現代史

新宿高校の修学旅行

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首里城正殿前

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 我々の時は 山陰地方でしたね  (^_^;)

 

新宿高校72回生 (現2年生) 修学旅行(沖縄)

12月10日~12日にかけて、2泊3日で、沖縄への修学旅行に行ってきました。

 これまで、修学旅行委員を中心に、事前学習を進めてきました。

の中でも、平和学習に重点を置いて取り組んできました。

1日目は、平和学習として、平和祈念資料館、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念館、そし
て全クラスが糸数壕(アブチラガマ)を見学しました。

糸数壕では懐中電灯を消して、真っ暗闇の体験もしました。

東京で平和について学んできた72回生ですが、現地で「戦争」を肌で感じることができました。

 夕方、ホテルに到着しました。ホテルは貸切、敷地内にプライベートビーチもあり、白
い砂と青い海に歓声をあげる生徒の姿がありました。

2日目は、コース別の体験学習と、美ら海水族館の見学に行きました。

 コース別体験学習は、「伊江島サイクリング」「慶佐次カヌー&シーカヤック」「ビー
チトレッキング」「サトウキビ&黒糖づくり」「シーサー作り」に分かれて行いました。
「シーカヤック」だけが、天候により内容の変更を余儀なくされましたが、どの班も『私
たちのコースが一番楽しかった!』と言うほど、沖縄の自然を満喫しました。
美ら海水族館では、本校37回生の先輩から直接案内してもらった班もあり、こちらも大
満足でした。

3日目は、首里城を見学した後、国際通りを観光するコースでした。

 改修工事を終えて綺麗になった首里城では、皆が写真撮影を楽しんでいました。国際通
りでは、各班が事前に相談した沖縄グルメを楽しみました。中には、公設市場で魚を購入
し、2階の定食屋さんで調理してもらった班もあったようです。
那覇空港には各班が現地集合する形でしたが、どの班も遅れずに集まることができまし
た。帰りの飛行機が送れるハプニングもありましたが、無事に東京へ到着し、修学旅行を
終えることができました。
これまで、修学旅行の成功のために多くの時間を割いてくださった皆さま、旅行委員の
皆さん、旅行会社の皆さま、ご協力ありがとうございました。

生徒の感想より抜粋

1日目

・「自分と同じ年齢の女子学生がなぜこんな思いを…」とずっと思っていた。怖かった。
詳細が記された体験談も読みたくないと思ったが、読まなければならないと思って読ん
だ。読んでよかった。
・生々しい弾丸の痕を見た。戦争の残酷さを改めて知るとともに、自分たちの生きる未来
では絶対におこしてはならないと感じた。
・私と同い年ほどの女の子が、勉強をしたい思いを絶たれて恐ろしいことをしていたと思
うと胸が痛い。
・糸数豪では皆が懐中電灯を消した瞬間、今までにないほどの暗闇だった。こんな暗さで
何週間も過ごしていたのか。考えられない。体も心も重かった。
・暗
糸数豪ではくて水滴の音しかしなかった。怖かった。見捨てられたり、置き去りにさ
れた人の気持ち、麻酔無しの手術…自分だったら絶対に耐えられない。
・目を背けたいものばかりだったが、見なければならないと言い聞かせ、脳裏に焼き付け
た。沖縄の人も、すべての日本人も、そして米兵など戦争に関わった全ての人々が苦し
く辛い思いをしたということがわかった。

2日目

・美ら海水族館ではバックヤード体験に興奮した!ガラスの隔たりがないからとても近く
感じた。終始「すごい!」「きれい!」の連発だった。
美ら海水族館ではジンベエザメとマンタ、上から見たときと前から見たときは、見え方
が全く違った!生物の授業で聞いていたコバンザメが見られた。
・黒糖づくりではサトウキビがチョコレートのように!甘くておいしかった。家族で食べ
るのが楽しみだ。
・何度も何度も虹が出た!
・伊江島、城山(タッチュー)の頂上からの景色は格別だった。
・カヌー&シーカヤック体験ではマングローブ林の植物には、種を繋げるための工夫が
たくさんあった。私たちは自然を壊した代わりに、自然を守らねばならないと感じた。
・マリンクラフトでは、友達の自由な発想力や器用さに驚かされた!
・ただ砂浜を歩くだけでは得られない知識が得られた。現代文の授業で教わったように、
新たな見方を身に付けられたことが実感できてうれしかった。

