80【ヒストリー】

諏訪大社の御柱祭(おんばしらまつり)

2016-04-03 16.16.29

▲「川越し」をする御柱(おんばしら)

  約1200年の歴史があるとされる諏訪大社(すわたいしゃ)の御柱祭。

  十二支のとらとさるの年に開かれる。数え7年に1度の奇祭。

 長さ約17メートル、重さ約10トンの巨木を山の上から人力だけで長野県・諏訪大社に運ぶ御柱祭 が始まり、諏訪大社の上社に立てる御柱を急坂から落とす「木落とし」が4月2~3日、長野県茅野市であった。

 傾斜約25度の坂を巨木が土煙を上げて滑り落 ちると、観客から大きな歓声が起こった。

 「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに御柱が徐々に坂の上からせり出してくるにつれ、興奮はピークに。

 「ここは木落とし、お願いだ~♪」と甲高い声で「木やり」が歌われると、柱の両端に取り付けた太い棒に氏子たちが鈴なりに乗ったまま10秒ほどで坂を下っていった。

午後には市内の宮川で「川越し」があり、氏子たちが川の中で綱を引いて御柱を対岸に運んだ。

 

日本最古のお祭りかな~ と思うのですが(祇園祭が1150年くらい)

あまりにも古すぎて よく分からないようです

危険度はたぶん日本一で しょっちゅう死人が出ます  ((((;゚д゚))))

 

忍者おばあちゃん

「忍者の里」で知られる滋賀県甲賀市が、甲賀流忍者の末裔(まつえい)を探す「甲賀流忍者調査団 ニンジャファインダーズ」を1月に結成した。

忍者 といえば、伊賀(三重県)と並んで名前があがる甲賀だが、その存在や活動には、はっきりとした記録がない。

謎に包まれた実態を今も“闇”に紛れて暮らす (?)子孫を通じ、明らかにしようという試みだ。

甲賀市は忍者のPR動画を作成したり、職員が忍者装束で業務についたりと忍者によるまちおこしを進めてお り、海外でもブームの「NINJYA」をより広めることを目指す。

日本に来る外国人旅行者には

 「日本人は忍術が使える!」

と思ってる人が多い  (^_^;)

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夜行急行「はまなす」最終列車

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北海道新幹線の3/26開業に伴い廃止となる、JRが定期運行する最後の夜行急行「はまなす」の最終列車が22日早朝、終点の札幌駅に到着、多くの鉄道ファンらが出迎えた。

青函トンネルを通った最後の在来線旅客列車となった。

午前6時すぎ、朝日を受けてはまなすが入線すると、鉄道ファンらがシャッターを切っていた。

「次第に明るくなっていくのが感動的だった。惜しくて眠ることができなかった。しばらく余韻に浸りたい」

駅に妻と降り立った千葉市の会社員、住田直哉さん(37)は興奮した様子だった。

写真を撮るために横浜市から飛行機で札幌に来た横浜市の中学3年、福島悠太さん(15)は「切符がとれずに1度も乗れなかったが、歴史的な客車の最後を見られてよかった」と話していた。

車掌を務めた高桑正人さん(52)は「24年間、はまなすに乗車してきました。ラストランに乗車でき感謝し、安堵しました」と語った。

「28年間 夢と希望をのせて走ってきました。感謝するともに、26日の新幹線をよろしくお願いします」などと最後の車内放送を行ったという。

青函トンネル開通とともに青森ー札幌間の運行を開始したはまなすは、約28年間の歴史の幕を閉じた。

青函トンネルを走る在来線の列車は今後、新幹線の電圧や運行システムに対応した貨物列車のみになる。

はまなすの運行終了で、明治時代から続く「急行列車」の歴史に幕が下りる。

2010年の青春18きっぷ北海道旅で乗りました

3月は古いものが消え去る月だなぁ  (T_T)

 

▼2010年の写真

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神々の山嶺

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先日、マンガ『神々の山嶺』(原作:夢枕獏、作画:谷口ジロー)全5巻を読み始めたら、面白くて途中でやめられなくなり、徹夜してしまいました

