▲意外とデコボコしている東京の地形
変わり続ける街・新宿
そこにも、変わらない場所が
あるみたいですよ
(^_^;)
絶え間なく再開発が進む西新宿。
そんな中で1世紀近く昔、大正時代や昭和初期に架けられた橋が、今なおこの町に残っている。
笹塚から幡ヶ谷をへて西新宿へと流れていた
神田川支流(玉川上水幡ヶ谷分水・和泉川)の暗渠
そこには人と水辺との関わりの記憶をとどめる風景がある。
▲意外とデコボコしている東京の地形
変わり続ける街・新宿
そこにも、変わらない場所が
あるみたいですよ
(^_^;)
絶え間なく再開発が進む西新宿。
そんな中で1世紀近く昔、大正時代や昭和初期に架けられた橋が、今なおこの町に残っている。
笹塚から幡ヶ谷をへて西新宿へと流れていた
神田川支流(玉川上水幡ヶ谷分水・和泉川)の暗渠
そこには人と水辺との関わりの記憶をとどめる風景がある。
犯人のあまりのアタマの悪さには、感動を覚えます
サラダ油はもちろん、灯油も引火点が40度ですから
冷房の効いた電車内では、簡単には引火しません
それで何となく、牧歌的なムードがただよいます
今日の岐阜県多治見市の屋外なら、引火したかもしれません
犯人がもう少しアタマが良くて、ガソリンを用意していたら
京アニ事件の再現ですから、ゾッとします
((((;゚д゚))))
8/6の小田急線刺傷事件の犯人、川崎市の職業不詳・対馬悠介(36)が、
「車内への放火を計画し、
灯油を準備するつもりだった」
と供述していました。
対馬悠介は、持ってきたサラダ油を床にまき、ライターで火をつけようとしましたが、油に火はつかず、現場から逃走しました。
対馬悠介は、
「勝ち組の女性を殺したかった」
「電車内には逃げ場が無く、
サラダ油をまいて火を付ければ、
大量に人を殺せると思った」
「殺せなくて悔しかった」
などと供述しています。
* * * * * * * * * *
気象庁の観測によりますと、8/8の午後1時15分ごろ岐阜県多治見市で気温が40.2度に達しました。
最高気温が40度に達するのは、国内では今年初めてです。
東海などでは危険な暑さとなっています。
熱中症に厳重な警戒を続けてください。
すでに犯人は捕まったようです
暑さと中国コロナによるストレスで
おかしくなる奴も出るかもしれません
周囲に挙動不審者を見かけたら
すぐにその場から離れましょう
((((;゚д゚))))
8/6午後8時半頃、東京都世田谷区、小田急線の祖師谷大蔵駅近くの電車の車両内で
「小田急線の電車内で、人が刺された!」
と通報がありました。
若い男が刃物を振り回して、複数人を刺したということです。
東京消防庁は救急車8台が現場へ急行し、6人を搬送した。
いずれも意識はあるが、重傷の人もいる。
男は逃走したとみられ、警視庁が行方を追っています。
* * * * * * * * * *
8/6午後10時頃、杉並区内のコンビニに現れた男が
「ニュースに出ている事件の犯人は俺です」
と話したため、店員が110番した。
駆けつけた警察官が男の身柄を確保し、容疑が固まり次第、逮捕する方針。
東京・新宿の紀伊国屋書店新宿本店にある老舗カレー店「モンスナック」が7/15、半世紀にわたる歴史に幕を閉じる。
入居する紀伊国屋ビルの耐震補強工事に伴い、営業継続が困難になったためだ。
地元住民から観光客まで幅広く愛されてきた名物店の閉店を惜しむ声が絶えない。
紀伊国屋ビル地下1階の専門店が軒を連ねる「紀伊国屋ビル名店街」。
昼時になると、カレーの香りに引き寄せられるように、サラリーマンやカップルが次々とモンスナックに吸い込まれていく。
「昔は換気設備が十分ではなく、地上までカレーの匂いが漂っていたので、匂いに誘われて店にたどり着いたお客さんも少なくなかった」
モンスナック2代目店主の矢吹雄一郎さん(51)は笑いながらこう話す。
紀伊国屋ビル地下1階には
餃子会館というお店がありまして
昔よく行きました
(^_^;)
紀伊國屋書店新宿本店(東京都新宿区)地下1階で営業する専門店街「紀伊國屋ビル名店街」の9店舗が、2021年7月15日で閉店する。
ビルの耐震補強工事のためだ。
新宿の繁華街の中心にあり、カレーの有名店などが軒を連ねる名店街。
ネット上では「悲しすぎる」「これはショックです…」と惜しむ声が広がっている。
東京・新宿区の「夏目坂メディカルクリニック」の院長、栗原隆容疑者(45)が、覚醒剤を使用した疑いで警視庁に逮捕されました。
医師の栗原隆は、去年12月、東京都内などで覚醒剤を使用した疑いがもたれています。
医師の栗原隆は、スポーツドクターとしてテレビ番組にも出演していました。
警視庁によりますと、去年12月末に医師の栗原隆の家族が
「意識がもうろうとしている」
と119番通報し、医師の栗原隆が病院に運ばれていて、その際の検査で覚醒剤の陽性反応が出ました。
医師の栗原隆は退院した今月2/19に逮捕されましたが、取り調べに対し
「何のことか分からない」
などと容疑を否認しているということです。
警視庁は、医師の栗原隆が自宅で覚醒剤を使用していたとみて調べを進めています。
思い出横丁は どうなるのだろう?
