第1回 新しい響きと作曲技法の誕生…シェーンベルク,ヴェーベルン,ベルク
第2回 ヨーロッパ周辺国と新世界の音楽…ストラヴィンスキー,バルトーク
第3回 第2次世界大戦後の前衛音楽…ブーレーズ,ケージ,クセナキス
講師は、新宿高校出身の坂本龍一
小沼純一(早大文学学術院教授)
浅田彰(京都造形美大教授)
岡田暁生(京大人文科学研究所教授)
ディレクター 前田聖志,石原淳平(第2回のみ共同)
第1回 新しい響きと作曲技法の誕生…シェーンベルク,ヴェーベルン,ベルク
第2回 ヨーロッパ周辺国と新世界の音楽…ストラヴィンスキー,バルトーク
第3回 第2次世界大戦後の前衛音楽…ブーレーズ,ケージ,クセナキス
講師は、新宿高校出身の坂本龍一
小沼純一(早大文学学術院教授)
浅田彰(京都造形美大教授)
岡田暁生(京大人文科学研究所教授)
ディレクター 前田聖志,石原淳平(第2回のみ共同)
自宅に大量のごみをため込む、いわゆる、ごみ屋敷への対策として、東京・世田谷区は、住民自身の生活環境も改善させながらごみを片付けていくことを盛り込んだ条例案をまとめました。
これは8日に開かれた定例記者会見で新宿高校中退の保坂展人区長が明らかにしました。
区が今回まとめた条例案では、ごみが崩れるなどして周辺に影響が出るおそれがある場合、住民に指導や勧告をしたうえで区が片付けを行うことができるとしています。
一方で、ごみ屋敷の住民には、故意にごみを放置しているのでなく、心身の状態が悪化し、生活環境に問題があるケースが少なくないとして、医療・福祉の関係機関や地域の住民と連携して生活環境を改善させる取り組みを行うことも盛り込まれています。
世田谷区は今後、区が片付けを実施する際の具体的な基準を検討するなどしたうえで、来年2月に開かれる区議会に条例案を提出する方針です。
保坂区長は「ごみ屋敷の住民本人が抱えている生活環境の問題などを解決しながら、根本的な対策に取り組んでいきたい」と話しています。
健康管理セミナーと音楽コンサートを主催する病態解析研究所の理事長
昭和12年生まれ。都立新宿高校出身、世田谷区在住。
「糖尿病は自覚症状がない病気。血糖値を測るしか知る方法はないんだよ。自分は元気で健康とい う人ほど危ない」
そして「できるだけ大勢のひとに、検査を受けてもらいたい」と話しっぷりはお茶の水博士風。
厚木市文化会館で行われる「健康管理セミ ナーと音楽コンサート」。
主催は糖尿病血糖管理の研究で活躍する病態解析研究所という難しそうな名称のNPO法人。
厚木市内妻田東にある。略してQL倶楽部。
星野 忠夫さんは、ここの理事長、創立者である。医学博士で医師でもある。
血液検査で 病気の前兆を 早期発見しませう
血を採るだけだから 5分で済みますヨ (^_^;)
講演と懇親の夕べ「朝陽クラブ」
第19回は7月8日(水)18:00~20:00、
クルーズ・クルーズ新宿店(レインボービレッジ8F)で行われます。
今回の講演(ショートスピーチ)は、テレビ神奈川初代アナウンサー・元川崎市議会議員 の太田公子氏(新宿高校19回生)さん。
「なってよかったアナウンサー」と題してお話しされます。
参加費は3,000円、興味深い講演を楽しみながらの飲み放題の立食パーティで、どなたでも参加できます。
多くの方の参加をお待ちしています。
女子アナ出身高校ランキング
新宿高校が第1位です
少し前のデータなので今は知りません (^_^;)
世田谷区長、保坂のぶと氏(都立新宿高校中退)は、中学生時代、学生運動の経歴などを書かれた ために受験した高校を不合格となり、千代田区教育委員会を相手取り提訴(内申書裁判)。
判例は現在も重要判例として認識されている。
元社民党所属、現在は無所属。
また、管理教育につい て疑問を呈した「学校解放新聞」を発行するなど、子どもの側に立った教育ジャーナリスト活動、市民運動を展開。
ふつうに全日制に入学してれば
我々の1年先輩ですね
「遅れて来た全共闘世代」かな (^_^;)
1955年、東京生まれ 東京都立新宿高校(17回生)卒業。
1981年、およそ一年間インド放浪 1988年、真宗大谷派東京専修学院入学。
翌年卒業。
1995年、真宗大谷流高明寺榊奈川県横浜市)住職となる。
比較思想学会会員(専門:宗教問対話) 。
主な論文に「インド的混沌と祈りの集い」ハンニヤハウス通信(1991年) 、
「<オウム>が突きつけるもの」ハンニヤハウス通信(1995年) 、
