92【東京近郊エリア】

渋谷にサッカースタジアム?

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 あくまでも構想段階ですので

  100%必ず実現する

 とは限りません  (^_^;)

 

東京・渋谷区の外郭団体の一般社団法人「渋谷未来デザイン」は13日、同区で行われたイベントで、民間主導で都立代々木公園内に多目的に使えるサッカースタジアムの建設を目指すことを発表した。

「スクランブルスタジアム」と名付けられた構想では、サッカーだけでなく、ライブやイベント会場、さらには防災拠点としての機能も備える。

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パネリストとして出席した日本サッカー協会相談役の川淵三郎氏(81)も賛同した。

渋谷区が出資する「渋谷未来デザイン」は主催するイベントで、スクランブルスタジアム構想を発表。

渋谷の象徴・スクランブル交差点をヒントに、多様な人が行き交い、多用な使い方ができるスタジアムを民間の力でつくることを目標に掲げた。

建設地は複数駅から徒歩10分前後でアクセスできる代々木公園内の南部で、球技場や野外ステージなど既存施設がある付近。

緑地を削る必要はなく、3~4万人規模を想定している。

イメージ図は、12年11月の最初の新国立競技場のコンペで最終選考まで残った建築家・田根剛氏(39)が作成。

公園の自然と調和したデザインになっている。20年東京五輪後の着工を目指す。

実現すれば、東京23区内初の大規模サッカースタジアムとなる。

客席とピッチの距離が近いことで、より臨場感を味わうことができる。

出席した川淵氏も「これまでの日本にはない、世界に冠たるスタジアムができることを願っている。全面的に協力していきたい」と支援を約束。

どのクラブを誘致するかは未定だが、東京都がホームタウンのFC東京であれば集客も見込める。

ライブやイベント会場としても活用していく方針で、スポーツとエンタメの発信地となる。

防災拠点としても意義は大きい。同公園は災害時の避難場所に指定されており、最大10万人の受け入れが予想される。

発案者の金山淳吾理事は「災害時にはトイレの確保にもつながるし、VIPルームやビジネスルームを開放して、被災者を受け入れることができる」と効果について話した。

まだ構想段階だが、渋谷区民、東京都民の意見を積極的に取り入れながら実現を目指していく。

詳細はここをクリック

雨週間

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東京の天気予報です  (^_^;)

 

岩崎隆一 登戸殺傷犯人

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 吐き気のするような事件!

  犯人・岩崎隆一の殺害動機が全く分からない

 子供たちとの間に何かあったのか?  ((((;゚д゚))))

 

川崎市多摩区登戸のぼりと新町の路上で28日朝、同区の私立カリタス小学校の児童らが殺傷された事件。

神奈川県警は、刃物を持った51歳の岩崎隆一に襲われて死亡した2人の身元について、

同小6年の栗林華子さん(11)(東京都多摩市)、

別の児童の保護者で国家公務員の小山智史さん(39)(東京都世田谷区)

と確認されたと発表した。

小山智史(おやま・さとし)さんは、外務省職員という。

事件では、死亡した2人のほか、児童15人、保護者1人が重軽傷を負った。

その後、さらに別の児童1人もけがをしていたことが分かり、負傷者は計17人になった。

神奈川県私学振興課によると、カリタス小学校(内藤貞子校長)は、学校法人カリタス学園が1963年に設立した。

カトリック教育を重視し、系列の幼稚園や中学校、高校がある。

昨年度の児童数は647人(男子63人、女子584人)。

小田急線・JR線の登戸駅から学園まで、スクールバスを運行している。

 


 

