▲意外とデコボコしている東京の地形
変わり続ける街・新宿
そこにも、変わらない場所が
あるみたいですよ
(^_^;)
絶え間なく再開発が進む西新宿。
そんな中で1世紀近く昔、大正時代や昭和初期に架けられた橋が、今なおこの町に残っている。
笹塚から幡ヶ谷をへて西新宿へと流れていた
神田川支流(玉川上水幡ヶ谷分水・和泉川)の暗渠
そこには人と水辺との関わりの記憶をとどめる風景がある。
▲意外とデコボコしている東京の地形
変わり続ける街・新宿
そこにも、変わらない場所が
あるみたいですよ
(^_^;)
絶え間なく再開発が進む西新宿。
そんな中で1世紀近く昔、大正時代や昭和初期に架けられた橋が、今なおこの町に残っている。
笹塚から幡ヶ谷をへて西新宿へと流れていた
神田川支流(玉川上水幡ヶ谷分水・和泉川)の暗渠
そこには人と水辺との関わりの記憶をとどめる風景がある。
▲この動画は、映画とは違います
世界を震撼させたベイルート港爆発事故から1年余
報道ニュースでは、主に爆発の遠景動画が流されましたが
人々は爆発の瞬間とその余波をスマホで撮影していました
この映画は、それらの個人撮影の動画を編集したドキュメンタリーです(監督 Adam Harve)
レバノンの首都ベイルートで、2020年8月4日18時頃(現地時間)、壊滅的な大爆発が街を襲いました
広島原爆の14分の1の規模で、核兵器以外では、人類史上最大の人工爆発
まるで災害映画のワンシーンのように見えましたが、現実に起こったのです
都市の半分以上が被害を受け、死者218人、負傷7000人、そして30万人が家を破壊されて住む場所を失いました
ベイルート港の倉庫には、約2750トンの硝酸アンモニウムが保存されていました
レバノン政府の首脳たちは、このことを知っていたが、何もしなかったのです
保管とは「保存して管理する」という意味ですが、誰も管理していなかった
2750トンもの爆発危険物のすぐ近くで、倉庫を修理するため、溶接工事の火花を飛ばしていた!
まったく、恐れ入ります
爆風の速度は、時速300キロ
爆風で割れた窓ガラスの破片などが、時速300キロで人々に浴びせかかりました
私の家は東京湾に面していて、近くには倉庫も少なくありません
日本政府が、危険物をちゃんと管理してくれているといいのですが・・・
((((;゚д゚))))
▲爆発後のベイルート港
向こう側の、まだ立っているビルの多くも
内部は破壊されて、使えなくなっています
▲東京湾
2020公開なので、ごく最近の映画
この映画を見たトランプ(←)が
「民主党を支持する腐ったセレブどもが、
オレを支持する善良なプア白人たちを殺している!」
と怒ったらしい
広大な森の中で目覚めた12人の男女、なぜ自分がここに来たのかも分からない
だが、突然銃声が鳴り響き、何者かに狙われて、虫けらのように殺されていく
かなりグロで、ストーリーもハチャメチャだが、けっこう引き込まれる
セレブとプアというアメリカの伝統的な対立に加え、ちょっとした発言が炎上して社会的生命が危険にさらされるという、最近の社会動向も織り込んでいる
ベティ・ギルピン(→)の演技が、なかなか良い
(^_^;)
* * * * * * *
・・・この映画とは関係ないが
1828年、オーストラリア政府は、白人がオーストラリアの原住民アボリジニを自由に殺す権利を認める法律を制定した
当時の白人にとって、アボリジニなどの非白人は動物(類人猿)との認識であった
この認識は、非白人国家である日本が、白人国家のロシアに、日露戦争で勝利するまでは、世界の常識だった
そんな訳でオーストラリアでは、スポーツハンティングとして、白人(人類)が原住民アボリジニ(動物)を殺しまくった
週末は「アボリジニ狩り」なる、娯楽としてのスポーツハンティングが流行していた
「今日はアボリジニ狩りに行って、17匹やった」
「オレはウサギ3匹、アボリジニ2匹だ」
こんな白人の日記が、今でも山ほど残っている
アボリジニ狩りは、つい最近まで続いていた
100万人以上いたアボリジニは、現在7万人しかいない
狩られたアボリジニの気分を知るには、この映画は向いているかもしれない
((((;゚д゚))))
これは2011年に現実に起きたウトヤ島銃乱射テロ事件を元にした再現映画です
