80【ヒストリー】
退位礼正殿の儀
天皇陛下が退位礼正殿の儀で述べられたお言葉は以下の通りです。
今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。
ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。
即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。
明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。
天皇陛下は平成31年4月30日、譲位の日を迎えられる。
天皇の譲位は、江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。
陛下は同日午後5時から、皇居・宮殿で「退位礼正殿の儀」(退位の礼)に臨み、在位中、最後となるお言葉を述べられる。
陛下は同日をもって譲位し、30年余り続いた「平成」は幕を閉じる。
5月1日午前0時に皇太子さまが即位されて「令和」に改元される。
4月30日の退位の礼は、計11に上る譲位関連の最後の儀式。
憲法で定める国事行為として執り行われる。
天皇、皇后両陛下が宮殿「松の間」に入室され、側近が「三種の神器」のうち剣(けん)と璽(じ=勾玉)などを「案(あん)」と呼ばれる台の上に安置。
安倍晋三首相が感謝の意を伝え、陛下が国民に向けたお言葉を述べられる。
退位の礼の参列予定者は安倍首相と閣僚、衆参両院正副議長、都道府県知事ら約300人。
皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ、成年皇族方が陪席される。
両陛下は退位の礼の後、皇太子ご夫妻や皇族方のごあいさつを受けられる。
その後も宮内庁や皇宮警察の職員らのあいさつが夜まで続き、平成最後の日を終えられる。
退位の礼に先立ち、陛下は30日午前、皇居・宮中三殿で同日の譲位を報告される。
天皇のみが着る祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけられる最後の機会となる。
5月1日に上皇、上皇后となる両陛下は、同日以降の皇太子さまのご即位関連儀式には出席されない。
退位礼当日賢所大前の儀
令和は酒の世となりぬ(2)
大伴旅人は、天智天皇四年(665年)の生まれです。
神亀五年(728年)には、妻・大伴郎女(いらつめ)を伴って、大宰府の長官に赴任しています。
60歳を過ぎている老人(当時の60歳は、現在の80歳くらいの感覚)を遠方に送るのもどうかという気がしますが、理由はハッキリしていません。
大宰府にいる間に山上憶良などと親しくなり、筑紫に歌壇ができるきっかけとなりました。
・中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ
(意訳)人間でいるよりも、酒壺になりたいものだ。そうすれば酒に浸されていられるから。
・しるしなき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
(意訳)グダグダと思い悩むよりは、にごり酒を一杯やるほうがいい。
・さかしみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし
(意訳)賢ぶってあれこれと問答するよりは、酒に酔って泣いている方がマシだよ。
・夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣(や)るに 豈(あに)しかめやも
(意訳)宵闇の中で光る宝玉よりも、酒を飲んで憂さ晴らしするほうが私は好きだ。
・よのなかの 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
(意訳)世の中にはいろいろな遊びがあるが、酒に酔って泣くことに勝るものはない。
・我が命も 常にあらぬか 昔見し 象(きさ)の小川を 行きて見むため
(意訳)昔見た象の小川をもう一度見るまで、私の命が保ってくれるだろうか。
・うつくしき 人の纏まきてし 敷布しきたへの 我が手枕たまくらを 纏く人あらめや
(意訳)愛しい妻に貸した手枕を、この先他の誰に貸そうと思うだろうか。
・うつつには 逢ふよしも無し ぬば玉の 夜の夢(いめ)にを 継ぎて見えこそ
(意訳)現実で会うことができないなら、せめて夢では続けて会えたらいいのに。
・生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
(意訳)生まれたからにはいつか死ぬのだから、この世にいる間は楽しく過ごしたいものだ。
昭和音曲同好会 設立総会
4月15日(月)池袋にて
昭和音曲同好会の設立総会が恙なく挙行されました
▼昭和音曲同好会の創立を厳かに宣言する菅義偉・内閣官房長官
八千草薫
昭和を代表する永遠の美女ですね
井野先生 情報ありがとうございます (^_^;)
青山ベルコモンズ
このビルには、いろいろ思い出があります。
もう30年以上も前ですが、スポーツクラブの「エグザス」が出来て、その事業展開のお手伝いをしました。隣のビル(確か「サンクレストビル」だったかな?)に出来たてのエグザス青山店があって、そのお店をモデル店舗にしてマーケット分析をしたり、店舗オペレーションをマニュアル化したり。
地下にイタリアンのサバティーニがあった。
青山ベルコモンズは外側も面白いけど、内部に吹き抜けがあって楽しいビルでしたね。こうゆう遊び心のある建築は、黒川さんみたいな実力のある、良い意味でのワガママが通せる建築家でないと無理でしょう。
普通は建築主の経済性計算に押されて、無難な設計になっちゃう (^_^;)
2014年3月に閉館した商業施設「青山ベルコモンズ」の跡地で三菱地所が開発を進める「(仮称)北青山二丁目計画」の完工予定まで約1年となった。
1976(昭和51)年、当時アパレルチェーン大手だった「鈴屋」(だからベルコモンズ)が施設開発を手掛け、青山通りと外苑西通りが交わる青山三丁目交差点角にオープンした青山ベルコモンズ。
