第1回 新しい響きと作曲技法の誕生…シェーンベルク,ヴェーベルン,ベルク
第2回 ヨーロッパ周辺国と新世界の音楽…ストラヴィンスキー,バルトーク
第3回 第2次世界大戦後の前衛音楽…ブーレーズ,ケージ,クセナキス
講師は、新宿高校出身の坂本龍一
小沼純一(早大文学学術院教授)
浅田彰(京都造形美大教授)
岡田暁生(京大人文科学研究所教授)
ディレクター 前田聖志,石原淳平(第2回のみ共同)
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・講義①「20世紀の音楽とは」
坂本;特徴は音色の拡大。機械文明ともより密接になった。
岡田;大衆社会の時代。大衆社会が圧倒的影響力を持った。芸術音楽は大衆音楽に対抗する立場とならざるを得ない。結果、前衛音楽に走る事となり、先鋭化した。
・講義②「調性音楽から無調音楽へ」
19世紀は、バロックから古典にかけて築き上げた音楽に対し、中心の音が曖昧な不確定な響きを追求した。
ex.ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』,ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』
その延長線上で、アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)に調性を用いない音楽が登場する。
ex.「五つの管弦楽曲」op.11第1曲『予感』(1909)
浅田;がっちりした音楽の流れから、それを知的に脱構築、解体したもの。
岡田;ワーグナー,ドビュッシーの響きに慣れたら、もっと強い毒が欲しい、禁断の味が欲しい。そんな風にエスカレートしていった。
浅田;調性和音の味より、もっと複雑な重層した味を求めた。
岡田;それは健全な精神のあり方ではないが、文化がこうしたものを求めるようになっていくのは、世紀末からの流れだった、今にしてみればそう思う。第1次大戦(1914-18)前にこうしたムーヴメントが詰まっている。
坂本;不安な時代の始まりでもある。20世紀は戦争と革命の世紀。それの始まり。
・講義③「12音技法の確立」
無調音楽にはルールはなく、作曲家の感性のみで作られた。自ずから大曲はできない。で、シェーンベルクは、無調音楽を理論的に生み出す作曲システムを考察した。
12音技法とは、12の半音に平等を与えつつ、それらを組織化するメソード。
ex.「5つのピアノ曲」op.23第5曲(1920年初頭)。テーマには同じ音は登場しない。
まず音が重複しない「音列」を作る。音列とは、12の音を1回ずつ使って並べた楽曲の最小単位。
様々な音列の作り方;基本形→逆行形(基本形の後ろから辿る)。基本形→反行形(基本形を鏡で反射させた上下逆の形)→逆反行形(反行形の後ろから辿る)。
浅田;頭が痛くなる音楽だと門前払いする人もいるが、よくよく聴くと、機械的という事はなく、その中に強烈な情緒が入っている。絶望、絶望の向こうの虚無観、等。
小沼;シェーンベルクが12音技法を考え出した時代は、ソソヴィエト連邦(1922-91)ができた時。人は皆同じだという考えがベースに。
岡田;全ての音は平等回数使わなければいけない。1人1票という民主主義の大前提と似る。音の世界に平等を持ち込むと、カオスになる。
坂本;中心になる音がなくなれば、それは当然。
・ワークショップ「12音技法による作曲にチャレンジ」
作曲を学ぶ音大生3人に、2週間前に課題を与えた。
・課題④「12音技法の拡大」
シェーンベルクが確立した技法を2人の弟子が発展させる。
アントン・ヴェーベルン(1883-1945)
ex.「管弦曲の為の変奏曲」op.30
短2度と短3度しか用いず、真ん中で折って左右ひっくり返した音列。緻密な響き。
アルバン・ベルク(1885-1935)
