71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より、彼の足跡を一部抜粋。
三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれた。
1970年、新宿高校を経て東京藝大に入学した日々を辿る。
(^_^;)
71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より、彼の足跡を一部抜粋。
三島由紀夫の担当編集者でもあった父・坂本一亀の長男として生まれた。
1970年、新宿高校を経て東京藝大に入学した日々を辿る。
(^_^;)
中国コロナもようやく収まりつつある今日このごろ
永らくお休みだった特撮分科会が復活!しました
2/15の夕方から、場所は池袋のカラオケ「コートダジュール」
木下さんが準備してくださったDVD動画を、お店のディスプレイに流して、特撮議論に花が咲きました
木下さんの準備資料もスゴかった!
幹事の山潤さん、会場紹介の大野さん、ありがとー
(^_^;)
▲今回の分科会の議題「特撮クイーンは誰か?」
1位 : 出演作最多7作妖艶な、水野久美
2位 : 井野先生押し清純な、藤山陽子
3位 : 今見ても美しい、白川由美
(八千草薫は他と比べられない別格)
▲水野久美
▲藤山陽子
▲白川由美
▲別格の八千草薫が主演女優「ガス人間第一号」
▲「ガス人間第一号」予告編
▲山潤さんのご両親のコンサート・パンフレットに挟まっていた昔の切符
いわゆる「硬券」という、厚いボール紙で出来た切符
昭和29年5月7日、JRの電車が「省線」と呼ばれていて
まだ券売機も自動改札も無い時代ですね
田町から乗って、10円で両国まで行けた!
東京工業大学学長の益一哉 東京医科歯科大学学長の田中雄二郎
東京科学大学
どっかの新駅の駅名(→)みたいな変な名称にならないかと心配していたのですが、割と無難な名称に決まって安心しました
私は昨年末に応募して「先端研究大学」を提案しました
提案しておいて何ですが、先端とか卓越みたいな、レベルの高さを表す形容詞的な言葉は、時代が経過すると安っぽい方に意味が変化(陳腐化、インフレ化)するという避けられない問題があります
かつて「高等学校」とは、文字通り「高等な学校」という意味で、これから帝国大学(専門課程)に進む予定の当時の超エリート(高級官僚予備軍)たちが、その前に寮生活で青春の一時期を過ごしながら(旧制高校は全寮制だった)、人生いかに生きるべきかを思索し、「高度な一般教養」を身につける場だったのですが、戦後の学校制度改革(旧制高校→新制大学教養課程、旧制中学→新制高校)などを経て、いま高等学校(高校)という言葉の意味は、かなり下がっているのはご存じの通り
旧制第一高等学校(現在の東京大学)の寮歌に、「栄華の巷低く見て」(↑)という一節があります
旧制高等学校と言えば、明治初期の創立から昭和23年の旧制高等学校廃止までの卒業生総数が20万人くらいしかいない、まさに当時の日本人社会の上位1%以下の、超エリート養成所でした
この「栄華の巷(ちまた)低く見て」の一節には、自分たちが国家社会を支えリードしていくんだという、優秀な若者らしい気負いや気取り(一種のエリート臭)があり、そのためには実社会の実利を離れた知識や学問を尊重し、俗世間の垢にまみれた発想を廃すべきだという精神貴族的な主張が強く感じられます
かつての旧制高等学校では、例えば哲学みたいな浮世離れした、日常生活にすぐ役立たないことこそ「高度な一般教養」として尊ばれたので、そのせいか今でも高校のカリキュラムには、実用性に乏しい内容が多く残っているような気がします
古文漢文や微分積分(みんな最後に「ブン」が付きますね)より、もっと実用的な、クルマの運転法、パソコンの基礎知識、マネー運用法、行政サービスの利用法など、大人の社会生活に必要な実用知識技能を高校で教えるべきだという意見は根強いのですが、教育の世界はとにかくガチガチ保守的ですので、まったく実現していませんね
古文漢文や数学の教師たちが、失業して食っていけなくなると困るからかもしれず、何ごとも既得権益を壊すのは難しい
