80【ヒストリー】

中西進氏 「令和」生みの親

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▲国学者の中西進氏 2013年に文化勲章を受賞

親授式で天皇陛下から文化勲章の親授を受ける中西進氏

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 令和商戦 始まりましたね

  今年一番の売れ筋商品は 万葉集かも~

 関連商品で「古今和歌集」「日本書紀」

  なんかもどうかな  (^_^;)

 

万葉集を出典とする新元号「令和(れいわ)」の考案者として浮上している国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏が、政府による1日の新元号発表後、自身の著書を出す筑摩書房(東京)に対し、万葉集は「令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントを送っていた。

同社は増刷にあわせて中西進氏のコメント入りの帯を使い、18日をめどに書店に出荷する予定。

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筑摩書房によると、新元号発表後、書店などからの問い合わせを受け、

中西進『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫、平成24年刊)の重版を決定。増刷は1万部。

2日、中西進氏に重版決定の連絡を入れたところ、中西氏からファクスで

「『万葉集』は(うるわ)しく

  平に生きる日本人の原点です」

とのコメントが送られてきたという。

「令和」は万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある

『 初春の月(れいげつ)にして

  気淑(きよ)く風(やわら)ぎ

 梅は鏡前の粉を披(ひら)き

  蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす 』

から引用。

『万葉集』に収められている歌は、古くて新しい。

恋に焦がれる歌や離別の悲しみをうたった歌、子どもを思う歌や酒を楽しむ歌など、題材は色々だが、その感情が現代人に理解できない歌はない。

例えば、

朝寝髪 我れは梳らじ うるはしき
君が手枕 触れてしものを (作者未詳)

恋人が触れていた自分の髪をいとおしく思い、寝起きで乱れたままだが「とかさないでおこう」と思う歌だ。

恋人と手を握り合い、その自分の手を、しばらく洗わずにおく心と同じだ。

銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも (山上憶良)

「どんな宝物も、子供に比べたら一体何になるだろう」という有名な歌。

親から子供への愛情は今も昔も変わらない、共感を呼ぶ普遍的な内容だ。

1200年の時を経ても廃れず、現代人が読んでも共感できる歌が沢山ある。

まさに「日本人の心の宝」と言っても過言ではない。

新宿高校と日野高校

1982年4月5日坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がオリコンのシングルチャート1位を獲得した。

1982年といえば、私が大学を卒業した年である。

在学中にアルバイトをしていたCBSソニー(当時)のTさんから「就職するのならば新しくできる会社がいい」と薦められ、できたばかりのロンドンレコードを受け、何度かの面接の後、なんとか合格。

4月から入社する予定だった。

社会人になるそれまで、いわゆる卒業旅行として、以前お世話になった、LAで「ハリウッド・ミュージック・ストア」を営んでいるMさんのところへ3か月ほど行く予定を立てていた。

そんな矢先、「邦楽第1弾を2月に出すことになったので、1月からアルバイトとして来てほしい」とロンドンレコードから連絡があった。

渋々、ソ連大使館の脇にあった就職先の会社へ行くと、その邦楽第1弾はYMOの坂本龍一さんとRCサクセションの忌野清志郎さんのコラボレーションだという。

「へえ、YMOとRCとはすごいじゃん」というのが、大学卒業前のアルバイトとしての実感だった。

1月上旬に新入社員となる我々(と言っても3人だが)が集められた時点で、すでにレコーディングは終わっており、ミックスの作業をしているという新富町の音響ハウスに連れて行かれた。

そこにはちょうど夕食のお弁当を食べている牧村憲一さんがいた。

挨拶をすると、「いやあ、今回僕は仲人役ですから」と言って自己紹介をされた。

牧村さんは資生堂のCM音楽のディレクターであり、またレコード原盤のディレクターという立場であった。

そこで初めて「い・け・な・いルージュマジック」とB面の「明・る・い・よ」を聴いた。

聴き終わると、スタジオにいたみんなの顔が“パアッ”と明るくなったのを憶えている。

さて、最初の私の仕事は宣伝だった。

邦楽第1弾であるこの「い・け・な・いルージュマジック」を各媒体に売り込むことである。

そして、ロンドンレコードからの宣伝請負人として吉見佑子さんが小さいけれども大きな声でさっそうと現れた。吉見さんに連れられて、出版社を中心にいろいろなところを回ったものだ。

