結果をもたらしかねません。

健康も維持しながら、仕事で成果を上げるために最適な睡眠時間とは?

スタンフォード大学睡眠生体リズム研究所(SCNL)の西野精治所長が、近著

『スタンフォード大学教授が教える 熟睡の習慣』

から世界各国の研究結果をもとに解説します。

睡眠負債(sleep debt)」という表現を用いて、積み重なる睡眠不足に警鐘を鳴らしはじめたのは、アメリカ人のウィリアム・C・デメント教授です。

私も籍を置くスタンフォード大学睡眠生体リズム研究所の創設者で、90歳を超えられた今もご健在。

今日の睡眠研究を牽引してこられた第一人者です。

レム睡眠を発見したシカゴ大学のクライトマン研究チームのひとりでもあり、急速眼球運動のある睡眠のことを「レム睡眠」と呼びはじめたのも、デメント教授でした。

「ヒトは一定の睡眠時間を必要としており、それより睡眠時間が短ければ、足りない分がたまる。つまり眠りの借金が生じる」

これを「sleep debt」と呼び、

「借金がたまると、脳や身体にさまざまな機能劣化が見られる。睡眠不足は危険である」

と呼びかけたのです。1990年代のことです。

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アメリカでも、日本と同じように「睡眠不足(sleep insufficiency)」という言葉は一般によく使われています。

では、睡眠不足と睡眠負債はどう違うのか。

いうなれば、「手持ちのお金が足りず、借りをつくるものの、すぐに返済できる状態」が「不足」、「借金に次ぐ借金で、借りがどんどんふくらみ、返すあてもなく、にっちもさっちもいかなくなる」のが「負債」。

こう考えると違いがわかりやすいでしょう。

詳細はここをクリック

 

三浦大知「歌声の響き」

2月24日、歌手の三浦大知(31)が「天皇陛下御在位三十年記念式典」で、天皇陛下がご作詞、皇后陛下がご作曲された『歌声の響き』を歌唱し、話題となっている。

午後2時より東京・国立劇場で行わた式典で、沖縄出身である三浦は『歌声の響き』を記念演奏として披露。

同曲は沖縄周辺の島々に伝わる八・八・八・六の音数律をもつ定型詩である琉歌で、天皇陛下が1975年に初めて沖縄を訪れ、名護市のハンセン病療養所を訪問したことがきっかけで詠んだ歌だという。

同式典は、NHK総合、テレビ朝日、またインターネットで生中継が行われ、三浦の歌唱が終わるとネットでは大反響。

TwitterやYahoo!のトレンドランキングに「三浦大知」「大地くん」がランクインした。

ネットでは

「歌声も演奏も素晴らしかったです。もぅ…言葉にならない」

「正座して聴きました。感動!鳥肌立ちました!式典の雰囲気を崩さずに、尚且つ三浦大知のスタイルも崩さずに、本当に人間性が滲み出ててた。日本の宝です」

「素晴らしい歌唱 感動を有り難うございました 同じ時代に生まれて良かったぁ」

と三浦の歌声に称賛の声が殺到している。

 

陛下のお言葉

 

天皇陛下の「御在位30年記念式典」が24日、東京都内で行われ、陛下は、皇后さまと一緒に歩んだ平成の30年間を、時折、声を震わせながら振り返られた。

 


 

 

陛下のお言葉

 

在位30年にあたり、政府ならびに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。

即位から30年。

こと多く過ぎた日々を振り返り、今日、こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。

平成の30年間、日本は、国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平たんな時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。

天皇として即位して以来、今日まで、日々、国の安寧(あんねい)と人々の幸せを祈り、象徴として、いかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。

しかし、憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は、果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と、象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。

天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは、幸せなことでした。

これまでの私のすべての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに誇りと喜びを持つことのできる、この国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のおかげでした。

災害の相次いだ、この30年を通し、不幸にも被災の地で、多くの悲しみに遭遇しながらも、けなげに耐え抜いてきた人々、そして、被災地の哀(かな)しみをわがこととし、さまざまな形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです。

平成が始まってまもなく、皇后は、感慨のこもった一首の歌を記しています。

ともどもに 平(たひ)らけき代を 築かむと 諸人(もろひと)のことば 国うちに充(み)つ

平成は、昭和天皇の崩御とともに、深い悲しみに沈む諒闇(りょうあん)の中に歩みを始めました。

そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。

しかし、このころ、全国各地より寄せられた、「私たちも皇室とともに平和な日本をつくっていく」という、静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは、今も大切に心にとどめています。

在位30年にあたり、今日、このような式典を催してくださった皆さまに厚く感謝の意を表し、ここにあらためて、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。