7九州沖縄

福岡で高齢者が暴走事故(1)

▲事故の瞬間の動画

68747470733a2f2f7062732e7477696d672e636f6d2f6d656469612f4434674c747a645563414556776a742e6a70673a6c61726765

 

 高齢者に対する風当たりが

  キツクなりそうです  (T_T)

 

6月4日午後7時5分頃、福岡市早良区百道の交差点で、

「複数の車が絡んだ事故で車が横転し、挟まれている人もいる」

と110番があった。

福岡県警早良署や消防によると、高齢男性の運転する車が次々に他の車と衝突したという。

計6台が事故に絡み、10~80歳代とみられる男女9人が病院に搬送され、高齢男性と同乗の高齢女性の2人が死亡した。

高齢男性の車が対向車線を逆走したとの情報もあり、同署が詳しい状況を調べている。

同署は、死亡した男性は80歳代、女性は70歳代としており、身元の確認を急いでいる。

男性の死因は出血性ショックだった。

このほか搬送された別の男性1人は、歩道で信号待ちをしていた際に事故に巻き込まれたという。

現場は福岡市地下鉄藤崎駅の西約200メートルで、幹線道路「明治通り」と県道の十字路交差点。

同署によると、高齢男性の車が交差点手前で別の車と衝突した後、そのまま交差点に進入して他の車とぶつかったという。

事故に絡んだ車2台が歩道に乗り上げ、うち1台はひっくり返った。

タクシーを運転中に事故に巻き込まれたという福岡市西区の運転手(71)は

「スピードを上げた車が逆走してきた。ハンドルを切ったがよけきれなかった」

と話した。

乗客の女性は足の痛みを訴えて病院に搬送された。

現場に駆けつけた80歳代の男性は、歩道上でひっくり返った車の下敷きになった人を見た。

複数の通行人が車を持ち上げて救助し、心臓マッサージを施していたという。

近くの飲食店には、現場に居合わせた人が「タオルをください」と駆け込んできた。

店員の女性は

「雷が落ちたような音がして驚いた。たくさんの人が救急車で搬送されていて心配です」

と声を震わせた。

周囲には高校や中学校があり、自転車で通学する生徒も多い。

近くで働く40歳代の女性によると、大破した車の周辺には大きく折れ曲がった自転車が何台も倒れていた。女性は

「歩行者がたくさんいて、中学生たちもパニックになっていた」

と表情を曇らせた。

20190604-00050287-yom-004-23-view

20190604-00050287-yom-002-23-view

20190604-00050287-yom-000-23-view

00418747CX

 

温泉論争

F4946A56012248478311FA0E6186A7B2_L

ofuro_sentou_man

 

 銭湯が好きでときどき行きます

  特別に熱好きではありませんけど

 外人さんがぬる~くうめちゃって

  困ることがありますよ  (^_^;)

 

日本一の源泉数と湯量を誇る大分県の別府温泉郷

点在する市営温泉は誰でも気軽に安く利用できる一方で、観光客と地元住民らを交え、湯温を巡るトラブルが絶えなかった。

対策に苦慮した市は昨年10月、人気施設の一つ、浜脇温泉の浴槽を「熱湯(あつゆ)」と「ぬる湯」に分割した。

それから半年余り。それぞれの支持者の間には、思いやりと我慢する心が育ち始めている。

週末の午後、浜脇温泉の男湯は20人近い入浴客でにぎわっていた。

かつて一つだった浴槽は、設定湯温が43度の「熱湯」と、40~42度の「ぬる湯」の2槽に仕切り板で分けてある。

山口県下関市から来た「ぬる湯派」の60代男性は「少し狭くはなったけど、気兼ねなく水を入れ、ゆったりできた」。

もう一方の「熱湯派」を自認する別府市の70代男性は「客の笑い声が増えたよう。慣れですねえ」と浴槽の2分化を歓迎している様子だった。

「もっと熱くして!」

2槽化の工事が始まる直前の昨年9月下旬、浜脇温泉で常連の80代男性の不機嫌そうな声が響いた。

番台の熟練した女性が広い浴室の隅に走り、源泉からためておいた高温の湯を湯船に流し込む。

当時の設定湯温は42~44度。市の指導で1時間ごとに計測と調整をしていた。女性は「常連さんと、顔も分からない家族連れのそれぞれから『ぬるい』『熱い』と要望が多くて困る」とぼやいた。