数百人の学生が、ノルウェー・ウトヤ島(↓)のサマーキャンプに参加
そこに突然の銃声が鳴り響き、学生たちは300m四方くらいの狭い島中を必死に逃げ回る
わずか72分で69人射殺という、八つ墓村(←)の元になった津山事件(30人)をはるかに超える、記録的な短時間大量射殺をした無差別テロ事件です
何の心の準備もなく、銃弾が飛び交う戦場に突然投げ込まれたようなものだから、うろたえるのは分かるのですが、それにしてもここまで状況判断が出来なくなるのだろうか?と少々不思議に感じました
実は、この映画を見ている途中で、急に吐き気を催してトイレにかけこんだのです
映画を観ていて、こんな気分になるのは初めて!
死体のグロい場面は少ないから、それに反応した訳ではありません
この映画、無差別銃撃の72分をワンカット撮影しているので、その場に居合わせたような独特の臨場感があります
主人公の女子学生の近くにカメラマンが立ち、ずっと彼女の行動を追いかけて、場面切替なしで撮影しています
彼女が走れば、カメラマンも一緒に走るので、その時にカメラが揺れて、画面が激しくブレる
そんな超ブレブレ動画をずっと見ていて、しかもスゴい臨場感に当てられたのかなと思っています
画面が激しくチラチラするTVアニメを見ていた子供が、急に気持ちが悪くなった事件がありましたよね
あれ以来、TVアニメには「画面から離れて観ましょう」と表示されるようになりました
とにかく臨場感は非常に高いのですが、娯楽性は低いので、観る人によっては退屈してしまうかもしれません
((((;゚д゚))))
▼事件は北欧ノルウェーで起きました
▼事件現場のウトヤ島は、首都オスロから30キロくらい
▼湖の中にある小さな島です
▼対岸からは600mくらいで、夏だから泳いで渡ることも可能
▼300m四方くらいの狭い島内には、キャンプ場がある
「京都の金銀銅めぐり」
とかやればいいのにと思いますけど
残念ながら銅閣寺、通常は非公開
だそうです
(^_^;)
京都には金閣寺、銀閣寺のほかに銅閣寺(どうかくじ)があります。
銅閣寺の正式名称は、龍池山 大雲院(だいうんいん)。
1587(天正15)年に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために、正親町(おおぎまち)天皇の勅命により建てられました。
1973(昭和48)年に、現在の祇園・東山界隈の位置に移転しました。
この場所は、もともと大倉喜八郎(→)の別荘でした。
大倉喜八郎は一代で巨万の富を築き、大成建設や鹿鳴館、帝国劇場、帝国ホテルの創始者でもある人物です。
大倉喜八郎氏は、
「金閣も銀閣もあるんだから、銅閣も作る!」
と京都の名物にすることを考えて銅閣を建てました。
銅閣寺のモチーフは「祇園祭の山鉾」(↓)です。
金メダル ベネズエラ:1万人のうち、売春従事者119人
銀メダル 韓国:1万人のうち、売春従事者110人
銅メダル ペルー:1万人のうち、売春従事者102人
4.フィリピン:1万人のうち、売春従事者85人
5.ナイジェリア:1万人のうち、売春従事者63人
6.中国:1万人のうち、売春従事者60人
7.ブラジル:1万人のうち、売春従事者53人
8.マレーシア:1万人のうち、売春従事者52人
9.ドイツ:1万人のうち、売春従事者49人
10.タイ:1万人のうち、売春従事者45人
言うまでも無く、この種の統計データを正確に集めることは、非常に困難です。
上の数字は、各国の警察などが把握している、表面的な部分だけでしょう。
おそらく実態は、これよりかなり多いのではないかと思われます。
「被害者のいない犯罪」と呼ばれてますし
「世界で最古の職業」なのですから
これからもこのビジネスが消えることは
たぶん無いかな~ と思います
(^_^;)
▲ホンダ「カブ号 F型」1952年
バイクやクルマの性能は大きく変わってますが
法律の規制は、そのままというのが多いようです
これから電気自動車が幅広く普及すれば
抜本的な規制改革は避けられないでしょうね
(^_^;)
原付に関する内容で話題になりやすい30キロ制限。
しかし、速度メーターを見ると60キロまであり、加速性能が自動車に負けないくらいに加速できるモデルも販売されています。
制限速度30キロの理由とはなんでしょうか?