「唯識ノート」月刊・雲集1995-2001年まで連載C 「続・唯識ノート」月刊・雲集(2004年) 、
「<呼びがナ>への呼応「大河内了義先生のご講義を開いて」 『連絡誌・大地』第5号(2005
辛) 、
「偽ってはならない」山口県光市母子殺害事件の奔護団を批判した念仏者、浅田正作氏の著書を絶版とした真宗大谷派宗門(の一部と出版部)の言論封殺に対し、浅田氏の弁護人として抗議した対抗論文(2009年5月、 http:〝www.komyoji.netにて配倍中) 、
「<帰命とバクティー>-<無量寿経とバガヴァッド・ギ一夕->における信仰の格山賢比較思想研究遥第38号・比較思想学会(2011年) 、インターネット法着払ttp:/,/www.komyoji.net高明寺の法話) 、
「真宗法話一他力の本来の意味・浄土静註」(2013年9月) 、
「真宗法話一来迎たのむことなし」 (2014年7月) 、
「真宗法話一共に同心にただこの高僧の説を信ずべし・正信偽」 (2014年9月上インターネット講義(http:〟www.komyoji,net現代仏教塾) 、
「第五回現代仏教塾<親鷲の今一浄土真宗と近代仏教学>」 (2014年1月)
まんが・ブッダ伝序章(2014年5月、 http:〝www.komyoji.netまんが「プッダ伝」にて配信中)など。
1955年生まれで17回生
とゆーのは変ですねー
もしかして27会メンバー? (^_^;)
MacPeopleにて好評連載中の「ユザーンの川越コンピューター学園」。
10回目のゲストは世界で活躍す る音楽家の坂本龍一さん! 超大物の登場で、今月はMacPeople本誌の表紙と巻頭も飾っています。
今月の転入生:坂本龍一
’52年生まれ、東京都出身。幼いころから作曲を学び、大学在学中から本格的に活動開始。ソロとして活動する一方、「イエロー・マジック・オーケストラ」 (YMO)に参加して人気を得る。テクノポップ、ワールドミュージックといった分野での活躍のほか、オペラや映画音楽の作曲・プロデュースなど、活動は多 岐に渡る。環境問題や平和問題に関する発言や活動も多く、独特の存在感で常に注目を浴びる存在
ユザーン 学生服はいままでに着たことがありました?
坂本 中学・高校と着てたよ。でも高校2年生くらいから、もう着るのやめちゃったんだよね。
ユザーン それ、勝手にやめちゃってもいいものなんですかね。
坂本 いや、ダメだと思うけど、反抗して。ブラックジーンズで学校に行ってたよ。
ユザーン そんな人、校内にほかにいました?
坂本 いなかったね。
ユザーン そうでしょうね(笑)。だいたいブラックジーンズ自体そのころそんなに浸透していませんよね。
坂本 たぶんあんまりなかった。
ユザーン じゃあ、オシャレだったんですね。
坂本 うん、オシャレだった(笑)。
1960~70年代にアングラ文化や街頭デモで底知れぬエネルギーを感じさせた新宿。
80年代以降は地上げや再開発で風景も集う人々も変わったと 語られ た。
だがいま、その街が再び新しい顔を見せようとしていると、批評家の平井玄さん(62)はいう。
自らの半生と新宿の近代史を重ねて『愛と憎しみの新宿』 (ちくま新書)を著した平井さんに聞いた。
「私にとって新宿は『ファウスト』の遍歴物語の舞台。新宿にうごめいていた芝居や音楽、政治運動の担い手や飲み屋のオヤジ、アル中の職人、そうした『悪魔』たちに導かれるうちに、自分自身もデーモンになっていった」
新宿2丁目のクリーニング店に生まれ、現在も新宿に暮らす平井さんは、新宿高校では一学年上の坂本龍一らと高校全共闘を結成、ジャズ喫茶にもぐりこんでは山下洋輔や阿部薫の演奏を聴いた。
そんな平井さんにとって、バブル期を頂点とする80年代の新宿は「栄えてはいたが、死んだ街」だった。「巨大になりすぎて、何でも売っているけど、新宿にしかないものは何もなくなった」。平井さんは一時、新宿を離れる。
商業的な若者文化の先端は渋谷へ、カネのない若者が独自文化を生みだすパワーは高円寺などへ流出した。だが不況下の地価下落で流れが再び変わった、と平井さんはみる。若者が徐々に新宿周辺に戻り始めたというのだ。
たとえばフリーターたちの労働運動の拠点が新宿に置かれている。「フリーターは交通費がかかるところには住めない。どこへでも歩いていけるところに、集まって暮らすしかない。そういう人々の多く住むエリアの一つとして、新宿が再び面白い文化を生み出す可能性はある」
