あるお寺の住職が趣味でマンガを描いていて、彼が亡くなったとき、残された作品を息子がまとめて本にした
趣味といっても、マンガ雑誌に載ったこともあるようで、シロウトの域は脱している
ブッダの十大弟子、妙好人、親鸞の生涯などを扱っている
思想的に深い内容は無いが、素朴な画風にちょっと惹かれる
(^_^;)
あるお寺の住職が趣味でマンガを描いていて、彼が亡くなったとき、残された作品を息子がまとめて本にした
趣味といっても、マンガ雑誌に載ったこともあるようで、シロウトの域は脱している
ブッダの十大弟子、妙好人、親鸞の生涯などを扱っている
思想的に深い内容は無いが、素朴な画風にちょっと惹かれる
(^_^;)
ラディゲが20歳で夭逝したショックで、10年間も阿片中毒になったという、詩人ジャン・コクトーの作品
彼は詩や小説以外にも、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家などでも活躍し、「芸術のデパート」などとも呼ばれていた
本作品は、小説の形式をとっているが、ほとんど詩である
ゆえに訳文が重要になるが、本作には数種類の和訳があり、今回は手元にあった佐藤朔の訳を読んだが、かなり読みにくくて途中から飛ばし読みになった
元々の作品の難解さなのか、訳文の読みにくさなのか、よく分からない
左の表紙の中条訳が読みやすいそうなので、手に入ったら改めて読んでみようかとも思う
中条氏は、ラディゲ「肉体の悪魔」も訳しており、これは読みやすかった
(^_^;)
第一次大戦の前後、15歳の少年が19歳の新妻マルトに出会い、愛(不倫)に堕ちる
マルトの夫は戦場にいる
状況は単純かつ劇的、そして主人公の少年の告白に表現される恋愛心理の分析は、残酷なほど鋭利さを極めている
ガラスケースの中にチーズがあり、戦争がガラスを割り、猫がチーズを食べたのだと比喩する
驚くべきは、作者ラディゲの14歳の時の恋愛体験を、同じく16歳のラディゲが書いていること
早熟の極みである
ラディゲは、わずか2つの作品でフランス文学界の寵児となり、その直後にカキを食べて腸チフスになり、20歳で夭逝する
あの三島由紀夫が激賞した作品
((((;゚д゚))))
金閣寺放火事件を題材にした、三島由紀夫の代表作の一つ
放火犯人は吃音(どもり)に悩む金閣寺の見習僧で、彼の幼いころからの自伝調の内面告白が、三島独特の美文で淡々と語られている
見習僧の「建物フェチ」とも言えそうな、ファナティックな金閣に対する愛が全体の基調を成しているので、犯行動機に感情移入するのが難しい
ジョンレノンの熱烈なファンが、レノンを銃殺した事件を思い出す
彼はやがて浄土真宗の大谷大学に進学し、そこで足の不自由な男と出会い、言葉の不自由な自分との共通性を見出して接近し、親しく付き合うようになる
その親友が語る独特の人生哲学や女性観が面白い
時代背景が第二次大戦の前後で、その時代の空襲の無かった京都の雰囲気が伝わって来る
(^_^;)
▼消失前の金閣寺 金箔が剥げて枯れた風情だった
▼放火による消失直後の金閣寺

▼再建された現在の金閣寺 創建当時の姿に戻した

世界の命運を左右する米大統領選挙まで
あと1週間となり、泥仕合が激化しています
アメリカ国民にはキリスト教原理主義者が多いので
性的スキャンダルは命取りになります
((((;゚д゚))))
上の写真は、2013年12月5日、北京への公式訪問中に、胡同を訪れた前副大統領ジョー・バイデンと、息子のハンター・バイデン(左)、孫娘のフィネガン・バイデン(右)。
米民主党大統領候補ジョー・バイデンの次男ハンター・バイデンのわいせつビデオが米メディアによって公開され、ネット上で再び話題になった。
ネットユーザーたちは、ビデオの中の女性3人の身元を分析した。
台湾の「自由時報」によると、ハンター・バイデンのわいせつビデオに写っていた女性の1人は、ハンターの姪であり、大統領候補ジョー・バイデンの孫娘である可能性が高いという。