浜脇温泉は国道10号そばにあり、市営としては珍しく深夜午前1時まで営業する。

年間入場者約16万人は、市営温泉16カ所のうち3番目に多い。

入浴料は100円と安く観光客の姿もよく見られる。

ただ、子どもや若者らの中には熱い湯が苦手な向きも多い。

金沢市から初めて別府に来た男性(43)は「修行のように熱い」と苦笑。

「熱すぎて足もつけられない」「水を入れたらにらまれた」という声も市や施設に寄せられていた。

実はここ、45度を超すような「熱湯」を好む常連が集まる場でもあった。

ある男性(82)は「水を足せば、痛みが和らぐ温泉の効能も薄まってしまう」。

子どもの頃から通う別の男性(88)は「熱いのが温泉。俺たちは熱いのを我慢して入りながら温泉を覚えた」とむしろ誇らしげだ。

市によると、両派の溝は埋まらず、にらみ合いが口げんかに発展することもしばしば。そこでコンクリート製タイル張りの仕切り板による「2槽化」の導入が決まった。思い切って1カ月休業。390万円をかけて浴槽を2槽に分けた。

ここを含め、5カ所の市営温泉が「熱湯」「ぬる湯」に浴槽を分けている。

だが、2槽化は広い浴槽でなければ難しく、残りの温泉で計画している所はない。

 

令和は酒の世となりぬ(2)

e85 (4)大伴旅人は、天智天皇四年(665年)の生まれです。

神亀五年(728年)には、妻・大伴郎女(いらつめ)を伴って、大宰府の長官に赴任しています。

60歳を過ぎている老人(当時の60歳は、現在の80歳くらいの感覚)を遠方に送るのもどうかという気がしますが、理由はハッキリしていません。

大宰府にいる間に山上憶良などと親しくなり、筑紫に歌壇ができるきっかけとなりました。

 

・中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ
(意訳)人間でいるよりも、酒壺になりたいものだ。そうすれば酒に浸されていられるから。

・しるしなき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
(意訳)グダグダと思い悩むよりは、にごり酒を一杯やるほうがいい。

・さかしみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし
(意訳)賢ぶってあれこれと問答するよりは、酒に酔って泣いている方がマシだよ。

・夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣(や)るに 豈(あに)しかめやも
(意訳)宵闇の中で光る宝玉よりも、酒を飲んで憂さ晴らしするほうが私は好きだ。

・よのなかの 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
(意訳)世の中にはいろいろな遊びがあるが、酒に酔って泣くことに勝るものはない。

・我が命も 常にあらぬか 昔見し 象(きさ)の小川を 行きて見むため
(意訳)昔見た象の小川をもう一度見るまで、私の命が保ってくれるだろうか。

・うつくしき 人の纏まきてし 敷布しきたへの 我が手枕たまくらを 纏く人あらめや
(意訳)愛しい妻に貸した手枕を、この先他の誰に貸そうと思うだろうか。

・うつつには 逢ふよしも無し ぬば玉の 夜の夢(いめ)にを 継ぎて見えこそ
(意訳)現実で会うことができないなら、せめて夢では続けて会えたらいいのに。

・生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
(意訳)生まれたからにはいつか死ぬのだから、この世にいる間は楽しく過ごしたいものだ。

 

3405

令和は酒の世となりぬ(1)へ

 

令和は酒の世となりぬ(1)

b0023047_04115717

hatsumoude_couple

▲坂本八幡宮

 

 おさい銭が激増するでしょうね

  新元号ビジネス絶好調で

 景気が良くなるかも  (^_^;)

 

新元号「令和」の引用素となった「万葉集」の「梅花の歌」が詠まれたとされる、

発祥の地、福岡県太宰府市も沸いた。

大伴旅人(おおとも の たびと)が「梅花の宴」を開いた邸宅跡とされる、

坂本八幡宮の御田良知宮司(59)は

「万葉集から元号ができて万歳、日本の誇り」

と感激した。

新元号が発表された際は、兼任している太宰府天満宮でお祭りがあったため、やや遅れて知ったという。

1200px-Prunus_mume

その後、大伴旅人の「梅花の歌」三十二首の序文から取られたと知り、太宰府天満宮にある文化研究所で資料を調べて、改めて事実を確認したという。

そこからは、全国から取材が殺到し「(報道陣が)次から次へと来て」と、うれしい悲鳴を上げた。

坂本八幡宮は、梅の名所としても知られる大宰府政庁跡内にあり、散策コースのポイントにもなっており、休日には100~200人の参拝客がいるという。

新元号発祥の地となった今、参拝客の激増は必至だ。

御田宮司は

「既に氏子との間でも、石碑を作りたいと話が出ている」

と明かした。その上で

「1300年も前の歌、話から新元号が選ばれたのは、本当にすごいこと」

と繰り返した。

 

b0162728_82239

讃酒 大伴旅人  吉井東人作  奈良万葉文化館蔵

 