そのことを今日2/14、太田くん退院・大祝賀会で話したら、山潤さんもしっかり読んでいて、3月12日から実写版映画が公開されるそうです

マンガ(PDF)読みたい方は、小杉までメールください  (^_^;)

 

浮世絵・水彩画に見る新宿風景展

img_main_04 3月13日まで、江戸から昭和まで移りゆく新宿を紹介する「浮世絵・水彩画に見る新宿風景展」が、東京・新宿の中村屋サロン美術館で開かれている。

新宿区立新宿歴史博物館所蔵の浮世絵、水彩画など、退色を避けるために公開の機会が少ない約80点を展示している。

江戸時代、現在の新宿御苑周辺が甲州街道の宿場町だった。

そのにぎわいは浮世絵師・歌川広重が馬の脚と“名物”の馬ふんを強調した構図で「名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿」で表現した。

関東大震災後、焼失した下町から東京西部へ人々が移住し、新宿駅周辺が繁華街に。

芸術家を支援していた老舗飲食店の中村屋は、かくまっていたインド民族運動の指導者ラス・ビハリ・ボースから本場のインドカレーを伝授され、名物料理にした。

中村屋サロン美術館の太田美喜子学芸員によると、日中戦争が始まり、物資が不足した1940年、少量のカレーを分けて、多くの人に食べてもらおうと中村屋 が考案したのが「カリーパン」。

新宿を愛した画家堀潔が中村屋を描いた40年の水彩画には店頭に並ぶ行列が描かれている。

「カレーパンを求めてできた行列 かもしれません」と太田さんは話す。

新宿駅の乗降客数が日本一になった31年、軽演劇の小劇場「ムーランルージュ」が開場。

都会感覚のしゃれた風刺喜劇が売り物で、益田喜頓、森繁久弥、由利徹なども舞台に立った。

堀の41年の作品には、ムーランルージュの赤いネオンやかつての新宿武蔵野館も描かれている。

新宿ピットイン50周年

9784309276694名門ジャズクラブ「新宿ピットイン」が、オープンしたのは1965年のクリスマス・イヴ。

そして2016年12月24日で50周年を迎えることになった。

この50年もの長い間「新宿ピットイン」では、創業者であり代表の佐藤良武氏の一貫したポリシーのもと、毎日さまざまなミュージシャンの名演奏が繰り広げられてきた。

ここから多くの著名ミュージシャンが誕生し、日本のジャズ文化を創り上げてきたといっても過言ではない。

50年という節目にあたって、記念コンサートが開催されるが、同時に記念単行本『新宿ピットインの50年』が刊行された。

本書では、菊地成孔の特別寄稿から始まり、「佐藤良武社長が訊く、ミュージシャンの本音」、渡辺貞夫×坂田明や日野皓正×辛島文雄といった先輩×後輩 ミュージシャンの組み合わせによる「ここだけの“ぶっちゃけ”対談」「ジャズミュージシャン・エッセイ」という、関わりのあったミュージシャンが、自身の 言葉で自らの経歴からピットインについて語るという贅沢な内容が核となっている。

ちなみに多くのページを割く「佐藤良武社長が訊く、ミュージシャンの本音」は、『季刊・analog誌』のvol.16から連載をしている対談を要約したもので、辛島文雄からスタートし、日野皓正、渡辺貞夫、山下洋輔など18名のそうそうたるミュージシャンが登場する。

また50年間の「ピットイン略史年表」や掲載される写真も、日本のジャズ史という観点からみて本当に貴重な資料といえるだろう。

密度の高い内容で圧倒的な読み応えがある『新宿ピットインの50年』は、ジャズ、音楽ファンにとっては必携の1冊であることは間違いない。

『新宿ピットインの50年』(税別2,400円、田中伊佐資 監修/新宿ピットイン50年史編纂委員会 編、河出書房新社刊・264ページ)