93【国内エリア】

名和豊春学長 北大スキャンダル

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 大学の教授会とか理事会って

  魑魅魍魎 百鬼夜行の世界だから

 反学長派にハメられたのかもよ  (;´Д`)

 

北海道大学(札幌市)の名和豊春学長(64)が大学職員にパワーハラスメント(パワハラ)を行った疑いがあるとして、学内に調査委員会が設けられて調査が進んでいることが6日、わかった。

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調査結果は近く出る見通しで、北大の名和豊春学長の進退が問われる可能性もある。

 北大の複数の関係者によると、昨年秋に「名和豊春学長がパワハラをした」と学内から訴えがあり、学内組織「総長選考会議」(議長=石山喬・日本軽金属ホールディングス相談役)に調査委員会を設置、関係者の聞き取り調査が行われている。

北大の名和豊春学長は昨年12月から体調不良を理由に休職中。

北大学長の職務代理は笠原正典副学長(63)が務めており、3月の卒業式や今月4日の入学式も名和豊春学長は欠席し、式辞は笠原正典副学長が代理で読んでいた。

名和豊春学長は北海道三笠市出身。北大大学院工学研究科修士課程を修了。同大大学院工学研究院長・工学部長などを経て、2017年4月に学長に就任した。任期は23年3月末まで。

 

 

 

 

令和は酒の世となりぬ(1)

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▲坂本八幡宮

 

 おさい銭が激増するでしょうね

  新元号ビジネス絶好調で

 景気が良くなるかも  (^_^;)

 

新元号「令和」の引用素となった「万葉集」の「梅花の歌」が詠まれたとされる、

発祥の地、福岡県太宰府市も沸いた。

大伴旅人(おおとも の たびと)が「梅花の宴」を開いた邸宅跡とされる、

坂本八幡宮の御田良知宮司(59)は

「万葉集から元号ができて万歳、日本の誇り」

と感激した。

新元号が発表された際は、兼任している太宰府天満宮でお祭りがあったため、やや遅れて知ったという。

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その後、大伴旅人の「梅花の歌」三十二首の序文から取られたと知り、太宰府天満宮にある文化研究所で資料を調べて、改めて事実を確認したという。

そこからは、全国から取材が殺到し「(報道陣が)次から次へと来て」と、うれしい悲鳴を上げた。

坂本八幡宮は、梅の名所としても知られる大宰府政庁跡内にあり、散策コースのポイントにもなっており、休日には100~200人の参拝客がいるという。

新元号発祥の地となった今、参拝客の激増は必至だ。

御田宮司は

「既に氏子との間でも、石碑を作りたいと話が出ている」

と明かした。その上で

「1300年も前の歌、話から新元号が選ばれたのは、本当にすごいこと」

と繰り返した。

 

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讃酒 大伴旅人  吉井東人作  奈良万葉文化館蔵

 

万葉集 巻3-344 大伴旅人

「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと

   酒飲まぬ 人をよく見ば にかも似む 」

( あぁ~ みっともない!

  酒も飲まずに、賢そうにしている奴の

  顔をよ-く見たら

  ほらほら、猿に似ているぞ! )

 

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永井路子さんは

『 なんですってぇ~!

イケル口でない私としては、聞きずてにならぬ一言だ。

じゃ、私は猿似人(さるにひと)だっていうの? シツレイな!

しかし怒る気になれないのは、

彼の酒好きが あまりにも徹底しているからだ 』 

と苦笑しながらも楽しそう。

  (よみがえる万葉人 読売新聞社より)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
今代尓之  樂有者  来生者  蟲尓鳥尓毛  吾羽成奈武

この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我れはなりなむ

このよにし たのしくあらば こむよには むしにとりにも われはなりなむ

(この世で楽しく酒が飲めるなら、来世は虫や鳥になってもかまわんさ!)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒,太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
價無  寳跡言十方  一坏乃  濁酒尓  豈益目八<方>

