今回も「あの横丁」は
変わらないみたいですね
(^_^;)
今回も「あの横丁」は
変わらないみたいですね
(^_^;)
▲『オ~ム~』の杉本和巳
サリンの後遺症で苦しんでいる人が
まだいっぱいいらっしゃるというのに
政治家として無神経極まりない
愚劣な行為と言うほかはありません!
ヽ(`Д´)ノ
大躍進の日本維新の会で、議員たちの問題行為が浮上している。
日本維新の会の代議士会会長を務める杉本和巳(61)は、
「オーム・チャンティング」
というヨガ儀式を地元事務所や議員会館で“信者”を集めて定期的に開催しているとして、
議員会館の不適切利用の疑い
などを『週刊文春』(11月11日号、11月18日号)に2週連続で報じられた。
杉本和巳の熱心な『オ~ム~』活動は、永田町の一部では知られた話だったという。
「ドイツで設立された愛と献身の道を説くという宗教団体の教えをもとに、
議員会館の執務室での『オーム・チャンティング』では
杉本和巳夫妻と“信者”数名が輪になって『オ~ム~』と唱える。
杉本和巳曰く『国会を浄化している』そうです」(日本維新の会関係者)
もっとも、『オ~ム~』の杉本和巳の問題行動は、これだけではなかった。
「2019年に『オ~ム~』の創始者が来日した際に、
『オ~ム~』の杉本和巳は正式に“信者”になった。
事務所の政策秘書は“オ~ム~入信”を拒否しましたが、それによって嫌な思い
をすることがあったようで、10月の衆議院解散を機に辞めています。
一応『円満退職』ということになっているようですが、
『オ~ム~』の杉本和巳は、日本維新の会の本部関係者や有力議員らに
『あの秘書は言うことを聞かないから、雇わないほうがいい』
などと告げて回って、秘書の再就職を妨害する行為をしていました。
日本維新の会本部周辺も困惑していました」(日本維新の会関係者)
杉本和巳事務所に見解を訊ねると、代理人弁護士名の文書で
「そもそも、『オ~ム~』のオーム・チャンティングは、
杉本和巳といたしましては、心身の健康維持と精神安定、
精神集中を目的として行っているヨガと捉えており、
宗教行事とは歪曲誇張表現と存じております」
として、政策秘書に対しては
「『オ~ム~』ヨガへの参加をお誘いしたことはございますが、
『オ~ム~』団体への勧誘はしておりません」
「日本維新の会本部や有力議員に、
『あの秘書は言うことを聞かないから、雇わないほうがいい』
という連絡は、いたしておりません」
「日本維新の会幹部に対して、(中略)公器たる政党の政策秘書としては
相応しくないという意見を伝えたことはございます」
と回答した。
メンヘラっぽい天才肌のミュージシャンで
日ごろから、いろいろ奇行が目立っているので
「期待を裏切らないなぁ」という印象です
「和田アキ子殺してぇ」発言が有名
救急車を蹴っただけなら、ごく微罪ですぐ釈放でしょうけど
尿検査とかされて覚せい剤でも出たら、芸能界を揺るがす大事件になりますね
(^_^;)
「月光」などで知られる歌手の鬼束ちひろ(41、→)が11/28、東京都渋谷区の路上で救急車を蹴ったとして、警視庁渋谷署に器物損壊の疑いで逮捕された。
関係者によると、11/28の16時半ごろ、体調を崩した友人女性を搬送しようとした救急車を蹴った疑い。
鬼束ちひろは
「通行人に嫌みを言われ、パニックになって蹴った」
と話しているという。
鬼束ちひろは事件当時、現場近くで友人女性とパチンコをしていたという。
友人の体調が悪くなったため、救急車を呼んで乗せるところだった。
現場を目撃した男性によると、鬼束ちひろと友人女性は泥酔したような様子だったという。
現場近くの飲食店の店員によると、救急車に友人女性が乗せられた後、
「バンと大きな音がして、のぞいてみると、
救急車の右後方部分が2、3センチほどへこんでいました」
と鬼束ちひろが蹴った様子を証言。
その後、別の救急車が到着し友人女性を搬送したという。
鬼束(おにつか)ちひろ
1980年(昭55)10月30日、宮崎県生まれ。
2000年、「シャイン」でデビュー。「月光」(↓)が60万枚とヒット。
2001年、「眩暈」(↓)で日本レコード大賞作詞賞受賞。
2002年、2人乗りのオートバイが乗用車に衝突する事故。
2004年秋、音楽活動を休止。
2007年3月、音楽活動を再開。
2010年、元交際相手に殴られ、肋骨(ろっこつ)を折る。
2018年、結婚していたと報告。
ツイッターでは、日ごろから過激な投稿を繰り返し、物議を醸していた。
伊達政宗の、非常に有名な漢詩(↓)です
シンプルですが、実に味わい深いなぁと思います
東京都心の日比谷公園のあたりが、伊達藩の江戸上屋敷で
