80【ヒストリー】

潜水艦事故

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 停電になって全ての機能が止まり

  暗黒の海底で酸素が切れるのを待つ

 想像するのも恐ろしい悲劇

  ((((;゚д゚))))

 

53人を乗せたインドネシア海軍の潜水艦が4/21、バリ島近海で魚雷訓練中に消息不明となり、4/22も捜索が続けられている。

消息を絶ったのは潜水艦がは、建造から44年が経過して、韓国で改造を加えられた、ドイツ製の「KRIナンガラ402」で、乗組員は53人。

海軍などによると「KRIナンガラ402」」は1978年にドイツで製造された旧式の潜水艦で、建造から44年が経過している。

1981年にインドネシア海軍に編入され、韓国で2年間かけて改造工事を施され、2012年に再投入されたという。

インドネシア海軍当局によると、上空からの捜索で、この潜水艦の航路付近に油膜が発見された。

ソナー探査機能を備えた海軍の船舶が捜索に向かっている。

油膜は船体に損傷を負ったことを示す可能性のほか、乗員からの信号である可能性もあるという。

海軍当局などによると、現場海域は水深600~700メートルと深く、インドネシア海軍の海底での救難能力には限界がある。

防衛省によると、オーストラリア、シンガポール、インドが支援要請に応じた。

ペイン豪外相はラジオ番組で、可能な限りの支援を行う考えを示した。

 

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昭和19年9月6日、人間魚雷「回天」が、荒れた天候の中、山口県徳山湾の大津島基地から出航して潜行訓練を行っていた。

黒木博司海軍少佐と樋口孝海軍少佐の二人が搭乗していた回天は、訓練中、荒波に飲まれて海底に突入してしまい、そのため、艇内への浸水は免れたものの、浮上も脱出も出来なくなってしまった。

時間になっても二人の搭乗していた回天が浮上しなかったため、基地では早速探索を始めた。

折りからの天候不良に探索は難航し、翌日の午前9時になって、海上に微量の気泡が出ているのが発見された事により回天の場所が確認された。

潜水夫が海底に突っ込んでいた回天の尾部にロープをかけてランチで引っ張り、回天はやっと海上に浮上しました。

しかし、既に事故から16時間も経過していたため、回天が浮上した時、艇内に蓄積されていた酸素は尽きており、搭乗していた黒木少佐と樋口少佐は二人とも絶命していました。

以下は、事故に遭ってから酸素がなくなり絶命するまでの間に回天内で書かれた遺書の全文。

 

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黒木少佐(享年24歳)の遺書

19−9−6、回天第一号海底突入事故報告、当日18時12分、樋口大尉操縦、黒木大尉同乗ノ第一号海底ニ突入セリ。前後ノ状況及ビ所見次ノ如シ。

一、事前ノ状況

当日徳山湾内ニテ樋口大尉ノ回天操縦訓練ニ同乗、17:40発射、針路蛇島向首、18:00頃180度取舵、大津島「グレーン」ニ向ケ帰途ノ途中、18:10ヨリ20節潜航、調深5mニ対シ実深2m、前後傾斜D2〜3度、時ニD4〜5度トナリシコトアリ。当日第三次操縦訓練同乗者仁科中尉ノ所見ニ波浪大ナルトキ、同様20節浅深度潜航中、俯角大トナリ、13mマデ突込ミタル由ノ報告アリ、之ヲ想起シ充分ニ注意ナシアリシ所、約二分ヲ経過シ、浮上ヲ決意シ、操縦者ニ浮上ヲ命ゼントシテ傾斜計ヨリ眼ヲ離シ、電動縦舵機等所要個所ニ注目シツツアリシ時、急激ニ傾斜大トナルヲ感ゼルヲ以テ、傾斜計ヲ注目セルニ、D一杯トナリアリ、察スルニD15度程度ナラン、直チニ速力ヲ急速低下セシモ、若干時ノ後、猶傾斜ノ戻ル気配ナシ。此ノ間操縦者ニ深度改調ヲ0トナスコトヲ命ゼシモ間ニ合ハズ、傾斜計ヲ見ルニD7度、深度18mナリ、海底ニ突入セルコトヲ知リ、直チニ停止ス。突入時衝撃ナシ。