価なき 宝といふとも 一杯の 濁れる酒に あにまさめやも

あたひなき たからといふとも ひとつきの にごれるさけに あにまさめやも

(信じられないほど高価な宝石よりも、一杯の酒の方がずっといいよ)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
生者  遂毛死  物尓有者  今生在間者  樂乎有名

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな

いけるもの つひにもしぬる ものにあれば このよなるまは たのしくをあらな

(どうせいつかは死ぬんだから、生きてる間は、楽しく酒を飲もうぜ~)

 


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 大伴旅人さんって

  「日本酒飲み党」の初代総裁みたいな人ですね

 けっこうな元号になりました

   令和 =冷酒でも飲んで仲良くやろうぜ!  (^_^;)

 

 

日本酒飲み党の総裁が旅人なら、中国酒飲み党の総裁はこの人

中国の(いや世界の)詩歌史上において、最高の存在とされています

作曲家のマーラーにも多大な影響を与えました

奔放で変幻自在な詩風から、後世に「詩仙」と呼ばれています

酒仙と呼んだ方がいいかもしれません  (^_^;)

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山中與幽人對酌 李白

 

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

読み

山中にて幽人と対酌す 李白

両人対酌すれば山花開く

一杯一杯また一杯

我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ

明朝意あらば琴を抱いて来たれ

 

山中で向かい合って酒を呑んでいると、山の花が開く

一杯一杯また一杯

私は酔って眠たくなってきた。

君、しばらく帰ってくれ

明日の朝気が向いたら、琴を抱いて来ておくれ

 

 


 

月下独酌 李白

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花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢

 

月下独酌 李白

花間(かかん) 一壷(いっこ)の酒、
独り酌(く)んで相(あい)親しむもの無し。
杯(さかずき)を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲(いん)を解(かい)せず、
影徒(いたづらに我が身に随う。
暫(しばら)く月と影とを伴い、
行楽(こうらく)須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊(はいかい)し、
我舞えば影零乱(りょうらん)す。
醒(さ)むる時ともに交歓(こうかん)し、
酔うて後は各々(おのおの)分散(ぶんさん)す。
永く無情(むじょう)の遊(ゆう)を結び、
相期(あいき)す遥かなる雲漢(うんかん)に。

花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。

状況

李白が宮廷を追われる直前の44歳の春に作られたとされます。

その夜、玄宗皇帝の宮殿では、たくさんの名士が集まり、ワイワイとさわがしく、
華やかにお酒や食べ物がふるまわれていました。

その中に李白はすっと抜け出します。

「けっ…俗物どもが。つきあいきれん。おい、酒」

召使の少年がトトトと一杯つぎます。

宮殿の中庭に出ると、華やかな音楽も、
人々のざわめきもしだいに遠のいていき、
ざーと心地よい夜風が吹いてきて、花が満開でした。

「ああ…落ち着く」

ふっと夜空を見上げると、月が出ています。

「これはいい。俗物どもと飲むより、
ずっとうまい酒が飲めそうだ」

李白はその場に座り込み、杯をあげて
一人詩を吟じながら、飲み始めるのでした・・・

 

 

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其二
天若不愛酒,酒星不在天。
地若不愛酒,地應無酒泉。
天地既愛酒,愛酒不愧天。
已聞清比聖,復道濁如賢。
賢聖既已飲,何必求神仙。
三杯通大道,一斗合自然。
但得酒中趣,勿為醒者傳。

其の二
天 し酒を愛さずんば
酒星しゅせい 天に在らず
地 若し酒を愛さずんば
地 まさ酒泉しゅせん無かるべし
天地 既に酒を愛す
酒を愛するも 天にじず
已に聞く清は聖に比すと
復たふ濁は賢の如しと
賢聖 すですでに飲む
何ぞ必ずしも神仙を求めんや
三杯 大道たいどうに通じ
一斗 自然に合す
酔中すいちゅうの趣を得んのみ
醒者せいしゃの為に伝ふることなか

