野球

野球部に大物コーチ

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都立新宿高校出身の元中日球団代表、井手峻氏(73)が母校である新宿高校の外部コーチに就任したことが5月31日、分かった。 続きを読む

大逆転 都立小山台高校

WS000000←小山台高野球部助監督・田久保裕之さん

新宿高校1999年度卒

第98回全国高校野球選手権大会東東京大会で15日、都立の雄、小山台が初回に奪われた10点をはねかえし、立教池袋を下した。

劇的な試合のヒーローは、八回に逆転満塁ホームランを放った宮川慶悟内野手(17)だった。

八回1死満塁。3点差で打席が回ってきた。

「とにかくヒットを狙って、来た球は全部打ち返す」。

高めの直球を振り抜くと、打球はレフトスタンドへ突き刺さ る逆転満塁弾に。

大歓声が渦巻く中、一塁を回ったときに塁審が手を回しているのをみて、ようやくホームランと気づいた。

「ベンチに戻るまで実感はなかっ た」。

10点差をひっくり返した起死回生の一打は、無我夢中だった。

小学1年から野球を始め、高校も野球ができる学校を選んだ。 続きを読む

毎日新聞「母校を訪ねる」シリーズ

WS000000小山台高野球部助監督・田久保裕之さん

新宿高校1999年度卒

 夏の高校野球の季節がやってくる。

 東京都立新宿高校の硬式野球部は、部のOBが監督として指導するのが伝統だった。

 現都立小山台高野球部助監督の田久保 裕之さん(34)=1999年度卒=は、新宿高を卒業後、すぐに母校の学生監督に就任し6年務め、教員になった後の小山台高では、同校を都立初のセンバツ 出場に導いた。

 高校時代を「毎日がドラマだった」と振り返る熱血先生の田久保さんに、9年にわたった新宿高生活を聞いた。

 野球は5歳の頃、阪神ファンの父と1歳上の兄の影響で始めました。

公立中学野球部だった1年生の時に、顧問の先生に「野球も勉強も頑張れるところ」と勧 められ、新宿に入学しました。

野球部でのポジションは1番ライトで、部長。仲間に恵まれ、チームワークも抜群で、3年の春と夏はシード校でした。

 3年春の都大会4回戦で強豪の早稲田実業とあたり、七回に一塁からホームインする際、クロスプレーで左足が肉離れした。そのまま足を引きずり守備につきましたが、すぐに交代。チームは逆転サヨナラで負けました。

 夏の大会はテープをぐるぐる巻きの状態で出場。3試合ノーヒットで終わり、満足にプレーできず、仲間に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

今思えば甲子園を十分狙えるチームでしたが、当時はただがむしゃらで、どこかに「甲子園は遠い」という諦めもありました。

 卒業後は「こんな楽しい高校生活が3年間ではもったいない。ドラマの続きを見たい」と、高校の教員を目指しました。

日本体育大入学後、すぐ母校の監督に なりました。大学4年間は朝、跳び起きて母校の朝練行って、大学へ行って、放課後また母校で練習して、という生活でした。

 卒業後は都立高の非常勤講師をしながら監督を続け、6年目の1月、教員採用試験を控え、選手に夏の大会で引退すると伝えました。

 その初戦の対戦相手に、 キャプテンの森田慎くんが長年のライバル校の都立戸山高(新宿区)を引き当てた。しかも開幕戦です。

 森田くんは「田久保さん、いい(引退の)舞台を用意し ましたよ」とニヤッと笑った。

 試合は「新宿ダービー」として盛り上がりました。

 ほぼ満員の神宮球場で、結果は七回コールド勝ち。それが監督として夏の大会 初勝利でした。

 ちょうど翌日は朝から教員採用試験で、大忙しでした。その大会では3回戦まで進みました。最後の夏に後輩たちからすごいプレゼントをもらい ました。

 翌年、念願の教員になり、2010年から小山台高に赴任。硬式野球部の助監督になりました。

 チームは14年春のセンバツに21世紀枠で出場しました。結 果は1回戦敗退。期待に応える試合ができず悔しかったですが、やはり甲子園はすばらしく、敗戦から得たものも大きかったです。

