古代史

映画 ダ・ヴィンチ・コード

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期待したほど面白くはなかった

カトリック教会の正統性とか、キリストは神か人間かとか言われても、日本人である私にはいま一つピンと来ない

古代史ミステリーなら、諸星大二郎のマンガの方が面白い

日本で言えば、天皇家の正統性を揺るがす大秘密、といったところでしょうか?

(^_^;)

 

令和は酒の世となりぬ(2)

e85 (4)大伴旅人は、天智天皇四年(665年)の生まれです。

神亀五年(728年)には、妻・大伴郎女(いらつめ)を伴って、大宰府の長官に赴任しています。

60歳を過ぎている老人(当時の60歳は、現在の80歳くらいの感覚)を遠方に送るのもどうかという気がしますが、理由はハッキリしていません。

大宰府にいる間に山上憶良などと親しくなり、筑紫に歌壇ができるきっかけとなりました。

 

・中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ
(意訳)人間でいるよりも、酒壺になりたいものだ。そうすれば酒に浸されていられるから。

・しるしなき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
(意訳)グダグダと思い悩むよりは、にごり酒を一杯やるほうがいい。

・さかしみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし
(意訳)賢ぶってあれこれと問答するよりは、酒に酔って泣いている方がマシだよ。

・夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣(や)るに 豈(あに)しかめやも
(意訳)宵闇の中で光る宝玉よりも、酒を飲んで憂さ晴らしするほうが私は好きだ。

・よのなかの 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
(意訳)世の中にはいろいろな遊びがあるが、酒に酔って泣くことに勝るものはない。

・我が命も 常にあらぬか 昔見し 象(きさ)の小川を 行きて見むため
(意訳)昔見た象の小川をもう一度見るまで、私の命が保ってくれるだろうか。

・うつくしき 人の纏まきてし 敷布しきたへの 我が手枕たまくらを 纏く人あらめや
(意訳)愛しい妻に貸した手枕を、この先他の誰に貸そうと思うだろうか。

・うつつには 逢ふよしも無し ぬば玉の 夜の夢(いめ)にを 継ぎて見えこそ
(意訳)現実で会うことができないなら、せめて夢では続けて会えたらいいのに。

・生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
(意訳)生まれたからにはいつか死ぬのだから、この世にいる間は楽しく過ごしたいものだ。

 

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令和は酒の世となりぬ(1)へ

 

中西進氏 「令和」生みの親

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▲国学者の中西進氏 2013年に文化勲章を受賞

親授式で天皇陛下から文化勲章の親授を受ける中西進氏

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 令和商戦 始まりましたね

  今年一番の売れ筋商品は 万葉集かも~

 関連商品で「古今和歌集」「日本書紀」

  なんかもどうかな  (^_^;)

 

万葉集を出典とする新元号「令和(れいわ)」の考案者として浮上している国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏が、政府による1日の新元号発表後、自身の著書を出す筑摩書房(東京)に対し、万葉集は「令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントを送っていた。

同社は増刷にあわせて中西進氏のコメント入りの帯を使い、18日をめどに書店に出荷する予定。

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筑摩書房によると、新元号発表後、書店などからの問い合わせを受け、

中西進『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫、平成24年刊)の重版を決定。増刷は1万部。

2日、中西進氏に重版決定の連絡を入れたところ、中西氏からファクスで

「『万葉集』は(うるわ)しく

  平に生きる日本人の原点です」

とのコメントが送られてきたという。

「令和」は万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある

『 初春の月(れいげつ)にして

  気淑(きよ)く風(やわら)ぎ

 梅は鏡前の粉を披(ひら)き

  蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす 』

から引用。

『万葉集』に収められている歌は、古くて新しい。

恋に焦がれる歌や離別の悲しみをうたった歌、子どもを思う歌や酒を楽しむ歌など、題材は色々だが、その感情が現代人に理解できない歌はない。

例えば、

朝寝髪 我れは梳らじ うるはしき
君が手枕 触れてしものを (作者未詳)

