田園調布の近く(東急多摩川駅前)に
1979年まで「多摩川園」という遊園地がありました
駅名変化:多摩川園前駅→多摩川園駅→多摩川駅
子どものころに行ったことがあります
秋になると菊人形(↓)をやってたなぁ
(^_^;)
田園調布の近く(東急多摩川駅前)に
1979年まで「多摩川園」という遊園地がありました
駅名変化:多摩川園前駅→多摩川園駅→多摩川駅
子どものころに行ったことがあります
秋になると菊人形(↓)をやってたなぁ
(^_^;)
私が高校生のころだったか、「ムツゴロウの青春記」を読んで、世の中にはスゴい天才がいるもんだなぁ、と感動した記憶がある
彼が高校生のころ、数学の授業や教科書が易しすぎて詰まらないので、高木貞治の「解析概論」を読んだら、大学入試問題が幼稚園レベルに思えた、というようなことが書いてあった
この話に感動した私は、さっそく本屋で買ってきて読み始めたが、とても高校生が読めるような本ではなかった
彼は動物好きで有名だが、実はギャンブラーとしても有名で、私はむしろこっちが彼の正体だと思っている
彼は初対面の猛獣にも無防備で近づくことが多く、そのために命に係わるような事故もあったし、右手の中指の先をライオンに噛み千切られたりしている(→)
おそらく彼の天才の一側面として、極端なリスク嗜好があり、それが彼の動物好きの背景にもあるのではないかと思っている
((((;゚д゚))))
ライオンの頭を無防備になで、ワニの口に笑顔で頭を入れる。
ライオンに右手の中指を食べられてもまったく懲りる気配すらない。
“動物愛”という枠を大きくはみ出した畑さんの生き方は日本中を魅了した。
1980年に始まった「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」はあっという間に人気番組になり、平均視聴率は20%に迫った。

しかしTVシリーズは2001年に終了し、2000年代後半には北海道の中標津から東京のあきる野市に移転した「ムツゴロウ動物王国」も閉園。
3億円とも言われる巨大な借金を抱えたが、それもあふれるバイタリティで完済し、現在は40年前に移り住んだ北海道の中標津にある大自然に囲まれたログハウスで生活している。
トレードマークの黒ブチ眼鏡にやさしい声の“ムツゴロウ”さんは、ゆっくり椅子に腰掛けると、煙草を一服しながら、破天荒な人生について語り始めた。
▲高木貞治「解析概論」の3ページ目
議論の前提として、デデキントの切断について説明している
このような説明と議論が、延々と500ページも続くのだが
高校生のムツゴロウは、易々と読みこなしたらしい

紅白で「一番良かったと思う歌手」を、文春オンライン(週刊文春)が調査しました
知らない歌手ばかりだろうと思ったら、意外と知ってる歌手が多かったです
おそらく総投票数2076票(13~90歳)で、調査対象の年齢幅が大きかったせいもあるのかな?
選挙でも人気投票でも、今や高齢者票はあなどれません
今現在の人気ランキング(ダウンロード数など)なら、また別な結果になるのでしょうね
それでトップは、最近、歌とは別な領域(美川憲一路線?)でのご活躍が目立っている氷川きよし(→)
やはり抜群の歌唱力が評価されたのでしょうか、オオトリのMISIAを押さえて堂々のトップ
出場者枠ではないものの、松平健が「上様ご乱心」のマツケンサンバ2で3位につけているのが、何ともご愛敬
日本の冬というと「猫、こたつ、みかん」が定番の三点セットで、これに紅白が加わって、日本の大みそかでした
しかし、男女が紅白に分かれて対抗するという、余りにも馬鹿げたコンセプトに、やっとNHKも放置できなくなり、今年末の紅白からは男女対抗の形式を改めるそうです
数十年遅すぎたという感じもしますが、ここまで感覚がズレまくった珍番組は、逆に特別天然記念物的な希少価値を認めて、永久存続させるのも一興かもしれません
視聴率が歴代最低とか言いながらも40%近くですから、やはり芸能界の化け物番組であることは間違いありません
(^_^;)




