現代史

「お大典の碑」と階段 新宿駅開業140周年

新宿駅南口から新宿高校へ向かう途中にあった「お大典の碑」と階段

奥に高層ビルが見えますから、そんなに大昔ではない

この階段を登り降りした記憶があります

(^_^;)~♪

「お大典の碑」というのは、昭和3年(1928年)の昭和天皇ご即位を記念した御大典記念の碑のことで、現在は、西新宿の十二社熊野神社に移設されています

「御大典」は「ごたいてん」と読むのが正しいようですが、私は勝手に「おたいてん」と読みたいのです

 

▼今はこんな感じ ((((;゚д゚))))

「お大典の碑」を意識しているのか、今でも時計台のような碑(塔)が立っています(中はエレベーター)

新宿高校出身 森香澄 新宿駅でティシュを配る

 

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東日本旅客鉄道は1月22日から、新宿駅開業140周年を記念した一連のイベントを開催する。

主なイベントには、

2月22日から3月9日まで西改札内コンコースで行われる「歴史写真展」

3月1日にSuicaのペンギン広場で開催される「新宿スペシャルオーケストラ」

などが含まれる。

このオーケストラは、参加者が自分の楽器を持ち寄って演奏し、1000円の参加費で楽しむことができる特別な催しだ。

新宿駅は1885年3月1日に「日本鉄道」として開業した日本初の私鉄で、その歴史を楽しむためのイベントが多岐にわたって計画されている。

特に注目を集めるのが「201系電車」のラッピング自動販売機で、2月1日から12月中旬まで西改札内コンコース11・12番線エレベーター横に設置され、新宿の懐かしい通勤情景を思い起こさせる。

また、2月18日から24日まで「駅からハイキング&ウォーキングイベント」が開催。

新宿高校の生徒と共同で選定した歴史巡りコースを楽しむことができる。

さらに、3月2日には全席グリーン車仕様のハイグレード車両「なごみ(和)」を使用した団体専用の臨時列車が運行され、渋谷駅から上諏訪駅までの往復旅行を楽しむことができる。

この旅行に参加することで、限定記念グッズ4点を手にすることができる特典も魅力だ。

参加申し込みは、1月24日から「日本の旅、鉄道の旅」サイトで受け付ける。

各イベントでは、新宿駅とその周辺の発展を支えてきた歴史と未来への展望を感じることができる。

さらに、JR東日本グループの社員が、特別にデザインされたエンブレムを着用して、来場者を迎え、140周年の記念を祝う。

これらのイベントを通して、新宿駅の重要な節目を体感する機会を提供する。

▲1885(明治18)年、日本鉄道「内藤新宿駅」として完成

今でこそ新宿と言えばここですが、日本全国には「新宿」という地名が多いので、それと区別するために「内藤新宿」と呼ばれていました

江戸時代の大名、信濃高遠藩内藤家の下屋敷(現在の新宿御苑)があったからです

内藤新宿駅の駅名を短くするときに、新宿駅ではなく内藤駅にしていたら、歌舞伎町とか夜(night)の街にふさわしい駅名になっていましたね

でもそうなると、新宿区ではなく「内藤区」、新宿高校ではなく「内藤高校」になっていたかもしれません

(^_^;)~♪

品川駅は海岸にあった

品川駅の近くにある物流博物館では、いま鉄道古写真展が開催されています

上の写真の、ビーチ沿いに建つ小洒落た建物、今から130年以上も前の品川駅です

新橋横浜間に鉄道が正式開業する前に、品川横浜間で試験運転をしたので、横浜駅とともに日本で最も古くからある駅です

線路用地取得難で海岸沿いや海上(高輪築堤)に線路を作り、駅も海岸のすぐ近くで、駅前はすぐに海岸です

写真左上に見えるのが現在の三田(田町)のあたりで、幕末まで薩摩藩の江戸屋敷などがあり、幕府との間でドンパチあった場所です

その奥に見えるのが皇居(江戸城)、その右が江戸の下町でしょうか?

