80【ヒストリー】
不破哲三・共産党前議長(84)
新宿高校出身の不破哲三・共産党前議長(84)が10日夜、9年ぶりに街頭演説に立った。
2006年に議長を退任してからも党の「理論的支柱」という存在感は大きく、グレーのコート姿で街宣車に上がり、マイクを握ると支持者から「おおー」というどよめきが起こった。
舞台は、祇園祭の山鉾(やまほこ)巡行ルートでもある京都市・四条河原町交差点。
不破氏は「日本のやった侵略戦争を認めない。ヒトラーを擁護するネオナチと同じ勢力に今の自民党は乗っ取られている」と自民党を批判。返す刀で、「我が党以外の野党の現状は惨たんたるものだ」とばっさり切り捨てた。
弁舌の鋭さは健在で、集まった数百人の聴衆からは何度も大きな歓声が上がった。11日には沖縄でもマイクを握る。
不破氏は、「京都の激戦ぶりを聞いて、矢も盾もたまらず駆けつけた。京都は日本を動かす大きなうねりのたびに先頭に立ってきた」と気勢を上げた。
京都府は、1996年衆院選の京都3区で共産党が最後の小選挙区議席を獲得したところだ。ここまで好調が伝えられる今回の選挙戦で、18年ぶりの小選挙区勝利を目指す。
民主党が政権交代の旗を降ろし、第3極も前回衆院選のような勢いがなく、「絶好の機会」(党関係者)というわけだ。
しかし、小選挙区比例代表並立制の導入以降、共産党は自民、民主の2大政党の間で埋没し、低落傾向にある。「共産党の勢いは一過性で他の野党が批判の受け皿にならないための一時的な現象」(民主党ベテラン)との見方は強い。
元気だねぇ~ (^_^;)
高倉健さん 死去
野地さんの本が出ています
2014年11月10日、悪性リンパ腫のため83年の生涯を閉じた俳優・高倉健さんに「追悼」の声が続々寄せられている。
高倉さん最後の出演作となった2012年秋公開の「あなたへ」に出演した俳優・浅野忠信さん(40)は画像共有サイト「インスタグラム」で「高倉健さんの ご冥福をお祈りします 本当に悲しいです ありがとうございました」とコメントした。
「悲しい 寂しい 辛い」
浅野さんは自身出演のハリウッド映画「バトルシップ」が公開された12年の会見で「高倉さんがいなければ、アメリカでも頑張ろうという気にならなかった」と発言するなど、多大な影響を受けていることを明かしていた。
「高倉さんの若い頃に似ている」としばしば話題になる自分の容貌を意識したのか、若い高倉さんの白黒写真をメッセージに添えた。
タレントの志村けんさん(64)は「悲しい 寂しい 辛い」と題したブログ記事を更新、高倉さんとの初めての出会いを振り返った。
「どんな言葉でも物足りない温かい大きな手で握手して よろしくお願いします。生涯1番緊張して始めてお会いした時 楽屋に 何なりとお申し付け下さい 乙松(編注:「乙松」は1999年公開の映画「鉄道員(ぽっぽや)」で高倉さんが演じた役名) 綺麗な花がありました」と一つ一つ思い返すように綴った。
そして「なんと優しい心使い 有難うございました 心からご冥福を御祈り申し上げます」と追悼した。
続けざまにブログを更新し、「恵存 志村けん」と書かれた高倉さんからのサイン色紙を公開した。
タレントの中川翔子さん(29)は1994年に32歳の若さで亡くなった父、中川勝彦さんに言及した。
「父、中川勝彦は映画海峡の新人オーディションで選ばれて出演していました」と明かし、「日本の宝であるお方 ご冥福をお祈りいたします」「映画はずっと残る生きた証 本当にありがたいです」と語った。
高倉さんの出演した映画の具体名を挙げる人も。
音楽グループ「FUNKY MONKEY BABYS」の元メンバーで現在はソロで活動中のファンキー加藤さん(35)はツイッターで「『幸福の黄色いハンカチ』。大好きな作品で、何度も繰り返し 観てました。ご冥福をお祈りいたします」とコメント。
タレントのダンカンさんもブログで「網走番外地久しぶりに見て~!と、思っていた矢先の訃報…」と驚き、「昭和よ…ありがとう」とつぶやいた。
桑田佳祐(58)紫綬褒章
「サザンオールスターズ」のリーダー兼ボーカルとして活躍、「TSUNAMI」など数々のヒット曲を世に送り出した、シンガー・ソングライターの桑田佳祐さん(58)は紫綬褒章を受け、コメントを発表した。
私のような者が本当にいただいてしまってよいものかと、非常に驚いております。
デビュー以来ずっと目立ちたい一心で、下劣極まりない音楽をやり続けてきた 私が、このような高貴な章をいただけるとするならば、そんな音楽を喜んでくださったたくさんのファンの方々と、大衆芸能を導いて来られたあまたの偉大なる 先達たちのおかげであると、心から感謝いたしております。
これからも、みなさまに喜んでいただける音楽を創り続けていけるよう、日々励んでいく所存です。
日本が、そして世界が平和でありますように。
ちょっとビックリ (^_^;)
特撮分科会9/30
ディープな世界です (^_^;)
ゴジラの中の人
CGで作られたゴジラがアメリカで暴れ回るハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ』(公開中)。
その60年前に公開された、第1作の映画『ゴジラ』では、CGではなくゴム製の着ぐるみが使われていた。
中に入って演じていた「スー ツアクター」(着ぐるみに入って演技する俳優)が中島春雄さん(85才)だ。
東宝所属の俳優だった中島さんは1954年、上司から突然、一冊の台本を手渡された。