数日前、News Maxの報道によると、ルディ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、ハンター・バイデンのコンピューターのハードディスクの証拠をデラウェア州警察に引き渡したという。
「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」で有名な佐賀鍋島藩に伝わる思想書「葉隠」を、三島由紀夫が自分流に解説している
世の中には、損得で動く人間と、そうではない人間がいる
後者でなければ大業は成し得ぬと言ったのは西郷隆盛だが、現実の社会は前者が大部分を占めている
損得で動く人間の行動は予想しやすいので安心感がある
けして無茶な行動には走らない
経済学などは、そのような合理的人間を前提として理論を構築している
しかし江戸時代、家臣が主君への忠の覚悟と生き方(死に方)を本気で貫くには、損得の感覚では具合が悪い
損得を超えた武士の哲学が必要とされ、それに応えたのが「葉隠」だった
「葉隠」は、損得勘定の武士道を、上方流(商人のようだ)と罵っている
一方、三島由紀夫(→)は天才にありがちな、かなり変わった価値観(性的嗜好と言ってもよい)の持ち主であり、「美しく高貴に死にたい」という潜在欲求(タナトス)が極めて旺盛だったように思われる
彼はそのために、自らの死を正当化し、美化し、高貴なものとするための壮大な内面世界を構築し、作品化し、行動化していった
三島にとって「葉隠」は、そのような内面世界構築の材料としては、非常に魅力に富んでいたものと思われる
「葉隠」の思想を語った山本常朝には、死を自己目的とする意識は希薄で、ただひたすら主君への忠を貫くには、生と死の二者択一の場面では、常に死を選ぶ覚悟を持てと主張しているに過ぎない
それは、三島が45歳で自決の道を選び、山本常朝が61歳(当時としては長命)で天寿を全うした違いとなって表れている
死を本気で覚悟した人間には、それまでの世間(損得勘定の世界)が従来とはまったく違って見えるのは、何となく想像できる
近松門左衛門が、死を覚悟して心中への道行(駆け落ち)に出た男女二人は「急に背が伸びた心地がする」としているのは、まことに鋭い描写だと思う
本当の人生や美意識というものは、その感覚の後に生ずるものかもしれない
(^_^;)
読むのは二度目(前回は大学生のころ)
育ちの良い若奥様「節子」の不倫話で、ストーリーは単純なのだが、心理描写の美文章には引き込まれる
現実には下品になりがちな不倫を、徹底的に美しく(道徳的という意味ではない)描いている
不倫実行中の人が読めば、自分たちのしていることが薄汚いことではなく、美しく高貴なことであるとの自覚を深めるかもしれない
それを三島は「美徳」と呼んでいる
まさにニーチェだ
節子を取り巻く男たち(愛人、夫、息子、父)は、定型化していて描写に奥深さはなく、ひたすら節子の心理だけを追求している
不倫が珍しくもない現代から見ると、時代の違いを強く感じるが、それが逆に今読むと新鮮さにもなっている
不倫における女の心理を男が書いたというところが、まさに文学なのだが、女性から見たら不自然な描写も多々あるのかもしれない
本書を読んだ宇野千代(→)から三島由紀夫は『あなたはよろめいたことのない人ね』と笑われたそうだ
「恋愛において、女は常にプロだが、男はアマチュアである」と誰かが言っていたなぁ
月丘夢路主演で映画にもなっている
(^_^;)
11/25は「あの事件」から半世紀です
日本が生んだ戦後最大の文学的天才が、現実を相手にした行動では、なぜ児戯にも似た杜撰極まる方法で命を落としたのか?
今となっては藪の中だが、おそらく三島は事件の非成功を百も承知で、あえて自らの悲劇的な死への舞台装置として、あの事件を利用したのだろう
ニーチェといい、三島といい、なぜ天才は「悲劇」にかくもこだわるのだろうか?