海岸に沿って東海道があり、大名行列や旅人など、江戸時代から賑わっていたエリアです

上の写真の右側、品川駅の南側に少し行くと、東海道の最初の宿場町「品川宿」がありました

その近くには鈴ヶ森刑場があり、江戸時代220年間に10~20万人が処刑されました

仮に15万人とすると、年に680人、毎日2人くらい死刑になっていた計算になります

有名な放火犯人、八百屋お七が処刑されたのもここです

現在のような科学捜査など無い時代で、自白させるための拷問も許されていましたから、冤罪も多かったと思われます

品川宿は江戸市街の入口にあたり、東海道を通って江戸に流入してくる人々に

「悪いことをすると、こうなるぞ!」

という警告(見せしめ)の役割も果たして、江戸の治安維持をはかっていました

今でも品川駅の近くには「旧海岸通り」という道路がありますが、今では周辺が埋め立てられて、近くに海は見えません

品川駅の場所は、上の写真の当時から変わっていませんが、周辺が激変した訳です

上の写真の右側の海が埋め立てられて(大正~戦前)、現在の港区港南エリアが出来ました

私が現在住んでいる場所は、数十年前まで海でした

品川駅は今、高輪ゲートウェイ駅周辺(来年春に本格開業)と共に大規模工事が進められていて、大きく変貌しつつあります

(^_^;)~♪

日本到着3日後に神社参拝したマッカーサー

▲鶴岡八幡宮の社務所日誌

前日(9/1)欠勤して記録に残った木村仕女

直前(8/31)に挙式したカップルもいる

戦後の日本の占領政策を主導した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(1880~1964年)は、1945年8月30日に厚木飛行場に降り立った。

3日後の9月2日午前に東京湾上の米戦艦ミズーリ号で行われた歴史的な降伏文書調印式に出席した。

この後、同日午後3時半ごろ「幕僚十二名を帯同」して鶴岡八幡宮を参拝し、日本語を話せる将校が御朱印や破魔矢13本を買い求めたことが社務所日誌に記されている。

マッカーサーは当時の宮司に「私は40年前にも参拝したことがある」と語って境内を懐かしそうに眺め、応接室での休憩を勧められると「ありがとう。今日は急ぐから」と辞退した。

宮司は初対面の印象を「実に穏やかで終始、敬虔(けいけん)な態度で感服した」と話した。

この40年前、青年将校時代のマッカーサーは在日米大使館付き武官だった父の副官として来日。

日露戦争で活躍した東郷平八郎や大山巌、乃木希典と面会した経験もあったとされる。

吉田さんは「武士道で説かれる倫理観や潔さを日本の名将から教わり、武士や軍人の崇敬を受ける鶴岡八幡宮を敬う気持ちを持ったのだろう」と参拝の背景を推し量る

▲連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー

▲東京湾上の米戦艦ミズーリ号で行われた降伏文書調印式

このつい半月ほど前まで、血で血を洗う激戦を繰り広げたが、勝敗確定後は互いに紳士的に対応することができた日米という文明世界

それから80年近くたっても、靖国神社に落書きするなど、日本国民の神経を逆撫でするような悪質な嫌がらせをしつこく続けている、反日赤組(中露韓北)という野蛮世界

この雲泥ほどの民度の差は、これから数十年、数百年、ひょっとすると5000年たっても埋まらないのかもしれませんね

(^_^;)

▲靖国神社に落書きする中国人 2024年6月1日

 

読書「コンテナ物語」 世界を変えた「ただの箱」

 

あのビルゲイツが激賞したというので読んでみたが、期待通りの面白さだった

本書によると、世界のコンテナ輸送は、1956年に始まるというから、すでに68年の歴史を刻んでいる

それまでの物の輸送(物流は、細かく梱包された品々をバラバラに、輸送船の船室(船内倉庫)、鉄道貨車、トラックの荷台などで運んでいた

これを混載輸送といい、コンテナ輸送が登場するまで、物流はほぼ混載輸送だけで、いろいろな種類の荷物が混ざった状態で輸送されていた(石油や石炭、鉄鉱石などごく一部の原材料は、専用の輸送船や輸送機器で運ばれていた)

港に輸送船が着くと、船と岸壁の間に板(タラップ)が渡され、その上を港湾労働者(沖仲仕が荷物を担いで行き来するという原始的な方法がとられていた

混載輸送の最大の弱点は、荷物の積み替えに手間と時間、つまり多大なコストが発生することだった

例えば日本から米国西海岸へ船で荷物を輸送する場合、太平洋を数千キロも横断する長い長い輸送の入口と出口のわずか2地点、しかも荷物を船と陸の間(せいぜい数百メートル程度)を移動させるだけのコスト(つまり沖仲仕の人件費)が、輸送コスト全体の半分以上を占めていた

