坂本龍一、千歳烏山育ち。
坂本龍一と竹田賢一が濃密に接触し、語り合ったのは1974年からYMOが散開した1983年までの日々である。
10年ほどだ。そしてその唯一のフルーツが『ディスアポイントメント・ハテルマ』である。
迷いながらも末期サカモトまで、この音が秘かな持続低音として長く響いていたと私は確信している。
坂本龍一、千歳烏山育ち。
坂本龍一と竹田賢一が濃密に接触し、語り合ったのは1974年からYMOが散開した1983年までの日々である。
10年ほどだ。そしてその唯一のフルーツが『ディスアポイントメント・ハテルマ』である。
迷いながらも末期サカモトまで、この音が秘かな持続低音として長く響いていたと私は確信している。
▲齋藤次郎(最後の大物次官、新宿高校OB)
新宿高校OBで、文化人のトップが坂本龍一(←)なら、官僚のトップはこの人です
まさに「ザ・官僚」といった人で、日本の財政規律について、当時の首相、安倍晋三と激しく対立しました
どちらも「日本の国益を考えて」のことですが、方法論が違った
ちなみに「中韓の国益を考えて」政治屋をしている、卑劣な売国集団の立憲共産党なんぞとは、まるで次元が違います
(^_^;)
先般出版された故・安倍元総理の回顧録の中で、消費増税を巡る財務省との攻防についての件が一部で注目されています。
第9章「安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘」では次のようにつづられています。
14年に見送りを決めたのは8%に増税したことによる景気の冷え込みが酷すぎたからです。……この時(編集部注:増税見送りをする直前の2014年11月)、財務官僚は、麻生さんによる説得という手段に加えて、谷垣禎一幹事長を担いで安倍政権批判を展開し、私を引きずり下ろそうと画策したのです。前述しましたが、彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない……ことさら財務省を悪玉にする積りはないけれど、彼らは税収の増減を気にしているだけで実体経済を考えていません……内閣支持率が落ちると、財務官僚は、自分たちが主導する新政権の準備を始めるわけです。”目先の政権維持しか興味がない政治家は愚かだ。やはり国の財政をあずかっている自分たちが、一番偉い”という考え方なのでしょうね。国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです
これに嚙みついたのが、元大蔵事務次官の齋藤次郎です。
齋藤元次官は「文藝春秋」のインタビューで、ここのくだりについて
「正直、ここまで嫌われていたとは思っていなかった」
「私がどうしても理解できなかったのは、財務省は〈省益のためなら政権を倒すことも辞さない〉と断じた部分です。安倍さんがいらしたらお聞きしたいのですが、“省益”とは一体何を指すのでしょう?この言葉の意味するところが、さっぱり分かりませんでした。……財務省の最も重要な仕事は、国家の経済が破綻しないよう、財政規律を維持することです。『回顧録』のなかで、安倍さんは財務省のことを〈国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです〉とおっしゃっていますが、財政規律が崩壊すれば、国は本当に崩壊してしまいます。大幅な赤字財政が続いている日本では、財政健全化のために増税は避けられず、そのため財務省はことあるごとに政治に対して増税を求めてきました……それは国家の将来を思えばこその行動です。税収を増やしても、歳出をカットしても、財務省は何一つ得をしない。むしろ増税を強く訴えれば国民に叩かれるわけですから、“省損”になることのほうが多い。国のために一生懸命働いているのに、それを『省益』と一言でバッサリ言われてしまっては……現場の官僚たちはさぞ心外だろうと思います」
と反論したのですね。
この大島理紗子さん(←)は
芸大時代の大親友です
一緒のバンドで活動してた
(^_^;)
5月6日(土)に北とぴあで、坂本龍一さん(→)の追悼コンサートが開催されるみたい。
情報ソースはこちらのプレスリリース。
■コンサート概要
タイトル: ―記憶に残り続ける、坂本龍一の美しきメロディーたち― 坂本龍一追悼コンサート
日時 : 2023年5月6日(土) 開場 19:00/開演 19:30
会場 : 北とぴあ つつじホール
〒114-8503 東京都北区王子1丁目11-1
入場料 : 無料
出演者 :大島理紗子(ヴァイオリニスト)、高倉圭吾(ピアニスト)、三谷野絵(チェリスト)