ex.「ヴァイオリン協奏曲」(遺作)
最晩年に調性が復活、12音技法と合体させた新境地。抒情的で感情的な響き。
小沼;12音技法は数学の遊びでは決してない。どういうアプローチによるかで全く変わるし、個性も強く現れる。
・演奏
ヴェーベルン「チェロとピアノの為の3つの小品」op.11
1914年作曲の無調音楽。全3楽章だが、9小節,13小節,10小節と極端に短い。全2分。
藤原真理(vc),坂本龍一(p)
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講師陣は同じメンバー。
ディレクター 前田聖志 & 石原淳平
20世紀のヨーロッパは激動の時代。
それ迄のヨーロッパ列強による世界支配が第1次大戦で崩壊。終戦後、帝国の支配下にあった国々や地域が独立、新たな枠組みがてきる。
音楽の世界でも、作曲家達はそれに呼応し、新たな枠組みを模索する。
今回はストラヴィンスキーとバルトークを中心に、民俗音楽と結び付く事によって生まれた新しい西洋音楽の響きについて考える。
・講義①「ロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の衝撃」
坂本龍一;ヨーロッパの中央で、それ迄の音楽の流れが終焉を迎えつつある時、周辺だった国々から攻め上がるように新たな才能が出現する。
岡田暁生;第1次大戦は、世界の中央がヨーロッパでなくなった戦争でもある。それ迄、非ヨーロッパの作曲家は、ベートーヴェンやブラームス、ヴェ ルディのような曲を書こうとしてきたが、この大戦前後から、自分達のやり方でモダニズム(20c.初頭に興った反伝統主義)を追求する事になる。
浅田彰;第1次大戦が始まる1914年は、旧来世界が本当に終わる時でもある。その直前、ロシアから「殴り込み」をかけてきた人達がいる。たまた まディアギレフ(1872-1929)という優秀なプロモーターがいて、バレエ団を作り、今迄美しい女性バレリーナ中心だったものから、男性の野生的な肉 体美のようなもので観客を圧倒するスタイルを志向した。ディアギレフが、当時まだ28歳だったストラヴィンスキー(1882-1971)に委嘱してできた のが、まず『火の鳥』(1910初演)、『ペトルーシュカ』(1911年)。そして『春の祭典』。これが初演されたのはまさに第1次大戦前夜の1913年 だった。
この3作品が遂げたレベルは、旧来で言えば30~40年の時間をかけたものだったろう。
ex.『火の鳥』;従来のバレエでは考えられない激しいリズム。
ex.『春の祭典』;振付,衣裳,音楽、全てがバレエ界の常識を完全に無視したものだった。
小沼純一;踊りはまるでマイケル・ジャクソンのよう。そんな事をこんな時期に既にやっていたのに驚きを感じる。
岡田;ストラヴィンスキーは肉体というものを前面に出した、つまりリズムを前に出したという事でもある。
20世紀の音楽とは何かというと、定義は様々あるが、1つには「ダンスの世紀の音楽」という言い方がある。
1913年に『春の祭典』、1920年代にアメリカでジャズが興る、30年代 スウィング・ジャズで世界が踊り狂う、40年代 ビバップ、50年代 エルビス・プレスリー、80年代 マイケル・ジャクソン。脈々とダンスの世紀が続いている。
坂本;身体性の音楽の世紀、とも言える。
浅田;そうは言っても、ストラヴィンスキーの音楽は、大変巧緻にできている。ノリが良ければそれで良しというのではなく、彼のリズムは全然反復ではない。身体性をもう一度論理によって組み立てるという事をしている。
岡田;低音域和声と高音域和声はそれぞれ別のきれいな従来型だが、それを謂わばモンタージュした。
坂本;時間的に異なればきれいな和声進行だが、それを一度に上下に重ねてしまうと、もの凄く濁った土俗的な音になる。
浅田;それが入ってきた時、音楽は20世紀に入った!
