我々が入学したとき創立50周年で
校史アルバム「五十年の歩み」
をもらいました
(^_^;)
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▲外回りが「千駄ヶ谷ぎょえんトンネル」の中を、内回りが上を通る
東京都建設局は2022年10月13日、建設を進めている「環状第5の1号線」のうち、渋谷区千駄ヶ谷五丁目から新宿区内藤町までの「千駄ヶ谷地区」805mが、12月3日14時に開通すると発表しました。
新たにできるのは、明治通りの鳩森小学校西交差点から、新宿二丁目交差点の南側(御苑大通りの南端)にかけての区間です。
内回りと外回りを上下に重ねて道路の幅を絞り、新宿御苑と都立新宿高校の間をすり抜けるように走ります。
この開通により、明治通りで新宿を通過するときは、甲州街道(国道20号)と平面交差する新宿四丁目交差点や、伊勢丹に面した新宿三丁目交差点といった混雑箇所を迂回できるようになります。
東京都建設局によると、渋谷・新宿の両副都心を結ぶ道路ネットワークが強化されるほか、新宿駅周辺の交通渋滞の緩和による沿道環境の改善が期待されるといいます。
この「環状第5の1号線(千駄ヶ谷)」は、終戦直後の1946年の都市計画決定を経て、1991年に事業認可を取得しました。
事業費は約755億円に上ります。
事業認可から開通までは30年以上がかかったわけですが、これは途中で計画が大きく変わったことが影響しています。
当初、道路の幅は片側2車線が左右に並ぶ31~35mでしたが、2005年の都市計画変更で14~35mに縮小されました。
これは主に、新宿御苑のラクウショウ(落羽松)が関係しています。
当初の計画は、御苑の土地を多く削って道路を通すというものでした。
しかし道路用地がラクウショウの群生地の一部にかかっていたのです。
▲当初は、計画の範囲がラクウショウの群生地にかかっていた
御苑のラクウショウは明治20~30年代に日本で初めて植えられたもので、樹齢は120年以上、樹高は30m近くにまで達しています。
巨樹の間からはタケノコのような姿の気根がたくさん生えており、独特な景観を作っています。
ラクウショウ自体は他所でも見かけることがありますが、御苑にあるような大きな群生地は希少といえます。
▲新宿御苑のラクウショウ(落羽松)群生地
道路を通すにあたっては都と、御苑を管理する環境省との間で長期間にわたり協議と検討が実施されました。
1999年度に環境影響の調査が始まり、2003年度には調査結果を踏まえた道路構造案について都と環境省の間で基本合意に至り、2005年6月に道路を上下2層構造にして幅員を縮小する計画へと変更されたのです。
これにより新宿御苑と新宿高校の間を通る道路は当初計画のおよそ半分の幅になり、さらにトンネルが掘られました。
名称はひらがなを用いた「千駄ヶ谷ぎょえんトンネル」(長さ492m)です。
外回り(池袋方面)がトンネルの中を通り、内回り(渋谷方面)と歩道がその上の“屋上部分”を通ります。
事業は、2018年度末の時点で用地取得がほぼ終わっている段階まできていましたが、地下埋設物の輻輳や地下埋設インフラの整理・移設に時間を要するなどして、今回、ようやく開通にこぎ着けました。
なお、道路開通後も、横断歩道橋のエレベーター設置工事などは継続して実施されます。
▲小田急デパートの新宿店本館
渋谷に比べると再開発が
遅れていた感じの新宿ですが
ようやく始まるみたいです
(^_^;)
小田急百貨店の新宿店本館が、新宿駅西口の大規模再開発に伴い、2022年10月2日をもって営業終了する。
同年10月以降は、新宿西口ハルクを改装して営業を継続する。
1967年に全面開業した新宿店本館は、今や新宿西口の象徴的な建築物として、50年以上にわたって親しまれてきた。
新宿店本館跡地には、地上48階、高さ約260 メートルの超高層ビルを建設予定。
竣工は2029年度となる見込み。
▼跡地に建設予定の、地上48階、高さ約260 メートルの超高層ビル
大昔にはアンモナイトとか三葉虫とか
地球上にウジャウジャいたはずなんですけど
全部きれいに絶滅してしまったのはなぜだろう?