万葉集 巻3-344 大伴旅人

「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと

   酒飲まぬ 人をよく見ば にかも似む 」

( あぁ~ みっともない!

  酒も飲まずに、賢そうにしている奴の

  顔をよ-く見たら

  ほらほら、猿に似ているぞ! )

 

o0222025613418047384

永井路子さんは

『 なんですってぇ~!

イケル口でない私としては、聞きずてにならぬ一言だ。

じゃ、私は猿似人(さるにひと)だっていうの? シツレイな!

しかし怒る気になれないのは、

彼の酒好きが あまりにも徹底しているからだ 』 

と苦笑しながらも楽しそう。

  (よみがえる万葉人 読売新聞社より)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
今代尓之  樂有者  来生者  蟲尓鳥尓毛  吾羽成奈武

この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我れはなりなむ

このよにし たのしくあらば こむよには むしにとりにも われはなりなむ

(この世で楽しく酒が飲めるなら、来世は虫や鳥になってもかまわんさ!)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒,太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
價無  寳跡言十方  一坏乃  濁酒尓  豈益目八<方>

価なき 宝といふとも 一杯の 濁れる酒に あにまさめやも

あたひなき たからといふとも ひとつきの にごれるさけに あにまさめやも

(信じられないほど高価な宝石よりも、一杯の酒の方がずっといいよ)

 


 

万葉集雑歌, 作者:大伴旅人, 讃酒, 太宰府
[題詞](<大>宰帥大伴卿讃酒歌十三首)
生者  遂毛死  物尓有者  今生在間者  樂乎有名

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな

いけるもの つひにもしぬる ものにあれば このよなるまは たのしくをあらな

(どうせいつかは死ぬんだから、生きてる間は、楽しく酒を飲もうぜ~)

 


yopparai_kaisya_office-300x254

 

 大伴旅人さんって

  「日本酒飲み党」の初代総裁みたいな人ですね

 けっこうな元号になりました

   令和 =冷酒でも飲んで仲良くやろうぜ!  (^_^;)

 

 

日本酒飲み党の総裁が旅人なら、中国酒飲み党の総裁はこの人

中国の(いや世界の)詩歌史上において、最高の存在とされています

作曲家のマーラーにも多大な影響を与えました

奔放で変幻自在な詩風から、後世に「詩仙」と呼ばれています

酒仙と呼んだ方がいいかもしれません  (^_^;)

200px-Libai_touxiang

 

山中與幽人對酌 李白

 

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

読み

山中にて幽人と対酌す 李白

両人対酌すれば山花開く

一杯一杯また一杯

我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ

明朝意あらば琴を抱いて来たれ

 

山中で向かい合って酒を呑んでいると、山の花が開く

一杯一杯また一杯

私は酔って眠たくなってきた。

君、しばらく帰ってくれ

明日の朝気が向いたら、琴を抱いて来ておくれ

 

 


 

月下独酌 李白

thoughts-in-silent-night-poem
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢

 

月下独酌 李白

花間(かかん) 一壷(いっこ)の酒、
独り酌(く)んで相(あい)親しむもの無し。
杯(さかずき)を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲(いん)を解(かい)せず、
影徒(いたづらに我が身に随う。
暫(しばら)く月と影とを伴い、
行楽(こうらく)須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊(はいかい)し、
我舞えば影零乱(りょうらん)す。
醒(さ)むる時ともに交歓(こうかん)し、
酔うて後は各々(おのおの)分散(ぶんさん)す。
永く無情(むじょう)の遊(ゆう)を結び、
相期(あいき)す遥かなる雲漢(うんかん)に。