東京工業大学の創設時の名称は「東京職工学校」で、何だか今「職工」と聞くと非常に安っぽく感じますが、当時の「職工」は高級技術者という意味でした
東京医科歯科大学は、かつては「東京医学歯学専門学校」という名称で、大学ではありませんでした
明治時代の帝国大学医学部は医学研究者(研究医)を養成する場で、開業医などの臨床医はそれより一段下の医学専門学校で養成するというのが、明治政府の方針だったようです
そのことが医学専門学校(医専)出身の医者の学歴コンプレックスになり、戦後の学制改革などで、みんな「大学医学部」に格上げされてゴッチャになってしまいました
今回決まった東京科学大学の「科学」は、単純に(専門の)領域を表す名詞的な言葉で、レベルの高さを表す形容詞的な意味合いは無いですから、名称陳腐化(インフレ化)の危険は少ないと言えそうです
類似の既存大学名として私立の「東京理科大学」があって、こちらの英語名は、「Tokyo University of Science」であって、完全にカブるので「Institute of Science Tokyo」にしたのでしょうね
東京工業大学の従来の英語名「Tokyo Institute of Technology」は、略するとTITになるのですが、このTITという単語には「乳首」という意味があって、東工大関係者は長年、英語論文などでこの英語略称を使うことに多少の抵抗を感じていましたから、今回やっと解決しそうです
日本政府の兆円単位の大学ファンドからタップリ研究費をいただいて、ノーベル賞を量産し、明日の新産業をバリバリ生み出していって欲しいものです
(^_^;)
2024年度に統合を目指す東京工業大学と東京医科歯科大学は、新大学の名称を「東京科学大学」にすると公表しました。
両校は昨年末、新大学名の提案を公募し、それを参考にしながら新大学にふさわしい名称を検討してきました。
その結果、新名称を「東京科学大学」として大学設置・学校法人審議会へ提出することで合意し、両校のホームページで公表しました。
英語表記は「Institute of Science Tokyo」で、略称は「科学大」です。
両校は統合のうえ、「国際卓越研究大学」の認定を目指していて、認定されれば日本政府の10兆円規模の「大学ファンド」から多額の支援を受けられるようになります。
理系の人ならご存知の方も多いと思いますが、FORTRANというプログラミング言語があります
主に科学技術計算で利用され、ビジネス利用のCOBOLと並んで、コンピュータの歴史の初期に大いに利用されてました
歴史の初期と言っても、まだわずか30~40年前なのですが、変化の速いコンピュータの世界では、すでに大昔かもしれません
実は私、FORTRANを鳩山由紀夫さんから学んだことがあります
そう、あの日本を代表する奇人変人の、鳩山由紀夫さん(→)です
鳩山家は、国会議長や首相、大臣を輩出した名門ファミリーとして有名で、安倍(岸、佐藤)家と並んで、日本の戦後政治をリードしてきました
頭脳もみなさん優秀で、鳩山家では「東大以外は大学ではない」とされていたとか
衆院議長、首相、外相と三代つづき、四代目に生まれてきたのが、鳩山由紀夫・邦夫の兄弟
あの有名な鳩山御殿(↓)で生まれ育った、超お坊っちゃま
▲鳩山御殿 鳩山家の私邸だったが、現在は鳩山会館として一般公開中
どちらも順調に東大合格、弟の鳩山邦夫さんは東大法学部を出て政界へ
兄の鳩山由紀夫さんは東大工学部を出て、理科系の研究者(当時は助手)をしてました
私が大学に入学したころ、FORTRANは理系必須科目で、その入門授業を担当していたのが鳩山由紀夫先生
その後の奇人変人っぷりからは想像もできないほどマトモな授業で、物腰やわらかく、とても分かりやすい授業でした
当時のFORTRAN入門書の定番がこれ(→)で、アマゾンで探したら絶版みたいでしたが、古本(94円)が出品されてたので、なつかしくなって注文しました(来週届く予定)
当時はパソコン一人一台にはホド遠く、大学の計算センターにある大型コンピュータをタイムシェアリングして使ってました
コンピュータにプログラムを入力するのも、今みたいにキーボードからではなく、事前にパンチカード(↓)に打ち込んで(数字のところに機械で穴を開けて)から読み込ませるという驚くべき仕組み