沖仲仕の賃金は必ずしも悪くはないのだが、超肉体労働で業務上の事故や怪我の多い危険な仕事だから炭鉱労働者と似ている

しかも日雇い労働なので炭鉱労働者よりも生活は不安定で、繁忙の差が激しいので仕事にアブレる日も多く、そんな日はバクチをしたり酒を飲んだりという世界だから、この点では底辺の建設労働者(いわゆる土方)と似ている

いきおい気性も荒くなり、ケンカが絶えないので、そんな沖仲仕を仕切る存在としてヤクザが登場する

沖仲仕に仕事を割り振り、その賃金からピンハネすることがヤクザのビジネスだった

映画「波止場」は、この辺の実態を、多少デフォルメして描いている

ヤクザと言えば山口組が有名だが、山口組の本拠地が神戸なのは、神戸港の存在と無関係ではない

山口組の創設者で初代組長の山口春吉(やまぐちはるきち、1881年-1938年)は、ヤクザになる前、神戸港で港湾労働者をしていた

そんな世界なので、物流コストが企業経営や経済全体の重荷なのは分かっていても、なかなか手を付けにくい「暗黒大陸」になっていた

▲沖仲仕による荷物の積み卸し

半世紀前までは、どこの港でも見られた風景

▲現在のコンテナによる荷物の積み卸し

多くの沖仲仕が何時間も(何日も)かかった荷物の積み卸しも

熟練したクレーン操作者なら、たぶん1個あたり数分で済む

そんな旧態依然としていた物流の世界に、ひっそりと登場したコンテナ輸送

コンテナ輸送が登場した1956年当時、こんな「ただの箱」が世界を一変させるとは、一人の天才以外には誰も想像(イメージ)していなかった

運輸業界でコンテナの存在が浮上し始めるだけでも20年くらいかかっており、「一人の天才」も悪戦苦闘している

その前後もろもろ半世紀以上にわたる紆余曲折の詳細な解説が本書の大部分で、とにかく非常に面白い

公的規制のぬるま湯に守られた既存業界からの抵抗、仕事が無くなることを恐れた沖仲仕労働組合との交渉など、イノベーション(革新)が社会に普及するのが簡単ではないことが分かる

世の中で何かを変える(イノベーションを起こす)ということは、必然的に抵抗勢力との激しい対決を招く

そんな抵抗勢力が消えると、次は新しい市場における生き残りを賭けた激烈な競争が始まる

競争を生き残った少数の勝者の背後には、エベレスト頂上付近のように、敗者の死体が累々と横たわっている

本書を激賞しているビルゲイツも、パソコンやインターネットという技術革新を世の中に普及させることに一生を費やしてきたので、自分の人生に重なると感じることも多かったのではなかろうか

ビルゲイツの背後にも、敗者の死体が累々と横たわっているのだ

私がいま住んでいる品川駅の海側(港南口方面)も、今でこそタワーマンションや高層オフィスビルが林立しているが、かつては岸壁の近くに倉庫や運送会社が並ぶ港湾労働者の街だった

私は最近引っ越してきたので当時の詳しいことは知らないが、余りガラの良くない、治安の悪い街だったようだ

それが今では、駅周辺にソニー、キャノン、NTTデータ、マイクロソフト日本法人などの大企業の本社が並ぶ、丸の内や大手町のようなオフィス街に変貌しつつある

もうすぐトヨタの本社も来る予定で、現在建設中

品川駅周辺の丸の内化(大手町化)は、これからあと10年以上、リニア品川駅が開業するころまで延々と続きそうだ

▲朝の通勤時間帯に品川駅港南口からオフィスへ向かう人々

実はこの下に港湾労働者が通った狭くて汚い地下道があった

▼今は一般人は通れないが、JRの業務用として残っている

わずか半世紀で街をこのように変貌させた要因の一つが、まさに本書のテーマであるコンテナだ

この何の変哲もないただの箱(コンテナ)が、わずか半世紀で、品川駅の海側を別世界に変貌させた

もちろんこの変化は品川駅の海側だけでなく、世界中の港湾都市を変貌させ、さらにその効果として世界経済の様相を一変させてしまった(その変化は現在も進行中だ)

なぜコンテナが世界経済を激変させたのか?

