92【東京近郊エリア】

読書 ゲゲゲのゲーテ

ゲゲゲのゲーテ (双葉新書)_01

妖怪マンガの水木しげるの愛読書がゲーテだった

カントやヘーゲル、ニーチェやショーペンハウエルも読んだが、ゲーテが一番「性に合った」らしい

「ヴィルヘルム・マイスター」や「ファウスト」より、「ゲーテとの対話」が好みだという

片腕を失った戦地にも持って行った

作品よりもゲーテの人間性や生き方が好きなのだろう

人生訓の本家のようなゲーテなので、マンガが売れなくて極貧の時代を乗り切るパワーも、ゲーテから得ていたようだ

したくもない戦争に狩り出されたので、終戦のときに本当に自由を感じたという

人生で最も大切なことは「好きなことをすること」と信じる

そして寝ることが好きだから、マンガが売れて余裕が出来てからは、毎日好きなだけ寝ているそうだ

「葉隠」の山本常朝に似ている

(^_^;)

 

世田谷・杉並の真っすぐ道路

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今回、九州や広島を旅したんですけど、特に博多の街の道路が広いのが印象に残りました

道がまっすぐで、車道だけでなく歩道も広いので、歩いていてとても気持ちがいい

これは「太閤の町割り」と言われる、豊臣秀吉による都市計画のおかげだそうです

秀吉の若い頃の、大らかな性格が伝わってきます

一方、東京は徳川家康が作った町ですが、道が狭くてぐにゃぐにゃ曲がっている

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これは猜疑心の強い家康が、敵から攻められた場合を考えて、わざと攻めにくい都市計画をしたことに関係があるらしい

用心深い家康のおかげで、日本人は世界でもまれに見る260年間もの長い平和を享受した訳ですが、都市計画には向いてない性格だったようです

(^_^;)

 

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世田谷区と杉並区にわたって、8km以上続く一直線の道路があります。

都道に指定されているこの道路、成り立ちは大正時代までさかのぼります。

地図で都内を見ていると、小田急の祖師ヶ谷大蔵駅付近から丸ノ内線の新高円寺駅付近まで、一直線に道路が走っているのが見えます。

この道路は東京都道・高円寺砧浄水場線に指定されています。

現地に行くと、大部分がセンターラインのない狭い道路ですが、ほぼ全線が直線のため、道路がはるか遠くまで続いていくのを見通すことができます。

東京の街並みは武蔵野台地とそれを川が浸食していった地形の関係で起伏が大きく、道路もその起伏に合わせてほとんどが曲がりくねっています。

にもかかわらず、この直線道路はどうしてこんなにもまっすぐ走っているのでしょうか。

実はこの道路の真下には、「荒玉水道」と呼ばれる直径1.1mの水道管が通っています。

荒玉水道はさかのぼること大正時代、増加する東京の人口の水需要に対応するため、多摩川で取水した水を都内に送るのを目的に設置工事が始まりました。

そして、埋設水道管の敷地を歩行者道として活用したのが、この直線道路のはじまりです。

現在は自動車も通行可能となっていますが、水道管への荷重を考慮し、重量制限が掛けられていたり、ラバーポールによって物理的に幅員が制限されているところがあります。

また、狭隘な道路のため、一部区間では一方通行となっています。

この道路を東急バスや小田急バスのバス路線が通っていますが、重量制限のある区間を走る路線は、小型バスで運行されています。

 

 

古川庭園を歩く

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今日は「都民の日」で、東京都が運営している公園とか動物園が無料公開なので、まだ行ったことのない「古河庭園」へ行ってみました

足尾銅山などを経営していた古河財閥の当主のお屋敷だった場所ですが、戦後の財閥解体でGHQが接収し、さらに国の所有になりました

その後は荒れるままになっていて、幽霊屋敷などと呼ばれていた時期もあったそうですが、1980年ころに東京都に貸し出され、公園として整備されました

もう少しするとバラの花や紅葉が美しいみたいですけど、今日はまだ早かった

近くには、第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けた柳沢吉保のお屋敷、六義園もあります

(^_^;)

詳細はここをクリック

 

内親王会議

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小室圭にも多少の違和感はありますが、最大の問題は母親の小室佳代でしょう

このオバサン、危ない新興宗教の教祖みたいな、変なオーラを出しまくってる

何とも言えぬ不気味な感じがして、こんな人が将来、陛下の親戚になるのは、日本国民の一人として絶対に避けたいです!