▲入力用パンチカード
縦1列が1文字なので、これ1枚でプログラム1行分
今でも競馬の投票券などのマークシートを見ると、当時の入力用パンチカードを思い出してしまいます
▲競馬の投票券
プログラム1行毎に、この仰々しいパンチカード1枚を使うので、ちょっと長いプログラムだと、このパンチカードが数百枚にもなり、けっこう重かった
FORTRANの授業で出会った鳩山由紀夫先生ですが、その後私が研究室に所属したら、同じ研究室だったのでビックリ
名門鳩山家の御曹司というのはウワサで知ってましたが、まだ理系研究者として政治家の片鱗も見せず、飲み会で「政治家にならないんですか?」などと質問すると、「弟が優秀だから」とか答えていました(弟の邦夫さんは、当時すでに国会議員)
当時の鳩山さんの上司に当たる助教授(応用数学の専門家)に
「数学は政治に使えませんか?」
と質問したら
「それは童貞の男が、
百戦錬磨の女に挑むようなもんだ!」
と言ってました
私は学部4年生&修士2年間の計3年間、鳩山由紀夫さんと一緒でした
学科で研究室対抗の野球大会があると、鳩山由紀夫さんはピッチャーで活躍してました
研究室の飲み会があると、鳩山さんが割り勘に大金を出してくれるし、都合で参加出来ないときも「これカンパね」とか言って数万円くれるので助かりました
私の卒論の発表会で、あと1分とか残り時間が少なくなると「チーン」と音を鳴らす時間係が鳩山さんだったのを覚えています(のちに総理になるなんて誰も知らず、まだ助手ですから、そんな雑用もやらされる)
私は修士を修了(大学院では卒業と呼ばない)してから理系研究者の道を進まずに経営コンサルタントになったので、FORTRANとは余り縁の無い人生を送って来ましたが、ネットのニュースでFORTRANが現役で活躍中というのを見て、超なつかしく、ウレシくなってしまいました
鳩山さんの政治スタンスは親韓親中で、私の思いとは正反対ですが、私には鳩山さんが最後の将軍徳川慶喜(→)に重なって見えるのです
どちらも名門に生まれ、頭脳は超優秀だが、かなりの奇人変人
戊辰戦争で徳川慶喜が敵前逃亡のような奇行に走らなければ幕軍が勝利して、徳川家主体で明治維新に相当する政治改革が行われた可能性は極めて高い
無骨な薩長は当時最強だったドイツ式軍隊を好みましたが、徳川慶喜はフランス好みだったので、日本軍はフランス式の柔和な弱い軍隊になっていたかもしれません(右の写真はフランス軍装した徳川慶喜)
ただそれだと、半世紀後の日露戦争で日本が負け、日本列島はロシア人によって占領されて、日本人は全員、極寒のシベリア奥地に強制移住させられ、餓死や虐殺で「ロシアの少数民族日本人」の人口は、現在1千万人くらい(当時の人口5000万人から激減)になっていたと思われます
ロシア(ソ連)は戦争に勝つと、敵の国民をすべて極寒のシベリア奥地に強制移住させるのが近現代史の常でしたし、餓死しても放置で、逆らったら虐殺ですから、これは大いに有り得ることです
その1千万人に激減した「ロシアの少数民族日本人」の若者は、いまウクライナの最前線に送られて、戦場で虫けらのように殺されていたかもしれません
とここまで書くと、頭脳が超優秀だった最後の将軍徳川慶喜は、日本の未来を明晰に見抜いた上であえて奇行を演じ、無骨だが強い薩長に政権を明け渡したのではないか?と思えてくるのです
そんな徳川慶喜に鳩山さんを重ねると、
「いやそれは買いかぶりだ、
あれは単なる馬鹿だ!」
という反論が山のように出るでしょうね
(^_^;)
▲鳩山ファミリー
▲鳩山兄弟 邦夫と由紀夫
邦夫の方が年上に見えるが、由紀夫が兄
▲岸(安倍、佐藤)ファミリー
1954年に考案され、広く用いられている世界初の高水準言語が「Fortran」は、考案から68年が経過した。
多種多様なプログラミング言語が存在するにもかかわらず、
「Fortran」が依然として、プログラマーに愛用されている
その理由を、カリフォルニア工科大学のMartin D. Maas氏が解説しています。
5 Reasons Why Fortran is Still Used