二、応急処置

1、五分間隔ニ主空気一分間排気、調圧ヲ10キロトナシ、気泡ヲ大ナラシム。残圧60キロ

2、縦舵機用操舵空気ヲ常時絶ヘザル如ク放気ス

3、電動縦舵機ヲ停止ス

4、海水タンク諸弁ノ閉鎖ヲ確認ス(前方下ノミ注水シアリ)

5、浸水部ヲ確ム。水防眼鏡ノ「パッキン」部ヨリ水滴落下スル外異状ナシ

6、電灯異状ナシ

7、操空圧力不明(最初読ミ取リアラズ)

三、事後ノ経過

1、主空気ノ放気ハ18:45ヨリ五分間放気セントセシ際、19:00ヨリ若干放気後停止、残圧30キロ、前回放気ノ前ニハ残圧50キロアリテ、五分間10キロニテ放気セルモノナリ。

2、操空ノ放気ハ19:13、数十回ノ操作ト同様ニシテ、操空連絡弁ヲヤヤ急激ニ開キシ所、異常音ヲ発ス、即チ、操舵機函上蓋「パッキン」噴出シ、筒内気圧急昇ス、耳ニ痛ク感ゼリ、依ッテ直チニ閉鎖、爾後放気不可能。

3、19:25主空気放気セルニ、筒内ニ操舵機函ヨリ噴気スルヲ以テ短時間ニテ停止。

4、19:40頃「スクリュー」音二ヲ聞ク、前者ハ直上ニテ停止セルモノノ如シ、但シ爾後遂ニ何等ノ影響ナシ、爾後種々ノ音響ヲ聞クモ近キ音ナシ。

四、所見

1、波浪大ナルトキ浅深度高速潜航ノ可否ハ実験ヲ要ス、確タル成果ヲ得ルマデ厳禁ヲ可ト思考ス(若干処置ヲ誤リシハ当所ノ水深ヲ十二ト判断シ、実深ヲ知ル能ワザリシニヨル)

2、早急ニ過酸化曹達ヲ準備スベシ

3、事故ニ備ヘ、用便器ヲ要ス(特ニ筒内冷却ノ為)

4、実験ヨリシテ二人乗ハ七時間ヲ限度トス

5、「ハッチ」啓開ヲ試ミシモ開カズ

空気量不足ト思考セラルルニヨリ只今(19:55)ヨリ睡眠ス

6、陛下ノ艇ヲ沈メ奉リ、就中○六ニ対シテハ、畏クモ陛下ノ御期待大ナリト拝聞致シ奉リ居リ候際、生産思ワシカラズ、而モ最初ノ実験者トシテ多少ノ成果ヲ得ツツモ、充分ニ後継者ニ伝フルコトヲ得ズシテ殉職スルハ洵ニ不忠申訳ナク慙愧ニ耐エザル次第ニ候

7、恩師平泉先生ヲ始メ、先輩諸友ニ生前ノ御指導ヲ深ク感謝シ奉リ候

8、小官思イ残ス処更ニナク、唯長官、総長、二部長島田少佐等ニ意見書有之、聊カ微衷御取扱被下度

9、必死必殺ニ徹スルニアラズンバ、而モ飛機ニ於ッテ早急ニ徹スルニアラズンバ、神州不滅モ保シ難シト存ジ奉リ候

10、必ズ神州挙ッテ明日ヨリ速刻、体当戦法ニ徹スルコトヲ確信シ、神州不滅ヲ疑ハズ、欣ンデ茲ニ予テ覚悟ノ殉職ヲ致スモノニ候

天皇陛下万歳 大日本帝国万歳 帝国海軍万歳

追伸

1、航外灯ヲ設クベキ事

2、応急「ブロー」ヲ設クベキ事

3、駆水頭部ヲ完備スベキ事

今回の事故ハ小官ノ指導不良ニアリ、何人モ責メラルルコトナク、又コレヲ以ッテ、〇六ノ訓練ニ些カノ支障ナカランコトヲ熱願ス

4、一型ニ於テ、海水「タンク」注水及「ブロー」ニ大錯誤アリ、至急研究対策ヲ要ス。片方「ブロー」出来ズ、注水量不明ナリ

5、仁科中尉ニ、万事小官ノ後事ニ関シ武人トシテ恥ナキ様頼ミ候、潜水艦基地在隊中ノ(機48期)渡辺若クハ権藤大尉ニ連絡ヲ頼ミ候。御健闘ヲ祈ル。〇六諸士並ニ甲標的諸士ノ御勇健ヲ祈ル。機五十一期級友切ニ後事ヲ嘱ス。(終)