当時、写真週刊誌の先行雑誌であったFOCUSが売れ行きを伸ばしていた。

何とかFOCUSの記事を取れないものかと宣伝会議でも議題に上がり、集英社なども担当していた私がFOCUSへ出向き、売り込むこととなった。

アポイントを取り、会ったのは記事を担当するフリーの記者であった。

今となっては誰だったのか知る由もないのだが。

使う写真は十文字美信さんが撮った宣伝用のポスターを使うことで合意した。

当然、記者としては内容を面白くしようとする。

曲も認知もされ、プロモーションビデオもかなり流れて話題になっていたので、そのPVのことをかなり取材された。

当時、「い・け・な・いプロジェクト」では撮影時のエピソードとして「撮影に使ったお金はすべて本物で、なぜか2万円がなくなっていた」というストーリーを作り、我々はそれを使っていた(2万円が紛失したのは本当の話で、その2万円は牧村さんが個人的に立て替えたそうだ)。

取材する記者に「撮影後、2万円が紛失していたのだけれど、それはもしかしたら清志郎の仕業かもしれないですね。いや、真相はわからないのですよ」と、なんとなくその場を盛り上げるプロモーショントークの延長のように言ってしまった。

FOCUSでの記事は掲載され、ヒットを後押しするための有効な宣伝となり、私はミッションを達成。

当時の役員から「これが欲しかったんだよ! ごちそうするぞ」と言っていただき、吉見さんからも「犬も歩けば棒に当たるのね」とおほめの言葉をいただいた。

しかし、後日、忌野清志郎さんの所属事務所の社長である奥田義行さんが会社にそのFOCUSを持ってやって来た。

ずいぶんとご立腹で、記事の中の「2万円は忌野清志郎が持って行ったことが判明した。

坂本龍一は新宿高校で、忌野清志郎は日野高校。その育ちの違い」という、正確な文面は覚えていないが、そこの部分に赤線を引いて何やら宣伝部長に言っている。

そこから聞こえたのは「これは杉岡がやったことですから」。

「え?! そりゃないでしょう!」初めて味わう大人の社会の仕組み。

だいたい、新宿高校と日野高校で何の育ちの違いがあるのか訳が分からない。

当時は原稿の事前確認なんてことはまったくできなかった。

まあ、そんなことも今となっては40年ほど前の楽しい思い出だ。

後年、間違った記事を見受けるが、撮影で使用されたお金は一部を除きそのほとんどはダミーのお札。

もちろん、清志郎が2万円を持って帰ったという事実もない。すべては私の若さゆえのことである。

【著者】杉岡中(すぎおか・あたる)

「大人のMusic Calendar」編集長。

ロンドンレコードでRCサクセション、坂本龍一を担当。

MIDIレコードを経て角川書店へ入社。

「月刊カドカワ」、「The寂聴」「月刊短歌」などの編集長を務める。

現在は「大人のMusic Calendar」の傍ら、ニッポン放送のサイト「1242.com」で編集を担当。

また瀬戸内寂聴等の書籍プロデュースを行っている。

 

「令和」で万葉集ブーム

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▲旺文社の対訳古典シリーズ「万葉集」より

 

 梅の花の下で開かれた

  初春の宴会の歌ですから

 宴会もブームになるかも  (^_^;)

 

平成に代わる新元号「令和」の出典は、日本最古の和歌集である「万葉集」だ。

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元号が発表されて以降、関連書籍の売り上げがアップしており、版元が緊急重版を決めるなど対応に追われている。

Amazon.co.jpや楽天ブックスなどネット書店を見ると、4月2日時点で最も売れている万葉集関連書籍は、角川ソフィア文庫の「万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川書店編)で、2日までにAmazon、楽天とも品切れになっている。

同書は、万葉集から名歌140首を選び、解説した書籍。

新元号「令和」の典拠となった梅の花の歌も収録されている。

版元のKADOKAWAによると、新元号発表以降、書店からの注文が相次ぎ、ネット書店でも売り切れが続出しているという。

ニーズに対応するため同社は4月1日、8000部の重版を決定。

それでも注文に追いつかないと判断して2日、さらに1万2000部上乗せして2万部重版することを決めた。

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重版分には、新元号が収録されている旨を知らせる帯を付け、4月中旬ごろに配本するという。