3日目

・首里城正殿前の、縞しま模様の意味がわかった。
・日本の一般的なお城とは全く違った。見たことのない古い楽器をじっくりと見ることが
できた。
・とにかく食べた。ステーキをたらふく食べた。
・首里城を見ると、授業で教わった琉球王国と中国との交流がよくわかった。城の持つ役
目も日本とは違うことがわかった。
・公設市場で現地の人と交流できた。

感想文

・沖縄にいた、そのすべての瞬間を覚えておきたい、少しも忘れたくない、そう思えた修
学旅行だった。

・沖縄の食文化、言葉、自然、人々の生活、一つ一つ知っていくことの喜びを感じた。写
真を見返しても、どれも楽しい思い出。しかし、私の沖縄の思い出の多くを占めている
のは、それらではない。沖縄戦だった。知れば知るほど、これまで何も知らずに生きて
きたことが怖くなった。なぜ知ろうとしてこなかったのか。罪にも思えた。遅かったけ
れど、沖縄戦の歴史を知れたことが、今回の一番の収穫だ。

・修学旅行委員として、出発前からたくさんの思い出がある修学旅行だった。助け合った
旅行委員のみんな、我々の何倍もの時間を費やしてくださった先生方、そして3日間を
共に過ごし、楽しさを生み出してくれた友人たちにお礼を言いたい。ありがとう!

ひめゆりの塔で黙祷 伊江島へ渡るフェリー
伊江ビーチから美ら海水族館を望む 城山(タッチチュー)山頂にて
シーカヤック体験 シーカヤック体験
明け方のホテル前の浜 食事後は自主的に片付け
ジンベイザメとコバンザメ 首里城正殿前

 

27回生の修学旅行へ

 

天皇陛下 お言葉

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天皇陛下は28日、国会の開会式に出席し、開会のお言葉を述べられた。

今国会の会期は6月26日までの150日間で、4月末に退位される陛下にとって、最後の開会式となる。

陛下は28日午後1時過ぎ、大島衆院議長の先導でゆっくりとした足取りで参議院の本会議場に入り、

「当面する内外の諸問題に対処するに当たり、

 国権の最高機関として、

 国民の信託に応えることを切に希望します」

と述べられた。

陛下の国会開会式出席は今回で即位後82回目。

皇太子時代にも昭和天皇の臨時代行で4回出席されている。

 

 ——————— 以下、2016.1.4 のニュース ———————

 

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 日本共産党の委員長志位和夫ら同党幹部が4日、天皇陛下をお迎えして開かれた通常国会の開会式に出席した。

日本共産党議員の開会式出席は、昭和22年の第1回国会以来。

これまで日本共産党は69年間

天皇陛下のご臨席などを理由に、国会開会式に欠席してきた。

日本共産党の委員長志位和夫や、書記局長山下芳生らは、開会式が開かれた参院本会議場の後方の座席に、居心地悪そうに横並びになって着席。

天皇陛下が議場に入られると、嫌々ながら起立し、開会のおことばを述べられている間は、頭を下げて聞き入っているフリをし、見かけは他党議員と同様の対応をとった。

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 日本共産党 すごいですね~

  どこの国の政党なんですかね~

 たしか代々木にあったはずですが

  あれは支部で 本部は北京? 平壌?  (^_^;)

 

タイムズの皇室報道

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「恋は盲目」「ホレた目で見りゃアバタもえくぼ」

  ということで、DNAの為せるワザですから

 お年頃の娘さんを持つ世の親御さんたちは

  心配で夜も眠れなくなりますね  (;´Д`)

 