恋人が触れていた自分の髪をいとおしく思い、寝起きで乱れたままだが「とかさないでおこう」と思う歌だ。

恋人と手を握り合い、その自分の手を、しばらく洗わずにおく心と同じだ。

銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも (山上憶良)

「どんな宝物も、子供に比べたら一体何になるだろう」という有名な歌。

親から子供への愛情は今も昔も変わらない、共感を呼ぶ普遍的な内容だ。

1200年の時を経ても廃れず、現代人が読んでも共感できる歌が沢山ある。

まさに「日本人の心の宝」と言っても過言ではない。

「令和」で万葉集ブーム

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▲旺文社の対訳古典シリーズ「万葉集」より

 

 梅の花の下で開かれた

  初春の宴会の歌ですから

 宴会もブームになるかも  (^_^;)

 

平成に代わる新元号「令和」の出典は、日本最古の和歌集である「万葉集」だ。

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元号が発表されて以降、関連書籍の売り上げがアップしており、版元が緊急重版を決めるなど対応に追われている。

Amazon.co.jpや楽天ブックスなどネット書店を見ると、4月2日時点で最も売れている万葉集関連書籍は、角川ソフィア文庫の「万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川書店編)で、2日までにAmazon、楽天とも品切れになっている。

同書は、万葉集から名歌140首を選び、解説した書籍。

新元号「令和」の典拠となった梅の花の歌も収録されている。

版元のKADOKAWAによると、新元号発表以降、書店からの注文が相次ぎ、ネット書店でも売り切れが続出しているという。

ニーズに対応するため同社は4月1日、8000部の重版を決定。

それでも注文に追いつかないと判断して2日、さらに1万2000部上乗せして2万部重版することを決めた。

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重版分には、新元号が収録されている旨を知らせる帯を付け、4月中旬ごろに配本するという。

角川ソフィア文庫では、万葉集全首に現代語訳を付けた「新版 万葉集」(伊藤博訳注)シリーズ(1~4巻)も売れている。

梅の花の歌が収録された第1巻が得に人気で、KADOKAWAはこちらについても、1万部の重版を決めた。

このほかKADOKAWAは、「新版 万葉集」の2~4巻や「はじめて楽しむ万葉集」など、角川ソフィア文庫の万葉集関連書籍7冊も合計3万部重版する予定。

緊急重版で“万葉集特需”に対応する。

 

令和は酒の世となりぬ(1)

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▲坂本八幡宮

 

 おさい銭が激増するでしょうね

  新元号ビジネス絶好調で

 景気が良くなるかも  (^_^;)

 

新元号「令和」の引用素となった「万葉集」の「梅花の歌」が詠まれたとされる、

発祥の地、福岡県太宰府市も沸いた。

大伴旅人(おおとも の たびと)が「梅花の宴」を開いた邸宅跡とされる、

坂本八幡宮の御田良知宮司(59)は

「万葉集から元号ができて万歳、日本の誇り」

と感激した。

新元号が発表された際は、兼任している太宰府天満宮でお祭りがあったため、やや遅れて知ったという。

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その後、大伴旅人の「梅花の歌」三十二首の序文から取られたと知り、太宰府天満宮にある文化研究所で資料を調べて、改めて事実を確認したという。

そこからは、全国から取材が殺到し「(報道陣が)次から次へと来て」と、うれしい悲鳴を上げた。

坂本八幡宮は、梅の名所としても知られる大宰府政庁跡内にあり、散策コースのポイントにもなっており、休日には100~200人の参拝客がいるという。

新元号発祥の地となった今、参拝客の激増は必至だ。

御田宮司は

「既に氏子との間でも、石碑を作りたいと話が出ている」

と明かした。その上で

「1300年も前の歌、話から新元号が選ばれたのは、本当にすごいこと」

と繰り返した。

 

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讃酒 大伴旅人  吉井東人作  奈良万葉文化館蔵

 

万葉集 巻3-344 大伴旅人

「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと

   酒飲まぬ 人をよく見ば にかも似む 」

( あぁ~ みっともない!