坂本;古典的な和音から騒音を作り出す。一種打楽器的な扱いをオーケストラにさせてしまうという新しい書き方だ。バレエ曲だが、オーケストラ曲として、世界中で演奏されるようになり、世界に大きな影響を与えた。
・講義②「民俗音楽との融合」
坂本;周辺国からの殴り込みというと、ベラ・バルトーク(1881-1945)も忘れてはならない。
彼は東欧トランシルヴァニアで生まれた。20世紀初頭、ハンガリーとルーマニアが国境線の引き方で争った地方。バルトークはハンガリー,ルーマニアを現地調査、深く民俗音楽に入っていった。それを純粋音楽の方に合体させていく。
近代化の中で失われつつあった民俗音楽、それを、最新の蓄音器を持って農村を回り、録音。採集したものを元にピアノ曲を作った。
ex.「ルーマニア民俗舞曲」(1915)
坂本;ヨーロッパの中央の音楽が忘れていた民俗的なものを直接取り込み、それを栄養にして新たな音楽を再構成した。
岡田;バルトークの仕事では、変拍子という事も大事!3と2を掛け合わせたようなリズム等。
ex.「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」(『ミクロコスモス』第6巻(1932-39))には、1小節の中に、4拍,2拍,3拍のグループが入っている。
彼の変拍子は、フランス6人組のダリウス・ミヨー(1892-1974)に大きな影響を与えた。ミヨーは米亡命の間に学生を教えているが、その中 には、後ジャズ・ピアニストとして名を成すデイヴ・ブルーベック(1920-2012)がいた。彼の有名な『テイク・ファイヴ』は、東欧のリズムの影響か ら生まれた3+2=5の5拍子である。
坂本;一方で、バルトークの作品に通底するのは、バッハに繋がる対位法的な音楽を受け継ぎ発展させた事。
浅田;狭い場所でなく、全世界的な拡がりの中で民俗音楽を取り込みつつ多様な音楽を作っていった。エスニックなものと、知的なものが同時に存在するというのは面白い。
ex.「弦楽器,打楽器とチェレスタの為の音楽」(1936)は55歳の作品。古典的西洋音楽の技法をベースに民俗音楽的な変拍子の手法が重ねられている。
・ワークショップ「日本民謡を素材にしてピアノ曲を作る」
事前に生徒達(前回と同じ)に提供されたのは、日本全国北海道から沖縄の民謡9曲。それらを基にして創作を発表。
・講義3「ジャズからの影響」
第1次大戦を通し、アメリカで生まれた大衆音楽としてのジャズ。それがヨーロッパで大流行、既存音楽に多大な影響を与えた。
岡田;1917~18年、初めてジャズという言葉を付けたレコードが出る。『オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド』というもの。
1918年、米ハーレムの黒人達ばかりの部隊が、第1次大戦でパリに行く。ここでジャズ・バンドがヨーロッパで初めて披露され、人気を博す。クラシックの作曲家達も影響を受ける。
浅田;ヨーロッパ的な音楽世界の体現者だったモーリス・ラベル(1875-1937)が、1928年に米演奏旅行。この時聴いたジャズを取り入れて、「ピアノ協奏曲ト長調」(1932)を作る。ジャズやブルース、またスペイン風の旋律やリズムが盛り込まれている。
岡田;ラベルにおけるジャズの影響としては、ソフト面だけでなく、オーケストラ編成にも見られる。管楽器,打楽器が旧来のオーケストラよりたくさん使われていて、まるでジャズ・コンポまたはジャズ・オーケストラという感がある。
坂本;岡田説によると、20世紀の音楽というのは、純粋音楽の方は殆どなくなってしまって(浅田コメント「袋小路に入ってしまって」)、第1次大 戦後は、ジャズ,ポップスに引き渡されてしまったのではないか。ヨーロッパ中心主義みたいなものは衰退し、周辺国から音楽の豊かさが移っていった、という 言い方もできるかもしれない。
・演奏
ストラヴィンスキー作曲『ピアノ・ラグ・ミュージック』(1919)
ジャズの全身であるラグ・タイムのリズムや、ブルースの旋律が散りばめられて、パッチワークのように再構成されている。