Fortranは古いプログラミング言語ですが、高度な計算に特化しており、物理学科やスーパーコンピューターの研究機関、政府機関などで2022年時点でも用いられることがあります。
Maas氏はFortranの歴史と強みを説明するとともに、Fortranが今後も維持されるのかについて5つの点から解説しています。
1)性能重視の文化の中で築かれたため
Fortranでは最適化が重視されていたため、コンパイラでコードを最適化できるようになっていましたが、それ故の制限が多く存在しました。この制限により、C言語などの他のプログラミング言語では可能な「遅いコードを自由に書くこと」といったことが、Fortranでは困難です。高性能ではあるものの融通の利かないFortranと、自由度が高いC言語という図式が長らく成り立っていたため、用途に応じてFortranは長らく求められてきたというわけ。しかし、理論と実践によりコンパイラが改善されてきたことで、近年ではFortran以外の言語でもコードの最適化などの生産性を向上させる機能が実装されるようになっています。
2)科学的な情報処理ではC言語やC++よりも使いやすい
Fortranと競合した「速い」言語はほとんどC言語やC++でした。C言語やC++は汎用(はんよう)的なプログラミングを行う際には非常に便利だとされている一方で、多次元配列や複素数を扱うような科学的な計算を行うのに不向きとされています。しかし、Fortranはほぼ初期からこれらの計算やいくつかの特殊関数をサポートしてきました。その後、C言語やC++も複素数に標準対応したり、C++23では多次元配列が一部標準対応したりと開発が進められていますが、Fortranにはいまだに追いついていないのが現状だそうです。
3)コードの長寿命化と後方互換性
科学技術での計算において、寿命が長く、何十年ものあいだ変わることなく動作確認が可能なコードはとても望ましいこととされています。Fortranは後方互換性を厳格にすることで、長期的なコードの寿命を保証しているため、多くのプログラマーに愛されているというわけ。
4)共配列による分散メモリ並列処理
Fortran 2008では、分散メモリシステム上の並列処理を言語の一部として追加する、「共配列」とよばれる機能が導入されました。最新版のFortranでは、既存のシングルスレッドまたはマルチスレッドのコードを分散メモリ並列コードに変換することが容易になっており、これらもFortranの強みのひとつとなっています。
5)Fortranは今も進化している
Fortranは考案から約70年が経過しているにもかかわらず、今でも活発に開発されています。また、Fortran標準委員会が定期的に言語の改訂を行っています。
しかし、Fortranには構築システムや最新のツール、活発なオープンソースのコミュニティー、標準ライブラリが不足しているとされており、Fortranをインターネット時代に適応させるためには、十分な数のFortran開発者がオープンソースの文化を採用する必要があるとされています。そのため、Maas氏は「今もFortranが使われ続けているのには正当な理由があります」と述べる一方で、「Fortranが使われ続けている理由の一部や全部が他の言語によって取って代わられる可能性があります」と指摘しています。
社会変化が乏しくて過去の経験則が広く通用する大昔の社会では、年をとった人(高齢者)が尊いという価値観(文化)が支配的になります
多くの宗教が「高齢者を大切にしろ」と説くのは、現在の大宗教が成立したのが大昔だったからかもしれません
現在のように日進月歩、秒進分歩の時代には、高齢者の経験則より若者の柔軟性の方が役に立つ場面が少なくありません
若者が「老害」という言葉を使って高齢者批判をするようになって久しい
年をとっただけの無能な高齢社員が、年功制のヌルマ湯で若者より高い賃金を得ているのは、有能な若者には腹立たしいことだと思います
「ものすごく有能な若者」ならそんな組織を捨て、能力と柔軟性を活かして転職や起業にチャレンジし、夢を実現するチャンスは、今の日本ならいくらでもあります