角川ソフィア文庫では、万葉集全首に現代語訳を付けた「新版 万葉集」(伊藤博訳注)シリーズ(1~4巻)も売れている。

梅の花の歌が収録された第1巻が得に人気で、KADOKAWAはこちらについても、1万部の重版を決めた。

このほかKADOKAWAは、「新版 万葉集」の2~4巻や「はじめて楽しむ万葉集」など、角川ソフィア文庫の万葉集関連書籍7冊も合計3万部重版する予定。

緊急重版で“万葉集特需”に対応する。

 

令和は酒の世となりぬ(1)

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▲坂本八幡宮

 

 おさい銭が激増するでしょうね

  新元号ビジネス絶好調で

 景気が良くなるかも  (^_^;)

 

新元号「令和」の引用素となった「万葉集」の「梅花の歌」が詠まれたとされる、

発祥の地、福岡県太宰府市も沸いた。

大伴旅人(おおとも の たびと)が「梅花の宴」を開いた邸宅跡とされる、

坂本八幡宮の御田良知宮司(59)は

「万葉集から元号ができて万歳、日本の誇り」

と感激した。

新元号が発表された際は、兼任している太宰府天満宮でお祭りがあったため、やや遅れて知ったという。

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その後、大伴旅人の「梅花の歌」三十二首の序文から取られたと知り、太宰府天満宮にある文化研究所で資料を調べて、改めて事実を確認したという。

そこからは、全国から取材が殺到し「(報道陣が)次から次へと来て」と、うれしい悲鳴を上げた。

坂本八幡宮は、梅の名所としても知られる大宰府政庁跡内にあり、散策コースのポイントにもなっており、休日には100~200人の参拝客がいるという。

新元号発祥の地となった今、参拝客の激増は必至だ。

御田宮司は

「既に氏子との間でも、石碑を作りたいと話が出ている」

と明かした。その上で

「1300年も前の歌、話から新元号が選ばれたのは、本当にすごいこと」

と繰り返した。

 

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讃酒 大伴旅人  吉井東人作  奈良万葉文化館蔵

 

万葉集 巻3-344 大伴旅人

「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと

   酒飲まぬ 人をよく見ば にかも似む 」

( あぁ~ みっともない!

  酒も飲まずに、賢そうにしている奴の

  顔をよ-く見たら

  ほらほら、猿に似ているぞ! )

 

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永井路子さんは

『 なんですってぇ~!

イケル口でない私としては、聞きずてにならぬ一言だ。

じゃ、私は猿似人(さるにひと)だっていうの? シツレイな!

しかし怒る気になれないのは、

彼の酒好きが あまりにも徹底しているからだ 』 

と苦笑しながらも楽しそう。

  (よみがえる万葉人 読売新聞社より)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
今代尓之  樂有者  来生者  蟲尓鳥尓毛  吾羽成奈武

この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我れはなりなむ

このよにし たのしくあらば こむよには むしにとりにも われはなりなむ

(この世で楽しく酒が飲めるなら、来世は虫や鳥になってもかまわんさ!)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒,太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
價無  寳跡言十方  一坏乃  濁酒尓  豈益目八<方>

価なき 宝といふとも 一杯の 濁れる酒に あにまさめやも

あたひなき たからといふとも ひとつきの にごれるさけに あにまさめやも

(信じられないほど高価な宝石よりも、一杯の酒の方がずっといいよ)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
生者  遂毛死  物尓有者  今生在間者  樂乎有名

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな

いけるもの つひにもしぬる ものにあれば このよなるまは たのしくをあらな

(どうせいつかは死ぬんだから、生きてる間は、楽しく酒を飲もうぜ~)

 


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 大伴旅人さんって

  「日本酒飲み党」の初代総裁みたいな人ですね

 けっこうな元号になりました

   令和 =冷酒でも飲んで仲良くやろうぜ!  (^_^;)

 

 

日本酒飲み党の総裁が旅人なら、中国酒飲み党の総裁はこの人

中国の(いや世界の)詩歌史上において、最高の存在とされています

作曲家のマーラーにも多大な影響を与えました

奔放で変幻自在な詩風から、後世に「詩仙」と呼ばれています

酒仙と呼んだ方がいいかもしれません  (^_^;)

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山中與幽人對酌 李白

 

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

読み

山中にて幽人と対酌す 李白

両人対酌すれば山花開く

一杯一杯また一杯

我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ

明朝意あらば琴を抱いて来たれ

 

山中で向かい合って酒を呑んでいると、山の花が開く

一杯一杯また一杯

私は酔って眠たくなってきた。

君、しばらく帰ってくれ

明日の朝気が向いたら、琴を抱いて来ておくれ

 