〔詩意〕
天がもし酒を愛さないなら
「酒星」が天空にあるわけがない。
地がもし酒を愛さないなら
地上に「酒泉」があるはずがない。
天も地も確かに酒を愛している。
酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。
酒の清らかさは聖なるものと言われ、
また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。
賢も聖もすでに酒にあって私はそれを飲んでいる、
どうしてわざわざ神や仙人になろうか。
三盃飲めば正しい道に入り、
一斗飲めば自然に溶け込む。
ただ酒を飲んでたのしみたいだけだ、
酔わない人に教えてやる必要などはない 。

 


 

其三
三月咸陽城,千花晝如錦。(別作・落花散如錦あるは庭花笑如錦)
誰能春獨愁,對此徑須飲。
窮通與修短,造化夙所稟。
一樽齊死生,萬事固難審。
醉後失天地,兀然就孤枕。
不知有吾身,此樂最為甚。

其の三
三月 咸陽城かんようじょう
千花 昼 錦の如し
誰かく春 独り愁ふ
此に対してただちにすべからく飲むべし
窮通きゅうつう修短しゅうたん
造化のつとひんする所
一樽 死生をひとしく
万事 もとよりつまびらかにし難し
酔ひし後 天地を失い
兀然ごつぜんとして孤り枕に就く
吾が身の有るを知らず
此の楽しみ 最もはなはだだしと為す

〔詩意〕
春三月 長安の城下、
昼は千の花が色あざやかに咲き乱れる。
いったい誰がこのすばらしい春に一人愁いに沈むというのだろう、
春こそすぐに杯をとって酒を飲み楽しむべきである。
人の世の貧窮と栄達、また人の寿命は
万物創造の神が定めるところではあるが、
一樽の酒は生も死も同じだと思わせる、
もちろん世のすべては詳しく知ることは難しいのだが。
酔うたあとは天も地もなく、
なにもわからずに一人枕について寝てしまう。
酔ってしまうと自分の存在も忘れ果てるが、
これこそが酔いの楽しみの最たるものであろう。

 


 

其四
窮愁千萬端,美酒三百杯。
愁多酒雖少,酒傾愁不來。
所以知酒聖,酒酣心自開。
辭粟臥首陽,屡空飢顏回。
當代不樂飲,虚名安用哉。
蟹螯即金液,糟丘是蓬莱。
且須飲美酒,乘月醉高臺。

其の四
窮愁きゅうしゅう 千萬端せんまんたん
美酒 三百杯
愁い多くして酒少なしといえど
酒傾くれば愁ひは来たらず
所以ゆえに酒の聖なるを知り
酒酣たけなわにして心自ら開く
ぞくを辞して 首陽に臥し
しばしば空しくて顔回飢う
当代飲むを楽しまずんば
虚名いずくんぞ用ひんや
蟹螯かいごうは即ち金液きんえき
糟丘そうきゅうは是れ蓬莱ほうらい
しばらすべからく美酒を飲み
月に乗じて高台に酔ふべし

〔詩意〕
苦しく悲しいことは幾千万、
美酒はわずかに三百杯。
愁いは多く、それを晴らす酒は少ないが、
酒を飲めば愁いはやって来ない。
だから酒の聖なる効き目がわかり、
酒を飲めば心は自然と開放される。
節義を重んじた伯夷と叔斉は周の粟を辞して首陽山に隠棲し、
学問に励んだ顔回はいつも米櫃が空で飢えていた。
生きている今のうちに酒を楽しまないで、
どうして節義や学問などの虚名が役に立つだろうか。
つまみの蟹の鋏は不老不死の薬、
酒かすの丘は仙人の住む蓬莱山である。
ひとまずここは美酒を飲み、
美しい月夜に乗じて高台で酔っぱらうしかない。

 


 

 

令和は酒の世となりぬ(2)へ

 

東京でサクラ開花

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天候にもよりますが、開花から約1週間で満開、さらに約1週間は見ごろです

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 なんとなく 落ち着かない気分の季節に

  なってきましたねぇ~  (^_^;)

 

 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし  在原業平
久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ  紀友則
桜花散るぬる風のなごりには 水なき空に浪ぞ立ちける  紀貫之
山桜散りてみ雪にまがひなば いづれか花と春にとはなん  伊勢
いにしへの奈良のみやこの八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな  伊勢大輔