辞世

男子やも我が事ならず朽ちぬとも留め置かまし大和魂

国を思い死ぬに死なれぬ益良雄が友々よびつ死してゆくらん

1、自室紫袋内ノ士規七則ヲ黒木家ニ伝フ、家郷ニハ戦時中云フコトナシ、意中諒トセラレヨ 父上、母上、兄上、妹達、御達者ニ

2、血書ハ分配ヲ堅ク御断リス。但シ一通司令官ニ納メテ戴キタシ 人生意気ニ感ズルモノナリ

天皇陛下万歳 大日本万歳 帝国海軍 回天万歳

十九・九・六 22:00

海軍大尉黒木博司

22:00 壁書ス、呼吸苦シク思考ヤヤ不明瞭手足ヤヤシビレタリ

04:00 死ヲ決ス心身爽快ナリ、心ヨリ樋口大尉ト万歳ヲ三唱ス

死せんとす益良男子の悲しみは留め護らん魂の空しき

所見万事ハ急務所見及至急務靖献ニ在リ同志ノ士希クバ一読、緊急ノ対策アランコトヲ 十九−九−七

04:05 絶筆樋口大尉ノ最後従容トシテ見事ナリ 我又彼ト同ジクセン

04:45 君が代、斉唱 神州ノ尊 神州ノ美 我今疑ワズ莞爾トシテユク 万歳、

06:00 猶二人生存ス、相約シ行ヲ共ニス万歳

 

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樋口少佐(享年23歳)の遺書

十九−九−六 7:40発動 18:12沈座

指揮官ニ報告

予定ノ如ク航走、18:12 潜入時突如傾斜DOWN20度トナリ海底ニ沈座ス。其ノ状況、推定原因、処置等ハ同乗指導官黒木大尉ノ記セル通リナリ、事故ノ為訓練ニ支障ヲ来シ洵ニ申訳ナキ次第ナリ

後輩諸君ニ 犠牲ヲ踏ミ超エテ突進セヨ

七日04:05 呼吸困難ナリ

大日本帝国万歳三唱ス戦友黒木ト共ニ

訓練中事故ヲ起シタルハ戦場ニ散ルベキ我々ノ最モ遺憾トスルトコロナリ、然レドモ犠牲ヲ乗越エテコソ発展アリ進歩アリ、庶幾クバ我々ノ失敗セシ原因ヲ探求シ、帝国ヲ護ル此種兵器ノ発展ノ基ヲ得ンコトヲ

周到ナル計画大胆ナル実施

生即死04:40 国家泰唄ス04:45

06:00 猶二人生ク、行ヲ共ニセン

大日本帝国万歳 06:10

十九年九月六日

海軍大尉樋口孝

 

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読書 この人を見よ

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ニーチェが44歳で、発狂する直前に著した、自叙伝のような、一種の著作目録

このときのニーチェは理解者を失い、非常に孤独だったが、自分の思想の重要性は深く自負していたので、自分に注目しない世間に「私に注目せよ!」という叫びを発していて痛々しい

 1)噴出するような創造力

 2)同時代人に理解されない

 3)狂気と紙一重

という天才の3条件に見事に適合している

脳(おそらく右脳)から噴き出すような直観と情動を、知性(左脳)がかろうじて文章化したような作品群

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あの「ツァラトゥストラ」全4部を、各部10日程度で書き上げていることからも、その噴出の速さと激しさがうかがわれる