 


 

月下独酌 李白

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花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢

 

月下独酌 李白

花間(かかん) 一壷(いっこ)の酒、
独り酌(く)んで相(あい)親しむもの無し。
杯(さかずき)を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲(いん)を解(かい)せず、
影徒(いたづらに我が身に随う。
暫(しばら)く月と影とを伴い、
行楽(こうらく)須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊(はいかい)し、
我舞えば影零乱(りょうらん)す。
醒(さ)むる時ともに交歓(こうかん)し、
酔うて後は各々(おのおの)分散(ぶんさん)す。
永く無情(むじょう)の遊(ゆう)を結び、
相期(あいき)す遥かなる雲漢(うんかん)に。

花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。

状況

李白が宮廷を追われる直前の44歳の春に作られたとされます。

その夜、玄宗皇帝の宮殿では、たくさんの名士が集まり、ワイワイとさわがしく、
華やかにお酒や食べ物がふるまわれていました。

その中に李白はすっと抜け出します。

「けっ…俗物どもが。つきあいきれん。おい、酒」

召使の少年がトトトと一杯つぎます。

宮殿の中庭に出ると、華やかな音楽も、
人々のざわめきもしだいに遠のいていき、
ざーと心地よい夜風が吹いてきて、花が満開でした。

「ああ…落ち着く」

ふっと夜空を見上げると、月が出ています。

「これはいい。俗物どもと飲むより、
ずっとうまい酒が飲めそうだ」

李白はその場に座り込み、杯をあげて
一人詩を吟じながら、飲み始めるのでした・・・

 

 

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其二
天若不愛酒,酒星不在天。
地若不愛酒,地應無酒泉。
天地既愛酒,愛酒不愧天。
已聞清比聖,復道濁如賢。
賢聖既已飲,何必求神仙。
三杯通大道,一斗合自然。
但得酒中趣,勿為醒者傳。

其の二
天 し酒を愛さずんば
酒星しゅせい 天に在らず
地 若し酒を愛さずんば
地 まさ酒泉しゅせん無かるべし
天地 既に酒を愛す
酒を愛するも 天にじず
已に聞く清は聖に比すと
復たふ濁は賢の如しと
賢聖 すですでに飲む
何ぞ必ずしも神仙を求めんや
三杯 大道たいどうに通じ
一斗 自然に合す
酔中すいちゅうの趣を得んのみ
醒者せいしゃの為に伝ふることなか

〔詩意〕
天がもし酒を愛さないなら
「酒星」が天空にあるわけがない。
地がもし酒を愛さないなら
地上に「酒泉」があるはずがない。
天も地も確かに酒を愛している。
酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。
酒の清らかさは聖なるものと言われ、
また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。
賢も聖もすでに酒にあって私はそれを飲んでいる、
どうしてわざわざ神や仙人になろうか。
三盃飲めば正しい道に入り、
一斗飲めば自然に溶け込む。
ただ酒を飲んでたのしみたいだけだ、
酔わない人に教えてやる必要などはない 。

 


 

其三
三月咸陽城,千花晝如錦。(別作・落花散如錦あるは庭花笑如錦)
誰能春獨愁,對此徑須飲。
窮通與修短,造化夙所稟。
一樽齊死生,萬事固難審。
醉後失天地,兀然就孤枕。
不知有吾身,此樂最為甚。

其の三
三月 咸陽城かんようじょう
千花 昼 錦の如し
誰かく春 独り愁ふ
此に対してただちにすべからく飲むべし
窮通きゅうつう修短しゅうたん
造化のつとひんする所
一樽 死生をひとしく
万事 もとよりつまびらかにし難し
酔ひし後 天地を失い
兀然ごつぜんとして孤り枕に就く
吾が身の有るを知らず
此の楽しみ 最もはなはだだしと為す

〔詩意〕
春三月 長安の城下、
昼は千の花が色あざやかに咲き乱れる。
いったい誰がこのすばらしい春に一人愁いに沈むというのだろう、
春こそすぐに杯をとって酒を飲み楽しむべきである。
人の世の貧窮と栄達、また人の寿命は
万物創造の神が定めるところではあるが、
一樽の酒は生も死も同じだと思わせる、
もちろん世のすべては詳しく知ることは難しいのだが。
酔うたあとは天も地もなく、
なにもわからずに一人枕について寝てしまう。
酔ってしまうと自分の存在も忘れ果てるが、
これこそが酔いの楽しみの最たるものであろう。