 ふるさとの花のさかりはすぎぬれど 面影さらぬ春の空かな  源経信
花咲かばつげよといひし山守の 来る音すなり馬に鞍おけ  源頼政
さざなみや志賀のみやこはあれにしを 昔ながらの山桜かな  よみ人しらず
はかなさをほかにもいはじ桜花 咲きては散りぬあはれ世の中  藤原実定
吉野山こぞのしをりの道かへて まだ見ぬかたの花をたづねん  西行法師

 

 

巨大不明生物に衝突

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 巨災対巨大不明生物特設災害対策本部)

  を首相官邸に設置するのかな?  (^_^;)

 

快晴の日本海で水中翼船の旅を楽しんでいた乗客は、一瞬でパニックに陥った。

9日昼すぎ、佐渡汽船ジェットフォイル「ぎんが」が新潟県佐渡市の両津港近くで

巨大不明生物とみられる異物に衝突し、87人が負傷した。

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衝突現場はあと20分ほどで佐渡島の両津港に着く洋上。

通常は最大時速80キロ近くだが、衝突時は65キロ程度まで減速していたという。

衝突後、「ぎんが」はいったん停船したのち自力航行し、約1時間10分後に港に到着。

乗客らは岸壁の臨時救護所で手当てを受けた。

1階客室の座席に座っていた佐渡市の男性によると、衝突の瞬間、シートベルトが胴体に食い込んだ。

周囲では、顔から血を流した乗客のうめき声、子どもの泣き声がこだましたという。

救護所から歩いて出てきたこの男性は、腹部を押さえながら「まだ痛みます」と顔をゆがめていた。

2階客室の座席で寝ていた東京在住の大学院生は、佐渡市の実家に帰るところだった。

「むち打ちのような痛みがあります。衝突直後の船内はパニックでした。船内放送でなにか説明していたが、よく覚えていません」

と青ざめていた。

救護所に座りながら赤ちゃんを抱いていた母親は「子どもが頭を打ってしまいました」と不安そうな表情だった。

軽傷の乗客らは腰をさすったり、鼻血で赤くなったタオルを顔にあてたりしながら、ターミナル内の特別室に向かった。

島の玄関口は、乗客を搬送する救急車のサイレンやドクターヘリの爆音がこだまして騒然となった。

 

三浦大知「歌声の響き」

2月24日、歌手の三浦大知(31)が「天皇陛下御在位三十年記念式典」で、天皇陛下がご作詞、皇后陛下がご作曲された『歌声の響き』を歌唱し、話題となっている。

午後2時より東京・国立劇場で行わた式典で、沖縄出身である三浦は『歌声の響き』を記念演奏として披露。

同曲は沖縄周辺の島々に伝わる八・八・八・六の音数律をもつ定型詩である琉歌で、天皇陛下が1975年に初めて沖縄を訪れ、名護市のハンセン病療養所を訪問したことがきっかけで詠んだ歌だという。

同式典は、NHK総合、テレビ朝日、またインターネットで生中継が行われ、三浦の歌唱が終わるとネットでは大反響。

TwitterやYahoo!のトレンドランキングに「三浦大知」「大地くん」がランクインした。

ネットでは

「歌声も演奏も素晴らしかったです。もぅ…言葉にならない」

「正座して聴きました。感動!鳥肌立ちました!式典の雰囲気を崩さずに、尚且つ三浦大知のスタイルも崩さずに、本当に人間性が滲み出ててた。日本の宝です」

「素晴らしい歌唱 感動を有り難うございました 同じ時代に生まれて良かったぁ」

と三浦の歌声に称賛の声が殺到している。

 

落ちたら死ぬ

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 信長が気合いを入れて

  岐阜と命名した割には

 岐阜県って目立たない県ですね  (^_^;)

 