1955年に2輪車免許の一部が細分化。それまで「原付許可」となっていた免許が2つに分かれ、
「原付1種許可(50cc以下)」
「原付2種許可(125cc以下)」
の2種類になりました。
これが現在の原付免許の始まりです。
内閣府が公開する規制改革のなかで警察庁向けに2015年(平成27年度)に提案された内容で、約66年前に規定された原付の速度規制について触れています。
「規制改革ホットライン」の記述では
「原付1種(排気量50cc以下)は昭和30年代の制度創設以来
規制速度が30km/hとなっている」
としています。
つまり、免許制度の改正のときに制限速度が決められたということです。
1950年代の原付がモペットであったため、そのモペットが出せる速度が20キロ前後であったとされ、そこから考えられた制限速度のようです。
▲ホンダ「 ハンターカブ CT125」最新型
スゴイ人気で、注文しても半年待ちだとか (^_^;)
上の写真は、三内丸山遺跡のシンボル、巨大な物見やぐら?
右は、ギッチリ詰めれば数百人が集会を開けそうな巨大建築で、30×10メートルくらいあります
下のニュースにも書いてありますが、遺跡というものは基本的に、地下に埋まっているので、地上からは簡単には見えません
上のような建物は、柱の跡(穴)などから、現代の考古学者が推察して地上に再現した実物大の模型です
正しいのは、柱の位置と太さや深さくらいで、あとは考古学者の想像(空想)です
左の物見やぐらも、本当に4階建てだったのか、高さや形なども、真実は闇の中です
右の巨大建物(公民館?)も、屋根が茅葺きになっていたのか、こんな形だったのか、こんな大きな建物の中で何をしていたのか、正確なところは不明で、ほとんどは考古学者の想像です
でも巨大な遺跡(多くは県立や市立の遺跡公園と資料館になっている)を維持し、今後の発掘研究の費用を捻出するためには、歴史マニアのお客さんをいっぱい呼び込んで、入場料収入をいただく必要があります
そこで、なるべく話題性があってニュースネタになりそうな地上模型を作るのも、考古学者の腕の見せ所かもしれません
もちろん真っ赤なウソは、いけないんですけどね
とにかく世界遺産に登録されれば、またお客さんで、ドット混むことでしょう
* * * * * * * * * *
20年くらい前に、遺跡(石器)をねつ造する事件がありました
余りにも見事に石器を発掘(発見)するので「神の手」と呼ばれていた考古学者が、実は事前に自分で石器を埋めて、それを後から掘り出して「発見」したと主張していたことが発覚した事件です
当時は大騒ぎになりました
これは縄文時代より前の旧石器時代(260~1万年前)のことなのですが、考古学者だって人の子ですから、「大発見をして脚光を浴びたい」という欲求はあって当然です
「神の手」(藤村新一、→)が発見した石器は、後から調べたらいろいろ矛盾だらけだったのですが、考古学会の主流は、その矛盾を追求せずに、彼の「発見」を鵜呑みにしていました
このねつ造(犯罪)をあばいたのが、考古学者ではなく新聞記者だったので、考古学会に対する世間の信用は地に堕ち、日本の旧石器時代の歴史は、全面的に書き換えを迫られました
一部の考古学者の間で「あるウワサ」が広がっているのを聞きつけた新聞記者が、夜中に遺跡の近くで張っていたら「神の手」がやってきて、石器を埋めていたのです
もちろんカメラマンも一緒でしたから、バッチリ証拠写真を撮って公表しました
