▲画面左下の右向き三角マークを押してから始まるまで
少々(回線速度により数秒~数分)待つ場合があります
能の名作です のえるさんオススメ!
YouTubeで配信中(期間限定?)
動画も良く撮れている
(^_^;)
▲画面左下の右向き三角マークを押してから始まるまで
少々(回線速度により数秒~数分)待つ場合があります
能の名作です のえるさんオススメ!
YouTubeで配信中(期間限定?)
動画も良く撮れている
(^_^;)
▲PL教団のシンボル 超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔
一時は高校野球と言えばPL学園でした
宗教法人が経営する高校の野球部
教祖不在と閉鎖的運営によって
野球部だけでなくPL学園も、PL教団も
消滅に向かっているのでしょうか?
(・_・?)
桑田真澄や清原和博(→)らのプロ野球選手を輩出し、春3度、夏4度の日本一を誇るPL学園。
2016年を最後に硬式野球部は休部となっているが、復活の話は聞かない。
実は野球部だけでなく、学校そのものが“消滅”の危機にある。
PL学園の生徒数減少が下げ止まらないのだ。
母体となるパーフェクトリバティー教団(PL教団)が最盛期を迎えていた1980年代に、PL学園は男子の金剛寮と女子の葛城寮に、男女生徒あわせて1000人以上が暮らすマンモス校だった。
「野球部は、信者の子供以外の生徒を集めて強化されてきましたが、2014年秋に新入部員の募集停止となり、外部から入学してくる球児がいなくなった。PL学園の生徒のほぼすべてが、信者の2世、3世となっています。1学年の生徒はだいたい20人弱」
母体PL教団の信者数は、1980年代に公称260万人超にまで拡大していた。
しかし、3代教祖である御木貴日止(→)が2020年12月に死去し、後継者が指名されずに「教祖不在」の状況が続いている。
現状は、3代教祖夫人である美智代が、教祖代理のような立場で実権を握っている。
「教祖代理の御木美智代の意向で、信者の子供以外の生徒を受け入れたくないという方針を学校はとっている。信者数が減少しているのだから、生徒数も減少し、寺子屋のような学校になってしまった」
▲国鉄色のやくもと記念撮影する関係者ら 3/19JR米子駅
撮り鉄さんたちが
全国から集ったのかな?
かなり古い車両だと思うんですけど
ピカピカに整備されてますね
(^_^;)
JR西日本の特急やくも(出雲市―岡山)の運行が、クリーム色と赤色の「国鉄色」をまとって、3/19から始まった。
やくもの運転開始50周年を記念した企画で、新車両が導入される2024年春以降まで、1日2往復する予定だ。
国鉄色になったのは、定期運行している特急車両として本州で最も古い旧国鉄時代の381系を使った1編成(6両)。
今後、やくも8、9、24、25号として運行される。
この日、鳥取県米子市の米子駅で記念セレモニーがあり、平井伸治鳥取県知事や伊木隆司市長らが出席。
平井知事は
「コロナ禍でJRも苦労されており、
地元の方も懐かしいやくも号に乗っていただき、
JRを盛り上げていきたい」
とあいさつした。
式典には国鉄からJRに変わった当時の米子駅長だった山口真佐実さん(85)も参加し、現在の陰山健二駅長に国鉄時代の制帽が贈呈された。
やくもが米子駅に入線する際には、車内で懐かしい鉄道唱歌のチャイムが流されたといい、入線すると全員で記念撮影。
出発時には全員が右手を挙げて見送った。
山口さんは
「あの色のやくもに会えて懐かしい」
と話していた。
▲新幹線が出来るまで、東海道在来線を疾走していた特急こだま
東京~大阪を6時間40分で結んでいた
新宿高校出身こじのりさんのライブスケジュールです
情報提供ありがとうございます (^_^;)
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
春めいてまいりました。いかがおすごしですか。
九州ツアーにでています。
ツアー中の宮城での地震にはおどろきました。こちらに揺れが来なかっただけに、どうなっているのか心配になったり。
どうか1日でも早くの平穏を、平和を。
ライブスケジュール送信します。
「ハレの日」「ケの日」があるとしたら、普段いつもライブをしているわたしのは
「ケの日のジャズ」
ドレスや、ヒールや、高い位置のステージなどはありません。それぞれの生音も聴こえるライブハウスが好き。
日々の出会い、コミュニケーション、気づき、進化、スイング、そうやって進んでいきたい。
ふらりといらしてくださったら嬉しいです。おまちしています。
小島 のり子 kojinori★mac.com ★を@に
Website kojinori.com
動画(YouTube) youtube.com/user/fujinokage
水戸黄門の印籠、銭形平次の投げ銭、遠山金さんの桜吹雪
お銀(由美かおる)の入浴(これはちょっと違うかな?)
みんな必殺技を、なかなか使わない!
妙にもったいぶっている
ここには、良い子たちが知らない
いろいろ「大人の事情」がある訳ですが
さらにスペシウム光線には
特別な秘密があることが分かりました
(^_^;)
ウルトラマンが地球上で活動できるのは3分まで、とても短い。
それであんなに活躍できたのは、彼がスペシウム光線という必殺技を持っていたからだ。
左右の腕を十字に組むと、右手から放たれて怪獣を爆破する必殺光線!