  酒も飲まずに、賢そうにしている奴の

  顔をよ-く見たら

  ほらほら、猿に似ているぞ! )

 

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永井路子さんは

『 なんですってぇ~!

イケル口でない私としては、聞きずてにならぬ一言だ。

じゃ、私は猿似人(さるにひと)だっていうの? シツレイな!

しかし怒る気になれないのは、

彼の酒好きが あまりにも徹底しているからだ 』 

と苦笑しながらも楽しそう。

  (よみがえる万葉人 読売新聞社より)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
今代尓之  樂有者  来生者  蟲尓鳥尓毛  吾羽成奈武

この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我れはなりなむ

このよにし たのしくあらば こむよには むしにとりにも われはなりなむ

(この世で楽しく酒が飲めるなら、来世は虫や鳥になってもかまわんさ!)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒,太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
價無  寳跡言十方  一坏乃  濁酒尓  豈益目八<方>

価なき 宝といふとも 一杯の 濁れる酒に あにまさめやも

あたひなき たからといふとも ひとつきの にごれるさけに あにまさめやも

(信じられないほど高価な宝石よりも、一杯の酒の方がずっといいよ)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
生者  遂毛死  物尓有者  今生在間者  樂乎有名

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな

いけるもの つひにもしぬる ものにあれば このよなるまは たのしくをあらな

(どうせいつかは死ぬんだから、生きてる間は、楽しく酒を飲もうぜ~)

 


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 大伴旅人さんって

  「日本酒飲み党」の初代総裁みたいな人ですね

 けっこうな元号になりました

   令和 =冷酒でも飲んで仲良くやろうぜ!  (^_^;)

 

 

日本酒飲み党の総裁が旅人なら、中国酒飲み党の総裁はこの人

中国の(いや世界の)詩歌史上において、最高の存在とされています

作曲家のマーラーにも多大な影響を与えました

奔放で変幻自在な詩風から、後世に「詩仙」と呼ばれています

酒仙と呼んだ方がいいかもしれません  (^_^;)

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山中與幽人對酌 李白

 

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

読み

山中にて幽人と対酌す 李白

両人対酌すれば山花開く

一杯一杯また一杯

我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ

明朝意あらば琴を抱いて来たれ

 

山中で向かい合って酒を呑んでいると、山の花が開く

一杯一杯また一杯

私は酔って眠たくなってきた。

君、しばらく帰ってくれ

明日の朝気が向いたら、琴を抱いて来ておくれ

 

 


 

月下独酌 李白

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花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢

 

月下独酌 李白

花間(かかん) 一壷(いっこ)の酒、
独り酌(く)んで相(あい)親しむもの無し。
杯(さかずき)を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲(いん)を解(かい)せず、
影徒(いたづらに我が身に随う。
暫(しばら)く月と影とを伴い、
行楽(こうらく)須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊(はいかい)し、
我舞えば影零乱(りょうらん)す。
醒(さ)むる時ともに交歓(こうかん)し、
酔うて後は各々(おのおの)分散(ぶんさん)す。
永く無情(むじょう)の遊(ゆう)を結び、
相期(あいき)す遥かなる雲漢(うんかん)に。

花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。

状況

李白が宮廷を追われる直前の44歳の春に作られたとされます。

その夜、玄宗皇帝の宮殿では、たくさんの名士が集まり、ワイワイとさわがしく、
華やかにお酒や食べ物がふるまわれていました。

その中に李白はすっと抜け出します。

「けっ…俗物どもが。つきあいきれん。おい、酒」

召使の少年がトトトと一杯つぎます。

宮殿の中庭に出ると、華やかな音楽も、
人々のざわめきもしだいに遠のいていき、
ざーと心地よい夜風が吹いてきて、花が満開でした。

「ああ…落ち着く」

ふっと夜空を見上げると、月が出ています。

「これはいい。俗物どもと飲むより、
ずっとうまい酒が飲めそうだ」

李白はその場に座り込み、杯をあげて
一人詩を吟じながら、飲み始めるのでした・・・

 