でも、能力や行動力がそこまでいかない多くの「ちょっと有能な若者」は、現在の組織の中で頭上の重しのようになっている無能で給料が高いだけの高齢者を、邪魔で不愉快な存在と見ています
ただ、人の意識や組織の価値観(文化)が変わるのには非常に時間がかかるし、現在の組織のトップにいるのもたいてい高齢者ですから、「ちょっと有能な若者」が現在の組織に居続ける限り、望むような急な変化は起こりにくい
日本は明治維新以降の1世紀以上、世界の多くの国に比べて、ダイナミックに変化発展してきました
黒船と敗戦という2つの巨大な社会変動(危機的状況)で、高齢者の経験則がまったく通用しなくなり、有能な若者が能力を発揮するチャンスに恵まれたことが大きいように思います
いま日本は、平均賃金が長期にわたって上昇しないという停滞期を迎えている訳ですが、さりとて「危機的状況」と呼ぶほど行き詰まったり、多くの人が生活に困窮している訳でもない
そうゆうヌルマ湯的な社会状況に、いま我々は生きているのだと思います
もしかすると気が付いてないだけで、3回めの巨大な社会変動(危機的状況)が、すぐ目の前に迫っているのかもしれません
(^_^;)
新宿駅周辺の混雑緩和を目的に、都立新宿高校の近くから代々木駅近くまでバイパスする新たな道路「環状第5の1号線(千駄ヶ谷)」が完成し、12月3日から通れます。
明治通りで新宿を通過しようとする際に、渋滞をバイパスして移動できることが期待されています。
上の写真は、新しく開通した道路の新宿側。
左は新宿御苑、右は新宿高校。
写真手前を左右に通るのが甲州街道。
道路計画自体は大昔からあったものの、新宿高校の移転反対運動、新宿御苑の端を“削って”通過する計画への反対運動など、すったもんだ大騒ぎあった末に、片方を地下トンネルにして道路の幅を減らすことで解決しました。
ビジネス感覚が衰えたせいか、兆円単位の天文学的な巨大赤字を出した孫正義
借金は規模が大きくなると、借りてる方が強くなります
「もっと貸さないと、
今までの分、返さねえぞ!」
というタンカが切れるからです
そうは言っても、底の抜けたバケツ(ソフトバンク)に、永久に水(資金)を注ぎ続けるほど、銀行(みずほ)も甘くない
銀行から融資継続の条件として、孫正義引退が出ているのだと思います
孫正義の完全引退が先か、ソフトバンク倒産が先か?
裸一貫、一代で築いたソフトバンク帝国ですから、一代の最後に、パァ~ッとツブシちゃうのもいいんじゃないかな?
仮に引退しても、まだ65歳で病気も無いみたいですから、アームごっこでもしながら、大いに余生を楽しんでもらいたいと思います
((((;゚д゚))))
ソフトバンクグループ会長の孫正義が、病気説や引退説について
「決してそうではない。
私は健康そのものだ。
気力ますます充実。
やりがいも気合いも十分だ!」
などと否定した。
これまでの決算発表では、孫正義がプレゼンしていたが、
今後はその役割を、CFO兼CISO後藤芳光(→)が担う。
この発表が突然だったので、孫正義の病気説や引退説が広まった。
孫正義は自身のプレゼンについて、
「当分の間は、最後にしたいと思います」
「日常経営業務は、後藤芳光ら経営幹部にやらせる」
「私は、傘下企業アームの爆発的な成長に没頭する」
「私は、もともと攻めの男だ」
と強気の考えを述べた。
超人気番組「8時だヨ!全員集合」の番組終了が1985年ですから、もう37年前
意識不明の重体
久しぶりに世間の注目を浴びて浮き上がってきたのは、ややスサんだ私生活
長生きするのも大変なようです
(T_T)
ザ・ドリフターズの仲本工事(81)が、10月18日午前9時過ぎ、横浜市内を歩行中のところをワゴン車にはねられた。
意識不明の重体
仲本工事は、2012年に再婚した演歌歌手の三代純歌(54)との家庭内トラブルを『週刊新潮』に報じられ、渦中にいるタイミングだった。
三代が、飼っていた犬猫と夫を置いて家を出たのは昨年7月。
以来、仲本は夫婦で営んでいたカラオケスナック『ピンクローズ』で生活をしているが、掃除が行き届いておらず、“ゴミ屋敷”のような状態。
1階部分の窓の隙間などから獣臭が漂い、2階は物置代わりに使われているのか、窓際にまで段ボール箱などが積み上げられている様子が外からもうかがえた。