主催 : 株式会社Big Island
URL : https://b-island.co.jp/application/
■プログラム
・戦場のメリークリスマス
・ラストエンペラー テーマ曲
・八重の桜 メインテーマ
・energy flow
・ゴリラがバナナをくれる日
お申し込みフォームはこちら。
申し込みは、名前・連絡先・チケット枚数を登録するだけのようです。
世田谷区長選挙が4/23投開票の日程で実施されます。
今回の世田谷区長選挙には届け出順に自民党と日本維新の会が推薦する新人の内藤勇耶(29)、現職の保坂展人(67)の無所属2名が立候補しました。
保坂展人
1955年宮城県仙台市生まれ、東京都立新宿高校中退。
教育問題を取り上げるジャーナリストとして活動後、衆議院議員を3期、世田谷区長を3期務める。
中学校卒業時の「内申書」をめぐり16年にわたる内申書裁判の原告となった。
1996年から衆議院議員を3期11年務め、2011年の世田谷区長選挙で初当選。
以降3期連続当選し、今回は4期目を目指しての立候補。
二人とも、ひざから下が
いかにも天才!
という姿してますね
(^_^;)
ドクター中松(本名・中松義郎=94)が4/18の発明の日」、ドクター中松ハウス(東京都世田谷区)内に「ドクター中松発明博物館」を開館した。
ドクター中松発明博物館内には3/28に71歳で亡くなった、坂本龍一とのツーショット写真も展示。
1990年4月にニューヨークに拠点を移した坂本龍一が、ニューヨークで一番有名な日本人がドクター中松だと聞き付け「どんな人か?」と直接訪ねてきた。
ドクター中松は
「『戦場のメリークリスマス』(→)
などピアノで弾いてくれた。
才能あふれる人だった。
まだまだ若いのに…もったいない」
と、その死を悼んだ。
新宿高校在学中に、当時吹き荒れていた全共闘運動に巻き込まれてパヨクに染まり、パヨクによる洗脳が生涯とけなかった
音楽家としての世界的な名声をパヨクに利用されて、パヨクの集会などに登場しているのを見るのは痛々しかった
「芸術は長く、人生は短し」Ars longa,vita brevis
この「Ars(英語でart)」という単語は、日本語の「芸術」よりも意味が広く、技術や学問など「○○術」「○○道」と呼ばれるような諸芸一般を差す言葉なので、
「道は長く、生は短し」
と訳す方がふさわしいかもしれません
それにしても「道」という漢字には、
なぜ「首」が含まれているのか?
「芸術は長く、人生は短し」を分かりやすく言い直したのが、
ガンジー(→)の名言と言われている
明日死ぬと思って今日を生きよ
永遠に生きるつもりで今日学べ
ではないかと思います
佐藤一斎も似たようなことを言っていて
若くして学べば、壮して成すあり。
壮して学べば、老いて衰えず。
老いて学べば、死して朽ちず。
ご冥福をお祈りします
(T_T)
坂本龍一さんが、先月28日、亡くなりました。71歳。
幼少期からピアノと作曲を学び、新宿高校を経て藝大に入学。
藝大大学院を修了後、1978年にミュージシャンの細野晴臣さん、高橋幸宏さんとともに「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」として、アルバムを発表し、当時最新の電子楽器を使った斬新な音楽性で“テクノポップ”という新たなジャンルを築きました。
1988年には、映画「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー賞作曲賞を受賞したほか、グラミー賞など数々の賞を受賞して国際的な評価を高めました。
2014年、中咽頭がんと診断され、治療後に音楽活動を再開しましたが、2021年に新たに直腸がんが見つかったことを公表していました。
癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした。
坂本さんが好んだ一節
芸術は長く、人生は短し
Ars longa,vita brevis
71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より、彼の足跡を一部抜粋。
三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれた。
1970年、新宿高校を経て東京藝大に入学した日々を辿る。
(^_^;)
▲「かっぱ寿司」社長の田辺公己
回転寿司業界の
産業スパイ事件も
ついに逮捕者が出た!