 


 

其四
窮愁千萬端,美酒三百杯。
愁多酒雖少,酒傾愁不來。
所以知酒聖,酒酣心自開。
辭粟臥首陽,屡空飢顏回。
當代不樂飲,虚名安用哉。
蟹螯即金液,糟丘是蓬莱。
且須飲美酒,乘月醉高臺。

其の四
窮愁きゅうしゅう 千萬端せんまんたん
美酒 三百杯
愁い多くして酒少なしといえど
酒傾くれば愁ひは来たらず
所以ゆえに酒の聖なるを知り
酒酣たけなわにして心自ら開く
ぞくを辞して 首陽に臥し
しばしば空しくて顔回飢う
当代飲むを楽しまずんば
虚名いずくんぞ用ひんや
蟹螯かいごうは即ち金液きんえき
糟丘そうきゅうは是れ蓬莱ほうらい
しばらすべからく美酒を飲み
月に乗じて高台に酔ふべし

〔詩意〕
苦しく悲しいことは幾千万、
美酒はわずかに三百杯。
愁いは多く、それを晴らす酒は少ないが、
酒を飲めば愁いはやって来ない。
だから酒の聖なる効き目がわかり、
酒を飲めば心は自然と開放される。
節義を重んじた伯夷と叔斉は周の粟を辞して首陽山に隠棲し、
学問に励んだ顔回はいつも米櫃が空で飢えていた。
生きている今のうちに酒を楽しまないで、
どうして節義や学問などの虚名が役に立つだろうか。
つまみの蟹の鋏は不老不死の薬、
酒かすの丘は仙人の住む蓬莱山である。
ひとまずここは美酒を飲み、
美しい月夜に乗じて高台で酔っぱらうしかない。

 


 

 

令和は酒の世となりぬ(2)へ

 

新元号は「令和」

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 昭和に続いて「和」が入りましたね

   和を以って貴しと為す

 聖徳太子の素晴らしい理想です  (^_^;)

 

日本政府は1日午前の臨時閣議で、新しい元号を「令和」に決めた。

れいわ」と読む。

菅義偉官房長官が記者会見で公表した。

出典は日本の古典「万葉集」とした。

中国古典(漢籍)ではなく日本の古典から採ったのは確認できる限り初めて。

今上天皇陛下の退位に伴い5月1日午前0時から新元号「令和」に切り替わる。

平成は1989年1月8日からの30年4カ月で幕を閉じる。

関係者によると、政府は元号に関する懇談会などで「令和」を含む計6案を提示した。

中国古典を出典とする案もあったという。

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令和は万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文、

「初春の月にして気淑く風ぎ、

 梅は鏡前の粉を披き、

 蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」

から引用した。

新元号公表後、安倍晋三首相は記者会見で談話を発表し、令和について

「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、

 という意味が込められている」

と説明した。

出典とした万葉集に関しては「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と述べた。

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訃報 ショーケン

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 先日の内田裕也さんに続き

  アウトローの巨星が消えてゆく  (T_T)

 

俳優・萩原健一=本名・萩原敬三=さんが26日午前10時30分、都内の病院で亡くなっていたことが28日、分かった。68歳。所属事務所が書面で発表した。

病名はGIST(消化管間質腫瘍)。2011年からひそかに闘病していたが、本人の強い要望で病名の公表を控えていた。妻でモデルのリカ(本名・理加)さんが最期を看取ったという。

葬儀は家族のみで営まれ、都内の斎場で27日に荼毘(だび)に付された。

萩原さんは1950年7月26日生まれ、埼玉県出身。

65年に結成したばかりのザ・テンプターズにボーカリストとして加わる。

テンプターズはグループサウンズの先輩であるザ・スパイダースと同じスパイダクションに所属し、67年10月、シングル「忘れ得ぬ君」でデビュー。

68年には「神様お願い」「エメラルドの伝説」が大ヒットし、萩原さんは「ショーケン」の愛称で、ザ・タイガースの「ジュリー」こと沢田研二と並ぶアイドル的な人気を博した。

