MacPeopleにて好評連載中の「ユザーンの川越コンピューター学園」。
10回目のゲストは世界で活躍す る音楽家の坂本龍一さん! 超大物の登場で、今月はMacPeople本誌の表紙と巻頭も飾っています。
今月の転入生:坂本龍一
’52年生まれ、東京都出身。幼いころから作曲を学び、大学在学中から本格的に活動開始。ソロとして活動する一方、「イエロー・マジック・オーケストラ」 (YMO)に参加して人気を得る。テクノポップ、ワールドミュージックといった分野での活躍のほか、オペラや映画音楽の作曲・プロデュースなど、活動は多 岐に渡る。環境問題や平和問題に関する発言や活動も多く、独特の存在感で常に注目を浴びる存在
「反抗してブラックジーンズで学校に行ってたよ」
ユザーン 学生服はいままでに着たことがありました?
坂本 中学・高校と着てたよ。でも高校2年生くらいから、もう着るのやめちゃったんだよね。
ユザーン それ、勝手にやめちゃってもいいものなんですかね。
坂本 いや、ダメだと思うけど、反抗して。ブラックジーンズで学校に行ってたよ。
ユザーン そんな人、校内にほかにいました?
坂本 いなかったね。
ユザーン そうでしょうね(笑)。だいたいブラックジーンズ自体そのころそんなに浸透していませんよね。
坂本 たぶんあんまりなかった。
ユザーン じゃあ、オシャレだったんですね。
坂本 うん、オシャレだった(笑)。
ユザーン いま教授が身につけてる、下駄と手ぬぐいのスタイル、バンカラっていうんですよね。そういう格好はしてました?
坂本 僕はしてなかったけど、上級生にいました。素足に下駄で、腰から手ぬぐいを下げて。なんだか、戦前の映画から抜け出してきたような。
ユザーン あ、戦前にそういうのがはやってたんだ。
坂本 戦前はみんなそうだったね。
ユザーン 教授が学校行ってたのは、戦前じゃないですよね。
坂本 僕のこと何歳だと思ってるんだよ(笑)。戦争前は、いわゆる旧制高校っていうのがあって。一高がいまの東京、二高が仙台、五高が九州とかね。そこを卒業すると帝国大学に入学することになるんだけど。
ユザーン はい。
坂本 旧制高校っていうのは全寮制で、男ばっかりなんだよね。その中で「チャラチャラしたのは許さん」みたいな文化が 生まれたんだ。いわゆる「硬派」っていうか。わざと汚い格好して、高下駄履いてさ。フンドシを身につけてるんだけど、新品だと格好わるいから、新しいのを 買うとまず醤油で煮詰めて。カバンも棒で殴ってボロボロにしたりさ。
ユザーン なんで教授はそんなに詳しいんですか?
坂本 僕のおじいちゃんが九州の五高出身だったから、彼からそのころの話をよく聞いていたんだ。で、戦前のそういうスタイルをバンカラって言って、その時代から抜け出してきたような人が僕の高校にもいた、っていうわけ。
ユザーン バンカラスタイルは校則的にOKだったんですか?
坂本 それも許されてなかったね。下駄は禁止になってた。いまだに校則に「下駄禁止」って書いてあるらしいよ。
ユザーン そんな校則なくても、いまどき下駄で登校する生徒はいなそうですよね。風営法と一緒だなー。
坂本 そうそう。あれだってね、赤線時代の法律でしょ? 赤線って言ってもわからないか、最近の人は。
ユザーン 言葉として知っているくらいですね。
坂本 僕が通ってた新宿高校のすぐそばが、赤線だったんだ。
ユザーン 教授も行ってました?
坂本 だから僕をいくつだと思ってるの(笑)。もう売春防止法ができてて、赤線はなくなってたよ。まあ、その時代の話はよく聞いたけど。
ユザーン 例えばどんなのですか?
坂本 朝になって、赤線から登校して来ようとした生徒が、赤線から出てきた先生とバッタリ会っちゃって、しょうがなく一緒に登校したとか。
ユザーン あはは! いい話ですね。
ユザーン ところで、その腰から下げてる手ぬぐいは、バンカラ的にはどういう意味があるんでしょうか。
坂本 あぁ、手ぬぐい。なんなんだろうね。わかんないなー。みんな汗っかきだったのかな?
ユザーン 教授、たぶんそれは違いますよ。
坂本 まあ、いろいろ便利だったのかもね。ハンカチより長いから、ケンカでケガしたときの止血にも使えたりして。
ユザーン なんだか物騒な話が出てきたな。やっぱり硬派な人はケンカするものなんですね。教授はしなかったんですか?
坂本 階段の裏で、先輩に殴られたりはしましたね。
ユザーン お、バンカラっぽい!