花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。

状況

李白が宮廷を追われる直前の44歳の春に作られたとされます。

その夜、玄宗皇帝の宮殿では、たくさんの名士が集まり、ワイワイとさわがしく、
華やかにお酒や食べ物がふるまわれていました。

その中に李白はすっと抜け出します。

「けっ…俗物どもが。つきあいきれん。おい、酒」

召使の少年がトトトと一杯つぎます。

宮殿の中庭に出ると、華やかな音楽も、
人々のざわめきもしだいに遠のいていき、
ざーと心地よい夜風が吹いてきて、花が満開でした。

「ああ…落ち着く」

ふっと夜空を見上げると、月が出ています。

「これはいい。俗物どもと飲むより、
ずっとうまい酒が飲めそうだ」

李白はその場に座り込み、杯をあげて
一人詩を吟じながら、飲み始めるのでした・・・

 

 

20150418204257_36233

 

其二
天若不愛酒,酒星不在天。
地若不愛酒,地應無酒泉。
天地既愛酒,愛酒不愧天。
已聞清比聖,復道濁如賢。
賢聖既已飲,何必求神仙。
三杯通大道,一斗合自然。
但得酒中趣,勿為醒者傳。

其の二
天 し酒を愛さずんば
酒星しゅせい 天に在らず
地 若し酒を愛さずんば
地 まさ酒泉しゅせん無かるべし
天地 既に酒を愛す
酒を愛するも 天にじず
已に聞く清は聖に比すと
復たふ濁は賢の如しと
賢聖 すですでに飲む
何ぞ必ずしも神仙を求めんや
三杯 大道たいどうに通じ
一斗 自然に合す
酔中すいちゅうの趣を得んのみ
醒者せいしゃの為に伝ふることなか

〔詩意〕
天がもし酒を愛さないなら
「酒星」が天空にあるわけがない。
地がもし酒を愛さないなら
地上に「酒泉」があるはずがない。
天も地も確かに酒を愛している。
酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。
酒の清らかさは聖なるものと言われ、
また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。
賢も聖もすでに酒にあって私はそれを飲んでいる、
どうしてわざわざ神や仙人になろうか。
三盃飲めば正しい道に入り、
一斗飲めば自然に溶け込む。
ただ酒を飲んでたのしみたいだけだ、
酔わない人に教えてやる必要などはない 。

 


 

其三
三月咸陽城,千花晝如錦。(別作・落花散如錦あるは庭花笑如錦)
誰能春獨愁,對此徑須飲。
窮通與修短,造化夙所稟。
一樽齊死生,萬事固難審。
醉後失天地,兀然就孤枕。
不知有吾身,此樂最為甚。

其の三
三月 咸陽城かんようじょう
千花 昼 錦の如し
誰かく春 独り愁ふ
此に対してただちにすべからく飲むべし
窮通きゅうつう修短しゅうたん
造化のつとひんする所
一樽 死生をひとしく
万事 もとよりつまびらかにし難し
酔ひし後 天地を失い
兀然ごつぜんとして孤り枕に就く
吾が身の有るを知らず
此の楽しみ 最もはなはだだしと為す

〔詩意〕
春三月 長安の城下、
昼は千の花が色あざやかに咲き乱れる。
いったい誰がこのすばらしい春に一人愁いに沈むというのだろう、
春こそすぐに杯をとって酒を飲み楽しむべきである。
人の世の貧窮と栄達、また人の寿命は
万物創造の神が定めるところではあるが、
一樽の酒は生も死も同じだと思わせる、
もちろん世のすべては詳しく知ることは難しいのだが。
酔うたあとは天も地もなく、
なにもわからずに一人枕について寝てしまう。
酔ってしまうと自分の存在も忘れ果てるが、
これこそが酔いの楽しみの最たるものであろう。

 


 

其四
窮愁千萬端,美酒三百杯。
愁多酒雖少,酒傾愁不來。
所以知酒聖,酒酣心自開。
辭粟臥首陽,屡空飢顏回。
當代不樂飲,虚名安用哉。
蟹螯即金液,糟丘是蓬莱。
且須飲美酒,乘月醉高臺。

其の四
窮愁きゅうしゅう 千萬端せんまんたん
美酒 三百杯
愁い多くして酒少なしといえど
酒傾くれば愁ひは来たらず
所以ゆえに酒の聖なるを知り
酒酣たけなわにして心自ら開く
ぞくを辞して 首陽に臥し
しばしば空しくて顔回飢う
当代飲むを楽しまずんば
虚名いずくんぞ用ひんや
蟹螯かいごうは即ち金液きんえき
糟丘そうきゅうは是れ蓬莱ほうらい
しばらすべからく美酒を飲み
月に乗じて高台に酔ふべし