グループサウンズのブームは短く、テンプターズは70年に解散。

萩原さんは71年にテンプターズの大口広司、タイガースの沢田、岸部一徳、スパイダースの大野克夫、井上尭之とニューロックのスーパーグループ「PYG」を結成。

「自由に歩いて愛して」などの名曲を残すが、PYGは自然消滅する。

75年、ファーストソロアルバム「惚れた」を発表。

ソロでは「愚か者よ」、映画「竜二」の主題歌「ララバイ」やBOROのカバー「大阪で生まれた女」などの名曲、柳ジョージ&レイニーウッドがバックバンドの「熱狂・雷舞」や、井上、ミッキー吉野ら豪華メンバーでの「アンドレ・マルロー・ライブ」など、ライブアルバムの名盤を残した。

2017年5月には東京と大阪のビルボードライブで50周年ライブを行っている。

俳優としては、72年に出演した「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事役、同年の映画「約束」で鮮烈な印象を残し、ドラマ「傷だらけの天使」、「前略おふくろ様」、「祭りばやしが聞こえる」や映画「股旅」、「青春の蹉跌」などで、政治運動が挫折した70年代の若者のアイコンになった。

映画では「八つ墓村」、「影武者」などの大ヒット作に出演し、83、86年には日本アカデミー優秀主演男優賞を受賞。

その他の主な出演作に「誘拐報道」、「もどり川」、「極道の妻たち 三代目姐」、「いつかギラギラする日」、「居酒屋ゆうれい」がある。

ドラマでは「豆腐屋直次郎の裏の顔」、「課長サンの厄年」、「外科医柊又三郎」や大河ドラマ「太平記」、「元禄繚乱」、「利家とまつ」などに出演。

近年もNHKのドラマ「鴨川食堂」(16年)、「不惑のスクラム」(18年)で大きな存在感を示していた。

著書に「ショーケン」、「不良のススメ」、「日本映画『監督・俳優』論」(共著)がある。

 

 

歴博リニューアル

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▲弥生時代の高床倉庫でネズミからコメを守るネコ

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 数年前に見学に行ったことがありますが

  充実した展示の質と量に圧倒されます

 とても一日では見きれませんでした  (^_^;)

 

日本唯一の国立歴史博物館である千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)

先史時代と古代を扱う常設第1展示室が、昭和58年の開館以来初めてリニューアルされた。

同室の対象時代は、日本列島に現生人類が出現した3万7000年前から、日本を国号とする古代国家が成立した7~8世紀までの約3万6000年間に及ぶ。

弥生時代の開始年代が約500年さかのぼるなど、先史時代を中心に開館以降の36年間で大きく進歩した歴史研究の成果を反映させた、大規模かつ意欲的な展示刷新だ。

大幅に変化

「この30数年間、歴博は放射性炭素(C14)年代測定法などで多くの成果を生み出してきた。(展示は)われわれが学んだ40~50年前の教科書で描かれた歴史像から、大きく変わった」

今回の全面リニューアルの背景について、歴博の久留島浩(くるしま・ひろし)館長はそう語る。

考古学分野での自然科学的年代測定技術の発達により、縄文時代や弥生時代の区分や時代像は、36年前と比べて大幅に変化した。

第1展示室は6部構成。最初のコーナー「最終氷期に生きた人々」は、今回のリニューアルで大幅に拡充された旧石器時代(日本列島では約3万7千年前~約1万6千年前)を扱う。

まず出迎えてくれるのは、ナウマンゾウの実物大模型を中心に約4万年前の南関東の風景を再現したジオラマ。寒冷な気候を反映した針葉樹が目立つ植生は、現代の南関東とはだいぶ異なる。

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最終氷期の「現代人」

次に目に入るのは、革なめしの作業を行う日本列島の最初期の住人たちの模型だ。そのかたわらには、製革作業に使われた石器が並んでいる。毛皮を丁寧に加工した衣服をまとったその姿は、現代の極地に生きる民族とよく似ている。

「旧石器時代人というとかつては野蛮で原始的なイメージを持たれていたが、実際はわれわれと変わらない現代人(ホモ・サピエンス)。当然、寒冷な環境に適応するための道具を工夫して作っていた」

そう説明するのは、コーナーを担当した同館の工藤雄一郎准教授。

1990年代まで、縄文時代の開始は気候が現代と同程度に温暖な後氷期に移行した約1万1千年前とされてきた。だが、最近の研究進展により、実は最終氷期まっただ中の約1万6千年前に土器が出現したことが明らかになり、従来の縄文時代の枠組みが問い直される状況になっている。