いつも通り、学校へ向かおうとしていた児童が突然の惨劇に見舞われた。

川崎市の路上で28日午前、児童らが岩崎隆一に刃物で襲われ、多数の死傷者が出た事件。

「ぶっ殺してやる!」

犯人の岩崎隆一はそう叫んでいたという。

子供らはおびえた様子を見せ、呆(ほう)然(ぜん)と立ち尽くした。

「一体何が…」。血だまりが残る現場には衝撃が走った。

「娘の洋服は血がべったりつき、帽子やバッグも血まみれだった」

現場で襲われたという私立カリタス小1年の女児(6)の父親(46)は声を震わせた。

父親によると、女児はスクールバスの集合場所で襲われた。

午前8時40分ごろに救護場所に駆けつけると、女児は切られた唇を治療中だったという。

命に別条はなかったが、会話できるような状態ではなかった。

周囲には横たわる子供や大人がいて、泣き声も上がっていたという。

「とにかく病院に急ぎたい」。父親は足早に現場を後にした。

現場にいた男性は、岩崎隆一の興奮したような大きな叫び声を聞いたという。

「ぶっ殺してやる!」

別の住民の男性(67)によると、現場近くのバス停は、カリタス小の通学バスの集合場所になっており、毎朝、多くの児童が集まっていた。

多数のけが人を目撃したといい、「一体何があったのか…」と不安そうに語った。

近所に住む別の男性(52)は午前8時ごろ、けたたましいサイレンの音で自宅を飛び出した。

現場近くのコンビニエンスストア前で、路上に横たわる負傷者を目の当たりにした。

女性が救命措置を受けていたが

「出血が激しく、周辺が血の海のようになっていた」

女性のそばには、足と腕を負傷した児童が座り込み、手当を受けていた。

近くの路上ではスーツ姿の男性が倒れ込み、心臓マッサージを受けていた。

別の男性もぐったりして、あおむけに倒れ、救急隊が必死に声をかけながら治療していたという。

現場から100メートルほどの場所に住む40代の女性は

「バス停の前でスーツ姿の男性が倒れていて辺りが血だらけだった。意識はないようだった。周りには子供たちが20~30人くらいいて、泣き叫ぶわけでもなく言葉を失って突っ立っていた」

と話した。

 


 

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岩崎隆一容疑者(51)は、児童らを刺した後に、自分の首を刃物で切って死亡した。

岩崎隆一の住所は、川崎市麻生区多摩美1丁目20。

近所の住民とはほとんど接触がなく、岩崎隆一について知っている人はほとんどいないとみられる。

ただ、小中学校の同級生によると、岩崎隆一は

「突然ブチ切れる性格だった」

という。

岩崎隆一と小中学校で同級生だった男性によると、昔から一見、おとなしいが、何か気に入らないことがあると、突然ブチ切れて暴れる。

まわりのもの、ごみ箱とかいす、机などをけって、先生を困らせていた。

気に入らないことというのも、ささいなことで、「靴をそろえて」と言われたくらいでも、ブチ切れて大暴れしたり、豹変(ひょうへん)したりしていた。

中学になると、岩崎隆一がブチ切れて機嫌が悪くなる回数は増えたように感じた。

「近くの友達に殴りかかって、よくトラブルになっていた。

 ケンカしても、いつも負けるのは岩崎隆一。

 なぜ機嫌が悪くなるのか、何が気に入らないのか、よくわからなかった。

 そういう性格だから近寄る人もいなくなって、いつも一人でいた印象」

友人は、高校以降は岩崎隆一がどこにいったのかは知らないといい、ほとんどかかわらないようにしたという。

「報道で、朝はあいさつして普通だったのに、突然刃物で襲った

 とあったが、昔の突然ブチ切れる性格が頭をよぎりました」

岩崎容疑者の近くに住む女性はこう話す。

「家はいつも閉め切っていて、家族とか一緒に住んでいる人がいる気配がない」

近隣の男性も

「近くだけど、人が住んでいるということも知らなかった」

と話した。

事件のあった28日夜、岩崎容疑者の家には捜査員とみられる男性4人が、パイプ椅子や傘、蚊取り線香などを持って入っていった。

▼岩崎隆一の自宅 川崎市麻生区多摩美1丁目20

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亡くなった小山智史さんは外務省の職員で、ビルマ語の専門家として省外でも知られた存在だった。

外務省のホームページなどによると、大学入学当時、アジアに関心があった小山さんは、

「一般に知られていない珍しい言語を学びたい」

とビルマ語を選択。

在学中に初めてミャンマーを訪問するなどし、平成16年に外務省に入省した。

研修を経て約3年間、在ミャンマー日本大使館で勤務し、要人が訪問すると通訳を担った。

帰国後は、大臣クラス以上の通訳を務めることを期待されるビルマ語の通訳担当官も務め、25年にノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チーさんが訪日した際にも同行した。