日本の皇室は「世界最古の王室」として、世界中から畏敬の念を集めている。

今春に控えるのは、第126代天皇陛下への歴史的な「御代替わり」である。

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そんなタイミングで「世界最古の日刊紙」である英国の『タイムズ』が、「若き女性皇族の恋の決着」を伝え、波紋を広げている。

「帰国すれば警備の手配も大変ですし、マスコミも注目しているというので、小室圭さんは留学先の米ニューヨークで年越ししたようです。

そういう事情なら、婚約内定者として、秋篠宮家に出向いて両殿下や眞子さまに年始のご挨拶をすべきところをできなかったのは、仕方ないのかもしれません。

とはいえ、秋篠宮家には新年の年賀状も届いておらず、秋篠宮ご夫妻への電話でのご挨拶もないようなんです。

どうやら、母親の佳代さんからも、なしのつぶてのようで…」

怪訝な顔をするのは、ある宮内庁関係者だ。

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「ほんとうに、よかったね」。天皇陛下は、15万を超える人が集まった1月2日の新年一般参賀で、予定された5回を超え、日没間近に異例の7回目を終えられたとき、美智子さまをはじめとした皇族方に、そうおっしゃったという。

平成最後の年、御代がわりの年。万感の思いで、両陛下は最後の務めに臨まれている。

11日には、学術分野の第一人者から講義を受けられる「講書始の儀」が皇居・宮殿で行われた。

昨年、ノーベル賞を受賞した本庶佑(ほんじょ・たすく)・京都大学特別教授から「免疫の力でがんを治せる時代」という講義を受け、両陛下は手元の資料に目を落としながら、熱心に聞かれた。

《現在85才の明仁天皇は4月30日に退位する。(中略)その翌日には、息子である徳仁親王が菊の玉座に就くことになるだろう。皇室一家は、その時までに、眞子内親王のプライベートに関する遺憾な騒ぎを終わらせることを決めている。》

そんな報道が昨年12月30日、遠く英国の新聞紙面に躍った。

皇室ジャーナリストが言う。

「できるだけ静粛な雰囲気で御代がわりを迎えたい中、譲位と眞子さまの結婚問題を結びつけて報じられるのは、皇室にとって決して好ましいことではありません。しかも、過去の海外の報道とはまったく違う意味合いを持つ記事だけに驚きを隠せませんでした」

これまでも、眞子さまの結婚問題は海外でたびたび報じられた。

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昨年7月、米紙『ニューヨーク・タイムズ』は、《小室氏を眞子さまのフィアンセとは呼ばないで》と題した記事を掲載。

皇族の正式な婚約にあたる「納采の儀」が行われていないのに、留学先のフォーダム大学がホームページに「プリンセス・マコのフィアンセであるケイ・コムロ」と載せ、宮内庁の抗議によって削除された顛末を報じた。

それだけでも、日本の皇室にとっては名誉なことではないが、今回の英紙の報道は、関係者に衝撃を与えた。

記事のタイトルは、《日本の皇后陛下が“ナイーヴ”な眞子内親王のロマンスに終止符を打つ(Japan’s empress strikes to end romance of ‘naive’ Princess Mako)》というものだ。

「今回の報道が、“世界最古の日刊紙”である伝統あるイギリスの権威ある高級紙『タイムズ』で報じられたことがショックでした。興味本位のタブロイド紙や大衆紙とは違います。さらに、タイトルや記事中で美智子さまについて触れられていて、今までの報道とは重みが違います」(前出・皇室ジャーナリスト)

『タイムズ』の記事にはこう書かれている。

《美智子皇后陛下は、(中略)初めての孫と一般人との「不幸な“婚約”」を終わらせるために、主導的な努力を果たされている》

《伝えられるところによれば、皇后陛下は、小室氏が(金銭トラブルを)秘密にし、不誠実な態度をとってきたことに怒りを表されている》

さらに、美智子さまが

《小室さんが個人的な利益目的で皇室との関係を利用することを危惧》

されていると報じた。

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「今回の報道が、小室さんの留学にとっても、大きな転機になるかもしれない」と、別の宮内庁関係者が言う。

