忘れられたデビュー作

 

坂本龍一、千歳烏山育ち。

坂本龍一と竹田賢一が濃密に接触し、語り合ったのは1974年からYMOが散開した1983年までの日々である。

10年ほどだ。そしてその唯一のフルーツが『ディスアポイントメント・ハテルマ』である。

迷いながらも末期サカモトまで、この音が秘かな持続低音として長く響いていたと私は確信している。

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