坂本 僕が小5くらいのときに、ビートルズが世の中に出てきたんですよ。それに影響されて髪の毛を伸ばし始めて。中学に入ったときも耳にかかるくらいの長さで、当時としてはすごい長髪だったんだ。で、呼び出されて殴られた。
ユザーン やっぱり殴られたあとは髪の毛切ったんですよね。
坂本 いや、切らなかった。
ユザーン 相変わらず反抗的ですね(笑)。
坂本 中学生のときに、他校の生徒にいきなり殴られたこともあるな。
ユザーン それも髪が長かったからですか?
坂本 いきなりだったからよくわからない。ガン飛ばした、とかそういうんじゃないですかね。
ユザーン 危ない時代ですね。
坂本 そういえば、僕らの時代の不良は、ほとんどみんなエレキギターを弾いていたんですよ。「エレキギター=不良が持つもの」ってイメージだった。
ユザーン あ、聞いたことあるな。僕の父親が栃木県足利市というところの出身なんですよ。で、すごくビートルズが好きでエレキギターが欲しかったんだけど、足利市に日本初の「エレキギター禁止」という条例が出て、仕方なくフォークギターを買ったらしいです。
坂本 そう、そんな感じだった。だから、僕の周りでギター持っているやつは全員不良で、何かあったときのためにスパナとか常備してて。
ユザーン それ、本気の不良じゃないですか。そういうスパナ持ったようなギタリストと一緒にライブしたりはしました?
坂本 中学のころは、まだみんなベンチャーズの真似をしている程度だったから、ライブまではいかなかったね。高校時代は、同級生とバンドを組んだりしていたけど。
ユザーン どんな編成でした?
坂本 ギター、ベース、ドラム、フルート、それにピアノ。まあ校内で集まって演奏するだけだったけどね。
ユザーン 放課後ですか?
坂本 うん、午前中はみんな雀荘にいたから(笑)。ウチの高校は新宿にあったんで、赤線はなくなってたけど雀荘がいっ ぱいあるんですよ。で、そのころは全国的に学生運動が盛んだった時期で、高校生もデモに行くようになってきてたんだよね。デモのある日は、学校じゃなくて 雀荘をハシゴして声を掛けていくわけ。
ユザーン なんだかすごい状況だな。
坂本 「おーい、今日3時半からナントカ公園だぞ、出てこい」って言うと、みんな麻雀やりながら「行きます!」みたいな。
ユザーン 当時そうやって集まっていた高校生たちは、みんなかなり真剣な気持ちでデモに行っていたんですかね。それとも「まあやってるから行こうか」くらいの感じだったのかな。
坂本 「上級生の坂本さんに脅かされたから」って、仕方なく行ってた人もいたかもしれないね(笑)。そういえばさ、僕が誘ってデモに連れて行ってた中のひとりが、東電の新しい社長なんだよ。
ユザーン えー! そうなんですか。
坂本 「当時はデモに行ってた側なのに、おまえ何やってるんだよ」って言いに行ってやろうかな。
ユザーン ぜひ行ってくださいよ。
坂本 きちんと賠償しろ、って言ってこないとね。
ユザーン 教授は最近の官邸前のデモにも参加されてますけど、学生時代に教授が行っていたものとどんな違いがありますか?
坂本 昔からやっている者からすると、今はのどかで和気あいあいとしているよね。だけど現在の日本では以前のような殺 伐としたデモは共感を得られないでしょ。でも、今だってギリシャやエジプトとか、まあアメリカもそうですけど、こういうデモがあると騒ぐだけが目的のフー リガンのような人達が必ず出てくるんだよね。商店を壊したり、火をつけたりっていうやつらが世界中にいるんだけど、日本にはいない。本当に日本人はお行儀 がいいよね。そして、それはもちろん悪いことじゃないと思うよ。
ユザーン このままデモに集まる人数が増えて行くことによって、政府側がなんらかの変化を示していくことはあるんですかね。
坂本 それはわからないよね。けっこうな人数が反対デモに集まったのに、それでも大飯原発は再稼働しちゃったし。だから、あのくらいじゃまだ届かないってことかもしれない。今の10倍くらいになれば、さすがに考えるかもしれないけど。
ユザーン そうですよね。なんだか貴重なお話をいっぱい聞けた気がします。それじゃあ、ここから少しマックについて伺っていきますね。教授がマックを使い始めたのって、かなり初期からなんですよね。
坂本 Macintosh SEからだから、’87年かな。本当は初代マックのデザインがかわいくてよかったんだけど、やっぱり高すぎて買えなかった。あれ、今でも「いいデザインだな」って思う。
ユザーン 当時で、それはいくらぐらいだったんですか?