旧石器時代後期と縄文時代草創期は生活環境面では共通するものが多く、画然と区分できるものではないことが、この2つを「最終氷期人」として同一空間で扱うことで示されている。

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繰り上がった弥生時代

時代はある境で急激に変化するものではないので、移行期も重視しなければならない。

時代ごとの変化や特徴を強く打ち出していた旧展示の反省の上に立つ、そうしたメッセージは、近年特に大きな研究進展があった弥生時代に関しても示されている。

一般に水田稲作の開始をもって弥生時代の始まりとされる。

その時期は従来、紀元前5世紀ごろとされてきたが、今世紀に入ってからの歴博の研究によって紀元前10世紀に九州北部で水田稲作が始まっていたことが明らかになり、弥生時代の開始を約500年繰り上げる説が定着しつつある。

コーナーを担当した藤尾慎一郎教授は、「繰り上げの結果、稲作を中心にする人と、縄文的な文化で暮らしていく人が併存する段階が約600年にわたり日本列島に併存したことになる。そこをどう表現するかが一番難しかった」と明かす。

展示では、朝鮮半島から九州に伝わった水田稲作が農耕社会を成立させ、西日本から東日本へと拡散していく様子が地域差に留意しつつ描かれている。

“大発見”も反映

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弥生時代をめぐってはもう一つ、近年の目覚ましい“大発見”も反映されている。

穀物を保管する高床倉庫の再現模型の入り口に陣取るのは、かわいらしい2匹のネコ。

従来、イエネコは経典などの重要書物をネズミの害から守るため、奈良~平安時代に渡来したとされてきた。

ところが近年、長崎県壱岐市の遺跡から弥生時代中期頃のイエネコと推定される骨が出土。

日本へのネコの移入時期が一気に数百年さかのぼることになった。

「穀物は相当、ネズミの害があるもの。ネコがいてもおかしくない」(藤尾教授)

全体的に重視されているのは、再現模型などを多用した「可視化」だ。

たとえば銅矛や銅鐸、鉄剣などの金属器は、緑青やさびにおおわれた実物とともに、新造時を再現した複製品も展示。

金属製品の複雑な造形やまばゆい輝きが、石器や木製品ばかりの世界で生きてきた人々にどのような印象を与えたかを追体験させてくれる。

現段階の先史・古代史研究の先端が詰まった、充実の展示だ。

国立歴史民俗博物館(歴博)

一般600円。月曜休館。

問い合わせは、ハローダイヤル03・5777・8600

数年前に見学した時の写真へ

 

上野東京ライン

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 日本の鉄道は 本当に素晴らしいんですけど

  地方の各駅停車が だんだん減ってきているのが

 青春18きっぷファンとしては 少々残念です  (^_^;)

 

日本を定期的に訪れている筆者(英国人 Colin Joyce)は数年前、都内に「上野東京ライン」という新しいJRの路線ができたことに気がついた。

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上野駅と東京駅はすでに結ばれていなかったか? そう思い、やや困惑した