〔詩意〕
苦しく悲しいことは幾千万、
美酒はわずかに三百杯。
愁いは多く、それを晴らす酒は少ないが、
酒を飲めば愁いはやって来ない。
だから酒の聖なる効き目がわかり、
酒を飲めば心は自然と開放される。
節義を重んじた伯夷と叔斉は周の粟を辞して首陽山に隠棲し、
学問に励んだ顔回はいつも米櫃が空で飢えていた。
生きている今のうちに酒を楽しまないで、
どうして節義や学問などの虚名が役に立つだろうか。
つまみの蟹の鋏は不老不死の薬、
酒かすの丘は仙人の住む蓬莱山である。
ひとまずここは美酒を飲み、
美しい月夜に乗じて高台で酔っぱらうしかない。

 


 

 

令和は酒の世となりぬ(2)へ

 

三浦大知「歌声の響き」

2月24日、歌手の三浦大知(31)が「天皇陛下御在位三十年記念式典」で、天皇陛下がご作詞、皇后陛下がご作曲された『歌声の響き』を歌唱し、話題となっている。

午後2時より東京・国立劇場で行わた式典で、沖縄出身である三浦は『歌声の響き』を記念演奏として披露。

同曲は沖縄周辺の島々に伝わる八・八・八・六の音数律をもつ定型詩である琉歌で、天皇陛下が1975年に初めて沖縄を訪れ、名護市のハンセン病療養所を訪問したことがきっかけで詠んだ歌だという。

同式典は、NHK総合、テレビ朝日、またインターネットで生中継が行われ、三浦の歌唱が終わるとネットでは大反響。

TwitterやYahoo!のトレンドランキングに「三浦大知」「大地くん」がランクインした。

ネットでは

「歌声も演奏も素晴らしかったです。もぅ…言葉にならない」

「正座して聴きました。感動!鳥肌立ちました!式典の雰囲気を崩さずに、尚且つ三浦大知のスタイルも崩さずに、本当に人間性が滲み出ててた。日本の宝です」

「素晴らしい歌唱 感動を有り難うございました 同じ時代に生まれて良かったぁ」

と三浦の歌声に称賛の声が殺到している。

 

新宿高校の修学旅行

000263976

首里城正殿前

okinawa_buyou

 

 我々の時は 山陰地方でしたね  (^_^;)

 

新宿高校72回生 (現2年生) 修学旅行(沖縄)

12月10日~12日にかけて、2泊3日で、沖縄への修学旅行に行ってきました。

 これまで、修学旅行委員を中心に、事前学習を進めてきました。

の中でも、平和学習に重点を置いて取り組んできました。

1日目は、平和学習として、平和祈念資料館、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念館、そし
て全クラスが糸数壕(アブチラガマ)を見学しました。

糸数壕では懐中電灯を消して、真っ暗闇の体験もしました。

東京で平和について学んできた72回生ですが、現地で「戦争」を肌で感じることができました。

 夕方、ホテルに到着しました。ホテルは貸切、敷地内にプライベートビーチもあり、白
い砂と青い海に歓声をあげる生徒の姿がありました。

2日目は、コース別の体験学習と、美ら海水族館の見学に行きました。

 コース別体験学習は、「伊江島サイクリング」「慶佐次カヌー&シーカヤック」「ビー
チトレッキング」「サトウキビ&黒糖づくり」「シーサー作り」に分かれて行いました。
「シーカヤック」だけが、天候により内容の変更を余儀なくされましたが、どの班も『私
たちのコースが一番楽しかった!』と言うほど、沖縄の自然を満喫しました。
美ら海水族館では、本校37回生の先輩から直接案内してもらった班もあり、こちらも大
満足でした。

3日目は、首里城を見学した後、国際通りを観光するコースでした。

 改修工事を終えて綺麗になった首里城では、皆が写真撮影を楽しんでいました。国際通
りでは、各班が事前に相談した沖縄グルメを楽しみました。中には、公設市場で魚を購入
し、2階の定食屋さんで調理してもらった班もあったようです。
那覇空港には各班が現地集合する形でしたが、どの班も遅れずに集まることができまし
た。帰りの飛行機が送れるハプニングもありましたが、無事に東京へ到着し、修学旅行を
終えることができました。
これまで、修学旅行の成功のために多くの時間を割いてくださった皆さま、旅行委員の
皆さん、旅行会社の皆さま、ご協力ありがとうございました。