それにしても女性の存在感があり過ぎて、男性(陛下、秋篠宮、小室圭)の影が薄すぎる~

((((;゚д゚))))

 

「今年に入り、愛子さまと佳子さまが共にランニングをされている光景をよく目にするようになりました。

お二人は女性皇族方のなかでも大の仲良しで知られています。

新型コロナの影響で遅れてはいるものの、皇居の改修工事が終わり次第、愛子さまは赤坂御用地から引っ越されます。このように気軽に会える時間も残り少なくなってきました。

名残惜しさを噛み締めながらランニングされているものと拝察いたします」(赤坂御用地関係者)

一方、眞子さまの姿を見る機会は少ないのだが、先日は珍しく三内親王で御用地内を散歩していたという。

「過日、めずらしく眞子さまがご自宅から出てきまして、愛子さま佳子さまと三人で、とても仲睦まじそうに御用地を散策しておられました。三内親王が気兼ねなく集まれるのもあと少しかと思うと、心を突くものがります。

ですが途中、佳子さまが突然、眞子さまと愛子さまを引き離すかのように間に割ってはいりました。

その後、眞子さまは足早にご自宅に…。

遠くからだったため何が起きたのかはわかりませんが、ただならぬ気配を感じました」(同前、赤坂御用地関係者)

はたして何が起きたのであろうか?

三内親王のあいだで起きたトラブル。

その真相を解き明かすカギを、秋篠宮家のオクに通じる関係者は教えてくれた。

「眞子さまと佳子さまが口論されているときがありました。

 佳子さまは

あの件で、愛子ちゃんと雅子さまは関係ないでしょ?』

『巻き込むのはおかしい!』

『秋篠宮家のを広めないで!』

と大変強い口調で仰っていました。

話を総合するに、膠着状態にある眞子さまの結婚問題について、雅子さまからの後押しが欲しいことを、眞子さまが愛子さまを通じて依頼されたのではないでしょうか? 

つまり、雅子さまから結婚許可を公にして欲しいと、愛子さまを通じて依頼したのでしょう」(秋篠宮家関係者)

思えば眞子さまと小室圭さんの結婚に“ご裁可”を与えたのは、上皇ご夫妻であり、御代替わりとともに“ご裁可”も無効になったとの見方も強い。

今回の動きについて、元宮内庁職員の小内誠一さんに話を伺った。

「ご裁可そのものがハウスルールなので、何か法的拘束力があるわけではありません。

ですが、皇室内において“ご裁可”は決定的な意味を持ちます。

これまで“ご裁可”が覆った例もありますが、先代が下したものを、次代が取り消した先例はありません。

眞子さまとしては、先代のご裁可の効力が今も続いていることを明確にするために、愛子さまや雅子さまに近づき、新たに“ご裁可”を下していただきたいと懇願したとしても奇異なことではないでしょう。

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なにより今月11日に紀子さまが54歳の誕生日にあわせて発表した文書では

『長女(眞子さま)の気持ちを

 できるだけ尊重したい』

親の情を滲ませましたが、『できるだけ』という5文字が入っています。

現状でそのまま両親が結婚をお認めになる可能性は低い。

なので、やはり天皇家の後押しが欲しいというのが眞子さまの本音でしょう」(小内誠一さん)

はたして眞子さまの依頼を受け、今上陛下や雅子さまが何らかのコメントを発表する可能性はあるのだろうか?

さる宮内庁関係者は次のように断言する。

「天皇陛下も雅子さまも“大人”です。

 秋篠宮家が結婚を強行されれば、何らかの形で祝辞は述べられるでしょう。

 ですが、眞子さまの“お気持ち発表”よりも前に、何かコメントを発せられることはないでしょう」(宮内庁幹部)

 

小室佳代の叫び声

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「朝8時ごろでしょうか、小室佳代一家が住むマンションの一階から

 

『うおおおぉおお!