私はまだ「ツァラトゥストラ」と本書だけなのだが、激しく情動を揺さぶられるような読後感が残る

本書の読後に、手塚富雄「ニーチェの人と思想」(中公「世界の名著・ニーチェ」所収)を再読して彼の人生をたどり直してみたが、まさしく「天才はつらいよ」という悲壮感に満ちている

(^_^;)

 

 

水月湖の年縞

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 木の年輪はせいぜい二千年くらい

  大自然が生み出した

 偉大なタイムレコーダーですね

  (^_^;)

 

年縞(ねんこう)とは、長い年月の間、湖沼などの底に堆積した土などの層が描く特徴的な縞模様の湖底堆積物のこと。

年縞堆積物とも称される。

英語の varve に対して、国際日本文化研究センターの安田喜憲名誉教授がつけた訳語である。

縞の1つは1年分の堆積層で約0.7ミリ。

水月湖の年縞は、過去の自然史を知る重要なサンプルである。

そこで数回にわたるボーリングが行われたが、岩盤までの年縞を途切れなく採取するのはきわめて困難で、やっと成功したのは2006年になってからだった。

水月湖の湖底には45メートル、7万年分の年縞が1年の途切れもなく残されていたのだ。

この年縞は、縞々に残る葉の化石が含む放射性炭素の量によって、世界のあらゆる歴史研究に欠かせない出土品の年代決定の「世界標準のモノサシ」に採用される栄誉を手にした(2013年)。

さらに、縞々に含まれる花粉分析によって過去7万年の緻密な気候変動を再現してくれるタイムマシンとしての発見も続いている。

こうして水月湖は、「奇跡の湖」と呼ばれるようになった。

 

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同情するならカネをくれ

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英国のエリザベス女王(94)の夫エディンバラ公フィリップ殿下が4/9に99歳で死去したことを受け、英国は全ての政府庁舎で葬儀の翌朝まで半旗にするなど、全土で喪に服している。

新型コロナウイルスの感染拡大でソーシャルディスタンス(社会的距離)の規則が出ていることを受け、エリザベス女王が葬儀の形式など詳細を検討している。

英国政府は人混みができることを防ぐため、追悼や献花で関連施設に集まらないよう呼びかけている。

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英王室は

「献花の代わりに寄付をして欲しい」

と声明に記した。

弔問者向けの芳名録は、王室施設には置かれず、オンラインで実施されている。

それでも4/9夕方、ロンドン市内のバッキンガム宮殿には、多くの人々が集まっていた。

人々はマスクを着用して献花し、少し立ち止まって黙禱(もくとう)していた。

 

広尾の古民家

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この近所に住んでいたことがあるので、前を通るたびに「なんじゃ、これは?」という気がしました

周囲は高級住宅街なのですが、この家の周囲だけ別世界

「古民家」などという風流なシロモノではなく、「ゴミ屋敷」「お化け屋敷」といった感じ

夜は中に電球が1個点灯していたので、人が住んでいるみたいでした

((((;゚д゚))))

 

明治通り沿いの広尾商店街に入る交番の向かいの古民家が、撤収・解体されることがわかった。

以前から

「今にも崩れそう・・・」

「傾いている!」

と話題騒然だった。

関係者の話では、住人が亡くなり解体することになったそうです。

昨年は二階の窓が外れて、一時警察沙汰になるような事もあった。

いつも見慣れた風景が無くなる事もあり、近隣の住民が写真に収める姿も見られた。

 

▼この人が住んでいたそうです

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フレンチトースト

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 シーザーサラダも

  ローマ帝国の英雄とは関係なくて

 コックのなんとかシーザーさんが発明した

  というのを何かで読んだことがあります

 (^_^;)

 

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フレンチトースト

「フレンチトースト」の語源については、アメリカ合衆国で1724年に、ニューヨーク州オールバニの酒屋の店主ジョーゼフ・フレンチが命名したとされている。

アメリカ、ヨーロッパの一部、アジアの一部の国・地域などで、朝食や軽食、デザートとしてよく食べられているパン料理の1種である。

溶いた鶏卵と牛乳などの混合液をパンに染み込ませ、フライパンなどにバターや植物油を熱して焼いたもので、パンがしっとりした食感に変わる。

 

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▼調べたら、やっぱりそうだった (^_^;)