 

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其二
天若不愛酒,酒星不在天。
地若不愛酒,地應無酒泉。
天地既愛酒,愛酒不愧天。
已聞清比聖,復道濁如賢。
賢聖既已飲,何必求神仙。
三杯通大道,一斗合自然。
但得酒中趣,勿為醒者傳。

其の二
天 し酒を愛さずんば
酒星しゅせい 天に在らず
地 若し酒を愛さずんば
地 まさ酒泉しゅせん無かるべし
天地 既に酒を愛す
酒を愛するも 天にじず
已に聞く清は聖に比すと
復たふ濁は賢の如しと
賢聖 すですでに飲む
何ぞ必ずしも神仙を求めんや
三杯 大道たいどうに通じ
一斗 自然に合す
酔中すいちゅうの趣を得んのみ
醒者せいしゃの為に伝ふることなか

〔詩意〕
天がもし酒を愛さないなら
「酒星」が天空にあるわけがない。
地がもし酒を愛さないなら
地上に「酒泉」があるはずがない。
天も地も確かに酒を愛している。
酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。
酒の清らかさは聖なるものと言われ、
また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。
賢も聖もすでに酒にあって私はそれを飲んでいる、
どうしてわざわざ神や仙人になろうか。
三盃飲めば正しい道に入り、
一斗飲めば自然に溶け込む。
ただ酒を飲んでたのしみたいだけだ、
酔わない人に教えてやる必要などはない 。

 


 

其三
三月咸陽城,千花晝如錦。(別作・落花散如錦あるは庭花笑如錦)
誰能春獨愁,對此徑須飲。
窮通與修短,造化夙所稟。
一樽齊死生,萬事固難審。
醉後失天地,兀然就孤枕。
不知有吾身,此樂最為甚。

其の三
三月 咸陽城かんようじょう
千花 昼 錦の如し
誰かく春 独り愁ふ
此に対してただちにすべからく飲むべし
窮通きゅうつう修短しゅうたん
造化のつとひんする所
一樽 死生をひとしく
万事 もとよりつまびらかにし難し
酔ひし後 天地を失い
兀然ごつぜんとして孤り枕に就く
吾が身の有るを知らず
此の楽しみ 最もはなはだだしと為す

〔詩意〕
春三月 長安の城下、
昼は千の花が色あざやかに咲き乱れる。
いったい誰がこのすばらしい春に一人愁いに沈むというのだろう、
春こそすぐに杯をとって酒を飲み楽しむべきである。
人の世の貧窮と栄達、また人の寿命は
万物創造の神が定めるところではあるが、
一樽の酒は生も死も同じだと思わせる、
もちろん世のすべては詳しく知ることは難しいのだが。
酔うたあとは天も地もなく、
なにもわからずに一人枕について寝てしまう。
酔ってしまうと自分の存在も忘れ果てるが、
これこそが酔いの楽しみの最たるものであろう。

 


 

其四
窮愁千萬端,美酒三百杯。
愁多酒雖少,酒傾愁不來。
所以知酒聖,酒酣心自開。
辭粟臥首陽,屡空飢顏回。
當代不樂飲,虚名安用哉。
蟹螯即金液,糟丘是蓬莱。
且須飲美酒,乘月醉高臺。

