93【国内エリア】

高速マップ

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▲画像をクリックすると拡大します(PDF、2MB)

首都圏の高速道路網を“鉄道の路線図ふう”に表した「JR東日本高速道路マップ 東日本版」。

「すごい、超分かりやすい」「驚くほど見やすい」「パッと見て全体像が分かる」と話題になっています。

発想の素晴らしさもさることながら、いつも見ている電車の路線図ふうにするとこんなにもスッキリと理解できるようになるのかと感心します。

制作者のあべっちさんに制作の意図、分かりやすさの工夫や秘密を聞きました。

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 首都圏の高速道路 路線の数が増えて

  かなりゴチャゴチャ複雑になってきたので

 こうゆうものがあると便利ですね  (^_^;)

 

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島旅 ねこ

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海外旅行するときのお供といえば、ダイヤモンド・ビッグ社のガイドブック『地球の歩き方』。

2015年以降は “島旅” に特化したガイドブックを刊行し続けていて、2018年3月28日には、シリーズ10タイトル目となる最新刊が発売されました。

新刊のタイトルは『島旅 ねこ』(税抜1222円)。

かわいいかわいいニャンコたちに巡り合える日本全国の島々が、なんと12も取り上げられているんですっ!

子猫 dropbox 【全国の「島ニャンコ」たちが写真付きで紹介されています】

北は宮城県の田代島から、南は沖縄県の久高島と竹富島まで。

そのほか瀬戸内海や九州の島々がラインナップされていて、猫たちと出会えるポイントが、とっておきの撮り下ろし写真付きで掲載されています。

【島を訪れるうえで、なくてはならないアイテムかも】

島の大きさや人口、島にいる猫の数、観光協会連絡先といった基本データをはじめ、公衆トイレやATMの有無といった “使える情報” も網羅。

また、島への長期滞在を考えて食堂や宿の有無も紹介してくれているこちらのガイドブック。

島の様子やアクセス時の注意、持ち物アドバイスといった島旅のヒントや、島へのアクセス方法、島旅のプランおよび島のめぐり方まで書かれていて、スムーズに旅を進めるにはもってこいな1冊となっています。

【旅のお守り代わりに◎】

現在、猫好きさんたちに人気を集めているのは、島の住民よりも猫の数のほうが多い島々で、こういった島の場合、宿泊施設や観光客向けの施設がほとんどないところも珍しくないそう。

「思いつきで向かったものの、観光地には必ずある便利な施設がなくて途方に暮れてしまった……」な~んてことがないように、旅に行く前にゲットしておいたほうがいいかも!

春の行楽シーズン、ニャンコに会いに行こうと思っているみなさんは、ぜひチェックしてみてください♪

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 なぜか島には ネコが似合う  (^_^;)

 

ラパン ルスイ チキ ウンヌレ ヤン

札幌などと北海道の日高地方を結ぶ都市間バスが、アイヌ文化の伝承活動が盛んな平取町を走る際、アイヌ語での車内放送が4月1日から行われることになり、31日、町の人たちにアナウンスの内容がお披露目されました。

アイヌ語による車内放送は内閣官房アイヌ総合政策室などが企画したもので、31日、平取町で町の人たちを集めてバスの中でアナウンスの内容がお披露目されました。

このうち、「お降りの方はお知らせください」という日本語の案内のあとには

「ラパン ルスイ チキ ウンヌレ ヤン」

とアイヌ語でアナウンスがあり、参加した人たちはスピーカーから流れる音声にじっと耳を傾けていました。

アイヌ語の音声は、地元のアイヌ民族の女子高生が担当し、先月に収録されました。

平取アイヌ協会会長の木村英彦さんは「アイヌ民族にとって最も大事な言葉を知ってもらうことが、アイヌ文化への理解が広まるきっかけになる」と話していました。

内閣官房アイヌ総合政策室北海道分室の佐藤久泰さんは「日常の中でアイヌ文化に触れる機会を増やすために、公共交通での放送を増やしていきたい」と話していました。

このアイヌ語の車内放送は、札幌市や苫小牧市などと北海道の日高地方を結ぶ都市間バスが平取町内を走る際に聞くことができます。

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 アイヌ民族の女子高生なんて

  ホントにいるの?

 エイプリルフールのギャグ?  (^_^;)

縦読み

news_20180311170733-thumb-autox380-133512「新聞のテレビ番組表を見て泣いてしまった」。

新聞各紙の2018年3月11日付テレビ欄で「縦読み」すると、被災地へのメッセージになっていると反響を呼んでいる。

東日本大震災からちょうど7年を迎え、テレビ各局では、情報番組などで追悼特集を組んでいる。

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 ほっこり しますねー  (^_^;)

 

シメパフェ シメステーキ

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深夜に意外な店で行列ができていた。

「お酒を飲んだ後のシメ」は、ラーメンはもう古いのだろうか。

驚きの一品が登場している。

東京・渋谷にある一見地味な雑居ビル。

いったい、なぜ深夜に大行列が…。

その答えは「パフェ」。

飲み会や食事の後のシメでパフェを食べるシメパフェの文化は札幌で生まれた。

人気が全国に徐々に広がり、渋谷にも去年、シメパフェ専門店がオープンした。

パフェテリアベル・河口典剛店長:「営業時間は夕方5時から平日は12時閉店。金土祝前日が2時閉店でございます」

シメに来るお客さんにターゲットを絞り、営業は夜のみで勝負をかけている。

深夜まで営業している東京・葛西のステーキ店。

最近になって増加した深夜のお客さんに社長も驚いていた。

元々、沖縄で人気だったシメステーキだが、東京でもブームの兆しを見せているという。

深夜に食べるシメのパフェやステーキ。

夜中のカロリー摂取を正当化したい心理なのか…。

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 寿司会では シメ焼き鳥です  (^_^;)