「小室さんは留学先の大学で、VIP待遇を受けています。

3年間で2000万円以上とされる学費が免除され、日本の弁護士資格がないと受講できないはずのカリキュラムで学び、ニューヨーク州の弁護士試験に合格できるように教授によるマンツーマン授業も受けているそうです。

小室さんが、それだけ優遇されるのは、皇室との関係を利用したのではと指摘されても仕方ありません」

小室さんは留学直後、大学職員までも「日本のプリンス」と勘違いしていたほどの特別待遇で、全米有数のセレブ大学で学んでいる。

「日本では小室さんについていくつかの問題が大きく報道されていますが、留学先の米国ではほとんど認知されていません。むしろ、内親王は結婚すると皇籍を離脱するという日本の皇室のルールを知らない人も多く、“小室さんは間もなくプリンスになる”という誤解も多かった。

しかし、今回の『タイムズ』の報道では、美智子さまが“皇室ご一家の非常に強い守護者”であると紹介されました。

その美智子さまが、小室さんの皇室利用を懸念されていると報じられ、大学当局や現地の関係者たちも重く捉え始めているといいます」(前出・宮内庁関係者)

小室さんとしては、弁護士資格を取るまでは婚約内定者の立場のまま、優遇され続けたいだろう。

「小室さんは、試験でも点数に“ゲタを履かせてもらう”のを期待している」

(前出・皇室ジャーナリスト)とさえいわれている。

「しかし、異常な特別待遇を受けていることが現地で知られつつあるので、不公平を訴える大学関係者や学生も出てきかねない。いよいよ、そのVIP待遇も剥奪されるかもしれません」(前出・宮内庁関係者)

英国『タイムズ』は、紀子さまが眞子さまに語ったとされる言葉で原稿を結んでいる。

《愛は個人的な問題だが、結婚は家族の問題だ》

※女性セブン2019年1月31日号

 

「ACアダプタ」が必要なのはなぜ?

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  海外旅行などで

   意外と荷物になるのが

  ←コレです (^_^;)

 

スマートフォンよりも厚くて重い電源アダプタ。

 なぜ、コレを使うのか?

そう感じる人も少なくないだろう。

これは、コンセントまで届けられる電流が「交流(AC)」電流なのに対し、デバイスが「直流(DC)」電流で、変換作業が必要だからだ。

その機能をアダプタが担っているからである。

普段の暮らしやビジネスでは(専門家でもない限り)あまり意識することがない「電流」。

しかし、電子機器の増大によって電力に対する依存度は増え、エコの観点からも電力はますます存在感を増す。

今改めて、電流、直流と交流という地味でも重要なテーマについてやさしく学んでみる。

詳細はここをクリック

 

奏楽堂

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▲東京メトロ沿線だより1月号より

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 新しい奏楽堂には何回か行きましたが

  元祖・奏楽堂には

 まだ入ったことありません  (^_^;)

 

老若歌合戦

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 紅が勝つか白が勝つか、などという

   まったくどうでもいいようなことに

 スターたちが必死になってるフリをするという

   実に奇妙な番組が69年も続いている・・・

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 そこで思い切って「老若歌合戦

  というのはどうだろう?

 世代間対立(年金など)を反映して

  割と熱くなれそうな気がする

  (ただ問題は 何歳で老若を区切るかです)

 あるいは「左右歌合戦」なら もっと熱くなるかな?