其の四
窮愁きゅうしゅう 千萬端せんまんたん
美酒 三百杯
愁い多くして酒少なしといえど
酒傾くれば愁ひは来たらず
所以ゆえに酒の聖なるを知り
酒酣たけなわにして心自ら開く
ぞくを辞して 首陽に臥し
しばしば空しくて顔回飢う
当代飲むを楽しまずんば
虚名いずくんぞ用ひんや
蟹螯かいごうは即ち金液きんえき
糟丘そうきゅうは是れ蓬莱ほうらい
しばらすべからく美酒を飲み
月に乗じて高台に酔ふべし

〔詩意〕
苦しく悲しいことは幾千万、
美酒はわずかに三百杯。
愁いは多く、それを晴らす酒は少ないが、
酒を飲めば愁いはやって来ない。
だから酒の聖なる効き目がわかり、
酒を飲めば心は自然と開放される。
節義を重んじた伯夷と叔斉は周の粟を辞して首陽山に隠棲し、
学問に励んだ顔回はいつも米櫃が空で飢えていた。
生きている今のうちに酒を楽しまないで、
どうして節義や学問などの虚名が役に立つだろうか。
つまみの蟹の鋏は不老不死の薬、
酒かすの丘は仙人の住む蓬莱山である。
ひとまずここは美酒を飲み、
美しい月夜に乗じて高台で酔っぱらうしかない。

 


 

 

令和は酒の世となりぬ(2)へ

 

歴博リニューアル

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▲弥生時代の高床倉庫でネズミからコメを守るネコ

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 数年前に見学に行ったことがありますが

  充実した展示の質と量に圧倒されます

 とても一日では見きれませんでした  (^_^;)

 

日本唯一の国立歴史博物館である千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)

先史時代と古代を扱う常設第1展示室が、昭和58年の開館以来初めてリニューアルされた。

同室の対象時代は、日本列島に現生人類が出現した3万7000年前から、日本を国号とする古代国家が成立した7~8世紀までの約3万6000年間に及ぶ。

弥生時代の開始年代が約500年さかのぼるなど、先史時代を中心に開館以降の36年間で大きく進歩した歴史研究の成果を反映させた、大規模かつ意欲的な展示刷新だ。

大幅に変化

「この30数年間、歴博は放射性炭素(C14)年代測定法などで多くの成果を生み出してきた。(展示は)われわれが学んだ40~50年前の教科書で描かれた歴史像から、大きく変わった」

今回の全面リニューアルの背景について、歴博の久留島浩(くるしま・ひろし)館長はそう語る。

考古学分野での自然科学的年代測定技術の発達により、縄文時代や弥生時代の区分や時代像は、36年前と比べて大幅に変化した。

第1展示室は6部構成。最初のコーナー「最終氷期に生きた人々」は、今回のリニューアルで大幅に拡充された旧石器時代(日本列島では約3万7千年前~約1万6千年前)を扱う。

まず出迎えてくれるのは、ナウマンゾウの実物大模型を中心に約4万年前の南関東の風景を再現したジオラマ。寒冷な気候を反映した針葉樹が目立つ植生は、現代の南関東とはだいぶ異なる。

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最終氷期の「現代人」

次に目に入るのは、革なめしの作業を行う日本列島の最初期の住人たちの模型だ。そのかたわらには、製革作業に使われた石器が並んでいる。毛皮を丁寧に加工した衣服をまとったその姿は、現代の極地に生きる民族とよく似ている。

「旧石器時代人というとかつては野蛮で原始的なイメージを持たれていたが、実際はわれわれと変わらない現代人(ホモ・サピエンス)。当然、寒冷な環境に適応するための道具を工夫して作っていた」

そう説明するのは、コーナーを担当した同館の工藤雄一郎准教授。

1990年代まで、縄文時代の開始は気候が現代と同程度に温暖な後氷期に移行した約1万1千年前とされてきた。だが、最近の研究進展により、実は最終氷期まっただ中の約1万6千年前に土器が出現したことが明らかになり、従来の縄文時代の枠組みが問い直される状況になっている。

旧石器時代後期と縄文時代草創期は生活環境面では共通するものが多く、画然と区分できるものではないことが、この2つを「最終氷期人」として同一空間で扱うことで示されている。