▲カラオケスナック『ピンクローズ』
▲カラオケスナック『ピンクローズ』の場所 自由が丘の近く
▲拡大すると「仲本家JUNKAの台所」と表示されている
* * * * * * * * * *
【続報】10月19日22時22分、
急性硬膜下血腫のため、
満81歳で亡くなられました
動画は訃報前の作成です
* * * * * * * * * *
▲外回りが「千駄ヶ谷ぎょえんトンネル」の中を、内回りが上を通る
東京都建設局は2022年10月13日、建設を進めている「環状第5の1号線」のうち、渋谷区千駄ヶ谷五丁目から新宿区内藤町までの「千駄ヶ谷地区」805mが、12月3日14時に開通すると発表しました。
新たにできるのは、明治通りの鳩森小学校西交差点から、新宿二丁目交差点の南側(御苑大通りの南端)にかけての区間です。
内回りと外回りを上下に重ねて道路の幅を絞り、新宿御苑と都立新宿高校の間をすり抜けるように走ります。
この開通により、明治通りで新宿を通過するときは、甲州街道(国道20号)と平面交差する新宿四丁目交差点や、伊勢丹に面した新宿三丁目交差点といった混雑箇所を迂回できるようになります。
東京都建設局によると、渋谷・新宿の両副都心を結ぶ道路ネットワークが強化されるほか、新宿駅周辺の交通渋滞の緩和による沿道環境の改善が期待されるといいます。
この「環状第5の1号線(千駄ヶ谷)」は、終戦直後の1946年の都市計画決定を経て、1991年に事業認可を取得しました。
事業費は約755億円に上ります。
事業認可から開通までは30年以上がかかったわけですが、これは途中で計画が大きく変わったことが影響しています。
当初、道路の幅は片側2車線が左右に並ぶ31~35mでしたが、2005年の都市計画変更で14~35mに縮小されました。
これは主に、新宿御苑のラクウショウ(落羽松)が関係しています。
当初の計画は、御苑の土地を多く削って道路を通すというものでした。
しかし道路用地がラクウショウの群生地の一部にかかっていたのです。
▲当初は、計画の範囲がラクウショウの群生地にかかっていた
御苑のラクウショウは明治20~30年代に日本で初めて植えられたもので、樹齢は120年以上、樹高は30m近くにまで達しています。
巨樹の間からはタケノコのような姿の気根がたくさん生えており、独特な景観を作っています。
ラクウショウ自体は他所でも見かけることがありますが、御苑にあるような大きな群生地は希少といえます。
▲新宿御苑のラクウショウ(落羽松)群生地
道路を通すにあたっては都と、御苑を管理する環境省との間で長期間にわたり協議と検討が実施されました。
1999年度に環境影響の調査が始まり、2003年度には調査結果を踏まえた道路構造案について都と環境省の間で基本合意に至り、2005年6月に道路を上下2層構造にして幅員を縮小する計画へと変更されたのです。
これにより新宿御苑と新宿高校の間を通る道路は当初計画のおよそ半分の幅になり、さらにトンネルが掘られました。
名称はひらがなを用いた「千駄ヶ谷ぎょえんトンネル」(長さ492m)です。
外回り(池袋方面)がトンネルの中を通り、内回り(渋谷方面)と歩道がその上の“屋上部分”を通ります。
事業は、2018年度末の時点で用地取得がほぼ終わっている段階まできていましたが、地下埋設物の輻輳や地下埋設インフラの整理・移設に時間を要するなどして、今回、ようやく開通にこぎ着けました。
なお、道路開通後も、横断歩道橋のエレベーター設置工事などは継続して実施されます。
▲小田急デパートの新宿店本館
渋谷に比べると再開発が
遅れていた感じの新宿ですが
ようやく始まるみたいです
(^_^;)
小田急百貨店の新宿店本館が、新宿駅西口の大規模再開発に伴い、2022年10月2日をもって営業終了する。
同年10月以降は、新宿西口ハルクを改装して営業を継続する。
1967年に全面開業した新宿店本館は、今や新宿西口の象徴的な建築物として、50年以上にわたって親しまれてきた。
新宿店本館跡地には、地上48階、高さ約260 メートルの超高層ビルを建設予定。
竣工は2029年度となる見込み。
▼跡地に建設予定の、地上48階、高さ約260 メートルの超高層ビル