コンテナが登場するまで、商品コストの大きな部分を、物の移動費用(物流コスト)が占めていた

だから少しでも物流コストを抑えるために、工場は狭いエリアに密集して立地し、工業地帯を形成した

最近は余り使われなくなった言葉だが、京浜工業地帯とか阪神工業地帯というエリアがあった(今も一応あるけど)

それがコンテナの登場によって輸送費が劇的に下がり、工場の立地において物流コストを余り気にする必要がなくなった

そのコストダウンの数字は、正確な推定が困難であると本書でも繰り返し説かれているが、大ざっぱに言って物流コストは数十分の一になった

それに変わってビジネス競争の上で重要になったのが人件費のコストで、安い人件費を求めて多くの工場が先進国から発展途上国へと移動した

世界経済のグローバル化は、コンテナによる物流コストの劇的な低下なしには考えられない

工場の移動は雇用の移動(消滅)を意味するので、国内政治的にも重大なテーマになった

かつて工業地帯という狭いエリアで集約的に行われていた生産活動が世界中に広がることになり、工業地帯という言葉に替わって「サプライチェーン」という言葉が登場した

筆者は分かりやすいたとえとして、バービー人形(リカちゃん人形の米国版)を取り上げる

かつて米国の狭い工場で全て作られていたバービー人形だが、今では胴体は中国、衣服は東南アジア、毛髪は日本で作られている

そして組み立ては、また別の国かもしれない

サプライチェーンは、少しでもコストが安く事業環境が安定している立地を求めて、いま現在も激しく世界を移動し変化し続けている

ごく最近でも、中国に進出した多くの工場が、中国人の人件費上昇や中国政府の政治的不安定さ(法治国家ではないこと)を嫌って、東南アジアなどへ大規模な移動(脱出)をしている

ビジネス上の用件で中国に出張したら、いきなり訳の分からない容疑で逮捕され、何年も刑務所に監禁されるような暗黒独裁共産国で、誰がビジネスを続けようと思うだろうか?

コンテナ輸送が世の中に普及して、意外なメリットというのが、盗難の減少

混載輸送で荷物をバラ積みしていた時代には、輸送中の荷物が抜き取られたりして盗難に遭うのは珍しいことではなかった

特に貴重品や酒類では、馬鹿にならない被害が出ていて、それが輸送コストに上乗せされる

逆に言えば、それが沖仲仕などの役得にもなっていた

コンテナは基本的にほぼ完全密閉して施錠され、輸送途中での開封が少ないので、この盗難被害が激減した(これも当然、物流コストの低下を促進する)

しかし一方で、コンテナ輸送のデメリット(リスク)も生じている

コンテナの中に簡易便所や水食糧の備蓄など設け、違法難民の輸送に使う悪徳エージェントが暗躍している

何かの都合でコンテナの移動が滞り、飲料水の欠乏や内部の異常温度で、中の違法難民が死亡する事件がときどき起きている

コンテナは元々、人間の輸送は想定していない

さらに危険なのが、コンテナに核爆弾を積んだ「核コンテナ」を、密かに敵国の港湾に持ち込む核テロのリスクだ

遠隔操作でいつでも爆発可能な状態にして、敵国政府に無茶な要求を突きつける

そして爆発させれば、高価な核ミサイルなど無くても、敵国に壊滅的な被害を与えることができる

北朝鮮などが必死になっている核ミサイル開発だが、その技術的に最も困難な点は、ミサイルに搭載可能な核弾頭の小型化

コンテナ程度の大きさで良ければ、たいていの核保有国が、今すぐにでも核弾頭を積んだ「核コンテナ」を製造できるのではなかろうか?

