恩師訃報 吉江新二先生(平成28年8月19日掲載)
ご逝去:本年8月9日 (享年96歳)
教科:美術科 在籍 昭和22年9月~60年4月(37年6か月間)
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
我々が習った先生では 最もご長寿かもしれません (T_T)
母校創立90周年記念祝賀会にて このとき吉江先生は94歳だったはずです
平成24年9月29日(土)18:00~ 青山ダイヤモンドホール サファイアルーム
中野博之先生は今年5月21日に逝去されました(享年94)
恩師訃報 吉江新二先生(平成28年8月19日掲載)
ご逝去:本年8月9日 (享年96歳)
教科:美術科 在籍 昭和22年9月~60年4月(37年6か月間)
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
我々が習った先生では 最もご長寿かもしれません (T_T)
母校創立90周年記念祝賀会にて このとき吉江先生は94歳だったはずです
平成24年9月29日(土)18:00~ 青山ダイヤモンドホール サファイアルーム
中野博之先生は今年5月21日に逝去されました(享年94)
新宿高校2001年度卒
優しい色合いの動植物や街の風景を中心にした作品で、若手版画家として注目される百瀬晴海さん(33)=2001年度卒。
美術室に入り浸って油絵の具のにおいに囲まれ、「モネの画集が恋人だった」という、アート系女子の青春の日々を聞いた。
彫刻家の父の活動拠点である米国ニューヨークで生まれ、小学2年から東京都世田谷区の小学校に転校しました。
クラスではなじめずちょっと浮いていました。
でも、絵を描いていると同級生が私の机まで見に来たりして、一目置いてもらえるようになりました。
描くことは自分にとってコミュニケーションの手段でした。
小6の時に描いた経堂の天祖神社の写生画が、区の特選に選ばれて神社に奉納されたことも自信に つながり、画家を目指すようになりました。
新宿高校は、近くに美大受験の予備校と画材専門店「世界堂」もあり、自分に必要なものがぎゅっと詰まっていたの で、選びました。
入学後は迷い無く美術部に入部。「自分は美術室の主だ」と言うくらい、放課後は入り浸っていました。
平成28年7月7日(木)午後、新宿高校3階視聴覚室において、竹内徹さん(新宿高校30回生)が「建築構造デザインの世界」と題して講演されました。
これは、母校進路指導部が東京工業大学 高大連携模擬授業として、「東京工業大学を目指している人はもちろん、そうでない人も、文系・理系を問わず、偉大な先輩による大学の講義を体験してみよう!!」と、2~3年生及び保護者を対象にして行われたものです。
「華麗でタフな構造デザイン」を目指し、日本の建築構造分野をリードされている竹内さんは、ご自身の新宿高校時代の思い出や建築の道を選ぶに至った動機やその後の歩みを振り返りつつ、最新の研究成果と多くの実践例について講演されました。
世界中で社会現象を巻き起こしているモバイル向けゲーム「Pokémon GO(ポケモンGO)」が、ついに日本でもリリースされました。
iOSとAndroidの両方のプラットフォームでリリースされています。
色とりどりの稲を絵の具代わりにして、田んぼに絵を浮かび上がらせる青森県田舎館村の「田んぼアート」が見ごろを迎えた。
24回目の今年は、29日に公開を控える映画「シン・ゴジラ」が題材。
田んぼ一面に迫力あるゴジラが姿を現した。
縦約70メートル、横約150メートル、面積約1万平方メートルで、特別にデザインした
ゴジラが国会議事堂を襲う様子が描かれている。
ゴジラは永田町の地理に詳しいの? (^_^;)
ありふれた日常風景が 非日常化する面白さです
右下の をクリックして 大画面でどうぞ
東京バージョンもあります (^_^;)
新宿高校1999年度卒
夏の高校野球の季節がやってくる。
東京都立新宿高校の硬式野球部は、部のOBが監督として指導するのが伝統だった。
現都立小山台高野球部助監督の田久保 裕之さん(34)=1999年度卒=は、新宿高を卒業後、すぐに母校の学生監督に就任し6年務め、教員になった後の小山台高では、同校を都立初のセンバツ 出場に導いた。
高校時代を「毎日がドラマだった」と振り返る熱血先生の田久保さんに、9年にわたった新宿高生活を聞いた。
野球は5歳の頃、阪神ファンの父と1歳上の兄の影響で始めました。
公立中学野球部だった1年生の時に、顧問の先生に「野球も勉強も頑張れるところ」と勧 められ、新宿に入学しました。
野球部でのポジションは1番ライトで、部長。仲間に恵まれ、チームワークも抜群で、3年の春と夏はシード校でした。
3年春の都大会4回戦で強豪の早稲田実業とあたり、七回に一塁からホームインする際、クロスプレーで左足が肉離れした。そのまま足を引きずり守備につきましたが、すぐに交代。チームは逆転サヨナラで負けました。
夏の大会はテープをぐるぐる巻きの状態で出場。3試合ノーヒットで終わり、満足にプレーできず、仲間に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
今思えば甲子園を十分狙えるチームでしたが、当時はただがむしゃらで、どこかに「甲子園は遠い」という諦めもありました。
卒業後は「こんな楽しい高校生活が3年間ではもったいない。ドラマの続きを見たい」と、高校の教員を目指しました。
日本体育大入学後、すぐ母校の監督に なりました。大学4年間は朝、跳び起きて母校の朝練行って、大学へ行って、放課後また母校で練習して、という生活でした。
卒業後は都立高の非常勤講師をしながら監督を続け、6年目の1月、教員採用試験を控え、選手に夏の大会で引退すると伝えました。
その初戦の対戦相手に、 キャプテンの森田慎くんが長年のライバル校の都立戸山高(新宿区)を引き当てた。しかも開幕戦です。