アメリカ共和党 Thomas Massie(トーマス・マシー)下院議員の家族写真です
家族全員で銃を持ちながら、にこやかにクリスマスの記念写真を撮っています
日本みたいな、銃が身近に無い国から見ると
少しビックリする人もいるかもしれませんが
銃でインディアンと戦いながら西部開拓し
イギリスから独立を果たした歴史を考えれば
それなりの合理性があるのは理解できます
(^_^;)
* * * * * * * * * *
海外の反応:
・これがアメリカだよな
・アメリカってやっぱりどうかしてると思う
・彼らは一体何と戦うつもりなのか?
・凄い銃のコレクションだ
・なんで一般人がこんなに銃を所有するのか理解できない
・こんなに武装して、彼らは一体何と戦うつもりなの?(笑)
・なんで皆で銃を持って、自慢げな顔で写真を撮る必要があるのか?
・私も銃を愛しているが、クリスマスに家族皆で銃を持って写真なんて撮るだろうか?
・これはかなりの銃オタク一家だな
・こんなのアメリカでは普通の光景だろ
・彼らは真のアメリカ人だ
・銃規制派の人達がこの写真を見たらイラつくだろうな
・皆で銃を持って記念写真を撮るのって、タリバンと似ている

今回も「あの横丁」は
変わらないみたいですね
(^_^;)
先日の紅葉旅2021で
見てきたばかりです
(^_^;)
「うどん県」を称するほど独特の麺類文化を築き上げてきた香川県で、最大の鉄道駅であるJR高松駅構内の「連絡船うどん」が、2021年11月末をもって営業を終了します。
最終日には駅長による花束贈呈などの、ささやかなセレモニーが行われる予定です。
今回の閉店は、2023年度に完成が予定されている駅ビル建設のための立ち退き。
同店横にあったスーパーマーケットも2019年に閉店。
跡地に作られたパーク&ライド駐車場も「連絡船うどん」とともに閉鎖が告知されています。
連絡船うどんは、中国ころな生物兵器の影響で数か月休業し、10月に営業を再開したばかり。
その矢先の閉店発表とあって、ひさびさに来店してうどんを味わいつつ、同時に別れを惜しむ人々が多くみられました。

▲放火されて炎上する金閣寺
ネット界では「炎上」が日常茶飯事ですが
戦後すぐの世間を騒がせたのが金閣寺炎上事件
三島由紀夫や水上勉など、文学ネタにもなりました
いま我々が金ピカの金閣寺(再建)を見れるのは
この事件があったからかもしれません
(^_^;)
江上泰山(えがみ・たいざん、→)氏が11/19、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。
85歳。
金閣寺元執事長で、臨済宗相国寺派宗務総長を務めた。
1949年に中学2年で金閣寺(鹿苑寺)に入る。
翌年、兄弟子の放火で炎上した金閣(舎利殿)を目撃した。
葬儀は11/24午前10時、京都市北区等持院北町61真如寺。
喪主は長男で真如寺住職の正道(しょうどう)氏。
「号外なんて大げさな!」なんて言うなかれ
出身地の阿波徳島では「郷土の偉人」です
ご自身も「寂聴連」をつくって踊ってました
「好きなことをやり尽くした人生!」のように見えて
はたから見てると、まことにうらやましい大往生
本当の心の中は、本人以外には分かりませんけど
(^_^;)

▲阿波踊りに参加した寂聴連
▲寂聴さんの出家得度には、作家の今東光氏が深く関わっている
私が17~18歳の青春時代には、街のいい男はみんな戦争に取られて、年頃の女を相手する男はいなかったんですよ。
それを「トラック1杯の女に男が1人」というふうに言ってね。
女が留守を守っていたんだから、男を頼りにする未来なんていうのを考えもしませんでしたね。
男がいないんだから、男の留守にお嫁さんが舅と仲良くなったり、いまで言う女性の不倫みたいなことも、たくさんあったんですよ。
それをみんながけしからんなんて責め立てたけど、いま考えたら、無理もないことですよね。
彼らのせいではなく、戦争している国家が悪いのよね。
1957年に『花芯』を発表した時は、「子宮作家」と呼ばれて、随分叩かれましたけどね。
平気でしたよ。問題にしなかった。
ひどいことをいろいろ言われたり、されたり、そんなのをいちいち相手にしてたら、書くことなんてできませんから。
いまとなっては、もう昔々のことでね。
よくまぁ、がんばってきたなと思いますけど。
ここ最近になって作品が受け入れられるようになったというのは、私の考え方が世の中より少し進んでいたのよね。
周りがついてこられなかったんですよ。
かつては男女間のタブーがあっても、それに目をつぶって綺麗ごとを書くのがよしとされていたでしょう?
当時は、社会を変えたいとか、そんな大層なことは考えていなかった。
私はただ、ありのまま、本当のことを書いただけだったのね。
道に外れたことをする男や女は、やっつけられるんです。