私は、ある考古学者が書いた旧石器時代の本を、事件の前と後に出た2冊もっていますが、まったく書いてあることが変わっています
(^_^;)
ユネスコは7/27、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産への登録を決めた。
ユネスコの諮問機関は5月、
「先史時代の農耕を伴わない定住社会と複雑な精神文化、
定住社会の発展段階や環境変化への適応を示している」
と報告した。
「縄文都市」の異名を持つ巨大集落、三内丸山遺跡(青森市)では、道路や大型建物を計画的に作ったことが分かるほか、石を環状に並べた大湯環状列石(秋田県)は葬送や祭祀(さいし)の文化をうかがわせる。
御所野遺跡(岩手県)では、焼けた木の実が見つかり、祭りに火が使われていた可能性が判明した。
地元自治体は観光への効果に期待するが、遺跡自体は定住跡などで地中にあるものも多い。
観光資源とするためには、わかりやすく価値を伝える工夫が必要になる。
1999年1月21日、株式公開で記者会見する日本マクドナルド藤田田社長(中央)
熊さん、情報ありがとー!
このHPをご覧の皆さま
情報をお寄せください (^_^;)
おはようございます、熊谷です。
今度は 野地君の記事を今朝、みつけてしまいました。
けっこう長いようなので 参考まで。
しかし連日ネットで同級生の名前を見るのは
良いものですね。
~~~~~~~~~~~~
「日本にマクドナルドを持ってきた男」
https://news.yahoo.co.jp/
7/21(水) 9:16配信 プレジデントオンライン
日本マクドナルドの創業者、
日本での販売権を欲しがる実業家は何百人といたが、
権利を勝ち取ったのか。
■米食の日本を「ハンバーガー消費大国」にした男
藤田田(でん)は日本マクドナルドの創業経営者だ。
日本人にファストフードとしてのハンバーガーを教えた先駆者でも
彼の決断とはなんといっても銀座三越の1階に第1号店をオープン
第1号店は開店とともに若者をはじめとする客が押し寄せ、
しかし、翌日の毎日新聞にはこんな記事が載った。
~~~~~~~~~~~~
※本稿は、野地秩嘉『あなたの心に火をつける超一流たちの「
出稼ぎ者が東京で行き倒れ、身元不明人として勝手に医大の解剖実験材料にされた事件の裁判闘争記録『ある告発-出稼ぎ裁判の記録』(佐藤不器ほか、日刊東北社、1972年刊)の映画化
実際の事件は、昭和41年に青森県十和田湖近くの寒村から出稼ぎに出た64歳の川村由松が、東京品川の大井町駅で亡くなった
その身元を証明する所持品があったにも関わらず、大井町警察署と港区役所のズサンな扱いで身元不明人とされ、8か月後には慈恵医大の冷蔵庫に移され、解剖実習の材料にされていた
遺族である妻が激しく憤り、地元で地方新聞『日刊東北』を出していた佐藤不器(原作本の著者)の支援で、青森県と東京都を相手に訴訟を起こした過程を映画にした
昭和41年の事件だから、すでにテレビもクルマもあるのだが、高度成長前期の日本の貧困が、実に暗くリアルに描かれている
その絶望感を音羽信子が名演している
後半は一転して、法廷が舞台の裁判ドラマ
原作本の著者が新聞記者のせいか、新聞記者や弁護士が「人権を守る良い人」、警察や役所が「権力をカサに着て人権無視する悪い連中」というように、ことさらに単純対比しているような印象も受ける
安保闘争が激しかったころの時代精神を感じる
(^_^;)