人類も全面核戦争で絶滅するかも
((((;゚д゚))))
新宿駅西口の「小田急百貨店新宿店本館」が、館内の壁に埋まっているアンモナイトの化石を切り出しプレゼントするキャンペーンを実施している。
10月に営業終了・解体する同館ならではの”太っ腹企画”だ。
同館は新宿駅西口地区開発計画により10/2に営業終了し、テナントの一部は近隣の商業施設「新宿西口ハルク」に移転し営業を続ける。
本館の取り壊しに伴い、館内の大理石の壁からアンモナイトの化石を特別に切り出し、応募者のうち抽選で1名にプレゼントする。
館内でも美術品や文房具売り場のある10階には、特に化石が集中している。
このフロアの壁と床は1991~92年の館内リニューアル時に建てられた。
「ジュライエロー」と呼ばれる大理石を使っており、約2億年前のものといわれる化石が埋まっているという。
壁や床に眠る化石の総数は不明だが、15センチ四方の大きいものから5センチ四方の小さなものまで、目につくだけでも多数ある。
うず状のものや、厚歯二枚貝と呼ばれる二枚貝などが発見されている。
7/20の開始以来、約200件の応募があった。
▲小田急百貨店 新宿店本館
▲部長の役職を担う左翼手・岩佐と田久保監督
新宿高校は東京府立第六中学校として1921(大正10)年に創立。
50年に現校名となり、2022年には創立100周年記念行事が予定される都立高校屈指の伝統校である。
1946年に創部された野球部には、チームを束ねる「主将」とは別に「部長」という役職がある。縁の下の力持ち。
7/17、淵江高との東東京大会3回戦。
4対1の8回表に貴重な一打を放ったのが、九番・左翼の部長・岩佐和樹(3年)だった。
二死一、二塁。岩佐は右打席から強振し、ライト後方への打球を放った。
相手右翼手がグラブを差し出すも、わずかに届かず(記録は失策)、二塁走者が生還した。
5対1。新宿高は23年ぶりの4回戦進出を決めた。
新宿高・田久保裕之監督は試合後
「良い打球だった。絶対に打つと信じていました。
チームで一番、練習してきたのが岩佐。
最後のもうひと伸びがあったのも、努力の賜物。
野球の神様が運んでくれた一打です」
と喜んだ。
▲田久保裕之監督と一村幸主将
田久保監督も新宿高時代は部長だったからこそ、岩佐の苦労を誰よりも知る。
「主将の一村(幸、3年)を影ながら支え、
いつもチームのために献身的です」
指揮官が3年生で5回戦に進出した1999年以来の32強である。
「あえて、生徒たちには言わないようにしてきました。
背負わせるのもどうか、と……。
目の前の試合に集中してほしかった」
試合後に始めて「23年ぶり」と聞かされた岩佐は
「そんなに勝っていなかったんですね(苦笑)」
と目を丸くさせた。
わずか1安打での勝利であり、したたかな野球を展開した。
1回表、制球に苦しむ相手の先発投手を攻め立て、無死満塁から四番・本村忠勝(3年)のスクイズで先制。
次打者が死球で、一死満塁から押し出し四球の後、スクイズで3点目を挙げた。
この2つのスクイズは、いずれもフルカウントからだった。
「ふだんは、あまりやらないんですけど……。
雨が多く、打撃練習ができなかったんです。
ただ、打てなくても点を取る練習はしてきました。
あの場面はストライクを投げるしかないですから、
ストライクをしっかり転がす、と。
夏は重たい試合になることは分かっています。
結果的に初回の3点は大きかったです」
エース右腕・青柳光祐(3年)が安定感のある投球を披露し、試合巧者ぶりを見せた。
新宿高は昨秋、東京都一次予選を突破し、23年ぶりの本大会進出。
今春は本大会で9年ぶりの勝利を挙げ、東海大高輪台高との2回戦では逆転勝利で、3回戦まで駒を進めた。
現在の3年生である「75回生」は、実績において、輝かしい足跡を残してきた。
だが、5月末、チーム状態は停滞。