そしてそれが、テロリストの手に渡ったら・・・

現在の大型コンテナ船は、一度に数千個のコンテナを運ぶ

その中に紛れ込んだ、たった1個の核コンテナを発見することは至難の業だ

本書を読み終わって、実に大変な労作で、細かいことを微に入り細にわたり突っ込んで説明していることに感動したのだが、それだけに少し読むのに骨が折れた

何しろ、巻末の注釈と参考文献だけで66ページもある(読んでないけど)

物流の専門家向けではなく、あくまでも一般人向けの本なのだが、ときどき物流の専門的な細かい話が出てくるので、ネットで調べながら読んだ

このあと、物流の基礎知識や最新動向をまとめた解説書を読もうかなと思っている

(^_^;)

 

日本製鉄 USスチールを買収

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▲カーネギーホール

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日本製鉄が、米鉄鋼大手USスチールを買収します

買収額は141億ドル(約2兆円)

USスチールは122年の歴史を誇り、かつて世界最大の企業でした

米国を代表していた大企業が海外勢に買収されるというのは、米国人にとっても感慨深いようで、米国でも大きく報じられています

「中国ではなく日本の企業に買収されて良かった」

と感じているかもしれません

いま中国は不動産バブルの破裂で、それどころではないと思いますけどね

日本でも東芝が、海外ファンドに買収されそうになってましたね

私も理系出身なので、友人が何人も東芝に就職しました

いま「半導体JAPAN」復活の流れに乗って、東芝が大復活して欲しいものです

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USスチールは1901年の大合併で誕生しました

日本製鉄の前身の八幡製鉄も1901年の設立

良きライバルと言いたいところですが、かつての八幡製鉄から見たら、USスチールは雲の上の存在でした

USスチールの設立に深く関与したのが、鉄鋼王カーネギー(←)

日本で言えば、新一万円札の顔、渋沢栄一みたいな人

NYのカーネギーホールで有名です(↑↓)

カーネギーホールで演奏することは、世界の演奏家の夢

Pianist Arthur Rubinstein ontvangt gouden tulp van RCA, Amsterdam, Arthur Rubinstein ontvangt gouden tulp *8 november 1971ピアニストのルービンシュタイン(→)が、ニューヨークで道を歩いているときに観光客から

カーネギーホールへの道

を尋ねられ

Practice, practice, and practice.

(練習して、練習して、さらに練習してください)

と答えたという逸話は余りにも有名

歩行者には5分で行ける道のりでも、演奏家には遠い遠い、さらに遠い道のようです

鉄鋼王カーネギーにも、次のような有名な逸話があります

母親と一緒に市場へ買い物に行ったカーネギー坊や

果物屋に山積みされていたサクランボに見入る

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気付いた果物屋のおじさんが

「一つかみ、あげるよ」

しかしカーネギー坊や、手を出さない

おじさん「サクランボ、嫌い?」

坊や「好き」 でも手を出さない

おじさんは不思議そうな顔で、サクランボをつかんで坊やの帽子に入れてやる

帰宅後に母親が「どうして自分で取らなかったの?」と尋ねると、カーネギー坊や

「おじさんの手の方が大きかったから」

さすが大実業家、ガキのころからシタタカだったようです

この種の逸話は、伝言ゲームで話が盛られていくので、どこまでホントか知らんけど

(^_^;)

 

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▲カーネギーホールの内部

 

哲学堂公園と井上円了 そして妖怪

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▲哲学堂公園

 

「君たちはどう生きるか」を書いた吉野源三郎が東大哲学科を出ているので思い出したのですが、中野区にある哲学堂公園を作った井上円了(いのうええんりょう、→)という人がいます

東洋大学の創設者で、新潟県長岡市のお寺の跡取りとして生まれましたが、東大哲学科を出て、寺を継がずに哲学者になり、明治大正の思想界に大きな影響を与えました

私の親が長岡市(旧山古志村)出身なので、今でも長岡には親戚が多く、長岡出身の井上円了に親しみを感じます

明治大正時代の哲学者というと堅物の学者先生を思い浮かべるかもしれないが、実はこの円了先生なかなかユーモアや遊び心のある人で、哲学の傍ら妖怪の研究もしている

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「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるを思い出しますが、円了先生は妖怪というものを正面から「哲学的に」研究しています

今で言う民俗学のような研究もしていた訳です

都内には井上円了の事績が2つあります

哲学堂公園 中野区 釈迦、孔子、ソクラテス、カントをまつった「四聖堂」がある

東洋大学 文京区 キャンパス内に「井上円了記念博物館」がある

どちらもまだ行ったことがないので、近々歩いてみたいと思っています

(^_^;)

 

映画「君たちはどう生きるか」

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今週の 米国 映画収益ランキングで、

1位:「君たちはどう生きるか」

3位:「ゴジラ-1.0」

トップ3に日本映画2本は、ちょっとした快挙かな?