下の文章は、宮崎正弘氏による書評です
(^_^;)
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あれから五十年が閲したとは思えないほど、須臾の時間だった。
昨日の出来事のように、フト生前の三島、森田両氏と会話している(夢の中で)。
おりしも書店に行くと三島本が並びだした。
それもかなりの数である。
「定番」の人々の回想録という周期はおわって、三島事件から後に生まれた世代が、それぞれのアングルから三島由紀夫の世界に挑んでいる。
たまたま日本経済新聞にも「三島五十年」のシリーズが特集され、宮本亜門、宮台真司、吉田大八、熊野純彦など新世代が、それなりの三島を語っていて、視野狭窄、ピント外れ、マニアック、哲学的ブンガク論だったり、しかし、それぞれに光る一行がある。
第一周期は三島と直接付き合った人たちの交友録的評伝の列だった。
林房雄、石原慎太郎、佐伯彰一、奥野健男、坊城俊民、三谷信、渋沢龍彦らが続き、第二周期は客観的な評伝へと移る。
猪瀬直樹、村松剛、スコット・ストークス、ジョン・ネイサン、松本健一、そして編集担当だった川島勝、小島千加子。
異色は堂本正樹、野坂昭如、福島次郎、岩下尚史氏らの作品だった。
加えて文学的見地からは田中美代子、松本徹ら夥しい人が三島を語ったのだ。
最近では三島と直接付き合った自衛隊OBが退役後の感想をのべたものに加わって、杉山隆男、浜崎洋介氏らの出色の三島論もでてきた。
ともかく半世紀も経つと、あの驚天動地の三島事件をかくも冷静に見直し、くわえて三島文学に対して、一般的な、通俗な評伝を越えた、ある種冷徹な評価ができるのか、と本書を読み終えて、全体を貫く客観性にまず感心した。
著者の佐藤秀明氏は「前意味論的」と分析方法を断っているが、本書は相対的には意味論である。
さすがに三島文学館の館長を兼任する著者は、四谷の生家を探し当て、死後の評論のなかからも、珠玉を選ぶ一方で、間違いもただしていく。
たとえば、秋山駿は
と三島を評した名言を残したが、これはドストエフスキーの言葉がオリジナルだという。
三島が少年時代から憧れ続けたのは「悲劇的なもの」だった。
初期の作品群を一覧しても、美しき夭折への、名状しがたい憧憬に満ちている。
衝動的な渇仰が『花ざかりの森』にも『軽皇子と衣織姫』にも、底辺に流れ、漂う。
「前意味論的な欲動」と著者は言う。
処女作と遺作には静謐が共通する。
昭和四十三年の『太陽と鉄』の最終章には、「身を挺している」「悲劇的なもの」という語彙に加えて「栄光と死」を望んでいると書かれている。
村松剛は「決意を彼が公にした最初の文章だった」と『三島由紀夫の世界』で見抜いた。
しかし『悲劇的なもの』と『身を挺している』という言葉は『仮面の告白』で出てくるのだ。
佐藤は
「職業作家として出発した記念碑的な作品に書いた言葉を、二十年後に死の予感を告白する文章に織り込んだのは、意図してのことであろう」
と分析していて研究者としての慧眼が冴える。
また『憂国』はまさに悲劇的イロニーに充ち満ちた短編だが、
「作品の意匠は全く異なるが、『潮騒』の幸福感に通じている」
とする。
なるほど、そういわれてみればそうかもしれない。
気になった箇所は三島が机上の空論的に皇居突入計画を立てたという、これは生前も耳にした風説で、当時評者(宮崎)の耳にも聞こえてきたが、佐藤氏はこの顛末を文献的に振り返り、関係者の著作も紐解いている。
真相は薮の中、計画を打ち明けられた自衛隊は冗談だろうと、その場では同調するフリをしたのだろうと評者は想像する。
げんに富士学校へひとりで入隊時に対応した幹部は、三島のクーデター計画を聴いて
「私らは役人ですから」
と冷ややかに言い放ち、以後、明確に距離を置いた。
現在の自衛隊にクーデターを望むこと自体が妄想である。
それは体験入隊を通じて、三島はいやというほどに体得していた。