最上級生として、後輩たちに何が残せるのか、明確な「答え」が見つからなかったという。
女子マネジャー1人を含めて3年生7人。
あまりに高い理想を掲げ、責任感が強い主将・一村に、周りがついていけていなかった。
部長・岩佐は一村の「孤立」を察知。
つなぎ役として水面下で動き、同期に理解を求めた。
主将・一村も仲間に対して聞く耳を持ち、歩み寄る姿勢も見せ、3年生は一枚岩となった。
「日本一の文武同道の達成」
がモットーである進学校・新宿高の平日の練習時間はわずか45分。
勝負しているのは練習量ではないと、部長・岩佐は力を込める。
「万事練習という部訓がありますが、ウチの練習は24時間。
勉強、食事、寝ることも練習。
グラウンド以外の私生活をしっかりすることが、
試合におけるあと一歩、あと一球につながる。
7人で話し合った6月以降
『3年生が何でもNo.1』をやり続けてきました。
自分がこだわるのはグラウンドの環境整備。
ここは、率先して取り組んできたつもりです」
常日ごろからの地道な積み重ねが、田久保監督が言う
「最後のもうひと伸び」
となったのだ。
指揮官は75回生の「背中」について言う。
「野球は完成していませんが、チームワーク、ゲーム運びは、
今までの新宿にはなかったものを発揮している。
よくまとまった7人です」
23年ぶりの5回戦進出をかけた4回戦は共栄学園高と対戦する。
田久保監督は言う。
「(初戦の2回戦から)先行して勝つのが2試合、続きました。
劣勢の場面を、跳ね除けられるか。
そういう練習も積んできましたので、
食らいついていきたいと思います」
2022年のチームスローガンは「継勝」。
部長・岩佐は
「一戦一戦、戦った先に甲子園がある。
でも、今日、勝ったことは忘れて、
次への準備を進めていきたいです」
と謙虚に語った。
背伸びすることなくワンプレー、ワンプレーを全員で確実にこなす。
やってきたことを信じて出すだけ。
新宿高に怖いものはない。
日本の音楽に一時代を築いた世代が
いま静かに引退の季節を迎えています
でもその音楽は、永遠です
(^_^;)~♪
――山下達郎さんの世代は、いまだ“現役”の音楽家が多いですよね。
日本のポピュラーミュージックを牽引してきた“戦友”は数多いと思います。
同世代で「友人」と呼べる存在を挙げるとすると。
「坂本龍一君(→)かな。
彼がYMOのメンバーになる前、70年代半ばから2年半ほど、それこそ毎日のように会っていた時期がありました。
数年前、久しぶりにゆっくり話す機会があったんですが、距離感はまったく同じだった」
――『戦場のメリークリスマス』に出演、音楽も担当して以来、“世界のサカモト”と呼ばれて久しい存在ですよね。
今となっては、ちょっと意外な人脈とも思えますが。
「坂本龍一君に初めて会ったのは1974年頃で、福生にあった大瀧詠一さんのスタジオでのリハーサルでした。
それまで面識はなかったんですが、坂本龍一君は新宿高校、僕は竹早高校で、同時期に高校紛争を経験しているんです。
年齢的には坂本龍一君が1級上。
僕が高校サボって茗荷谷の喫茶店で三島由紀夫(→)自決の臨時ニュースを観ていた1年前、坂本龍一君は新宿高校に3人だけだった某マイナー新左翼のメンバーとして、長髪・下駄ばきで新宿高校内を闊歩してたそうです。
ちなみに新宿高校のあと2人は、後年衆議院議員になった塩崎恭久さんと、『アクション・カメラ術』で有名になった馬場憲治さん。
そういう背景もあって、坂本龍一君とは初対面からウマが合った。
新宿のゴールデン街の飲み屋で、坂本龍一君が東京藝大で専攻していた現代音楽について客と論議を戦わせているのを眺めていたり、行きつけのライブハウスの酒を飲み尽くしたり(笑)」
――「政治の季節」を共有された。
「坂本龍一君にしても僕にしても、70年安保で人生が狂ったクチなんです。