坂本 100万くらいはしたんじゃないかな。SEでも60万以上したけど、清水の舞台から飛び降りるつもりで買いました。
ユザーン そのあと、いままでずっとマックしか使っていないんですかね。
坂本 えっと……。Windows 95が出たじゃない。そのときに、当時のマイクロソフト(株)の会長だった古川 亨さんにレイプされて。
ユザーン レイプって(笑)。無理強いされたんですか。
坂本 そう。ムリヤリ引っ張られて、ちょっと宣伝までしちゃった(笑)。
ユザーン あ、CMに出てましたよね! そういえば。
坂本 で、そのとき初めてウィンドウズPCというものを購入して使っていたら、周りの人達が近寄ってこないんだよね。
ユザーン え、どうしてですか?
坂本 スタッフ全員マックユーザーだからね。怖いものでも見るように遠巻きにされて。悪魔に魂を売った男、みたいに言われたよ。
ユザーン あはは! ひどいですね。
坂本 ねぇ。でも、1年後には全員ウィンドウズPCになってましたね。
ユザーン ウィンドウズの使い勝手がよかったからですか?
坂本 まあ、珍しいから使ってみてたんじゃないかな。でも3年後くらいには、今度は僕が誰よりも早くマックに戻った。「まだみんなPC使ってるの?」って顔で周りを見る、という逆の立場になってました。
ユザーン その後はずっとマックユーザーですか。
坂本 うん。’99年くらいに戻ったのかな。それからずっとマック。
ユザーン 新機種が出ると、だいたい買ってみたりしますか?
坂本 うーん、そこまでではないけど、確実に30〜40台は買ってるね。
ユザーン いまもMacBook ProやMacBook Airなど、ひと通りそろえて用途に合わせて使っている感じなんですか。
坂本 Airは使ってない。音楽の作業を考えると、どうしても「Pro Tools」(音楽作成アプリ)を稼働できるラップトップが旅先で必要になるでしょ。その上でAirも買ったら、移動のたびに全部持って歩かなきゃならな いじゃない。だから、基本は17インチのMacBook Proを使ってます。まあ、iPadも持ち歩いてるからそれでもけっこう重たいんだけど。で、家では作業用のMac Proを使うって感じ。
ユザーン マックを使っていて、何か大失敗をしたことってあります?
坂本 うーん。お酒を飲んでるときにメールしないほうがいいよね。
ユザーン それはマックとあんまり関係ないですね(笑)。
坂本 僕は基本的にあんまり人の悪口とか書いたりしないんだけど、たまたまAさんって人の批判的なことを書いてしまったメールを、酔った勢いで間違えてその本人に出しちゃったことがある。
ユザーン それは大失敗すぎる!
坂本 もちろんマックのせいではないけど(笑)。あとは、’92年の夏にスペインのセビリアってところでライブをしたことがあるんですけど、セビリアの夏って本当に暑いんですよ。
ユザーン はい。
坂本 ライブのためにマックを起動させなきゃならなかったんだけど、その起動用のフロッピーディスクが暑すぎて溶けちゃったのね。ビローン、って曲がっちゃって。
ユザーン そりゃ困りますね。アップルに文句言いました?
坂本 当時のマックの規格が、熱に対して45度くらいまでしかサポートされていなくて。セビリアはスペインの中でも本 当に乾燥しているところで、昼間は47度とかになっちゃうんですよ。それで、溶けたフロッピーを見て「ああ、これってダリじゃん」って思った。フロッピー が、まさにダリの描くゆがんだ絵みたいになっちゃったんだ。ダリもスペイン人だし「ああ、これって単なるイメージじゃなくて本当の世界だったんだ」と感じ たよ。
ユザーン フロッピー溶けてるのに冷静だな(笑)。身をもってダリの世界を学んじゃったんですね。
坂本 ね、なかなかできない失敗でしょ? でも、マックに入れた大きなオーディオファイルをライブにも使えるようになったのは、結構最近の話だよね。’99年に「LIFE」っていうでっかいオペラ をやったんだけど、そのときも楽屋にはマックをずらっと並べているのに本番では使えなかった。止まる恐れがあったからね。
ユザーン 音源をハードディスクに落として再生してたんですか?
坂本 そう。サクサク動くようになったのは、本当にここ10年くらいだよ。
ユザーン でも、’87年に初めてのマックを買った当初から音楽作成にはもちろん使っていたんですよね?
坂本 うん、「Performer」(音楽作成アプリ)が出たときに買ったから、マックの購入動機自体がそれだったんだと思う。
ユザーン それ以来、教授が携わる音楽には常にマックは欠かせないものなんでしょうか。
坂本 そうだね。制作の現場に、マックがなかったことはないです。