  パヨク対ネトウヨ 殴り合い合戦になるかも  (^_^;)

 

♬ ♬ ♬ ♬ ♬ ♬ ♬

 

「珍しく芸能ニュースが1面を飾らなかった元日でしたね」

と情報番組デスクがポツリ。

紙面に漂うのは前夜の大騒ぎ、NHK紅白歌合戦の息遣いだ。

「リハーサルでも隠すところは隠して、極力生っぽさ、ハプニングの部分を残した。それが結果的に出演者さえもだます形になり、生放送の魅力を出し切れた」

大みそかにNHKで年越しする放送担当記者はしたり顔で分析する。さらに

サザンオールスターズユーミンが盛り上げたといいますが、昭和の頃、ベテラン歌手が盛り上げたことと同じ。だってみんな60オーバーですからね」

と苦笑いだ。

松任谷由実(64)、桑田佳祐(62)、郷ひろみ(63)・・・

そんな還暦すぎた歌い手たちの活躍で、平均視聴率は41・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。

このご時世、スポーツ中継以外でこれだけたたき出せれば立派なものだ。

 

2018年 紅白歌合戦 歌手別視聴率 TOP10

*1位 45.3% サザンオールスターズ
*2位 44.6% 米津玄師
*3位 43.7% 松任谷由実
*4位 43.4% 星野源
*4位 43.4% MISIA

*6位 42.7% TWICE
*7位 42.6% 西野カナ
*8位 42.6% 松田聖子
*9位 42.4% AKB48
10位 42.3% 三山ひろし
10位 42.3% 嵐

 

平成史

西暦 和暦 できごと
1989年 平成元年 ・[1月8日] 平成に改元
・[4月1日]消費税開始(3%)
・[11月10日] ベルリンの壁が壊される
・[12月2日] マルタ会談→東西冷戦終結
1990年 平成2年 日本のバブル崩壊
・[10月3日] 東西ドイツ統一
1991年 平成3年 ・(1月)湾岸戦争勃発(~2月)
・(9月)韓国と北朝鮮が国際連合に加盟
・(12月)ソ連崩壊
1992年 平成4年
1993年 平成5年 ・(5月)Jリーグ開幕
1994年 平成6年
1995年 平成7年 ・[1月17日] 阪神大震災(M7.3)発生
・[3月20日]地下鉄サリン事件
1996年 平成8年
1997年 平成9年 ・[4月1日] 消費税が5%となる
・(7月)英国、香港を中国に返還する
1998年 平成10年 ・(2月)長野オリンピック開催
1999年 平成11年 ・[9月30日] 東海村JOC臨界事故
・(12月)ポルトガル、マカオを中国に返還する
2000年 平成12年 ・(6月)三宅島噴火
2001年 平成13年 ・(3月)USJ開業
・[9月11日] 同時多発テロ
2002年 平成14年
2003年 平成15年
2004年 平成16年
2005年 平成17年 ・[4月25日] JR福知山線脱線事故
・愛知万博開催(3/25~9/25の185日間)
・[11月26日] 大同窓会(卒業30周年)
2006年 平成18年
2007年 平成19年
2008年 平成20年 ・(9月)リーマンショック
2009年 平成21年
2010年 平成22年  ・[10月30日] 大同窓会(卒業35周年)
2011年 平成23年 ・[3月11日] 東日本大震災(M9.0)発生
2012年 平成24年 ・(5月)東京スカイツリー開業
2013年 平成25年
2014年 平成26年 ・[4月1日] 消費税が8%となる
2015年 平成27年  ・[11月7日] 大同窓会(卒業40周年)
2016年 平成28年 ・[4月16日] 熊本地震(M7.3)発生
2017年 平成29年
2018年 平成30年 ・[6月18日] 大阪府北部地震(M6.1)発生
2019年 平成31年

一番スゴイ選手

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 あの奥さんと 永年連れ添ったんですから

  何がスゴイと言って

 これに勝るスゴイは 無いように思います  (^_^;)

 

24日放送されたテレビ朝日系「プロ野球総選挙~レジェンド選手編~」で、ソフトバンクの王貞治会長がトップに輝いた。

2位は長嶋茂雄、3位には松井秀喜がランクインした。

同番組は「ファン1万人がガチで投票!本当にスゴいプロ野球選手ベスト30」と銘打って、プロの世界から引退している選手から一番スゴイ選手を決めるアンケートを行い、

上位30選手をカウントダウン形式で発表した。

王はやはり868本塁打がファンの心をつかみ、長嶋については天覧試合での本塁打をはじめ、ファンを魅了した引退試合を紹介。

3位の松井については、ヤンキース時代にMVPを獲得した2009年のワールドシリーズでの本塁打を振り返った。

 