小山さんがかつて所属した外務省の南東アジア第1課では、ニュースを目にしたとみられる職員らが、目元をハンカチで押さえる姿もあった。

元上司の男性職員は、

「最高級に優秀な事務官だった。ミャンマーの専門家が少ない中、

 一人で3人分の仕事をしていた」

と振り返り、

「人柄もすごく良く、慕われていた。子供をかばったのだろう。

 犯人を許すことはできない」

と声を震わせた。

子供の送迎時に事件に巻き込まれたとみられる小山さん。

小山さんの自宅近くに住む女性は、

「優しいパパで、お嬢さんとよく遊んでいた。信じられない」

と涙ぐんだ。

 


 

地元民によると

「登戸という街はJR南武線と小田急電鉄が乗り入れる駅を背景に、近年は住宅街として発展を遂げてきた。

被害に遭った児童が通うカリタス小学校はカトリック系の名門私立小学校で、小学校までは共学だが、系列の中学校と高校は女子校。

大手広告代理店や、医者、弁護士など裕福な家庭の子供が行く学校として知られ、都内から通う子も多い」

多数の卒業生が麻布中学校や開成中学校といった名門校に進学している。

「現在の登戸は人気の住宅街であるが、かつては治安が悪いことでその名が知られていました。

戦後、溝の口を中心に登戸にも闇市が広がっており、その後の再開発で整備されたものの、いまだにその面影が残っている場所もある」

この地域をよく知る人間は

「河川敷にはホームレスも住んでいましたし、小さいコリアンタウンも点在していましたね。

僕たちがヤンチャな頃は、よくコリアンタウンに住んでいた人間と揉めていましたね。

川崎から登戸に掛けては結構治安が悪くて、今でこそ武蔵小杉、溝の口などは発展していますが、住宅街とはいえ登戸は夜も暗くて取り残されているイメージです」

と話す。

元々この周辺は、日本でも有数のコリアンタウンであった。川崎の京浜工業地帯などを背景に労働者が集まり、街を形成したという歴史的な背景があるからだ。

今でもその名残を残す場所は数多くある。

 

スタッフ募集中

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 店長は宇宙人ですが

  スタッフは地球人に限ります

 制服貸与 社会保険完備  (^_^;)

 

雅子さまは強打者だった

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 非常に優秀な外交官だった訳ですから

  これから皇后陛下として皇室外交に

 大いに能力を発揮していただきたい!  (^_^;)

 

 皇后になられた雅子さまは、幼少期をニューヨークで、高校、大学時代をボストンでお過ごしになった。

 ボストンではどんな高校時代を送られたのか?

5月2日付の米紙ボストン・グローブ(電子版)が、過去の記事から、雅子さまの高校時代を振り返っている。

人気ドラマの劇制作

雅子さまが日本からボストンに移住し、ボストン郊外のベルモントにあるベルモント高校の2年生に編入されたのは1979年のこと。

当時の雅子さまにについて、教師の一人、リリアン・カッツ氏が、雅子さまが模範生だったこと、勉学に熱心で、化学、物理、数学、ドイツ語に秀でたこと、クラスのトップ10%に入る成績で卒業したことを回想、「彼女は素晴らしかった。頭が良く、優しく、思いやりがあった」と1993年の同紙の記事で話している。
ベルモント高校の1981年度の卒業アルバムに掲載されている高校時代の雅子さま。写真:boston.com

 

ベルモント高校の1981年度の卒業アルバムに掲載されている高校時代の雅子さま。写真:boston.com

 同紙に掲載された1981年度の卒業アルバムによると、雅子さまは、課外活動では数学チームとフランス語クラブに所属。思い出としては、ケネディ図書館、MASH(マッシュ)、ドイツ語、東京、ESL、エンサイクロペディアなどが記されている。「2年生の初めにここに来て、素晴らしい時を過ごしました。友だちみんなに感謝。友情は永遠」という感謝の一言も添えられている。

 ケネディ図書館とは、ジョン・ F・ケネディ元大統領を紹介する映像や写真、遺品など、ケネディ元大統領に纏わる様々な歴史的資料が展示されているボストンにある博物館のこと。

 MASH(マッシュ)は、アメリカで1970年代初め~1980年代初めにかけて人気のあった医療ドラマで、朝鮮戦争時、韓国の野戦病院に駐留していた医師たちに起きる出来事を描いたブラック・コメディだ。オーストラリア人ジャーナリスト、ベン・ヒルズ氏の著書「プリンセス・マサコ:菊の玉座の囚われ人」によると、雅子さまの高校3年時のクラスはMASH(マッシュ)の劇を行い、雅子さまはその制作に参加していたという。