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繰り上がった弥生時代

時代はある境で急激に変化するものではないので、移行期も重視しなければならない。

時代ごとの変化や特徴を強く打ち出していた旧展示の反省の上に立つ、そうしたメッセージは、近年特に大きな研究進展があった弥生時代に関しても示されている。

一般に水田稲作の開始をもって弥生時代の始まりとされる。

その時期は従来、紀元前5世紀ごろとされてきたが、今世紀に入ってからの歴博の研究によって紀元前10世紀に九州北部で水田稲作が始まっていたことが明らかになり、弥生時代の開始を約500年繰り上げる説が定着しつつある。

コーナーを担当した藤尾慎一郎教授は、「繰り上げの結果、稲作を中心にする人と、縄文的な文化で暮らしていく人が併存する段階が約600年にわたり日本列島に併存したことになる。そこをどう表現するかが一番難しかった」と明かす。

展示では、朝鮮半島から九州に伝わった水田稲作が農耕社会を成立させ、西日本から東日本へと拡散していく様子が地域差に留意しつつ描かれている。

“大発見”も反映

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弥生時代をめぐってはもう一つ、近年の目覚ましい“大発見”も反映されている。

穀物を保管する高床倉庫の再現模型の入り口に陣取るのは、かわいらしい2匹のネコ。

従来、イエネコは経典などの重要書物をネズミの害から守るため、奈良~平安時代に渡来したとされてきた。

ところが近年、長崎県壱岐市の遺跡から弥生時代中期頃のイエネコと推定される骨が出土。

日本へのネコの移入時期が一気に数百年さかのぼることになった。

「穀物は相当、ネズミの害があるもの。ネコがいてもおかしくない」(藤尾教授)

全体的に重視されているのは、再現模型などを多用した「可視化」だ。

たとえば銅矛や銅鐸、鉄剣などの金属器は、緑青やさびにおおわれた実物とともに、新造時を再現した複製品も展示。

金属製品の複雑な造形やまばゆい輝きが、石器や木製品ばかりの世界で生きてきた人々にどのような印象を与えたかを追体験させてくれる。

現段階の先史・古代史研究の先端が詰まった、充実の展示だ。

国立歴史民俗博物館(歴博)

一般600円。月曜休館。

問い合わせは、ハローダイヤル03・5777・8600

数年前に見学した時の写真へ

 

アレクサンドロス大王の墓ディオゲネス

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長くもどかしい発掘の最終日、カリオペ・リムネオス=パパコスタ氏はもう帰るつもりだった。

エジプト、アレクサンドリアの中心部にある公園「シャララート・ガーデン」で、ギリシャ人考古学者の彼女が発掘調査を始めてから、もう14年が過ぎていた。

目的は、ファラオになった古代の征服者にして、この街の名前のもとになった人物、アレクサンドロス大王の痕跡を探すことだ。

しかし成果はなく、時間切れが迫っていた。

そのとき、穴の中にいた助手たちが彼女を呼んだ。

土から白い大理石のかけらがのぞいていると言う。

それまでの発掘状況に落胆していたパパコスタ氏だが、白い石の輝きを目にして、希望が湧き上がるのを感じた。

「祈っていました」

と彼女は振り返る。

「ただの大理石のかけらではありませんようにと」

祈りは通じた。

遺物は、アレクサンドロス大王のあらゆる特徴を備えたヘレニズム期初期の像だと判明した。

これが大きな励みとなり、気落ちしていた考古学者は発掘を続けることになった。

詳細はここをクリック

Diogenes Of Sinope in wine barrel with dog and Alexander the Great Original edition from my own archives Source : Illustrierte Geschichte 1880

「何か望みがあれば、余がかなえてあげる!」と言ったアレクサンドロス大王に対して

 「日陰になるから、そこをどいてくれないか?」とだけ望んだディオゲネス

二人は親子以上に歳が離れていたが 同じ日に死んだと言われています  (^_^;)