ストラヴィンスキーは、その後アメリカに亡命、ジャス影響の曲を更に多数創作する事になる
永野英樹(p)
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講師は同じメンバー。
ディレクター 前田聖志
今回は第2次世界大戦(1939-45)後の西洋音楽。
ヨーロッパは戦場となり、それ迄の世界は崩壊した。
戦後、欧米は新世代の作曲家により音楽の新たな可能性を模索する動きが生まれる。
音楽そのものの概念が大きく変化したこの時代に生まれた2つの潮流を見る。
・講義①「第2次大戦後の音楽~ヨーロッパ」
坂本龍一;音楽技法で見ると、戦前からの12音技法がより精緻にシステム化され、総音列(トータル・セリエル)技法に向かう。
浅田彰;ピエール・ブーレーズ(1925- )が象徴的、1925年生まれで終戦の年に20歳になった。(三島由紀夫の世代でもある。)
20歳で終戦とは、壊滅と同時に全く白紙の状態(タブラ・ラーサ)が目の前に拡がっているという事。
全面的音列音楽を作り出す事に、彼は向かう。
「総音列技法(トータル・セリエリズム)」=音の高さ,長さ,強さ等、音に関する要素それぞれに対しある規則を当て嵌めて作曲する技法。
ex.ブーレーズ『ストリクチュール』第1集第1部(1951,52)
まず1つの音列を作る→音の上がり方下がり方はそのままに、2番目の音から出発する音列を作る→同様3番目の音~12番目の音をスタートにして音列を作る→全ての音にナンバーを振り、表にする→反行形音列で同じ事をする→2つ目の表を作る。
4つの音の要素、音の高さ,長さ,強弱,アタックの種類も同じようにして12の順序に並べ、ナンバーを割り振る。4要素を使う順を2つの表から選び出す。
これによって音の基本的骨格が現れてくる、という仕組み。
浅田;シェーンベルク,ヴェーベルンを引き継いで、数学の塊みたいなものを作り出した。
坂本;こうしてできたものは演奏が極めて難しい。シュトックハウゼン(1928-2007)等は機械で演奏させてしまおうと考え、電子音楽が誕生する流れが出てくる。
岡田暁生;ブーレーズやシュトックハウゼンの仕事を特徴付ける事、音楽を限りなく科学に近付けたいという衝動。分析性,実験性etc.。殆ど取り憑かれている感あり。
坂本;操作性という事でもある。
岡田;操作性,科学性、1言で言うなら音楽というのは娯楽ではない、と。
こういうクレージーな情熱が何処から来たか考えると、それは、終戦時に20歳だったという特別な事と無関係でない筈。
第2次大戦では科学の限りない暴走を目にした。原爆の投下、その後も続く新しい核兵器の実験。ブーレーズの頭の中には、音楽も何らかの形で科学と対決しない限り芸術として存続は危ういという意識があったのではないか。
小沼純一;ナチスドイツ、ファシズム、そうしたものが持っていたある情念的なもの、それに対するアンチテーゼという側面もあった。情念とかロマン主義的なところから離れ、もっと知的にという音楽の作り方への志向もあったろう。
・講義2「第2次大戦後の音楽~アメリカ」
音楽を科学に近づけようとした欧州、一方、米では、ジョン・ケージ(1912-92)が全く別のアプローチで情緒的要素を取り除こうとし、実験的な音楽を生み出す。
坂本;ジョン・ケージは西海岸の生まれで、たまたま亡命中に西海岸にいたのシェーンベルクの門を叩く。
浅田;つまり、ドイツ,オーストリア音楽の一番中核的な伝統を20世紀化したもの、そうしうものを彼は受け取った。と同時に、日本の鈴木大拙(1870-1966)(*)を通じて、禅のあるがままの自然を置いておけというような思想(Let it be)を受け取る。
(*)日本の禅を海外に知らしめた仏教哲学者。1950年代、ニューヨークの大学で禅の講義を行った
坂本;多分シェーンベルクの門を叩き何度かレッスンを受けたが、この先には音楽の可能性はあまりないという事を感じ取り、彼独自の「チャンスオペ レーション(偶然を利用して楽譜を作成する手法)」とか、東洋思想の影響を受けた『易の音楽』とかに向かう。これは西洋人には驚愕の世界であったろう。