 監督の魅力は、教室や机上の勉強だけでは見えない、生徒の土壇場の底力を見られることです。

自分の高校時代の後悔から、生徒には「甲子園に行きたい」ではなく「行くんだ」と思わせることがスタートラインだと肝に銘じています。

 私には夢があります。いつか、母校に戻るチャンスがあったら、監督として甲子園に導きたい。

地元の伊勢丹、高島屋、小田急百貨店、京王百貨店に「新宿高 出場おめでとう」の垂れ幕がかかり、地元の方が喜び、全国の皆さんに新宿高を知ってもらえれば−−。

そのために今は修行中です。

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19〜74歳のOB 現役より先に「甲子園」

 戦前の旧制六中時代に創部され、終戦直後には都大会決勝まで進んだこともある新宿高硬式野球部。2008年には田久保さんも参加するOBチーム「マスターズ新宿」が誕生し、現役より一足先に甲子園出場を果たしている。

 チームは硬式野球部OB会「朝陽白球会」の、20歳から79歳の約100人が選手登録。月1回ほど企業のグラウンドなどを借りて活動している。

 「マスターズ甲子園」は、元高校球児たちが世代を超えて出身校別にチームを結成し、地区予選を経て甲子園の舞台に立つ大会だ。

09年、チームは都予選を 勝ち抜き、現役チームが手にしたことのない甲子園切符をつかんだ。

翌年11月の試合当日、徳島・鳴門高との対戦では、代打や細かい守備交代で、参加した 19歳から74歳の50人全員が試合に出場。

試合には負けたが、アルプススタンドでは駆けつけた同窓会メンバーが大いに盛り上がった。

 OBの宮崎直道さん(62)=1971年度卒=は、「長年の夢がかない、最高の気分でした」と振り返る。

現在、チームは2度目の出場を目指し、練習に励 む。

一方で、過去にはマスターズの甲子園出場に発奮した現役チームが後に甲子園初出場を果たした例もあり、先輩たちは現役生の奮起にも期待を寄せる。

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卒業生「私の思い出」募集

 都立新宿高校(旧府立六中含む)の卒業生のみなさんから「私の思い出」を募集します。

300字程度で、学校生活や恩師、友人との思い出、またその後の人 生に与えた影響などをお書きください。

卒業年度、氏名、年齢、職業、住所、電話番号、あればメールアドレスを明記のうえ、〒100−8051、毎日新聞地 方部首都圏版「母校」係(住所不要)へ。

メールの場合はshuto@mainichi.co.jpへ。

いただいた「思い出」は、毎日新聞やニュースサイト で紹介することがあります。

新聞掲載の場合は記念品を差し上げます。

ツイッター @mainichi_shuto

フェイスブック 毎日新聞 首都圏版

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たくぼ・ひろゆき

 1981年東京都生まれ。

日本体育大体育学部卒業。2006年都立園芸高、10年同小山台高定時制課程教諭。

都立園芸高では部員9人の軟式野球部監督、 小山台高では硬式野球部助監督。

12年から、野球指導に関わる若手教員のレベルアップを目的に、「東京高校ベースボール若手会」(通称TKB)を主催し、 定期的に勉強会を開催している。

ヌンチャク球児

 全国高校野球選手権埼玉大会で代打出場した1人の3年生球児の動画が、全米で話題に上っている。動画サイト「ユーチューブ」でも拡散され、視聴数は240万件を超えた。

このパフォーマンス メジャーリーグでも流行するかもね

でも頭の固い高野連が 何か文句を言いそうだな~ (^_^;)

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ドカベン急死 52歳

bb-kagawa-140927000-ns-big 浪商(大阪、現大体大浪商)、南海、ダイエーで活躍し「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行(かがわ・のぶゆき)氏が9月26日午後、心筋梗塞のため福岡県朝倉市の甘木中央病院で急死した。

52歳。徳島県出身。葬儀等の日程は未定。

同県朝倉郡の自宅で倒れているところを家族が発見。救急搬送されたが帰らぬ人となった。

「ドカベン」が早すぎるゲームセットを迎えた。香川氏が福岡県朝倉郡の自宅で眠るように倒れているのを2人の娘が見つけたのは、午後4時ごろ。

弘美夫人(52)が救急車を呼び、朝倉市内の病院に運ばれたが、午後7時過ぎ、心筋梗塞のため帰らぬ人となった。

弘美夫人は「突然のことで…」と言葉を詰まらせた。

香川氏は3年前から受けている人工透析治療をこの日も受け、自宅に戻っていた。

野球をやめた後、腎不全などを患っていた。

家族によれば昨年1月にも1度、心筋梗塞で倒れていた。

その際は回復していたが、医師に「次、倒れたら危ないかも」と告げられていたという。

 