ところがウルトラマンは、この技をなかなか出さない。
怪獣と対峙しても、初めは殴ったり蹴ったり投げ飛ばしたりして、制限時間ギリギリになって、ようやくスペシウム光線を放つ。
なぜだ?
そんなすごいワザがあるなら
最初から撃てばいいのに!
――と多くの人が思ってきたに違いない。
もちろん、筆者も子どもの頃から不思議だった。
ところが『ウルトラマン』全39話を見直して、スペシウム光線の発射状況を確認したところ、意外な事実が浮かび上がってきたのである。
小国のウクライナ相手に
大苦戦しているロシアのプーチン
最後に必殺技(核兵器)を使うのは
やめてもらいたいです
((((;゚д゚))))
原爆の放射能から生まれたゴジラ
いままた誕生しようとしている?
((((;゚д゚))))
特撮映画「ゴジラ」で知られる俳優、宝田明さん(→)が、3/14に87歳で急死していた。
3/10に、宝田明さん主演の映画「世の中にたえて桜のなかりせば」(4/1公開)の完成試写会に、車いす姿で登壇していた。
1953年、東宝ニューフェイス第6期生として俳優活動をスタートさせ、1954年に映画デビューし、「ゴジラ」で主演した。
撮影初日に撮影現場で
「主役の宝田です」
とあいさつし、照明スタッフから
「主役はゴジラだ!」
と怒られた。
終戦後、中国ハルビンから過酷な引き揚げ体験をしてきただけに、「ゴジラ」の完成試写では
「試写室で、のどが痛くなるくらい泣けて仕方がなかった。
なぜ戦争の被害者のゴジラを、人間が殺さなければいけないのか。
監督にも
『こんなに痛めつけることはないじゃないですか』
といって、2人でシンミリしたのを覚えています。
製作したのは、みんな戦争経験者でしたからね」
と明かしていた。
日本三大まつりの一つ
ヤマザキ春のパン祭り
始まってますね(2/1-4/30)
(^_^;)
先日「世田谷の秘境・宇奈根」の記事を載せたら、秘境の近くにお住いの熊谷さんが、秘境の迎賓館(赤坂の迎賓館とは別です)で開かれるコンサートの情報を見つけてくれました
熊谷さん、ありがとうございます
立花さんによると、この秘境迎賓館(松本記念音楽迎賓館)館長の横田さんは、新宿高校の先輩(14か15回生)だそうです
秘境なので駅からは少々遠いですが、健康のために大いに歩きましょう(バスも出ています)
(^_^;)
▲クリックすると拡大します
3/14、東京都立新宿高校の生徒の皆さんが、新宿御苑で環境整備活動を行いました。
新宿高校は、新宿御苑の西側に位置する学校で、2007年より総合的な学習の時間を利用した奉仕活動の授業を毎年実施しています。
お天気に恵まれ、気温20℃を超える陽気の中、午後13時と15時の2班に分かれて活動を行いました。
▲カメラマンに向かって「お疲れさん!」
司忍組長はもう80歳だそうですが、非常にオシャレなせいか、若く見えますね~
暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が出来て、ヤクザへの締め付けがキツくなったせいか、ヤクザの総人数は最近10年間くらいで激減(↓)しています
そのおかげでヤクザによるカタギ(ヤクザではない普通の人)への嫌がらせや犯罪は減っていますが、暴力団に所属していない半グレが増えています
さらに外国人労働者の増加に伴う、在日外国人による犯罪が凶悪化、組織化しているのも気がかりです
ウクライナでのホンモノの戦争に比べると、ヤクザの分裂抗争なんて、子供のお遊戯のように見えてしまいます
(^_^;)
▲指定暴力団の構成員は、激減している
3/8の朝、JR品川駅の新幹線ホームが騒がしくなった。
六代目山口組司忍(つかさしのぶ)組長が、黒のコートに黒のハット、さらにサングラスをかけ、白いマフラーをして姿を現した。
司忍組長の周りには数名のボディーガードたち、周囲には警視庁の私服捜査員らが目を光らせている。
組員らの情報収集のために、顔写真を撮影するカメラを持った捜査員もいた。
司忍組長は、品川駅の構内の書店や売店の前を通り、改札を通って車寄せに向かう。
停めてあった迎えの車に乗り込むと、すぐに車は走り去っていった。
山口組分裂抗争6年、司忍組長の周りには数名のボディーガードらがいたが、駅のあちこちには別に護衛の人間が配備されていた。
「北海道・旭川で行われた六代目山口組の二次団体、旭導会の鈴木一彦会長(→)の葬儀に出席したのです。六代目山口組の実質的な最高幹部の一人でした。名古屋から品川まで新幹線、羽田空港から旭川へ向かったとみられます」
帰りの新幹線でグリーン車に乗り込んだあと、司忍組長は「お疲れさん」とばかりに右手をあげていた。
「司忍組長が80歳を迎える1/25に、若頭の髙山清司が七代目継承かというガセ情報が出ました。山口組分裂抗争が続くなか、わざわざ司組長が人前に姿を見せたのは、自分の健在と余裕をアピールする狙いかもしれません」
▲歴代の山口組組長
▲七代目継承がウワサされる若頭の髙山清司(右)
「若頭」と言っても74歳、あまり若くない (^_^;)