▲高輪築堤(たかなわちくてい)
石に白い札のようなものが貼ってあるのは
正確に移築するために、石に番号をふっているのか
鉄道は軍事物資の輸送に重要な役割を果たすのに
明治の初めには、軍が鉄道建設の邪魔をしていた!
なんだか牧歌的な時代精神を感じます
(^_^;)
1872(明治5)年の鉄道創建時に東京湾の浅瀬に築かれ、現在のJR高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)西側で見つかった「高輪築堤」が、来春にも佐賀市の佐賀城公園で部分的に復元される。
築堤建設を決めた旧佐賀藩出身の大隈重信(→)の没後100年の記念事業として、佐賀県が乗り出した。
築堤の石約400個を東京から西に900キロ離れた大隈ゆかりの佐賀市に運び、鉄道開業150周年も併せて祝う。
高輪築堤は、新橋~横浜間の鉄道開業に合わせて、現・田町駅付近から品川駅付近まで約2700mにわたり建設された。
佐賀城本丸歴史館(佐賀市)などによると、当時の兵部省(後の陸軍省と海軍省)の反対で付近の陸地に鉄道線路を通すことが出来ず、鉄道建設の責任者だった大隈重信らの判断で、海上建設に踏み切ったという。
当時は品川駅も海岸にあり、海岸から築堤を見て
「海の上を走る陸蒸気」
として観光名所にもなった。
![]()
▲東京八ツ山下海岸蒸気車鉄道之図 明治4年(1871)頃
実は明治4年、まだ鉄道は出来ておらず
これらの絵は、海外の資料をもとに想像で描いたらしい
そのせいか、変な形をしている (^_^;)

▲現在の田町付近を新橋方面へ走る貨物列車
1906(明治39)年頃、、左下は海
その後築堤は、付近の埋め立てで姿を消したが、JR東日本による品川駅周辺の大規模再開発に伴い、約800mが最近出土した。
このうち、国史跡に指定された120m分は保存されるものの、ほかは記録後に解体される。
そこで
「築堤の石垣から外された石の有効活用を」
と佐賀県が移築に名乗りを上げた。

幸福度は主観(感想)ですが、生活水準は客観(事実)です
健康と衣食住と人間関係(特に家族)がまあまあの水準なら、幸福になれる必要条件は満たされています
それを幸福と感じるか、不幸と感じるかは、本人の感受性(気持ちの持ちよう)の問題です
ですから、世の中の生活水準(富裕度)は非常に個人差が大きくて不公平ですが、幸福度は意外と公平なのではないかと思います
不幸なお金持ち、貧しいけれど幸福な人、たぶんいくらでもいると思います
不幸になりたければ、豊かな他人と比べるのがよいと、ブータンの事例が明らかにしています
幸福になりたければ、この逆をすればいい訳で、現在の自分よりも劣った生活条件の人を見て、現在の自分の恵まれている点を再確認(実感)するのも一つの方法です
社会全体の幸福度を上げるには、生活水準を少しずつアップさせるのが良さそうです
幸福度には、生活水準グラフの高さより傾きが重要です
高度成長期(1955~1972年)の日本人は、現在の日本人より貧しかったけど、たぶん今より幸福でした
空から爆弾が降ってこない、強制的に戦場に送られたりしない、とりあえず今日の食べ物がある、それだけで幸せな気分になれる感受性の持ち主が、いっぱいいました
さらに、昨日より今日、今日より明日が良くなるという、強い確信がありました
豊かで成熟した先進国より、貧しい発展途上国の方が、たいてい幸福度が高いのは、この辺に理由がありそうです
(^_^;)
ブータンは発展途上国ながら、2013年には北欧諸国に続いて幸福度が世界8位となり、「世界一幸せな国」として広く知られるようになった。
ブータンでは、国民が皆一様に
「雨風をしのげる家があり、
食べるものがあり、
家族がいるから幸せだ」
と答える姿が報じられたのを覚えている人もいるだろう。
しかし、ブータンは2019年度に幸福度が156か国中95位にとどまって以来、幸福度ランキングには登場していない。

「かつてブータンの幸福度が高かったのは、
情報鎖国によって他国の情報が入ってこなかったからでしょう。
情報が流入し、他国と比較できるようになったことで、
隣の芝生が青く見えるようになり、
順位が大きく下がったのです」
それまで幸せを感じていたのに、人と比べ始めたとたんに、幸福度が下がった訳だ。