高校野球、プロ野球で活躍し、野球ファンから愛されたヒーローだった。

大阪の名門浪商では牛島和彦(元横浜監督)とのバッテリーで3年春の甲子園(79年センバツ)で準優勝。夏の甲子園では3試合連続本塁打。

太めの体形で強打の捕手だったことから、野球漫画の主人公にちなみ「ドカベン」のニックネームが当時から定着した。

79年ドラフト2位で南海入団。

1年目の80年7月8日近鉄戦(日生)で、プロ初打席初本塁打。83年には夏場まで打率1位に立つなど急成長し、球宴初出場。

最終的には規定打席不足ながら、3割1分3厘をマークしベストナインにも選ばれた。

チームが福岡に移転した89年を最後に引退。野球評論家のほか、実業家としても活動していた。

北九州市から病院に駆けつけた長男英斗さん(26)は遺体と対面し「いつものような顔で死んでいるようには思えない。生きているような顔でした」と話した。

香川氏は毎年秋、関係者を招待してチャリティーゴルフを佐賀で開催していた。今年が20回目となる予定で、英斗さんに「今年で最後にする。来年からはお前がやれ」とバトンを渡す予定だった。

あまりにも早い別れだった。

 

◆香川伸行(かがわ・のぶゆき)

1961年(昭36)12月19日、徳島県生まれ。

浪商から79年ドラフト2位で南海入団。捕手だけでなく86年には三塁手としても21試合に出場。89年に引退した。

現役通算714試合、460安打、270打点、78本塁打、打率2割5分5厘。

現役時代は170センチ、100キロ。右投げ右打ち。

 

太く短い人生

52歳なんて 早すぎる (T_T)

 

ネコの「タラ」 始球式

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飼い主の子どもが犬に襲われているところを助けて話題となった「ヒーロー猫」のタラちゃんが20日、野球のマイナーリーグに所属する地元チームの始球式で「投球」を披露した。

タラちゃんは、飼い主のトリアンタフィロさん夫妻の助けを借りて前脚で「投球」。
球団スタッフが釣り糸を用意し、ボールが空中を飛んでいるように演出した。

 

今や全米で最高の人気者

下の写真と色が違って見えるね (^_^;)

 

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上の写真が ネコの「タラ」です

なんと立派なネコだろう! (^_^;)

 

米カリフォルニア州ベーカーズフィールドで、幼児を襲った犬に飼い猫が体当たりして撃退し、幼児を救う出来事があった。

現場の防犯カメラがその一部始終をとらえて話題になっている。

幼児は軽傷を負ったが元気だという。

男の子は13日、駐車場で自転車に乗って遊んでいたところ、付近をうろついていた犬が車の背後から現れ、男の子に襲いかかった。

男の子が足を噛まれて倒れたところへ猫が飛び込んできて、男の子を引きずろうとする犬に猛烈な勢いで突進。

驚いて逃げた犬を追いかけ、犬が走り去るのを見届けて戻った。

お手柄の猫はこの男の子の家族の飼い猫「タラ」だった。

母親のエリカ・トリアンタフィロさんはCNN系列局KEROの取材に対し、男の子は数針縫う けがをしただけで済んだものの、もっと大変なことになっていたかもしれないと語った。

男の子は「タラは僕のヒーローだ」と話している。

母親によれば、男の子を襲ったのは近所の住人の飼い犬だという。

 

 

都立小山台高校 センバツ出場

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2014-03-10 14-01-5721世紀枠でセンバツに出場する都立小山台高校(東京)が20日、兵庫・西宮市内で試合前最後の練習を行った。

雨のため予定していたグランドが使えず、急きょバッティングセンターを使用し2時間練習を行った。

福嶋正信監督(58)は「たくさんの人が応援に来てくれるし、緊張してあがっている場合ではないよね。期待にこたえられるよう、いい試合をしたい」と話した。

小山台は、21日(第1日)の第3試合で履正社(大阪)と対戦する。

 

戸山は四中 新宿は六中 小山台は八中

都立高校のセンバツ出場は初めてだそうです

大学時代に都立国立高校が夏の甲子園に出たなぁ  (^_^;)

 

<センバツ高校野球:履正社11-0小山台>◇21日◇1回戦

21世紀枠で甲子園初出場の小山台(東京)と履正社(大阪)が対戦。履正社が11-0で快勝した。都立勢の甲子園初勝利はならなかった。