ちょっと気になります
上の写真だと 残るのかな
(^_^;)
小田急電鉄および東京地下鉄が事業主体の新宿駅西口地区の開発計画によって建設される高層ビルの概要が発表された。
計画では着工が2022年、竣工が2029年で、建設予定地に位置する小田急百貨店新宿店は2022年に一時閉店する。
建設予定のビルは地上48階地下5階、高さ約260メートルで、新宿グランドターミナルの再編を象徴する大規模開発となる。
高層部にオフィス機能、中低層部に商業機能を備え、オフィス機能と商業機能の中間フロアには、来街者と企業の交流を促すビジネス創生機能の導入を予定。
低層部ではビジネス創出の情報や新宿をはじめとした小田急沿線、 東京メトロ沿線の情報を発信する。
この横丁には
「鳥園」という焼鳥屋がありまして
ときどき行くことがあります
(^_^;)
どんどん街並みが変わるメガシティ東京。
ここにきて、新宿西口も再開発されるとの報道が。
小田急百貨店が建つ駅西口から、駅南口の「新宿ミロード」までの細長い地区が対象となっていて、2029年には地上48階建ての高層ビルに建て替わる予定とか。
計画しているのは東京メトロと小田急電鉄で、現在は、
「近隣住民の方々にご説明し、ご理解をいただいている段階」
(小田急電鉄)
つまりまだ正式な決定ではないというが、気になるのは再開発地域の先にある「新宿西口思い出横丁」の行方。
通称「しょんべん横丁」として親しまれているこの地域の歴史は、戦後の闇市に遡る。
日本の情緒を安く味わえると、最近は外国人観光客からも人気だ。
新宿大ガード脇の約2千平方メートルの地域に約80軒もの店がひしめき、1999年には横丁の半分近くを焼く火災があるなど、何度も存続が危ぶまれてきた。
ビル化の話も持ち上がり、03年には地権者たちによる「新宿駅西口地区市街地再開発準備組合」も立ち上がって、多くの店が賛成したと言われたが……。
「『組合』も意見がまとまらず頓挫しました。『思い出横丁』の再開発は、
行政庁および一般企業を含めまして、俎上に載ることはありません。
以来、再開発の話は皆無となっております」(新宿西口商店街振興組合)
どうやら、しょんべん横丁はこのまま残るようだ。
「あの存在は現代の奇跡」
とは居酒屋関連の著作も多いライターの大竹聡氏。
「闇市的な雰囲気で多数の店が集まる場所は、すでに大阪や名古屋にはなく、長崎の銅座など日本国内でも数カ所だけ。あの地域の空中権はすごい価値ですから、バブルの時代にもビル化などされずよくぞ生き残ってきたものです。権利関係が複雑なのが、かえって幸いしているんですね」
昭和の名残、いつまで。
「京王電車沿線名所図絵」1930年
京王線の始発駅である新宿は今、JR線の西側の地下にあります。
しかし現在の地に落ち着くまで、駅は改称と移転を繰り返しました。
当時の新宿の中心を目指して延伸するも、戦災が暗い影を落とします。
東京の私鉄には、かつて意外な場所が始発駅だったという路線がいくつか存在します。
始発駅の場所が変わる場合、背景には様々なドラマがあります。
今回は京王線新宿駅の例を見てみましょう。
西新宿帝国(昼の街)と
歌舞伎町帝国(夜の街)が
ひとつになるかな~?
(^_^;)
分断された東西の新宿駅が東西自由通路で結ばれた。
1日に約350万人が利用する世界一の巨大ターミナル、新宿駅。
新宿駅前は、高層ビルが立ち並び都庁がある官庁街の西口と、「夜の街」として最近批判されがちな歌舞伎町を擁する東口で、大きく顔が変わる。
駅構内の複雑さでも有名な「迷宮(ラビリンス)」に19日、駅の東西を直通する自由通路が完成した。
新宿駅が「迷宮」とされたゆえんは、東西が分断されていたことが大きい。
直線なら約100メートルの距離にもかかわらず、改札を通らず行き来するには、駅北側の地下道「メトロプロムナード」を通るか、地上に出て南口前の甲州街道などを回るしかなかった。
これまでは16路線が壁のように駅を分断させ、東西の行き来は遠回りを余儀なくされていたが、自由通路によって移動時間が短縮される。
完成した「東西自由通路」は全長約100メートルの地下通路。
場所は「北通路」の名称でJR線の改札内コンコースだったが、幅が約17メートルから約25メートルにまで拡大された。
東口改札は跡形もなく撤去され、道幅が広く、白が基調の天井や床も相まって新宿駅とは思えない広々とした印象だ。
20日午後でも改札を抜けた利用客から「すごい。広くなった」と驚きの声が漏れ、写真を撮る人も多い。
自由通路の開通に伴い、これまでの東口改札は「東改札」、西口改札は「西改札」と呼び方を変え、それぞれ自由通路に面する位置に移設した。