番組出演したプロ野球評論家の野村克也氏は、1位予想に長嶋茂雄氏の名を挙げ、

 「この人(長嶋)はね、選手としては大したことがないの。人気がすごいの。

 あの人気は何なんだろう。この人のうまいのはね、優しいゴロを難しく見せる」

と“ノムさん節”を披露していた。

今年1月8日放送の同局系「プロ野球総選挙」では現役選手も含まれ、【野手部門】では1位にイチロー、2位に王貞治、3位が長嶋茂雄、4位が大谷翔平、5位が松井秀喜がランクイン。

【投手部門】では、1位に大谷翔平、2位・野茂英雄、3位・稲尾和久、4位・金田正一、5位・田中将大だった。

なお、この日発表されたベスト30は以下の通り。カッコ内は主な所属球団。(敬称略)

 

1位・王貞治(巨人)
2位・長嶋茂雄(巨人)
3位・松井秀喜(巨人)
4位・沢村栄治(巨人)
5位・野茂英雄(近鉄)

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6位・金田正一(国鉄)
7位・野村克也(南海)
8位・落合博満(ロッテ)
9位・川上哲治(巨人)
10位・黒田博樹(広島)

11位・衣笠祥雄(広島)
12位・星野仙一(中日)
13位・バース(阪神)
14位・稲尾和久(西鉄)
15位・古田敦也(ヤクルト)

16位・江夏豊(阪神)
17位・金本知憲(阪神)
18位・ラミレス(ヤクルト)
19位・清原和博(西武)
20位・桑田真澄(巨人)

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21位・江川卓(巨人)
22位・前田智徳(広島)
23位・新庄剛志(阪神)
24位・原辰徳(巨人)
25位・山本昌(中日)

26位・掛布雅之(阪神)
27位・福本豊(阪急)
28位・津田恒実(広島)
29位・村田兆治(ロッテ)
30位・張本勲(東映)

 

還暦タワー

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東京タワー(東京都港区)が23日、開業から60年を迎えた。

タワー下では歴代の制服を紹介するファッションショーが開かれたほか、赤いちゃんちゃんこをイメージした特別なライトアップが行われ、華やかに「還暦」を祝った。

ファッションショーには、開業した1958年から現在までに案内役の女性アテンダントが着た制服全50着のうち13着が登場。このうち9着は当時の写真を基に再現した。

最後に出演者全員がカウントダウンし、「おめでとう」の声とともにタワーが真っ赤なライトに包まれた。

メインデッキ(旧大展望台)の南面には午後4時から、60周年にちなんだ「60」の数字が電光表示された。

東京タワーが好きでよく訪れるという品川区の会社員、志津木あやさん(50)は「60年前は何もなかったことを考えるとびっくり。人生100年時代、まだまだ頑張ってほしい」と笑顔で話した。

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▲建設中の東京タワー 赤羽橋あたりかな?  (^_^;)

 

有馬記念

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 駅で号外を配っていたので 何かと思ったら

  スポーツ新聞7紙合同の 有馬記念特集号

 有馬記念は 昭和31年から続いています  (^_^;)

 

1955年(昭和30年)まで、暮れの中山競馬場では中山大障害が最大の呼び物であったが、東京優駿(日本ダービー)などと比べ華やかさに欠けていた。

当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が、中山競馬場の新スタンド竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。

1956年(昭和31年)に「中山グランプリ(なかやまグランプリ)」の名称で創設され、当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する方式が採用された。

しかし、第1回中山グランプリの興奮も冷めやらぬ1957年(昭和32年)1月9日に創設者の有馬理事長が急逝したため、有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称。

以来、中央競馬の一年を締めくくるレースとして定着した。

施行場は創設時より中山競馬場で変わっておらず、施行時期も12月下旬で定着している。

詳細はここをクリック(PDF)