ディオゲネスのエピソード

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この絵は額に入れて 部屋にかけてます  (^_^;)

訃報 梅原猛

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 私が日本の古代史に興味を持つようになったのは

  梅原さんの著書の面白さがきっかけでした

 なんだか恩師を亡くしたような気持ちです  (T_T)

 

大胆な着想で日本文化の深層を解き明かし、「梅原日本学」と呼ばれる独創的な世界を切り開いた哲学者で文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)氏が12日死去した。93歳。

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立命館大教授、京都市立芸術大教授を経て、1974年、同大学学長に就任。大学の移転、運営に力を注いだ。

87年、学際的な日本研究の拠点として創設に尽力した国際日本文化研究センター(西京区)の初代所長に就任、後に顧問となった。

97年には日本ペンクラブ会長に就任。大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さんらと共に「九条の会」の呼び掛け人となり、平和や環境問題でも積極的に発言。東日本大震災を「文明災」として現代社会を批判した。

がんの手術を何度も受け、脳死やクローンなど生命倫理に関する著述も多かった。

伝統芸能への造詣も深く、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を市川猿之助(現・猿翁)さんに書き下ろし、狂言や能も執筆して話題を呼んだ。

 

お屠蘇をつくる

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屠蘇(とそ)または、お屠蘇とは、一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物の酒であり風習である。

「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を屠る(ほふる)という説や、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという説など、僅かに異なる解釈がいくつかある。

数種の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)を赤酒・日本酒・みりんなどに浸して作る。

屠蘇は、通常、屠蘇器(とそき)と呼ばれる酒器揃えによって供される。

屠蘇器は、屠蘇散と日本酒・味醂を入れる銚子(ちょうし)、屠蘇を注ぐ盃、重ねた盃をのせる盃台、これらを載せる盆からなる。

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屠蘇器には、漆器製、陶磁器製、ガラス製など様々な種類がある。

小・中・大の三種の盃を用いて飲むが、

「一人これを呑めば一家病無く

  一家これを呑めば一里病無し」

と言われ、日本の正月の膳などに呑まれる。

元日の朝、年少の者から年長の者への順に頂く。

正月に屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代から確認できるが、現在の中国には見当たらない。

日本では平安時代から確認できる。

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 屠蘇器など無いので コップでつくります

  日本酒は苦手なので少しだけ  (^_^;)

屠蘇散のティーバッグ

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一晩つけておいたら   

こんな色になりました→

新嘗祭

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 平成最後の新嘗祭

  宮中儀礼の中でも最も神秘的かつ重要な祭祀

 神々と天皇陛下が直接接する場です  (^_^;)

 

天皇陛下は勤労感謝の日の11月23日、在位中最後の新嘗祭(にいなめさい)に臨まれた。

陛下自らその年に収穫された穀物を皇居・神嘉殿(しんかでん)に供えられる新嘗祭は最重要の宮中祭祀とされる。

五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝し、国家国民の幸せを願う祈りは、陛下の側で新嘗祭に臨まれてきた皇太子さまに受け継がれる。

新嘗祭は皇居・宮中三殿に隣接する神嘉殿で、同日午後6時から「夕(よい)の儀」が、同11時からは「暁(あかつき)の儀」が、同様の次第で2時間ずつ行われる。

陛下は平成26年から暁の儀へのお出ましを控えているが、夕の儀は30分間に時間を短縮して続けてこられた。

儀式には神前での御告文(おつげぶみ)の奏上や、新穀を神々と食べる直会(なおらい)という天皇しかできないご所作がある。

新嘗祭では男性皇族方も拝礼されるが、陛下と同じ殿上に上がられるのは皇太子さまのみ。

皇太子さまは来年11月14~15日にかけ、即位後初の新嘗祭である「大嘗祭(だいじょうさい)」(大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀)に臨まれる。