 周囲が崖や谷でドライバーから「国道ではなく酷道こくどう」と評されている、岐阜県本巣市北部の国道157号の一部区間。

入り口周辺の「危険 落ちたら死ぬ!!」と注意喚起した看板が、老朽化を理由の一つに撤去された。

SNSでは「名所を一度は見たかった」と残念がる書き込みも。

現在通行止めだが、立ち入る人が後を絶たず、県は「危ないからやめて」としている。

 国道157号は、金沢市を起点に福井県を経由し、岐阜市を終点とする。

このうち注意を促す看板があったのは、「国道なのにひどい道」の岐阜県側入り口付近で、本巣市根尾能郷のカーブの近く。

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その先は乗用車1台がやっと通れる車幅の道があり、片方の道路脇は断崖絶壁、もう一方は深さ10メートルを超す谷になっている。

 国から道路管理を任されている県岐阜土木事務所によると、1990年代に自動車の転落事故が相次いだため、北方署と地元の交通安全協会が協議し、看板が設置された。

ただ、設置された年月日や「落ちたら死ぬ!!」と書いた経緯についてはよく分からないという。

 北方署によると、昨年の1年間に現場周辺の人身事故はゼロで、看板を取り外した同事務所の担当者は「啓発の役割を終えた。針金1本で固定した状態で倒れる危険性もあった」と、撤去の理由を説明する。

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 こうした状況下、インターネットの簡易投稿サイト「ツイッター」では、

「大事件ではないか」

「【悲報】落ちたら死ぬ、消える」

「一度は拝んでみたかった」

「復活しないかな」

などと惜しむ書き込みが多く見られる。

 看板が設置された区間は昨年7月の豪雨で路肩が損傷し、現在も通行止めだが、手前のゲートにかけた南京錠が4回壊されており、何者かが侵入した可能性があるという。

 同事務所施設管理課の沢木利勝課長は「夜は真っ暗になる所が多く、路肩が崩れた道を走るのは、危険極まりない」と懸念する。

開通する時期は未定で、「もう珍しい看板はないので、開通するまでは通行しないでほしい」としている。

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▲「落ちたら死ぬ」Tシャツ

受験生が着たら悲壮感ただよう ((((;゚д゚))))

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セイコーマート

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 セブンイレブンの本当のライバルは

  ファミマやローソンじゃなくて

 セイコーマートかも  (^_^;)

 

顧客満足度調査で、業界最大手セブン-イレブンを差し置いて2年連続1位になったコンビニがある。

北海道で店舗数1位の「セイコーマート」だ。

店舗経営コンサルタントの佐藤昌司氏は、「原材料の調達から加工製造、物流まで、“自前主義”の徹底により、高い価格競争力を実現している」と分析する――。

セブン、ファミマ、ローソンも勝てない

「顧客満足」2年連続業界1位、北海道で店舗数1位のコンビニエンスストア――それが「セイコーマート」だ。

日本生産性本部サービス産業生産性協議会の「日本版顧客満足度指数 コンビニエンスストア部門」(2017年度)で、セイコーマートの「顧客満足」は2年連続1位となっている。

なお、15年度こそセブンに譲ったものの、10~14年度の4年間も1位をキープ。最高の評価を受けるコンビニといっていいだろう。

店舗数の状況はどうだろうか。3月末時点のセイコーマートの国内店舗数は1197店。

規模としては、業界1位のセブン(2万286店/18年4月末現在)の5.9%に過ぎない。

ファミマ(サークルK・サンクス含む、1万7205店/18年3月末現在)やローソン(1万4083店/18年3月末現在)にも、圧倒的に負けている。

だが、北海道に限ると異なる風景が見えてくる。

セブン1000店、ローソン655店、ファミマ236店に対し、セイコーマートは1101店。ここではセブンを上回り、堂々の第1位だ。

 

新宿高校の修学旅行

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首里城正殿前

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 我々の時は 山陰地方でしたね  (^_^;)

 

新宿高校72回生 (現2年生) 修学旅行(沖縄)

12月10日~12日にかけて、2泊3日で、沖縄への修学旅行に行ってきました。

 これまで、修学旅行委員を中心に、事前学習を進めてきました。

の中でも、平和学習に重点を置いて取り組んできました。

1日目は、平和学習として、平和祈念資料館、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念館、そし
て全クラスが糸数壕(アブチラガマ)を見学しました。