建築家・黒川紀章が設計を担当。
先鋭的なファッションブランドや飲食店、文化施設が入居するファッションビルとして注目を集め、青山エリアのランドマークになっていた。
開発計画は2017年12月に着工し、青山ベルコモンズの歴史性を踏まえ、「多種多様」な人が交流する空間を目指し、地上20階・地下2階、延べ床面積約2万2910.61平方メートルの施設に、オフィス・ホテル・商業ゾーンを整備する。
▲ベルコモンズ 取り壊し完了 (T_T)
2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催に伴い新国立競技場の建設も進む青山エリアのにぎわいを見据え、容積・形態の制限を緩和する都の統一的基準を設けた「総合設計制度」を活用。
ホテルは、国内外でホテル・レストランを展開する「Plan・Do・See」(千代田区)が運営する。
現代的な設計の外観は、ガラスファサードのデザインに加え、低層部を「緑豊かで開放的な空間」とし、圧迫感を抑え周囲の街並みや景観との調和を目指す。
1階・2階は店舗、5階~15階はオフィスが入り、商業区画は「青山ベルコモンズの系譜を継ぐ商業ラインアップ」を予定。
オフィスフロアは、コワーキング機能も備えるという。地下2階は駐車場。
3階~4階、16~20階に入るホテルは、3階にイベントスペースを設けるほか、訪日外国人向けにさまざまなジャンルの飲食店を用意。
ルーフトップはレストラン・バーテラススペースとなる。客室数は42室、客室サイズは約30~60平方メートル。
2020年上期の開業を予定する。
入居テナント向けのBCP(事業継続)対策で、非常用発電機や防災備蓄倉庫を備え、北側広場には災害時に温かい食事などが提供できる「かまどベンチ」を設置。
屋上に設置する太陽光パネルから建物内に電気を供給し、環境にも配慮する。
▲遠近法を無視したパース (^_^;)
小田原城の桜を歩く
黒電話
某国の「将軍様」のヘアスタイルに
とてもよく似てますね (^_^;)
ほとんど見かけることがなくなったダイヤル式の「黒電話」。
そんな電話機が展示されている博物館が、ネット上で話題になっています。
使い方も解説されていて、実際に触れることもできます。
子どもたちに人気の展示について学芸員に話を聞きました。
黒電話が展示されているのは、奈良県立民俗博物館(大和郡山市)です。
回線はつながっていませんが、実際に触ることができ、電話のかけ方もイラスト付きでこんな風に解説しています。
「1960年代に登場した電話。数字が書いてあるダイヤルの穴に指を入れて右へ回す。指止めの位置まで回したら指をはなす。これをくり返して番号を入力します」
ツイッターでこの展示が紹介されると、
「博物館入りとは!」
「自分が生きた化石になった気がした」
といった驚きの声が上がっています。
「6年前に常設展として『昔のくらし』を新設したときから展示しています」と話すのは、学芸員の茶谷まりえさん。
「昔のくらし」では、黒電話以外にも炭火アイロンや糸車、真空管テレビなど、かつて家の中で使われていたものを展示しています。
電話機については、磁石式から黒電話、プッシュ式への変遷がわかるよう並べたコーナーもあります。
中西進氏 「令和」生みの親
▲国学者の中西進氏 2013年に文化勲章を受賞
親授式で天皇陛下から文化勲章の親授を受ける中西進氏
今年一番の売れ筋商品は 万葉集かも~
関連商品で「古今和歌集」「日本書紀」
なんかもどうかな (^_^;)
万葉集を出典とする新元号「令和(れいわ)」の考案者として浮上している国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏が、政府による1日の新元号発表後、自身の著書を出す筑摩書房(東京)に対し、万葉集は「令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントを送っていた。
同社は増刷にあわせて中西進氏のコメント入りの帯を使い、18日をめどに書店に出荷する予定。
筑摩書房によると、新元号発表後、書店などからの問い合わせを受け、
中西進『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫、平成24年刊)の重版を決定。増刷は1万部。
2日、中西進氏に重版決定の連絡を入れたところ、中西氏からファクスで
「『万葉集』は令(うるわ)しく
平和に生きる日本人の原点です」
とのコメントが送られてきたという。
「令和」は万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある
『 初春の令月(れいげつ)にして
気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ
梅は鏡前の粉を披(ひら)き
蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす 』
から引用。
『万葉集』に収められている歌は、古くて新しい。
恋に焦がれる歌や離別の悲しみをうたった歌、子どもを思う歌や酒を楽しむ歌など、題材は色々だが、その感情が現代人に理解できない歌はない。
例えば、
朝寝髪 我れは梳らじ うるはしき
君が手枕 触れてしものを (作者未詳)
恋人が触れていた自分の髪をいとおしく思い、寝起きで乱れたままだが「とかさないでおこう」と思う歌だ。
恋人と手を握り合い、その自分の手を、しばらく洗わずにおく心と同じだ。
銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも (山上憶良)
「どんな宝物も、子供に比べたら一体何になるだろう」という有名な歌。
親から子供への愛情は今も昔も変わらない、共感を呼ぶ普遍的な内容だ。
1200年の時を経ても廃れず、現代人が読んでも共感できる歌が沢山ある。
まさに「日本人の心の宝」と言っても過言ではない。