晩年の政宗は、ここで江戸幕府相手の外交関係の安泰維持に心を砕きつつ
私生活では、趣味の世界に生きて、平和な時代の余生を大いに楽しみました
「伊達」がオシャレの代名詞になるくらい、芸術的センスにも富んでいました
江戸時代初期には、戦国の夢と野心が捨てられず
幕府と諍いを起こして改易(お家とりつぶし)になった大名も多かったのですが
政宗はサッと頭を切り替えて、太平の世に順応したようです
(^_^;)
馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずして是を如何にせん
戦場に馬を馳せた青春の日々は遠く過ぎ去った。
今や天下は泰平。俺の髪の毛はすっかり白くなった。
生き残ったこの身の処し方くらい
どうしようと天は許してくれる。
楽しまないでどうするというのだ。
▲江戸の大名屋敷のイメージ 江戸東京博物館
これは50万石だった越前福井藩の上屋敷がモデル
伊達藩は62万石だったので、これより大規模か
▲放火されて炎上する金閣寺
ネット界では「炎上」が日常茶飯事ですが
戦後すぐの世間を騒がせたのが金閣寺炎上事件
三島由紀夫や水上勉など、文学ネタにもなりました
いま我々が金ピカの金閣寺(再建)を見れるのは
この事件があったからかもしれません
(^_^;)
江上泰山(えがみ・たいざん、→)氏が11/19、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。
85歳。
金閣寺元執事長で、臨済宗相国寺派宗務総長を務めた。
1949年に中学2年で金閣寺(鹿苑寺)に入る。
翌年、兄弟子の放火で炎上した金閣(舎利殿)を目撃した。
葬儀は11/24午前10時、京都市北区等持院北町61真如寺。
喪主は長男で真如寺住職の正道(しょうどう)氏。
月食のこと、まったく知らなくて
旅先で駅前を歩いていたら
みんなが空を見上げていて
尋ねたら月食だった
(^_^;)
荘厳な雰囲気の岐阜城。
撮影者の別所さんによると、
「岐阜城と月食のコラボが凄すぎた!」
「あ、合成じゃないよ!ワンショット!」
とのことで、岐阜城から離れた場所で、超望遠レンズで撮影することで、このような迫力ある1枚が撮影できるそうです。
140年ぶりとなる天体ショーにふさわしい、見事な1枚に、絶賛の声が寄せられています。
・すごい!感動的!
・自分が住んでいる地域からは、真っ暗な状態の月しか見ることができなかったので、嬉しい。
・当日は月が雲で見えなかったから、ありがたい!
なお、2022年11月には皆既月食が、2023年10月には部分月食が見られる。
岡山から京都へ戻り、東山の永観堂で紅葉のライトアップを鑑賞しました
またしても、息を飲むような美しさ!
夜の紅葉の美しさは、写真に捉えきれないのが残念です
京都で一番の紅葉ライトアップを調べたら、永観堂だったのですが、評判に違わぬ美しさでした
メチャ混んでいるかと思ったら、意外に空いてましたよ
(^_^)
「号外なんて大げさな!」なんて言うなかれ
出身地の阿波徳島では「郷土の偉人」です
ご自身も「寂聴連」をつくって踊ってました
「好きなことをやり尽くした人生!」のように見えて
はたから見てると、まことにうらやましい大往生
本当の心の中は、本人以外には分かりませんけど
(^_^;)
▲阿波踊りに参加した寂聴連
▲寂聴さんの出家得度には、作家の今東光氏が深く関わっている
私が17~18歳の青春時代には、街のいい男はみんな戦争に取られて、年頃の女を相手する男はいなかったんですよ。
それを「トラック1杯の女に男が1人」というふうに言ってね。
女が留守を守っていたんだから、男を頼りにする未来なんていうのを考えもしませんでしたね。
男がいないんだから、男の留守にお嫁さんが舅と仲良くなったり、いまで言う女性の不倫みたいなことも、たくさんあったんですよ。
それをみんながけしからんなんて責め立てたけど、いま考えたら、無理もないことですよね。
彼らのせいではなく、戦争している国家が悪いのよね。
1957年に『花芯』を発表した時は、「子宮作家」と呼ばれて、随分叩かれましたけどね。
平気でしたよ。問題にしなかった。
ひどいことをいろいろ言われたり、されたり、そんなのをいちいち相手にしてたら、書くことなんてできませんから。
いまとなっては、もう昔々のことでね。
よくまぁ、がんばってきたなと思いますけど。
ここ最近になって作品が受け入れられるようになったというのは、私の考え方が世の中より少し進んでいたのよね。
周りがついてこられなかったんですよ。
かつては男女間のタブーがあっても、それに目をつぶって綺麗ごとを書くのがよしとされていたでしょう?