森田くんは「田久保さん、いい(引退の)舞台を用意し ましたよ」とニヤッと笑った。
試合は「新宿ダービー」として盛り上がりました。
ほぼ満員の神宮球場で、結果は七回コールド勝ち。それが監督として夏の大会 初勝利でした。
ちょうど翌日は朝から教員採用試験で、大忙しでした。その大会では3回戦まで進みました。最後の夏に後輩たちからすごいプレゼントをもらい ました。
翌年、念願の教員になり、2010年から小山台高に赴任。硬式野球部の助監督になりました。
チームは14年春のセンバツに21世紀枠で出場しました。結 果は1回戦敗退。期待に応える試合ができず悔しかったですが、やはり甲子園はすばらしく、敗戦から得たものも大きかったです。
監督の魅力は、教室や机上の勉強だけでは見えない、生徒の土壇場の底力を見られることです。
自分の高校時代の後悔から、生徒には「甲子園に行きたい」ではなく「行くんだ」と思わせることがスタートラインだと肝に銘じています。
私には夢があります。いつか、母校に戻るチャンスがあったら、監督として甲子園に導きたい。
地元の伊勢丹、高島屋、小田急百貨店、京王百貨店に「新宿高 出場おめでとう」の垂れ幕がかかり、地元の方が喜び、全国の皆さんに新宿高を知ってもらえれば−−。
そのために今は修行中です。
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19〜74歳のOB 現役より先に「甲子園」
戦前の旧制六中時代に創部され、終戦直後には都大会決勝まで進んだこともある新宿高硬式野球部。2008年には田久保さんも参加するOBチーム「マスターズ新宿」が誕生し、現役より一足先に甲子園出場を果たしている。
チームは硬式野球部OB会「朝陽白球会」の、20歳から79歳の約100人が選手登録。月1回ほど企業のグラウンドなどを借りて活動している。
「マスターズ甲子園」は、元高校球児たちが世代を超えて出身校別にチームを結成し、地区予選を経て甲子園の舞台に立つ大会だ。
09年、チームは都予選を 勝ち抜き、現役チームが手にしたことのない甲子園切符をつかんだ。
翌年11月の試合当日、徳島・鳴門高との対戦では、代打や細かい守備交代で、参加した 19歳から74歳の50人全員が試合に出場。
試合には負けたが、アルプススタンドでは駆けつけた同窓会メンバーが大いに盛り上がった。
OBの宮崎直道さん(62)=1971年度卒=は、「長年の夢がかない、最高の気分でした」と振り返る。
現在、チームは2度目の出場を目指し、練習に励 む。
一方で、過去にはマスターズの甲子園出場に発奮した現役チームが後に甲子園初出場を果たした例もあり、先輩たちは現役生の奮起にも期待を寄せる。
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卒業生「私の思い出」募集
都立新宿高校(旧府立六中含む)の卒業生のみなさんから「私の思い出」を募集します。
300字程度で、学校生活や恩師、友人との思い出、またその後の人 生に与えた影響などをお書きください。
卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100−8051、毎日新聞地 方部首都圏版「母校」係(住所不要)へ。
メールの場合はshuto@mainichi.co.jpへ。
いただいた「思い出」は、毎日新聞やニュースサイト で紹介することがあります。
新聞掲載の場合は記念品を差し上げます。
ツイッター @mainichi_shuto
フェイスブック 毎日新聞 首都圏版
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1981年東京都生まれ。
日本体育大体育学部卒業。2006年都立園芸高、10年同小山台高定時制課程教諭。
都立園芸高では部員9人の軟式野球部監督、 小山台高では硬式野球部助監督。
12年から、野球指導に関わる若手教員のレベルアップを目的に、「東京高校ベースボール若手会」(通称TKB)を主催し、 定期的に勉強会を開催している。
世界遺産の京都・下鴨神社にて「下鴨神社 糺(ただす)の森の光の祭」が、2016年8月17日(水)から8月31日(水)まで行われる。
注目は、テクノロジスト集団のチームラボが展示する2つの作品。
参道沿いの木々をライトアップする「呼応する木々 – 下鴨神社 糺の森」と、下賀茂神社の楼門内の空間を演出する「呼応する球体 – 下鴨神社」だ。
参道沿いに展示される「呼応する木々」は、人や動物が近くを通ると、木々につけられた光の色が変化したり、音色が響いたりする仕組み。その光は隣の木々へと次々に伝播していく。
一方の「呼応する球体 」は、神社の楼門内にただよう光の球体が作り出す空間の展示。人にたたかれたり、ぶつかったりして球体が衝撃を受けると、光は色を変化させて音を響かせる。球体も、連続的に伝播して光ったり音を出したりする。
2つの展示は互いに呼応しているので、楼門内の球体から参道の木々へと、展示作品の垣根を超えて光の動きが伝わっていく。また、その動きによって同じ空間内にいる他の人の存在も感じられるので、視覚だけではなく全身で展示を体験することができそうだ。
一過性のブームに終わることなく、京都の文化価値向上を目指す伝統行事として根付かせるという。
【詳細】「下鴨神社 糺(ただす)の森の光の祭」
会期:2016年8月17日(水)~8月31日(水)
会場:下鴨神社(賀茂御祖神社)
住所:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
ライトアップ時間:18:00~21:30
入場料:無料
1968年から続く 長寿アニメ
ねずみ男の天敵 ねこ娘がカワイイ (^_^;)
ネコって 顔の大きさに比べて
目がとても大きいね (^_^;)