「表紙に『G作品』と書いてあって“ゴジラという怪物の役をやれ”と言われました。何を演じるのかまったくわからなかったけど、仕事を選り好みしない信条なので、よろしくお願いしますと引き受けました」
撮影前、役作りのために東京・上野動物園に通った。
「そのころ、インドから贈られたインディラというゾウがいたんです。インディラは足の裏全体を地面に押しつけながら、ゆっくりと進む。
ゴジラの歩き方はゾウを参考にしました。他にもクマの腕の使い方、ハゲタカの首の動かし方などを観察するため1週間ほど通い詰めました」
そして、その年の夏に東宝の撮影所で3か月間の撮影が始まった。着ぐるみの重さは約100kgもあった。
「私が片方ずつ足を入れた後、スタッフが後ろのジッパーを閉めて準備完了です。ゴジラの足には下駄が入っていて、それを持ち上げて動かすんですが、重いのなんのって。海軍で鍛えた体がなかったら動かせなかった(笑い)」
きつい撮影の連続だったが、今でも中島さんが思い出すことは暑さだ。当時はエアコンはもちろん扇風機も珍しかった時代、中の温度は60℃に達したという。
「1カット7秒の撮影が終わると休憩になるんですが、シャツをしぼると汗が滝のようにジャーって出ました。ゴジラの中は自分の汗のにおいで充満していました。くさかったです」
ギャラは1作20万円。
サラリーマンの給料が月3万円の時代に破格の値段だった。
妬みや軽蔑した目で見る俳優仲間は少なくなかった。
「当時はスーツアクターなんて格好いい言葉はなかった。“中に入って演じるなんて俳優の仕事なんかじゃない”と陰口を叩かれることがありました。でもね、ゴジラをゴジラらしく演じられる俳優は私しかいない。そう誇りを持ってやり続けました」
中島さんは、1972年『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』までの12作品でゴジラを演じ続けた。
CG全盛時代になった現在でも中島さんのゴジラを賞賛する声は多い。
※女性セブン2014年10月9日号
肥前(佐賀長崎)の旅
同じ肥前の国でも
佐賀と長崎は 大違いでした (^_^;)
落書きは脳に効く
ジェシー・プリンツ博士の落書き Jesse Prinz
これまで時間の無駄だと考えられてきたノートなどへの「落書き」が、新たに関心を集めている。
神経科学と心理学、それにデザイン分野にまたがる最近の研究で、落書きは人が集中力を維持したり、新たなひらめきを得たり、情報を記憶したりするための一 助になることが分かってきた。
白いページは脳にとって体の外に拡張された活動の場にもなる。
人はそこで創造的な思考やアイデアを見直し、磨きをかけること ができる。
落書きは自然に出てくるものだ。
抽象的なパターンやデザイン、モノや風景、人や顔のイメージなど、さまざまな形をとる。
言葉や文字をなぞって落書きする人もいるが、メモを取る作業は落書きには含まれない。
米テキサス州オースティン在住で「The Doodle Revolution(仮訳:落書き革命)」の著者スンニ・ブラウンさんは「これは思考の手段であり、私たちの情報処理方法や問題解決方法に影響を与える」と話す。
池辺晋一郎&青柳正規
読売新聞夕刊に月に2度程連載されている池辺晋一郎さんのコラム「耳の渚」。
6・18の夕刊には、金沢での全国公立文化施設協会の大会の話が掲載されていました。
文化庁長官・青柳正規氏との対談のようすが語られています。
両氏とも新宿高校OBです。
コラムの最後の方に「青柳氏と僕は、年ごとにクラス替えがあったにもかかわらず高校3年間同級という間柄だ」と語られています。
池辺氏は作曲家。
青柳氏はギリシャ・ローマでの美術に造詣が深く、現在、西洋美術館館長という職にあります。
日本の文化を両面から支える方々が、新宿高校の先輩で、同時に現在も親交があるのはすばらしいことですね。
津田ホール 閉館
豊かな音響と立地のよさで「クラシック音楽の殿堂」として親しまれてきた「津田ホール」(東京・千駄ケ谷)が、今年度限りで閉館されることになった。
所有する津田塾大学が都心の教育拠点として再開発を計画するためだが、音楽関係者からは惜しむ声が上がる。
ホールはJR千駄ケ谷駅前の同大「千駄ケ谷キャンパス」にある。
世界的建築家の槙文彦氏による設計で、1988年に完成。
音響のよさと手ごろな規模(490席)で、首都圏屈指の演奏会場として定着した。
全日本学生音楽コンクールの全国大会や東京大会も開かれ、演奏家を志す青少年には「甲子園」とも呼ばれている。
大学によると、東日本大震災の被害で、ホールに隣接する本館が使用不能に。
ホールは無事だったが、維持負担も重く、存続は困難と判断した。
今年度いっぱいで閉鎖し、数年後に解体。専属職員の契約も打ち切るという。
一方、音楽ファンは教育施設ではなく、演奏会場と認識する。
室内楽専用ホールとしては、使用停止に陥っている「日本大学カザルスホール」(東京・お茶の水)の前例があり、「またも大学の経営判断で姿を消すのか」と嘆く声も聞かれる。
音楽プロデューサーの中根俊士(しゅんし)さんは「ホールは文化の集積場なので何とか存続させてほしい」と願っている。
友人の建築家が 槙文彦さんと 仕事でご一緒したんだけど
皇族の方のような やんごとない雰囲気の おじいちゃんだそーです
設計した建物が 壊されるのは つらいだろーなー (^_^;)