ex.『易の音楽』(1951)
ケージが作曲に使ったのは、3枚のコイン。古代中国の占いの方法に習い、音の高さ,長さ,強弱,リズム等をコインを投げて決めた。
こうした手法は「偶然性の音楽」と言われ、その後の作曲家に影響を与えた。
そして、その翌年、彼は全く新しい音楽の概念を提示する。それが『4分33秒』。
楽譜は3楽章に分かれているが、全ての楽章に亘り休止の指示のみがある。聴衆を前に演奏家は、ストップウォッチで4分33秒を計測するものの、その間、楽器の演奏はしない。
浅田;4分33秒というのは、273、つまり絶対零度(=-273℃)の数字でもある。楽音の一切ない空間に、観衆のざわめき、外からの雑音、鳥の声等はあり、サウンドのイベントではあり…、
坂本;「借景の音楽」とも言える。
岡田:ヨーロッパの人間にとって、音楽は極めて人工的なもの。彼等にとってセミの声,スズムシ音というのは一種のノイズ。ケージには、音楽かノイズかという区別そのものを無効にしようという発想があったかもしれない。
坂本;ケージに言わせると、音楽の素材というのは「音」と「サイレンス(沈黙)」の2つ。という事は、「音」の中には、楽音も鳥の声もノイズも入っているという事。
浅田;ケージって、じゃあ何でもありなのか?というと、そうではなく実に厳格なところがある。4分33秒というのは秒単位で決まっていて、その中 で自由なイベントが起こる。何でもありではない。坂本;最後迄時間をどう区切るかって事は手放さなかった、厳格に書き込んでいった人。
・ワークショップ「図形(グラフィック)を楽譜として捉えて作曲する」
図形などのグラフィックを楽譜として捉えて作曲する。1950年代、ケージ等の用いた手法に挑戦する。
生徒は前回と同。
生徒達の創作例は以下の通り、
ex.1 折り紙の展開図から音楽
ex.2 既存曲の楽譜を横にして見る(=90°倒す)と
ex.3 衛星写真の山の稜線
・講座③「伝統的西洋音楽からの脱却」
ヤニス・クセナキス(1922-2001)は、作曲家であり建築家でもあった、ルーマニア生まれのギリシア系フランス人。
坂本;建築家だったクセナキスは、計算機を使って音をはじき出す、普通の音楽家には決して出来ない手法を開発した。
ニュートン的な物理学迄は、粒子の振る舞いは完全に数式で書けるという考え方が支配してきたが、量子力学(=素粒子,原子,分子等の物理現象を扱う理論体系)以降、電子の振る舞いとか核の振る舞いとか、統計的にしか判らないという事態になった。
浅田;不確定性原理(=原子や電子等の世界では、粒子の運動量と位置等を同時に且つ正確に測定する事は不可能、という原理)の下で、統計的な波として分布しているとしか言いようがない。
坂本;クセナキスが統計学的な手法を持ち込んだというのは、つまり音楽も初めて量子力学的な領域に迄踏み込んだという科学主義の発展かもしれない。
クセナキスは楽譜を方眼紙に書いた。縦は音の高さ、横は時間を表す。
彼は音楽を「無数の粒子からなる音の雲」と呼んだ。1つ1つの音の繋がりを重視した伝統的な西洋音楽の手法は採っていない。音の響き全体が音楽であるという独自のスタイルを彼は確立した。
坂本;そういう試みが、60年代迄にいろいろ行われ複雑化していくが、70年代に入る直前から「ミニマルミュージック」(=パターン化された短い 音型を反復させる音楽)が始まる。その頃僕は20歳くらいで、ここが何世紀も続いた西洋音楽の「袋小路」、遂に「なれの涯」かと深く感じていた。
でも、音楽というのは人間がいる限りある、形が変わっても続いていくだろう。
・演奏
ブーレーズ『ノタシオン』
19歳時に作曲したピアノ曲。12の短い曲で構成される。特定の12音からなる音列に基いて作曲された。12音技法を確立したシェーンベルクやヴェーベルンの影響下で作ったと言われる。
ブーレーズは89歳、今も作曲家,指揮者として活躍。現代音楽の擁護者としても、20世紀の音楽に大きな貢献を果たしてきている。
永野英樹(p)