 

半世紀ぶりの寒さ

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▲満開の桜ではありません 新宿駅東口1/22

1月25日(木)朝の関東では、今季最強寒気の影響で強烈な冷え込みとなっています。

東京・府中では観測史上1位となるー8.4℃を記録。

東京はー4.0℃と、1970年以来48年振りのー4℃台。

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東京は最気温がマイナス4度

札幌は最気温がマイナス4度

 寒さのレベルが違いますね  ((((;゚д゚))))

 

草津が危機なんよ~ ((((;゚д゚))))


草津白根山の噴火を受け、年間300万人が訪れる人気観光地、草津温泉(群馬県草津町)の観光協会には23日、噴火を知った観光客や旅行を予定する人たちから「草津温泉に行っても大丈夫か?」「雪崩の被害はないか?」などの問い合わせが相次いだ。

観光・旅行業界でも「温泉の横綱」との評価が定着している草津温泉だけに、関係者からは風評被害を懸念する声が上がった。

噴火があった本白根山から温泉街までの距離は約7キロ。

入山規制は山頂から半径2キロ以内のため、草津町の黒岩信忠町長は「町に被害が及ぶことはないと考えている」との見解を示した。

草津温泉観光協会の担当者によると、温泉街では噴火による人的、物的被害とも確認されていない。

「においもなく、灰や噴石も飛んできていない」(担当者)という。

ただ、県などによると、既に宿泊予約のキャンセルが出ているホテルもあるといい、湯畑近くにある旅館「ホテル一井」は「数件のキャンセルがあるものの、都内の大雪によるものが大半。だが、今後の予約には影響があるかもしれない」と不安視する。

草津温泉は観光・旅行業界の専門紙「観光経済新聞」による「にっぽんの温泉100選」で15年連続1位。

入り込み客数は平成27年度時点で300万人を突破し、29年度は330万人を見込む。

噴火の影響で観光客が減少することになれば、町は財政面でも打撃を受ける恐れがある。

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 太田くんを囲む会の温泉合宿

  まだ草津温泉には行ってませんね  (^_^;)

 

なぜ45分間も校庭にとどまり続けたのか?

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▲震災前   震災後▼

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東日本大震災の津波で全校児童108人中74人が死亡となり、児童を保護していた教職員10人が死亡した宮城県石巻市大川小の避難ルートについて、教職員が北上川の堤防道路(三角地帯)への最短ルートと誤解し、行き止まりを知らずに裏道を進んだ可能性が高いことが、河北新報社の検証で分かった。

児童の足取りを巡っては「なぜ、津波に向かって進んだのか」「なぜ、県道に直接出ず、遠回りしたのか」など長い間謎だった。

(大川小事故取材班)

2011年3月11日午後2時46分の地震発生。

その直後、教職員と児童は約45分間、校庭にとどまり、津波襲来の約1分前までに校庭を徒歩で出発した=上図=。

証言によると、その後、釜谷交流会館の駐車場を横切っている際に県道から戻ってきた教頭が「津波が来ているから急いで」と叫び、児童の一部は途中で右折し、民家の間を通って県道に出ようとした。

先頭付近にいた当時5年の只野哲也さん(18)=高校3年=は県道に出る直前、津波に気付いて引き返し、裏山を約3メートル登った辺りで波にのまれた。

地元釜谷育ちの只野さんは「行き止まり」を知っており、とっさに右折するルートを選んだ。行き止まり付近では児童34人の遺体が見つかった。

地元住民によると、裏道は1976年12月に新北上大橋が開通するまで、軽トラックが通れる道幅があった。

開通後も幅1メートル弱の小道は残り、近所の住民が生活道として利用していた。商店主が震災の約10年前に高さ2メートル以上の鉄柵を設置し、通行できなくなった。

鉄柵と山裾にはわずかな隙間があり、「震災の数年前まで三角地帯に行けた」との証言もある。地元の女性は「無理をすれば通れたが、子どもを大勢連れて通る道ではない」と話す。

三角地帯は標高約7メートルで学校より6メートル近く高い。教頭は地元住民と相談し、三角地帯行きを決めた。

住民のアドバイスなどを基に、土地勘のない教職員が裏道を先導した可能性があるほか、「交通量が多い県道を避けた」との見方もある。

大川小は07年度に危機管理マニュアルを改定し、「津波」の文言を初めて盛り込んだ。10年度の改定でも校庭からの避難場所については「近隣の空き地・公園等」を踏襲し、具体的な場所を指定しなかった。

仮に三角地帯にたどり着けたとしても、付近は高さ2~3メートルの津波に襲われた。

マニュアルの不備に加え、震災当日の(1)避難先(2)避難ルート(3)出発時刻-など二重三重の判断ミスが重なり、「大川小の悲劇」につながったと言える。

<主体的決定なし/遺族らでつくる大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎さん(54)の話>

先生たちは「三角地帯に行ける」と思って行ったのかもしれないが、

そもそも、なぜ45分間も、校庭にとどまり続けたのか?

学校管理下の避難行動にもかかわらず、学校側の主体的な意思決定がなかったことが原因の全てだ。

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 とりあえず様子を見る という判断が

  最悪の判断になるかも  ((((;゚д゚))))

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校庭のすぐ後ろが山だった

 

 ▲震災3年目   昨年末▼

詳細はここをクリック