まして楯の会を始末に負えぬ存在と考えていた財界の桜田武や自民党は、冷笑したフシが濃厚。
そこで三島は法螺吹きの田中清玄にも自衛隊への斡旋を頼んだとか、虚実こもごもだが、三島が「愛国者」となのる軍人OBや自衛隊幹部、財界の有力者に課した「リトマス試験紙」だったのではないのか、というのが評者の見立てである。
というのも、この皇居突入計画を聴いて以後、距離を置き始めた人が多かったからだ。
ついで三島が吹聴していたのは治安出動を契機とするクーデター計画で、仄聞していた限り、だれも本気とはとっておらず、文豪ミシマの独特のアフォリズム、いや何かの芝居なのかと誤認した。
じつは評者、このあたりの経緯を村松剛氏や編集者、そして楯の会の会員ながらも三島とは距離を置いた学生達から聴いており、その本気度と計画の杜撰さとの整合性を不安に思ったものだった。
そのあとに森田必勝が学生長になって本格的に計画立案に加わり実現性のたかい、綿密な行動計画へ移っていくのである。
佐藤氏はこう言う。
「(戯曲『わが友ヒトラー』にでてくる)レームと突撃隊は、明らかに三島と楯の会を表している。楯の会など政治の権謀術数から見れば、子供騙しの集団でしかないことを作者(三島)は知っている。しかし同時に三島は、レームの単純な盲信が『神々の特質』であることも知り、この戯曲であっさりと粛正される『三度の飯よりも兵隊ごっこが好き』なレームを、戯画化したうえで憧れている」(182p)。
冷徹な、あまりに冷徹なほどの客観性で、本書は一貫している。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より
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▼三島由紀夫は、ものすごい猫好きでした (^_^;)


筆者は国際政治を論ずる保守系の論客
ニーチェ論と言うより、ニーチェを下敷きにした三島由紀夫論
ニーチェの主張するニヒリズムに最も近いのは、日本の武士道であるとする
ルサンチマンを嫌悪し、強く生きよと説くニーチェは、武士道(特に勇の武士道)と合いそうだ
世の中を覆い尽くす勢いの女性性に対する、男性性の復権宣言か?
来月であの事件から半世紀
三島由紀夫を読みたくなってきました
(^_^;)
無頼派の作家、坂口安吾が昭和20年の終戦の5年くらい前と、終戦の5年くらい後、長崎を2回旅した体験をエッセイにしたもの
戦前の長崎は造船所や軍事工場が多く、軍の警戒エリアなので地図もなく、旅に苦労しています
今はスマホにグーグルマップがあるので、旅が非常に楽になりました
彼は隠れキリシタンについて書こうと思って取材旅行をしていた訳です
その中で、長崎の人が長崎チャンポンを大食いすることに驚いています
彼の言によると、現地の人は誰でも、大皿で3人前くらいのチャンポンを、みんな軽く食べてしまうのだとか
長崎では明治になっても隠れキリシタンへの弾圧が続き、逮捕されて拷問されたりして信仰を捨てること(これを「ころぶ」と呼ぶ)を求められています
そのとき厳しい拷問に耐えた信徒の多くが、食事が足りないからもっと食わせてくれるなら、ということで信仰を捨てた(ころんだ)と、坂口安吾は驚いています
このとき逮捕して拷問した側には、食事で苦しめるつもりはまったくなかったようです
当時の記録によると、このとき逮捕された隠れキリシタンには、毎日「白米1日3合」の飯が給されていたそうで、これは炊く前の米の約450グラムに相当し、現代人の感覚では簡単に食べられる量ではありません
ちなみに私はいま一日一食の日が多いのですが、1回の食事に白米なら100グラムくらいで、かなり腹がふくれます
拷問には耐えるが、1日3合の飯には我慢できない
長崎人の大食(食欲)には驚くべきものがあるとしています
(^_^;)
▼長崎チャンポン