生徒の感想より抜粋

1日目

・「自分と同じ年齢の女子学生がなぜこんな思いを…」とずっと思っていた。怖かった。
詳細が記された体験談も読みたくないと思ったが、読まなければならないと思って読ん
だ。読んでよかった。
・生々しい弾丸の痕を見た。戦争の残酷さを改めて知るとともに、自分たちの生きる未来
では絶対におこしてはならないと感じた。
・私と同い年ほどの女の子が、勉強をしたい思いを絶たれて恐ろしいことをしていたと思
うと胸が痛い。
・糸数豪では皆が懐中電灯を消した瞬間、今までにないほどの暗闇だった。こんな暗さで
何週間も過ごしていたのか。考えられない。体も心も重かった。
・暗
糸数豪ではくて水滴の音しかしなかった。怖かった。見捨てられたり、置き去りにさ
れた人の気持ち、麻酔無しの手術…自分だったら絶対に耐えられない。
・目を背けたいものばかりだったが、見なければならないと言い聞かせ、脳裏に焼き付け
た。沖縄の人も、すべての日本人も、そして米兵など戦争に関わった全ての人々が苦し
く辛い思いをしたということがわかった。

2日目

・美ら海水族館ではバックヤード体験に興奮した!ガラスの隔たりがないからとても近く
感じた。終始「すごい!」「きれい!」の連発だった。
美ら海水族館ではジンベエザメとマンタ、上から見たときと前から見たときは、見え方
が全く違った!生物の授業で聞いていたコバンザメが見られた。
・黒糖づくりではサトウキビがチョコレートのように!甘くておいしかった。家族で食べ
るのが楽しみだ。
・何度も何度も虹が出た!
・伊江島、城山(タッチュー)の頂上からの景色は格別だった。
・カヌー&シーカヤック体験ではマングローブ林の植物には、種を繋げるための工夫が
たくさんあった。私たちは自然を壊した代わりに、自然を守らねばならないと感じた。
・マリンクラフトでは、友達の自由な発想力や器用さに驚かされた!
・ただ砂浜を歩くだけでは得られない知識が得られた。現代文の授業で教わったように、
新たな見方を身に付けられたことが実感できてうれしかった。

3日目

・首里城正殿前の、縞しま模様の意味がわかった。
・日本の一般的なお城とは全く違った。見たことのない古い楽器をじっくりと見ることが
できた。
・とにかく食べた。ステーキをたらふく食べた。
・首里城を見ると、授業で教わった琉球王国と中国との交流がよくわかった。城の持つ役
目も日本とは違うことがわかった。
・公設市場で現地の人と交流できた。

感想文

・沖縄にいた、そのすべての瞬間を覚えておきたい、少しも忘れたくない、そう思えた修
学旅行だった。

・沖縄の食文化、言葉、自然、人々の生活、一つ一つ知っていくことの喜びを感じた。写
真を見返しても、どれも楽しい思い出。しかし、私の沖縄の思い出の多くを占めている
のは、それらではない。沖縄戦だった。知れば知るほど、これまで何も知らずに生きて
きたことが怖くなった。なぜ知ろうとしてこなかったのか。罪にも思えた。遅かったけ
れど、沖縄戦の歴史を知れたことが、今回の一番の収穫だ。

・修学旅行委員として、出発前からたくさんの思い出がある修学旅行だった。助け合った
旅行委員のみんな、我々の何倍もの時間を費やしてくださった先生方、そして3日間を
共に過ごし、楽しさを生み出してくれた友人たちにお礼を言いたい。ありがとう!