糸数壕では懐中電灯を消して、真っ暗闇の体験もしました。

東京で平和について学んできた72回生ですが、現地で「戦争」を肌で感じることができました。

 夕方、ホテルに到着しました。ホテルは貸切、敷地内にプライベートビーチもあり、白
い砂と青い海に歓声をあげる生徒の姿がありました。

2日目は、コース別の体験学習と、美ら海水族館の見学に行きました。

 コース別体験学習は、「伊江島サイクリング」「慶佐次カヌー&シーカヤック」「ビー
チトレッキング」「サトウキビ&黒糖づくり」「シーサー作り」に分かれて行いました。
「シーカヤック」だけが、天候により内容の変更を余儀なくされましたが、どの班も『私
たちのコースが一番楽しかった!』と言うほど、沖縄の自然を満喫しました。
美ら海水族館では、本校37回生の先輩から直接案内してもらった班もあり、こちらも大
満足でした。

3日目は、首里城を見学した後、国際通りを観光するコースでした。

 改修工事を終えて綺麗になった首里城では、皆が写真撮影を楽しんでいました。国際通
りでは、各班が事前に相談した沖縄グルメを楽しみました。中には、公設市場で魚を購入
し、2階の定食屋さんで調理してもらった班もあったようです。
那覇空港には各班が現地集合する形でしたが、どの班も遅れずに集まることができまし
た。帰りの飛行機が送れるハプニングもありましたが、無事に東京へ到着し、修学旅行を
終えることができました。
これまで、修学旅行の成功のために多くの時間を割いてくださった皆さま、旅行委員の
皆さん、旅行会社の皆さま、ご協力ありがとうございました。

生徒の感想より抜粋

1日目

・「自分と同じ年齢の女子学生がなぜこんな思いを…」とずっと思っていた。怖かった。
詳細が記された体験談も読みたくないと思ったが、読まなければならないと思って読ん
だ。読んでよかった。
・生々しい弾丸の痕を見た。戦争の残酷さを改めて知るとともに、自分たちの生きる未来
では絶対におこしてはならないと感じた。
・私と同い年ほどの女の子が、勉強をしたい思いを絶たれて恐ろしいことをしていたと思
うと胸が痛い。
・糸数豪では皆が懐中電灯を消した瞬間、今までにないほどの暗闇だった。こんな暗さで
何週間も過ごしていたのか。考えられない。体も心も重かった。
・暗
糸数豪ではくて水滴の音しかしなかった。怖かった。見捨てられたり、置き去りにさ
れた人の気持ち、麻酔無しの手術…自分だったら絶対に耐えられない。
・目を背けたいものばかりだったが、見なければならないと言い聞かせ、脳裏に焼き付け
た。沖縄の人も、すべての日本人も、そして米兵など戦争に関わった全ての人々が苦し
く辛い思いをしたということがわかった。

2日目

・美ら海水族館ではバックヤード体験に興奮した!ガラスの隔たりがないからとても近く
感じた。終始「すごい!」「きれい!」の連発だった。
美ら海水族館ではジンベエザメとマンタ、上から見たときと前から見たときは、見え方
が全く違った!生物の授業で聞いていたコバンザメが見られた。
・黒糖づくりではサトウキビがチョコレートのように!甘くておいしかった。家族で食べ
るのが楽しみだ。
・何度も何度も虹が出た!
・伊江島、城山(タッチュー)の頂上からの景色は格別だった。
・カヌー&シーカヤック体験ではマングローブ林の植物には、種を繋げるための工夫が
たくさんあった。私たちは自然を壊した代わりに、自然を守らねばならないと感じた。
・マリンクラフトでは、友達の自由な発想力や器用さに驚かされた!
・ただ砂浜を歩くだけでは得られない知識が得られた。現代文の授業で教わったように、
新たな見方を身に付けられたことが実感できてうれしかった。