これはよく言われることですけど、60年安保を機にドロップアウトした人たちが流れた先が雑誌メディア。
雑誌文化は60年代安保世代が作ったと言えるんです。
同じ世代が年を重ねるのに合わせて、雑誌も対象年齢が上がっていってますよね。
育児雑誌、中年雑誌と来て、今や老人雑誌が花盛りになっている」
▲広大な芝生の風景式庭園の先にある整形式庭園
新宿御苑に隣接する東京都立新宿高校では、年間を通して庭園管理や植物栽培のボランティア活動を行っています。
6月の休園日である6月13日(月)および6月20日(月)の2週にわたって、新宿高校サッカー部の生徒のみなさんがプラタナス並木の手入れ作業を行いました。
約160本のプラタナスを植栽した長さ200mの並木道は、ヨーロッパのようなロマンチックな雰囲気。
涼やかな風の流れる緑陰のベンチは、御苑の避暑スポットとしても人気があります。
砂利敷きの園路は雑草が繁茂しやすいため、夏場は除草作業が欠かせません。
あっという間に緑色のじゅうたんが広がってしまいます。
6月13日(月)は、新宿高校サッカー部の2年生17人、6月20日(月)は1年生21人が参加し、手取り除草作業を行いました。
はじめは慣れない作業に苦戦しつつも、だんだんと要領をつかんでペースアップ。
誰が一番多く草を抜くか競い合って、作業を進めました。
1時間半でしたが、みるみるうちに元通りのきれいな砂利道になりました。
暑い中の作業でしたが、新宿高校サッカー部のチームワークで、美しい庭園がよみがえりました。
明治の皇室庭園時代に完成した新宿御苑は、多くの人々の手によって庭園景観が維持されてきました。
これからも地域のみなさんとともに、歴史ある庭園を守ってまいりたいと思いますので、引き続きご協力をお願いいたします。
ベスト10に4店、さすが新宿です
京王百貨店が昨年の14位から4位へ、10人ゴボウ抜きの快挙!
おとなりの小田急百貨店が今秋に閉館しますから、さらに伸びそうですね
(^_^;)
日経リサーチは6/6、商業施設の利用実態調査を発表した。
1都3県の商業施設約700カ所(一部圏外施設も含む)を対象に実施し、調査データの中から各施設の利用率に着目して、商業施設の集客力ランキングも発表した。
4位の「京王百貨店 新宿店」の利用者は、21年春より女性20代以下が大幅に増加し、利用目的では「化粧品の買い物」が増えた。
▲京王百貨店 新宿店
JR東日本 新宿駅による「Tokyo Urban Farming」の新しい取り組みとして、「内藤とうがらし」の育成を通じて駅と地域とが連携し、新宿の活性化を目指すための小さなコミュニティファーム、Shinjuku Farmをオープンしました!
人と人、自然が繋がり地域一体となって、新宿の魅力を発信していきます。
「Shinjuku Farm Project」概要
〇場所:JR新宿駅 東口駅前広場
〇参加企業・団体:内藤とうがらしプロジェクト
都立新宿高等学校
JR東日本
新宿中央公園管理事務所
東京調理製菓専門学校
ルミネ
Tokyo Urban Farming
UNIVERSITY of CREATIVITY
昭和造園
プロトリーフ
〇栽培:内藤とうがらし、マリーゴールド
あの超一等地で
わずか10階程度の超低層ビルなんて
今どきアリエナイよねー
ここの地下にあるドトールによく行くんだけど
どーなるのかなぁー
(^_^;)
小田急百貨店は5/18、新宿駅西口の再開発工事に伴って解体される新宿店本館(東京都新宿区)について、
10/2を最終営業日とする
と発表した。
10月以降は近くにある新宿西口ハルクで営業を継続する。
新宿店本館は1967年に全面開業。
新宿駅西口を代表する建物の一つとして知られてきた。
跡地には複合施設(↓)を建設し、2029年度に完成する予定。
▲こんなふうになるらしい