42【アート&ホビー】

「もはやメジャー」だと思うオタクジャンル

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アニメやアイドル文化が「クールジャパン」として海外で激賞されているというじゃないですか。

以前は「オタク=キモイ」という非常に強固な図式があったと思うんですが、最近では「あたしオタクなんで」と自称するかわいい女子も多いですよね。

どんなジャンルのオタクでも“アリ”なのか?

ということで、20~30代独身女性200人にアンケート調査しました。(R25調べ/協力:アイリサーチ)

 

〈「もはやメジャー」だと思うオタクジャンルTOP10〉

(13項目のなかから上位2位まで選択。1位2pt、2位1ptとして集計)

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1位 アニメオタク 250pt
2位 アイドルオタク 147pt
3位 鉄道オタク 93pt ←青春18オタなど (^_^;)
4位 ゲームオタク 43pt
5位 PCオタク 17pt
6位 文学オタク 10pt
7位 プロレスオタク 7pt
8位 ガンダムオタク 6pt ←祝・愛知弟さん
8位 特撮オタク 6pt ←メジャーになった!
10位 フィギュアオタク 5pt
10位 クイズオタク 5pt

●1位 アニメオタク 250pt
「みんながアニメの話をしているから」(28歳)
「世界的にもアニメがブームになって、
オタクの概念が広くなったと思うから」(31歳)
「よくアニメを見るようになったから」(23歳)
「アニメ好きな若い人が増えた気がする」(22歳)
「自分が小さいころからアニメが好きだから」(29歳)
「好きだから! アニメバンザイ」(30歳)

●2位 アイドルオタク 147pt
「私自身アイドルが好きだから」(21歳)
「アイドル戦国時代だから」(26歳)
「AKBやももクロなどのアイドルが普通の女の子にも人気があるから」(21歳)
「女の人でも(ファンという人が)出てきて、以前のような男の人のみでキモオタというイメージもだいぶ薄まったと思う」(25歳)

●3位 鉄道オタク 93pt
「関連番組とか関連雑誌などが増えた」(36歳)
「感動さえ生み出しそう」(34歳)
「鉄道おたくだと男性のみという感じがありましたが、今は撮り鉄という言葉がだいぶメジャーになり、女性の姿も多く見られるようになりました。鉄道おたく といっても幅広く様々な分野に分けられていて、アナウンス、自動ドアの音、車窓、トンネル、座席、などだいぶ世に広まってきたんじゃないかなと思います」 (28歳)

 

では、男女として「付き合う」にあたって女子がOKしてくれるのはどのオタクジャンルなんでしょうか?

男子なんて、みんな何かのオタクなので、気になります!

 

どのオタクにも まったく該当しない男子は

脳のどこかに 欠陥があるのかも~  (^_^;)

 

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なつテレ「ジャングル大帝」

1965年(昭和40年)10月~1966年(昭和41年)9月放映

音楽は冨田勲が担当

1話ごとに画面に合わせて新たに作曲

音楽には総制作費の4分の1から3分の1をかけ

『鉄腕アトム』と比較すると 音楽予算は5倍

輸出先アメリカの担当者も 音楽を絶賛しました  (^_^;)

なつテレ「狼少年ケン」

1963年11月~1965年8月 NETテレビ(現・テレビ朝日)で放映

アフリカのジャングルで 狼に育てられた少年・ケンのお話です  (^_^;)

 

なつテレ「おばけのQ太郎」

『鉄腕アトム』など主流だったSFヒーローものが飽きられて視聴率が低下

生活ギャグアニメ 『オバケのQ太郎』 登場しました

藤子・F・不二雄の原作 ドラえもんの前身かも?

袋をかぶってるけど 中身はネコなので 犬が苦手   (^_^;)

 

新宿高校の美術部

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東京都教育委員会 高等学校文化連盟「美術・工芸部門」第26 回中央展に、新宿高校の美術部員が出展した作品8点が、今年も新宿高校の校舎ピロティに展示されています。

近年めきめき力をつけている美術部は、森先生の指導の下、東京都代表を目指し精進を重ねています。

母校に来られる機会があったら、入り口の正面にあるピロティに展示されている生徒さ んたちの力作をご覧下さい。

浮世絵・水彩画に見る新宿風景展

img_main_04 3月13日まで、江戸から昭和まで移りゆく新宿を紹介する「浮世絵・水彩画に見る新宿風景展」が、東京・新宿の中村屋サロン美術館で開かれている。

新宿区立新宿歴史博物館所蔵の浮世絵、水彩画など、退色を避けるために公開の機会が少ない約80点を展示している。

江戸時代、現在の新宿御苑周辺が甲州街道の宿場町だった。

そのにぎわいは浮世絵師・歌川広重が馬の脚と“名物”の馬ふんを強調した構図で「名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿」で表現した。

関東大震災後、焼失した下町から東京西部へ人々が移住し、新宿駅周辺が繁華街に。

芸術家を支援していた老舗飲食店の中村屋は、かくまっていたインド民族運動の指導者ラス・ビハリ・ボースから本場のインドカレーを伝授され、名物料理にした。

中村屋サロン美術館の太田美喜子学芸員によると、日中戦争が始まり、物資が不足した1940年、少量のカレーを分けて、多くの人に食べてもらおうと中村屋 が考案したのが「カリーパン」。

新宿を愛した画家堀潔が中村屋を描いた40年の水彩画には店頭に並ぶ行列が描かれている。

「カレーパンを求めてできた行列 かもしれません」と太田さんは話す。

新宿駅の乗降客数が日本一になった31年、軽演劇の小劇場「ムーランルージュ」が開場。

都会感覚のしゃれた風刺喜劇が売り物で、益田喜頓、森繁久弥、由利徹なども舞台に立った。

堀の41年の作品には、ムーランルージュの赤いネオンやかつての新宿武蔵野館も描かれている。