当時は、社会を変えたいとか、そんな大層なことは考えていなかった。
私はただ、ありのまま、本当のことを書いただけだったのね。
道に外れたことをする男や女は、やっつけられるんです。
▲高輪築堤(たかなわちくてい)
石に白い札のようなものが貼ってあるのは
正確に移築するために、石に番号をふっているのか
鉄道は軍事物資の輸送に重要な役割を果たすのに
明治の初めには、軍が鉄道建設の邪魔をしていた!
なんだか牧歌的な時代精神を感じます
(^_^;)
1872(明治5)年の鉄道創建時に東京湾の浅瀬に築かれ、現在のJR高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)西側で見つかった「高輪築堤」が、来春にも佐賀市の佐賀城公園で部分的に復元される。
築堤建設を決めた旧佐賀藩出身の大隈重信(→)の没後100年の記念事業として、佐賀県が乗り出した。
築堤の石約400個を東京から西に900キロ離れた大隈ゆかりの佐賀市に運び、鉄道開業150周年も併せて祝う。
高輪築堤は、新橋~横浜間の鉄道開業に合わせて、現・田町駅付近から品川駅付近まで約2700mにわたり建設された。
佐賀城本丸歴史館(佐賀市)などによると、当時の兵部省(後の陸軍省と海軍省)の反対で付近の陸地に鉄道線路を通すことが出来ず、鉄道建設の責任者だった大隈重信らの判断で、海上建設に踏み切ったという。
当時は品川駅も海岸にあり、海岸から築堤を見て
「海の上を走る陸蒸気」
として観光名所にもなった。
▲東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図 明治4年(1871)頃
実は明治4年、まだ鉄道は出来ておらず
これらの絵は、海外の資料をもとに想像で描いたらしい
そのせいか、変な形をしている (^_^;)
▲現在の田町付近を新橋方面へ走る貨物列車
1906(明治39)年頃、、左下は海
その後築堤は、付近の埋め立てで姿を消したが、JR東日本による品川駅周辺の大規模再開発に伴い、約800mが最近出土した。
このうち、国史跡に指定された120m分は保存されるものの、ほかは記録後に解体される。
そこで
「築堤の石垣から外された石の有効活用を」
と佐賀県が移築に名乗りを上げた。
新宿高校出身のキックボクサーとして
本ブログで5年前に紹介したベイノア君が
総合格闘技の世界でも活躍しています
やや肥満児だった子供のころと比べると
引き締まった肉体が鍛錬を物語っています
(^_^;)
格闘技イベントとしては実に15年ぶりに東京ドームで開催された6/13の『RIZIN.28』で、観客の心を鷲掴みにした格闘家がいた。
第1試合で弥益ドミネーター聡志と対戦した“ブラックパンサー”ベイノアだ。
普段はキックボクサーとして活動するベイノアにとって、この日はMMAデビュー戦。
対照的に弥益の方はDEEPの元チャンピオン。
単純にキャリアを比較すれば圧倒的にベイノアの方が不利だったが、幼少の頃から稽古に励む極真空手で培ったガッツを武器に、父親は米国人で母親は日本人という男は1Rからスタンドの打撃戦で優位に立った。
続く2Rにはテイクダウンを奪われ未経験の寝技を味わうが、とどめを刺されるまでには至らない。
逆に3Rには弥益のタックルを切り鉄槌を打ち込むなど反撃に転じた。
結局2-1の判定で敗れたが、初陣としては出来すぎといってもいい内容だった。
▼試合前
▼試合中
▼試合後
東京ドームの大会は世間への露出度も高いので、試合後は新宿高校時代のクラスメイトから久しぶりに
「RIZINチェックしているよ」
という連絡が届いた。
「いつのまにか僕が大きな格闘技の大会に出ていたので、
ビックリしたのかもしれない(笑)」
ちなみにベイノアが通っていた高校は東京都立新宿高校。
偏差値は70近くという、いわゆる進学校である。
新宿高校は、1950年代には東大合格者数で都立日比谷高校と日本一の座を争い、
大ヒット映画『君の名は。』で
主人公が通う高校のモデルになる
など、名門として全国的に名前が知れ渡っている学校でもある。
新宿高校の先輩にはミュージシャンの坂本龍一や、合気道の世界では不世出の達人といわれる塩田剛三ら、そうそうたる面々が名を連ねる。
ベイノアは格闘技を本業とする傍ら、お笑いコンビ『けとるべる』のボケとして活動するという別の顔を持っているが、そのほかにも実は頭脳派という一面を持っていたのである。
新宿高校に通っていたことを確認すると、ベイノアは頷きながら
「頭は良かったみたいですね」
と他人事のように呟いた。