なるほど、それは都心を走り抜け、5つの都県を一度も乗り換えることなく縦断できる路線であることが分かった。

複数の路線を結ぶ難しい事業を見事に成し遂げたことで、乗客の利便性は高まり、世界最先端の日本の公共交通はさらに良くなった。

南北270キロメートルにも及ぶ鉄道路線の名称に、徒歩で行き来できる都心の2つの駅名を使うのは、かなり控え目な名称に思えた。

しかし、それこそ日本人が自分たちの大きな業績を正しく評価しない、「平成」という時代の典型だった。

平成で成長した日本サッカー

同世代の日本人と違い、筆者は平成以外の日本を知らない。

1992年に英国から来た私には、バブルの記憶も、昭和への郷愁もない。

平成時代に対して日本人の多くが抱く「停滞」さらに言えば「後退の時代」という見方を理解しつつも、自分でそう感じることはなかった。

私は、自分が出会ったこの国に深く感銘を受け、特筆すべき改善する力や、遅れを巻き返す能力に目を見張っていた。

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後者の例として挙げられるのはサッカーだ。

私が学生として神戸に初来日した当時、日本はサッカーの「へき地」だった。

しかし、1993年のJリーグ発足は日本を強豪国へと押し上げた。

日本代表は実力をつけ、国内リーグの人気は高い。

スタジアムは素晴らしく、サポーター層も磐石。

欧州に渡ってトップリーグでプレーできるようになった選手もいる。

関西を代表するクラブチームといえば「ガンバ大阪」。

1993年当時、そう思っていたことを覚えている。

大阪にもう1つ、さらに神戸、京都にもクラブができる余地があるなど想像もしなかった。

これはすべて一世代の間に起きたことだ。

おっと、2002年に日韓が共催したワールドカップ(W杯)の成功に言及し忘れるところだった。

複雑な直通運転の謎

日本について語り出すと、申し訳ないが鉄道の話が止まらなくなる。

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運賃が高く、時刻表は当てにならず、腹立たしいほど遅れがちで、運休することもある(そして休暇シーズンには代行バスに切り替わる)英国に比べ、日本の鉄道の旅がどんなに素晴らしいか、皆に伝えたくて仕方がない。

来日当時、この国の鉄道システムはすでに十分素晴らしかった。

北は盛岡、南は博多までしか新幹線が延びていないのは当然のことと受け入れていた。

日本の大部分がカバーされていると感じたし、そこから先に行きたければ、特急列車に乗り換えるか、最初から飛行機を利用すればいいと考えていた。

都内を電車で移動するにも、JR山手線を乗り降りして私鉄のターミナル駅間を行き来するのをわずらわしいと思ったことはなかった(何しろ山手線は3分おきにやってくる恐るべき電車だ)。

しかし、そこに「上野東京ライン」が登場した。

他にも直通運転の路線が増えた。

電車に乗ったら途中で別の会社が運行する路線に変わり、その先はおそらくまた別の会社が運行している。

技術的な問題をどう解決したのかは言うまでもなく、運賃をどう分け合っているのか、どの会社が運転手に給料を払っているのか、私にはまったく見当もつかない。

1つではなかった本州と四国を結ぶ橋

1988年に開通した瀬戸大橋も偉業だと感じた。

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行きは電車、帰りは大型トラックをヒッチハイクして橋を往復した。

そして英国に住む家族に、5つの島にまたがるこの驚くべき「2階建て橋」について手紙を書いた。

日本は本州と四国を結ぶ橋を完成させた──。

当時はそれで終わりだと思い込んでいた。

もう1つの連絡橋プロジェクトが進行していた事実に気づかなかったのは、そのせいだろう(後に3つ目の橋建設も始まる)。

恥ずかしいことに、神戸から四国まで、岡山を通らずバスで行けたことに驚いたのはそれから10年後のことだ。

同じく東京湾アクアライン連絡道の建設も、2003年ごろ飛行機から見るまで気づかなかった。

橋梁部がトンネルに変わって海中にもぐる部分が、なぜ水であふれないのかはいまだに謎だ。

「平成日本」は総じて安定

平成の30年間に日本が直面した深刻な問題を、軽んじるつもりはない。

自然災害、政財界のスキャンダル、増大する政府債務、終身雇用の崩壊と非正規労働者の増加、高まる自殺率、少子高齢化など枚挙にいとまがない。

いずれもこの国が解決しなくてならない重大な問題であり、日本で記者をしていた頃は、深く憂慮しながら取材をした。

しかし、平成日本に暮らした1人として、この国の社会は総じて安定しており、回復力と対応力を備えているとも感じていた。

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経済危機が、ロンドンで起きた暴動のような社会の不安定化につながらなかったことをうれしく思っていた(私が物心ついてから、大きな暴動だけでも4回起きている)。

最後にもう1つ、日本で不思議だったのは外国人観光客が少ないことだった。

英国は、1990年代初めまでに年間2000万人の観光客を受け入れていた。

卓越した観光資源と交通インフラを備えた魅力的な国であるにもかかわらず、日本の実績は明らかに実力を下回っていた。

今はそれがどうなったか。私がここで話すまでもないだろう。

筆者 コリン・ジョイス(Colin Joyce)

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英エセックスを拠点に活動するジャーナリスト。

オックスフォード大学卒業後、日本語を学ぶため1992年に来日。

埼玉県の高校で英語を教えた後、週刊誌ニューズウィーク日本版に4年間、英紙デイリー・テレグラフ東京支局に7年間勤務した。

15年に及ぶ日本での生活をもとにした「『ニッポン社会』入門──英国人記者の抱腹レポート」(NHK生活人新書)、「マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>」(同)などの著書がある。

*本コラムは、ロイターに掲載され、筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

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 英国人でコリンと言うと

  どうしても、コリン・ウィルソン

 思い出してしまいます  (^_^;)