ひめゆりの塔で黙祷 伊江島へ渡るフェリー
伊江ビーチから美ら海水族館を望む 城山(タッチチュー)山頂にて
シーカヤック体験 シーカヤック体験
明け方のホテル前の浜 食事後は自主的に片付け
ジンベイザメとコバンザメ 首里城正殿前

 

27回生の修学旅行へ

 

台風24号 沖縄の観音さま倒れる

20180930-00000041-ryu-000-2-view

hotoke_bosatsu_gekkou

 

首都圏JRが全面運休したり、事前の対策が万全だったせいか、台風24号は思ったより被害も少なく、無事に太平洋に抜けました。

沖縄では知事選挙があり、「沖縄は中国領土アルヨ」とか言いそうな、外人顔のオッサンが勝利して、ルンルン踊ってましたね。

観音さまも、目を背けたくなったのかもしれません  (^_^;)

 

卍 卍 卍 卍 卍 卍 卍 卍 卍 卍

 

台風24号が過ぎ去った30日、沖縄市の東南植物楽園内に設置される高さ約25㍍、重さ約40㌧の「琉球金宮観音菩薩」が倒壊しているのが見つかった。

強風で根元から倒れたとみられる。けが人はいない。

琉球金宮観音菩薩は福岡県飯塚市から寄贈され、4月にお披露目されたばかり。

金ぱくで覆われた観音菩薩像としては全国一の高さを誇るという。

東南植物楽園関係者は「想定外だ」と頭を抱えている。

東南植物楽園関係者が台風対策をこなして撤収した29日13時ごろの時点では無事だったが、30日朝に出勤すると幅約7~8㍍の土台部から倒壊していた。

琉球金宮観音菩薩像の四方はワイヤで補強されていたが壊れていた。被害額は1億円以上という。

東南植物楽園の宮里高明副園長は「残念な気持ちでいっぱいだ。期待していた人に申し訳ない。何とか復旧に向けて取り組みたい」と話した。

 

 

続きを読む

シメパフェ シメステーキ

maxresdefault

深夜に意外な店で行列ができていた。

「お酒を飲んだ後のシメ」は、ラーメンはもう古いのだろうか。

驚きの一品が登場している。

東京・渋谷にある一見地味な雑居ビル。

いったい、なぜ深夜に大行列が…。

その答えは「パフェ」。

飲み会や食事の後のシメでパフェを食べるシメパフェの文化は札幌で生まれた。

人気が全国に徐々に広がり、渋谷にも去年、シメパフェ専門店がオープンした。

パフェテリアベル・河口典剛店長:「営業時間は夕方5時から平日は12時閉店。金土祝前日が2時閉店でございます」

シメに来るお客さんにターゲットを絞り、営業は夜のみで勝負をかけている。

深夜まで営業している東京・葛西のステーキ店。

最近になって増加した深夜のお客さんに社長も驚いていた。

元々、沖縄で人気だったシメステーキだが、東京でもブームの兆しを見せているという。

深夜に食べるシメのパフェやステーキ。

夜中のカロリー摂取を正当化したい心理なのか…。

watermark

 

 寿司会では シメ焼き鳥です  (^_^;)

 

永世七冠

棋譜はここをクリック

将棋の羽生善治棋聖が竜王戦の七番勝負を制して通算7期目となる竜王のタイトルを獲得し、永世竜王の資格を得ました。

これで現在7つある将棋の永世称号の資格をすべて獲得し、前人未到の「永世七冠」達成を果たしました。

将棋の永世称号は、同じタイトルを一定の回数、獲得した棋士に与えられ、羽生善治棋聖は現在7つある永世称号のうちすでに6つのタイトルで資格を得ていて、残る永世竜王も獲得条件となる通算7期まであと1期に迫っていました。

その永世竜王をかけて渡辺明二冠に挑む竜王戦の七番勝負は、ここまで羽生さんが3勝1敗とリードし、4日から鹿児島県指宿市で第5局が行われました。

渡辺さんは将棋界最高峰の竜王のタイトルを11期獲得してただ1人、永世竜王の資格を得ていて、羽生さんはこれまでにも2度、永世七冠をかけて渡辺さんとの竜王戦に挑みましたが、いずれも敗れていました。

対局は5日午前9時に再開され、羽生さんは優勢に駒を進めて渡辺さんの守りを崩し、午後4時23分、87手までで渡辺さんが投了しました。

羽生さんは竜王のタイトルを奪還するとともに永世竜王の資格を獲得し、7つの永世称号をすべて獲得するという前人未到の永世七冠達成を果たしました。

さらに、通算獲得タイトル数を99期として、同じく前人未到の大記録となる100期の大台に王手をかけました。

CobdUHVVYAEFF5X

 

 トレードマークの寝ぐせは

  今でも健在のようです  (^_^;)

続きを読む