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シーザーサラダ

ロメインレタス、またはレタスを主体にしたサラダ。

名前の「シーザー」は、メキシコのレストラン「シーザーズ・プレイス」のオーナーであったイタリア系移民の料理人・シーザー(チェーザレ)・カルディーニ(Caesar Cardini)に由来する。

ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)の好物であったという説が散見されるが、全く根拠のない俗説である。

 

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▼これも面白い (^_^;)

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スパゲッティ・ナポリタン

トマトケチャップで味付けし、炒めた日本独自のスパゲティ料理。

昭和20年代に、横浜のホテルニューグランドで考案されたといわれている。

喫茶店や洋食屋、レストランで、老若男女に愛される定番のパスタ料理。

類似の名を持つイタリア料理の「スパゲッティ・アッラ・ナポレターナ」とはまったく異なる。

 

訃報 篠田桃紅 107歳

水墨を使った独自の抽象作品で国際的に知られる美術家の篠田桃紅(しのだ・とうこう、本名満洲子=ますこ)さんが3/1、老衰のため東京都内の病院で死去した。107歳だった。

葬儀は近親者で済ませた。喪主はめい、爽子(そうこ)さん。

中国東北部(旧満州)の大連生まれ。

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幼少から書を始め、第2次世界大戦後、文字を解体した抽象表現「墨象」に取り組んだ。

1956年に渡米し、ニューヨークを拠点にシカゴやパリなど欧米で個展も開いた。

1958年に帰国し、東京・芝の増上寺大本堂の壁画やふすま絵を手掛けるなど精力的に活動を続けた。

エッセイストとしても活躍。

著書に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「墨いろ」などがある。

映画監督の篠田正浩さんはいとこ。

▼20歳のころ

浅田真央ちゃんに似てますね (^_^;)

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読書 アウトサイダー

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著者コリン・ウイルソンの略歴は、

1931年、イギリス、レスター生まれの評論家、小説家。労働者階級の家に生まれ、アカデミックな教育は受けなかった。さまざまな職につきながら独学、作家の道を志す。56年、『アウトサイダー』で衝撃的デビューを飾り・・・

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まともな学校教育をほとんど受けず、ほぼ独学にもかかわらず、25歳で本書を書いて全世界に衝撃を与えた

まさに天才の名にふさわしい人物が、過去の、特に19世紀の天才(アウトサイダー)たちに焦点をあて、その生態を明らかにしている

個人的には、特にニーチェとショーペンハウエルへの言及に興味がある

天才を対象にしている以上、それは脳の構造や機能の分析とならざるを得ず、まだ右脳の概念は登場していないが、その後の「フランケンシュタインの城」などへ続く意識のメカニズムの解明が為されている

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著者コリン・ウイルソンは非常に多くの本を書いているが、処女作から一貫して同じテーマを追求している

実は本書を最初に読んだのは20年くらい前なのだが、そのときは余りの難解さにうんざりして、5分の1くらい読んだところで読み進めるのを断念している

しかし、何か非常に重要なことを論じていることは間違いなさそうなので、その後、コリン・ウイルソンの本を10冊くらい読んだが、本書よりずっと分かりやすかった

そのおかげかどうか、今回は最後まで読み通すことが出来たが、果たしてどれほど理解できたかは自信がない

まだ何回も読む必要を感じる

(^_^;)

 

18000年前の音楽

     ▲クリックすると聴けます

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 いまでも日本の山伏さんたちは

  使っていますね

 (^_^;)

 

いまからおよそ18000年前のことだ。

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現在のフランスにある洞窟の内部に、誰かが珍しい忘れ物をしていった。

ホラガイの貝殻である。

といっても、ただの貝殻ではない。

先端のとがった部分が削られ、息を吹き込めるように加工されていたのだ。

研究者たちはCTスキャンなどの画像技術を駆使し、貝殻をこれまでに発見された最古の楽器へと変身させた後期旧石器時代の人の素晴らしい仕事ぶりを証明してみせた。

そのうえ科学者らは音楽家に演奏を依頼し、数千年にわたる沈黙からその音色をよみがえらせたのである。

詳細はここをクリック