私はまだどちらも見てないので、内容についてどうこう言えません

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「君たちはどう生きるか」(↑)は、吉野源三郎が1937年に出した哲学的な小説

1937年(昭和12年)は、盧溝橋事件が起きて日中が全面戦争に突入し、日米関係が緊迫の度を高めていたころです

そんな86年も前の本を、いまアニメ化しようと考えた宮崎駿監督(→)

よほど思い入れのある本なんでしょうかね?

著者の吉野源三郎という人は、東大哲学科を出て、何を思ったか26歳で陸軍に入り、2年後に辞めてからは反戦活動を始める

戦前に元陸軍将校が反戦活動をするのだから、軍や政府の上層部からにらまれるよね

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もう少し後になって第二次大戦末期、時の首相の東條英機(→)は、気に入らない奴(特に左翼=共産主義者)を片っ端から徴兵して、危険な最前線に送るという手段を使った

その結果、若い人はもちろん、かなりの年配者でも最前線で亡くなったり、死ぬような苦労をした

私が東條英機を好きになれない最大の理由がこれだ

自分の周りにゴマすりイエスマンばかり集めて出世させ、優秀な人材を煙たがって左遷したのもこいつ

人間のちっぽけさ丸出しで、とても一国の首相とは思えない

今でもこんなトップのいる組織は、方向性や活力を失ってダメになりやすい

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出陣学徒壮行会で「天皇陛下バンザイ」を叫んだのもこいつ(→)

こんな奴に送られて最前線へ出陣させられた学徒たちが気の毒だ

吉野源三郎も年齢的に最前線に送られておかしくなかったのだが(終戦時46歳)、運よくそうはならなかったようだ

もう少し若かったら、元軍人なんだから、間違いなく最前線送りだったと思う

戦前の左翼は命がけの覚悟が必要だったし、立派な人物も多かった

現在のふやけたパヨクとはまるで違う

戦後の吉野源三郎は、岩波書店で岩波新書や雑誌「世界」の創刊に携わり、当時の左翼運動の先頭に立った

戦後25年間くらいは左翼(共産主義)運動が盛んで、全学連などの学生が暴れまくり、日本も共産化しそうになったことがある

その最若年層に坂本龍一もいて、新宿高校で暴れていた

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戦争に負けた日本(吉田茂内閣)は、米国中心の自由主義陣営と講和して国際社会に再デビューした

このとき吉野源三郎など左翼陣営は、ソ連や中国など共産国を含んだ講和を主張していた

この左翼陣営の主張が通っていたら、やがて左翼運動が盛り上がった1960年ころに日本が共産化して、現在の中国や北朝鮮のような暗黒独裁体制の共産主義国家になっていた可能性もあって恐ろしい

このころ、安倍ちゃんの祖父の岸信介首相が

「共産勢力に勝つためなら、何でも利用しよう!」

ということで、カルト宗教の統一教会(反共団体だった)に接近し、これが今に至る自民党と統一教会の腐れ縁になった

実際、共産革命を主張する全学連が国会を取り囲み(↓)、岸信介も命の危険を感じた

今では信じがたいが、日本が共産化するかどうか、紙一重だった

 

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▲国会を取り囲んだデモ隊(1960年)

 

統一教会のおかげも少しはあったのか不明だが、日本は共産化を免れた

当時の大学生の多くや坂本龍一は、共産革命の成功を本気で信じていた

その熱っぽい雰囲気は、柴田翔「されどわれらが日々」を読むと伝わってくる

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第二次大戦中の英国首相チャーチル(→)

「ヒトラーに勝つためなら、悪魔とでも手を組む!」

と言ったらしい(史実かどうか知らんけど)

まさに岸信介はそれを実行し、共産主義者に勝つために、悪魔(統一教会)と手を組んだ

チャーチルも岸信介も、相当な悪党だと思うが、東條英機よりははるかに人間が大きい

政治とは結局、力(パワー)の世界なのだから、必要とあらば猫の手でも悪魔の手でも借りるくらいの器の大きい悪党じゃなきゃいけないと思う

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黒船に乗ってペリーが日本に来てから170年、日本という国は随分と危険な橋を渡りながら現在に至っているのだなぁと思います

それでも何とか乗り切って来れたのは、徳川時代260年の天下太平の世で培われた民度の高さがあったからかな?