3日目

・首里城正殿前の、縞しま模様の意味がわかった。
・日本の一般的なお城とは全く違った。見たことのない古い楽器をじっくりと見ることが
できた。
・とにかく食べた。ステーキをたらふく食べた。
・首里城を見ると、授業で教わった琉球王国と中国との交流がよくわかった。城の持つ役
目も日本とは違うことがわかった。
・公設市場で現地の人と交流できた。

感想文

・沖縄にいた、そのすべての瞬間を覚えておきたい、少しも忘れたくない、そう思えた修
学旅行だった。

・沖縄の食文化、言葉、自然、人々の生活、一つ一つ知っていくことの喜びを感じた。写
真を見返しても、どれも楽しい思い出。しかし、私の沖縄の思い出の多くを占めている
のは、それらではない。沖縄戦だった。知れば知るほど、これまで何も知らずに生きて
きたことが怖くなった。なぜ知ろうとしてこなかったのか。罪にも思えた。遅かったけ
れど、沖縄戦の歴史を知れたことが、今回の一番の収穫だ。

・修学旅行委員として、出発前からたくさんの思い出がある修学旅行だった。助け合った
旅行委員のみんな、我々の何倍もの時間を費やしてくださった先生方、そして3日間を
共に過ごし、楽しさを生み出してくれた友人たちにお礼を言いたい。ありがとう!

ひめゆりの塔で黙祷 伊江島へ渡るフェリー
伊江ビーチから美ら海水族館を望む 城山(タッチチュー)山頂にて
シーカヤック体験 シーカヤック体験
明け方のホテル前の浜 食事後は自主的に片付け
ジンベイザメとコバンザメ 首里城正殿前

 

27回生の修学旅行へ

 

巻紙に毛筆の手紙

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 むかしむかし あるところに

 「文豪」というワープロ専用機がありましたが

 いつの間にか 消えちゃいました  (^_^;)

 

ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)が、京都を舞台にした代表作「古都」の新聞連載開始を目前に控え、

<筋も人物も場所も定まらず>

<京都弁には御手おてあげ>

などとつづった書簡が見つかった。

後輩の作家・舟橋聖一(1904~76年)に宛てたもので、大作家が不安や焦りを打ち明けている。

国際日本文化研究センター(京都市)の石川肇助教(48)(日本近代文学)が舟橋の家族らから寄託され、遺品を調べてきた。

東京都内の自宅にあった約1500通の書簡の中に川端からの12通があった。

「古都」について言及した書簡は1961年10月2日の日付。

巻紙に毛筆で約300字つづられ、朝日新聞で同月8日に連載が始まる6日前、滞在先の京都から送られた。

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神奈川県鎌倉市在住の川端は

<新聞小説に京都を書いてみたいため>

昨日、京都に来たとし、締め切りが数日内に迫っているのに

<筋も人物も場所も定まらず、どうなる事かと不安です>

と吐露。川端は大阪生まれだが、

<京都は不案内>

<京都弁には御手あげ>

<ただ今闇中あんちゅう模索の憂うつです>

と漏らしている。

舟橋が5年にわたり小説「新・忠臣蔵」を新聞連載したことを、

<私には及びもつかぬ事>

と謙遜している。

川端は同年11月、文化勲章を受章。

京都と東京、鎌倉を行き来しながら、62年1月に107回の連載を終えた。

翌月、睡眠薬の禁断症状で病院に運ばれている。

「古都」は国際的にも評価が高く、川端は68年に日本人で初めてノーベル文学賞に輝いた。

 

十重田とえだ裕一・早稲田大教授(日本近代文学)の話

「体調がすぐれない中で『古都』が執筆されたことは知られているが、書簡からは連載開始直前の切迫した状況が生々しく伝わる」

 

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ネコが大好きだった三島由紀夫

才能は師匠の川端康成よりはるかに上だったので

川端康成はコンプレックスを感じていたかも

 

三島のノーベル文学賞は ほぼ確定だったが

師匠の川端を先に ということになったとか

割腹事件で 三島のノーベル賞はお流れ  (T_T)