 勝ったぁああああ!』

 

 という大きな叫び声が聞こえました。

 あれは小室佳代の声で間違いありません。

 ちょうど朝のテレビで、紀子さまの誕生日文章の件を

 放送していましたので…まさに秒速ですね。

 あんなに大きな声なら、皇居まで届いたかもしれませんね(笑)」

 (マンションの住民)

また小室佳代の親友で、圭さん祖父の遺産相続について代理人も務めたこともある人物も次のように語る。

「小室佳代から朝に電話がありました。

『紀子さまがようやく結婚を認めてくれました。

  400万円はもう終わったこと。

 この冬には眞子さまと圭を、

 堂々と結婚発表させます!』

 と喜んでいましたね。

 どうやら紀子さまが誕生日の文章で

『長女の気持ちをできる限り尊重したい』

 と発表したことを、結婚容認と受け取ったようです。

 まだまだ問題が残っているようですが、

 皆が幸せになることを祈っています」

 (小室佳代の親友)

 

眞子さまの想いは“立皇嗣の礼”の後、今年中に発表される見込みだ。

 

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 朝陽27会の

  とある有名人も

 お住まいになってます

  (^_^;)

 

みなさんは、「」という漢字を読めますか?

実は東京世田谷区にある地名です。

部首が「石(いしへん)」に占いの「占」と書く「砧」という漢字は、「きぬた」と読むのが正解です!

「きぬた」は音読みであり、訓読みでは「チン」と読みます。

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東京都世田谷区にある町名で、世田谷区の南西部に位置します。

約26万人が住まう世田谷区の砧には、東京メディアシティや日本大学商学部など大きい施設が多くあります。

そして、ファンなら知っている「ウルトラマン商店街」というものもあるんです♪

「砧(きぬた)」は、明治時代以前に使われていた道具を意味し、またその道具を使うことをいいます。

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それは、一般家庭で使用されていた道具なんです!

「砧(きぬた)」は、洗った布を叩くための道具の名前なんです(→)。

洗い終えた洗濯物を生乾きの状態で台に乗せ、棒などで叩いてシワ伸ばしや布を柔らかくしていました。

炭を使ったアイロンが普及しはじめた明治時代まで使われていた、アイロンの役割を持つ道具が「砧(きぬた)」なんです。

世田谷区の砧にある有名なスポットが「砧公園」です。

「砧公園」は、戦時中は防空緑地として、戦後はゴルフ場として使用されていました。

今では、広い芝生の広場にたくさんの木々や花が植えられた、家族で楽しめる大きな公園なんですよ♪

園内にはアスレチック広場や野鳥を観察できる施設、そして世田谷美術館などがあります。

1日使ってお出かけしても、見どころの尽きることがない人気のある公園です。

みなさんは、「砧巻き(きぬたまき)」という名前を聞いたことはありますか?

薄く焼いた卵や、かつらむきにした大根や人参などで具材を巻いた筒状の料理の名前なんです!

ほかにも、日本舞踊や邦楽、能の作品名に「砧」という演題があります。

また、道具の「砧」からインスピレーションを受けて創造された和菓子の「きぬた」もあるんです♪

「砧」という漢字は普段あまり見かけることがなく、なかなか読むことができないですよね。

今回なら、「砧」という地名があることや「砧公園」と関連づけて覚えてみてください!

漢字一文字で覚えるよりも、記憶に残りやすいですよ。

 

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読書 江戸藩邸物語

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先日読んだ『実見・江戸の暮らし』は、主に町人の生活を描いたものだが、この本はその武士バージョンと言える(著者は異なる)

直前まで戦場で殺し合いをしていた荒くれ武士たちが、天下泰平の江戸時代になったからといって、急に頭の回路を切り替えることは出来なかった

17世紀の江戸では、歩いていて刀のサヤがぶつかったとか、道を譲らなかったとか、詰まらない原因で口論となり、斬り合いになることが非常に多かった

「勇と忠」という武士道の2要素のうち、「」が圧倒的に優先されていた

悪く言えば当時の江戸は、凶暴なヤクザや狂犬のような連中がウロウロしている、かなり危険な街だった

そこで遠慮したり後ずさりしたりすれば、「腰抜け武士」と馬鹿にされるので、武士のメンツとメンツが正面からぶつかり合う、実に殺伐とした時代だった

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しかも主君からは「武士にあるまじき卑怯者」として切腹を申し渡されたりする可能性もあるので、互いに一歩も引けない緊張感が満ちていた

やがて江戸幕府や諸藩は、たくさんの法度(行動規範)を定めて対策を講じ、荒くれ武士を平和な時代の従順なサラリーマン武士へと、時間をかけて誘導してゆく

18世紀に入ると、武士道の「」が優先されるようになり、現在の平和な日本が形成されてゆく

本書は、ある藩の江戸藩邸に残された詳細な日記から、当時の「時代精神」をさぐる

(^_^;)