「どうする家康」終わっちゃったね

(^_^;)

 

* * * * * * *

 

追伸 大河ドラマ「どうする家康」の最終回

北川景子演じる茶々が、燃え上がる大坂城と血まみれの顔で最期に掃き捨てたセリフ

つまらぬ国になるであろう」

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「正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ

 人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける」

「やさしくて、卑屈な、かよわき者の国に」

まさにニーチェの言った「畜群」そのもの

器の大きい悪党のいない国ですね

(;´Д`)

 

 

▲映画「君たちはどう生きるか」予告編(2023年)

 

▲学徒出陣壮行会(明治神宮外苑、1943年)

 

▲全学連の安保闘争デモ隊(1960年)

 

品川駅の再開発

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▲品川駅中央通路

 

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東京の品川駅周辺が、さらに大きく変貌しつつあります

もともと品川駅の港南口には東京湾に面した倉庫が多くて、そこで働く港湾労働者や運送トラックの街、つまり肉体労働者の街でした

25年くらい前から品川インターシティなどの再開発が始まり、港南口にはソニー本社(→)、NTTデータ、キヤノン、ニコンなど、大企業のオフィスビルが次々に出来ました

今では、ちょっとした丸の内や大手町のようなオフィス街が形成されています

多くの倉庫跡地には高層マンションが林立して、現在ではタワマン街になっています

そしてごく最近、さらに大規模な再開発が品川駅周辺で進んでいます

リニア中央新幹線の始発駅建設(静岡県知事→が必死になって邪魔してますけどね)

JR品川駅と駅ビルの大改造(今までの高輪口駅ビルがショボ過ぎました)

高輪ゲートウェイ駅(↓)周辺の再開発(大型駅ビル、いくつも建設中)

高輪口の旧ホテルパシフィック跡地再開発(トヨタの東京本社などが出来ます)

京急とJRのホーム平面化工事(京急がJRと同じ1階へ下がってホームが1本増えますが、品川駅を出て横浜方面へ向かう京急線は、スグに急坂を登ることになります)

京急八ッ山橋跨線橋の掛替工事(「開かずの踏切」と言われていた京急八ッ山橋踏切が、立体交差で便利になりそう)

北品川駅周辺の再開発(★下の記事がこれです)

などが並行して進行中で、あと数年で品川駅周辺は、さらに大きく変貌します

 

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▲高輪ゲートウェイ駅

ほとんど「品川駅の中にある」と言っていいほど品川駅に近い

 

なお品川駅の南側に「北品川駅」があったり、「品川駅」なのに品川区ではなく港区にあったりとか、いろいろ歴史的な事情があって面白いですよ

下の地図にある「くら寿司」は、我が家から近いので、ときどき食べに行きます

この北品川駅の近くを旧東海道が走っていて、江戸時代を感じさせるレトロな商店街になってます

(^_^;)

 

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東京都品川区の「品川浦周辺地区再開発協議会」は、JR品川駅南側周辺で三つの再開発準備組合を2023年10月下旬に設立しました。

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約13ヘクタールの敷地を三つの街区に分けて、再開発ビルなどの建設を検討します。

対象区域は北品川一丁目と東品川一丁目にまたがるエリアです。

屋形船(→)や釣り船が停泊する品川浦を囲むように南、西、北の3街区に分かれ、うち西街区は京急本線の北品川駅が立地します。

北側はJR品川駅や同駅東口地区の再開発で整備した品川インターシティなどの高層ビル群が近接しています。

南街区
面積-約40,000㎡
準備組合-品川浦周辺南地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月28日
事業協力者-旭化成不レジデンス、東京建物、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、大林組、東急不動産

北街区
面積-約60,000㎡
準備組合-品川浦周辺北地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月30日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、清水建設、大林組、京浜急行電鉄、住友不動産、中央日本土地建物、東急不動産、長谷工不動産

西街区
面積-約35,000㎡
準備組合-品川浦周辺西地区市街地再開発準備組合
準備組合設立-2023年10月31日
事業協力者-旭化成不レジデンス、日鉄興和不動産、三菱地所グループ、五洋建設、清水建設、京浜急行電鉄