転職するときに、前いた会社から情報を持ち出して
「おみやげ」にするというのは、よくあることですが、
やりすぎると逮捕されます
(^_^;)
「かっぱ寿司」社長の田辺公己、逮捕へ
警視庁は、不正競争防止法違反容疑で、「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイト社長の田辺公己(46)ら計3人を逮捕する方針を固めた。
上場企業の現職社長が、刑事犯罪で逮捕されるという、異例の事態になった。
「かっぱ寿司」社長の田辺公己は、ライバル企業の「はま寿司」取締役だった。
「かっぱ寿司」社長の田辺公己は、カッパ・クリエイトに移る2020年11月前後に、仕入れ価格のデータなどの営業秘密を、不正に取得した疑いが持たれている。
「かっぱ寿司」は、かつて回転寿司の御三家だったが、現在は業績が低迷し、「スシロー」一強時代となっている。
田辺公己
千葉県出身。46歳。
1998年、東海大学開発工学部を卒業し、牛丼チェーン「すき家」を経営するゼンショーに入社。
2009年、ゼンショー経営改革室ゼネラルマネジャー。
2014年、はま寿司(ゼンショー系列)取締役。
2021年、カッパ・クリエイト代表取締役社長。
小川賢太郎
「はま寿司」を経営するゼンショーホールディングス取締役会長
すき家などを展開するゼンショーの創業者で、代表取締役会長兼社長兼CEO。
石川県出身、 74歳
都立新宿高校から東京大学(中退)
日本の音楽に一時代を築いた世代が
いま静かに引退の季節を迎えています
でもその音楽は、永遠です
(^_^;)~♪
――山下達郎さんの世代は、いまだ“現役”の音楽家が多いですよね。
日本のポピュラーミュージックを牽引してきた“戦友”は数多いと思います。
同世代で「友人」と呼べる存在を挙げるとすると。
「坂本龍一君(→)かな。
彼がYMOのメンバーになる前、70年代半ばから2年半ほど、それこそ毎日のように会っていた時期がありました。
数年前、久しぶりにゆっくり話す機会があったんですが、距離感はまったく同じだった」
――『戦場のメリークリスマス』に出演、音楽も担当して以来、“世界のサカモト”と呼ばれて久しい存在ですよね。
今となっては、ちょっと意外な人脈とも思えますが。
「坂本龍一君に初めて会ったのは1974年頃で、福生にあった大瀧詠一さんのスタジオでのリハーサルでした。
それまで面識はなかったんですが、坂本龍一君は新宿高校、僕は竹早高校で、同時期に高校紛争を経験しているんです。
年齢的には坂本龍一君が1級上。
僕が高校サボって茗荷谷の喫茶店で三島由紀夫(→)自決の臨時ニュースを観ていた1年前、坂本龍一君は新宿高校に3人だけだった某マイナー新左翼のメンバーとして、長髪・下駄ばきで新宿高校内を闊歩してたそうです。
ちなみに新宿高校のあと2人は、後年衆議院議員になった塩崎恭久さんと、『アクション・カメラ術』で有名になった馬場憲治さん。
そういう背景もあって、坂本龍一君とは初対面からウマが合った。
新宿のゴールデン街の飲み屋で、坂本龍一君が東京藝大で専攻していた現代音楽について客と論議を戦わせているのを眺めていたり、行きつけのライブハウスの酒を飲み尽くしたり(笑)」
――「政治の季節」を共有された。
「坂本龍一君にしても僕にしても、70年安保で人生が狂ったクチなんです。
これはよく言われることですけど、60年安保を機にドロップアウトした人たちが流れた先が雑誌メディア。
雑誌文化は60年代安保世代が作ったと言えるんです。
同じ世代が年を重ねるのに合わせて、雑誌も対象年齢が上がっていってますよね。
育児雑誌、中年雑誌と来て、今や老人雑誌が花盛りになっている」