愛するお兄さん

 同紙は、1993年の記事で、雅子さまが、少女時代、熱心なソフトボールのプレイヤーで、少年たちが一緒に試合をしてくれなかったために、女子ソフトボールチームを結成したことにも触れている。

 また、当時、雅子さまはちょっとおてんば娘で、先生が雅子さまに「礼儀正しい日本の女の子にしてはあまりにボーイッシュ過ぎる」と言ったことや、雅子さまの妹たちが彼女を「愛するお兄さん(Dear Brother)」と冗談で呼んでいたという微笑ましいエピソードも紹介。

 雅子さまが、大きな野球リーグに入るのを夢見ていたほどソフトボールが得意だったことにも言及している。

「彼女(雅子さま)は3塁を守る能力があり、ボールを校庭の外まで打ち飛ばし、(それを見た)少年たちは驚いてポカンと口をあけ、先生たちは眉をひそめた。彼女のヒーローはみな野球選手だった。彼女は大きな野球リーグに入ることを夢見ていた」

 しかし、雅子さまはベルモントに引っ越してからは、テニスやスキーをするために、その夢を断念したという。

スラッガー・マサコ

 とはいっても、雅子さまはベルモント高校でもソフトボール部に所属、背番号11番で2塁を守っていた。チームメイトたちと一緒に写っている写真もある。上記の卒業アルバムでは、雅子さまは課外活動の中にソフトボールを入れてはいないが、ソフトボールの腕前が素晴らしいことで有名だったという。

 同紙によると、前述のヒルズ氏の著書には、以下のように書かれている。

「ベルモント高校時代、学業記録以外で、彼女(雅子さま)に関して唯一公になった報道は、ソフトボールが上手いことから、彼女のことを“スラッガー(長打力のある強打者)・マサコ”と呼んでいる地元紙の記事だ」

 

 

天皇陛下のご即位を祝う一般参賀

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 皇居前広場が参賀を待つ行列で埋め尽くされました

  新しい皇室への国民の支持は絶大なようです  (^_^;)

 

天皇陛下のご即位を祝う一般参賀が4日、皇居で行われ、天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方が、宮殿「長和殿」のベランダで参賀者に応えられた。

1日に即位された陛下が公式行事で国民の前に出る初めての機会で、

「ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、

 わが国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ、

 一層の発展を遂げることを心から願っております」

とお言葉を述べられた。

参賀は午前10時から6回行われ、陛下は毎回お言葉を述べられた。

参賀者は計14万1130人に上った。上皇ご夫妻や未成年皇族は参加されなかった。

平成2年11月に実施された上皇さまのご即位に伴う一般参賀は計8回で10万9800人が足を運んだが、今回はこれを上回った。

今年の新年一般参賀の参賀者は15万4800人だった。

参賀には米国、ドイツ、フランス、中国などのメディアの姿もあり、諸外国からも高い注目を集めた。

皇居のある東京都千代田区では最高気温が24・8度と6月上旬並みまで上がり、熱中症とみられる症状で倒れる参賀者が続出。

約120人が救護室で診察を受け、10~80代の男女28人が救急搬送された。

陛下は午後2時以降の2回のお言葉では、暑さの中の参賀に感謝を示す一言も加えられた。

また、最終回の前には雷が接近しているとの予報があり、両陛下が参賀者に配慮し、お出ましの時間を早められたという。

一般参賀の写真へ

 

女帝賛成8割

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 やはり小室問題の暗い影を感じます

  状況をここまで悪化させた秋篠宮家に対する

 不信任投票のようにも思われます  (;´Д`)

 

共同通信社が4月1、2両日実施した全国緊急電話世論調査によると、ご即位された天皇陛下に、82.5%が「親しみを感じる」と回答した。

「親しみを感じない」は、11.3%にとどまった。

皇室典範で「男系男子」に限るとした皇位継承を巡り、

 女性天皇を認めることに賛成は79.6%で、反対の13.3%を上回った。

内閣支持率は51.9%。4月の前回調査比0.9ポイント減でほぼ横ばいだった。

不支持は1.1ポイント減の31.3%となった。

今回のご退位は、上皇さま一代に限って認められた。

今後の天皇のご退位に関しては「認めるべきだ」が93.5%に上った。「認めるべきではない」は3.5%。