2年前のメーデーでは、フリーター全般労組が中心になり、約40年ぶりに新宿一周デモが実現。平井さんも参加した。いま新宿には、アナーキズムのグッズを扱うショップやビート詩人の朗読会が開かれるカフェなど、「新宿的」な店が生まれているという。
「ふたをされ暗渠(あんきょ)になっていただけで、流れそのものは途絶えていなかった。街の骨格はそう変わっていない。私の本を読んでいまの新宿を歩けば、歴史が二重写しで浮かび上がってくるはずだ」
若い読者からの反応も多いという。かつて10代の平井少年を遍歴に誘った悪魔メフィストフェレスの役を、平井さん自身が担おうとしている。
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一九六〇~七〇年代の新宿。そこは伝説的なジャズ・バーやシネマテークなどが集まる巨大な文化工場だった。風月堂、紀伊國屋書店、文壇バー、ATG新宿文 化をはじめ、異形な場所に奇怪な人間たちがひしめきあって、戦後日本文化の闇鍋を形作った。一方で、歌舞伎町や要通り、旭町や二丁目などなど、喰い物や SEXを入力するとたちまち爆発的に膨張する欲望の街でもあった。新宿二丁目の赤線地帯で生まれ育った思想家が、濁愛、陰謀、宇宙の文学や悪魔の建築、阿 鼻叫喚に劣情有理、ありとあらゆる運動を包みこんだ新宿の奥座敷を七転八倒して活写する異色の地下文化史。
牛丼チェーンの「すき家」を運営するゼンショーホールディングスは、2010年度の連結決算で日本マクドナルドホールディングスを抜く売上高3700億円余りを達成し、外食産業のトップに立った。10年間で20倍以上の急成長だ。
そのオーナー社長、小川賢太郎氏(66)は、「革命家」と呼ばれるほど異色の経歴で知られる。
1948年生まれの団塊世代で、1968年に都立新宿高校から東大に入学して全共闘運動に身を投じるが、安田講堂の“落城”で敗北を味わう。
その ときの身の振り方が他の学生と決定的に違った。
多くの学生が教室に戻り、就職したのに対し、大学を中退し、今度は港湾労働者を組織化すべく、荷役会社へと 潜り込んだ。
だが、そこでも挫折と幻滅を味わい、逆に資本主義の優位性を痛感する。
今度は、「資本主義体制の下で世界の飢餓と貧困を撲滅する」という大目標を立て、急成長中だった吉野家に入社した。1978年のことだ。これが今に至る道の始まりだ。
小川氏が入社した2年後(1980年)、吉野家は経営危機が表面化した。
小川氏は孤軍奮闘して自主再建を目指したが、会社は会社更生法の適用を申請。
「米、牛肉、醤油というシンプルな組み合わせの牛丼は必ずハンバーガー並みにポピュラーになる」と確信していた小川氏は3人の部下を引き連れて独立し、ゼンショーを設立した。1982年のことだ。
社名の「ゼンショー」は「全勝」という意味
そこには、敗北の連続だった小川氏の「これからは全戦全勝だ」との思いが込められている。
独立した小川氏は軍隊のような「鉄の規律」を導入した。
それを物語るのが、企業理念に加え、社員や店舗スタッフの動き方までこと細かく記した「ゼンショーグループ憲章」だ。
たとえば、カウンター席の客には、注文から原則10秒で牛丼を出す。
外食産業に詳しい経営コンサルタントによれば、これは「業界最速」だ。
「営業報告から掃除に至るまでやるべきことのタイムテーブルも秒刻み。時間管理の厳しさは本社の管理部門でも同様で、商談は30分以内、歩く時は1秒に2歩以上が求められる。外食産業の多くでマニュアル化が進んでいるが、ゼンショーは突出している」
ちなみに、社員には筋力トレーニングや朝礼時のスクワットが義務付けられていたこともある。
※週刊ポスト2014年4月25日号
「ブラック企業」というイメージから
いかにして脱却するか (^_^;)
若き日の坂本龍一作品
先日、記録ファイル整理中、坂本龍一OBが教育実習に来た年=昭和48年(1973年)の新宿高校学園祭
管弦楽部(SPO )のために書いてくれた
偶然性の音楽《グループの為の反応》が出てきました。
2枚組でしたが、後半はどうしても見つかりません。
当時のジアゾ式青写真コピーは保存性が悪く、消えかかっていましたので、やっとの思いでクリーニング。初演した元部員に見てもらったのが次の図形譜です。
学園祭当日、部員有志を急遽集めて演奏したのですが、私・野村は有志募集の仲介人役。
演奏を面白がって聴いていただけなので、読譜・奏法がどのように指示されたのか記憶がありません。