現代史

剣璽等承継の儀 即位後朝見の儀

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天皇陛下が即位後朝見の儀で述べられたお言葉

 

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば、上皇陛下には御即位より、30年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。

 

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▲改元を祝して、神戸・阪神間から集まった45台のだんじり巡行

 

天皇陛下は1日午前0時、皇室典範特例法の規定に従い、第126代天皇に即位された。

同時刻に元号も改められ、「令和」時代がスタートした。

陛下は同日午前、皇居・宮殿で、皇位継承に伴う最初の儀式「剣璽けんじ等承継の儀」に臨み、皇位の証しとして伝わる剣や曲玉まがたまなどを受け継がれた。

続いて「即位後朝見ちょうけんの儀」で国民の代表と会い、「国民に寄り添い、憲法にのっとり、象徴としての責務を果たす」など、天皇として初のお言葉を述べられた。

 陛下はこれらの儀式に先立ち、宮殿「菊の間」で、午前10時過ぎ、天皇として初の公務に臨まれた。自身の即位に伴う二つの儀式を国の儀式として行うとする閣議決定を決裁された。

 剣璽等承継の儀は午前10時半に始まり、陛下は最も格式が高いえんび服に勲章を着用して入場された。

 新たに皇位継承順位1位の皇嗣となった秋篠宮さま、車椅子に乗った常陸宮さまが続かれ、三権の長や閣僚らが参列した。

 陛下が壇上に立たれると、剣と曲玉、天皇が国事行為で使う国璽こくじ(日本国の印)・御璽ぎょじ(天皇の印)を持った4人の侍従が、一列になって入場。それぞれを陛下の前の台に置いた。

 剣と曲玉は、陛下のお住まい・赤坂御所に安置されることになる。もう一つの皇位の証しである鏡は、皇居・宮中三殿の賢所かしこどころに保管されている。

 午前11時12分に始まった即位後朝見の儀には、皇后雅子さまや秋篠宮ご夫妻ら成年の皇族方計13人が参列。国民の代表として、安倍首相ら三権の長や閣僚、都道府県知事、都道府県議会の代表らが参列した。

 陛下は、憲法と典範特例法の定めるところにより、皇位継承したことを明らかにした上で、「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と誓い、国民の幸せや国の発展、世界平和を希望された。

 安倍首相が国民代表の辞で祝意を伝えた上で、陛下を象徴と仰ぎ、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていく」などと述べた。

 陛下は午後、1日付で就任した小田野展丈のぶたけ・侍従長、河相周夫ちかお・上皇侍従長の認証官任命式に臨まれた。

 その後、皇后さまと共に皇居・吹上仙洞せんとう御所を訪れ、上皇ご夫妻にあいさつし、宮殿では、皇族方らの祝賀を受けられる。

 

退位礼正殿の儀

 

天皇陛下が退位礼正殿の儀で述べられたお言葉は以下の通りです。

 

今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

 


 

天皇陛下は平成31年4月30日、譲位の日を迎えられる。

天皇の譲位は、江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初めて。

陛下は同日午後5時から、皇居・宮殿で「退位礼正殿の儀」(退位の礼)に臨み、在位中、最後となるお言葉を述べられる。

陛下は同日をもって譲位し、30年余り続いた「平成」は幕を閉じる。

5月1日午前0時に皇太子さまが即位されて「令和」に改元される。

4月30日の退位の礼は、計11に上る譲位関連の最後の儀式。

憲法で定める国事行為として執り行われる。

天皇、皇后両陛下が宮殿「松の間」に入室され、側近が「三種の神器」のうち剣(けん)と璽(じ=勾玉)などを「案(あん)」と呼ばれる台の上に安置。

安倍晋三首相が感謝の意を伝え、陛下が国民に向けたお言葉を述べられる。

退位の礼の参列予定者は安倍首相と閣僚、衆参両院正副議長、都道府県知事ら約300人。

皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ、成年皇族方が陪席される。

両陛下は退位の礼の後、皇太子ご夫妻や皇族方のごあいさつを受けられる。

その後も宮内庁や皇宮警察の職員らのあいさつが夜まで続き、平成最後の日を終えられる。

退位の礼に先立ち、陛下は30日午前、皇居・宮中三殿で同日の譲位を報告される。

天皇のみが着る祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけられる最後の機会となる。

5月1日に上皇、上皇后となる両陛下は、同日以降の皇太子さまのご即位関連儀式には出席されない。

 

昭和音曲同好会 設立総会

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4月15日(月)池袋にて

昭和音曲同好会の設立総会が恙なく挙行されました

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昭和音曲同好会の創立を厳かに宣言する菅義偉・内閣官房長官

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八千草薫

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昭和を代表する永遠の美女ですね

井野先生 情報ありがとうございます  (^_^;)

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青山ベルコモンズ

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このビルには、いろいろ思い出があります。

もう30年以上も前ですが、スポーツクラブの「エグザス」が出来て、その事業展開のお手伝いをしました。隣のビル(確か「サンクレストビル」だったかな?)に出来たてのエグザス青山店があって、そのお店をモデル店舗にしてマーケット分析をしたり、店舗オペレーションをマニュアル化したり。

地下にイタリアンのサバティーニがあった。

青山ベルコモンズは外側も面白いけど、内部に吹き抜けがあって楽しいビルでしたね。こうゆう遊び心のある建築は、黒川さんみたいな実力のある、良い意味でのワガママが通せる建築家でないと無理でしょう。

普通は建築主の経済性計算に押されて、無難な設計になっちゃう  (^_^;)

 


 

2014年3月に閉館した商業施設「青山ベルコモンズ」の跡地で三菱地所が開発を進める「(仮称)北青山二丁目計画」の完工予定まで約1年となった。

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1976(昭和51)年、当時アパレルチェーン大手だった「鈴屋」(だからベルコモンズ)が施設開発を手掛け、青山通りと外苑西通りが交わる青山三丁目交差点角にオープンした青山ベルコモンズ。

建築家・黒川紀章が設計を担当。

先鋭的なファッションブランドや飲食店、文化施設が入居するファッションビルとして注目を集め、青山エリアのランドマークになっていた。

開発計画は2017年12月に着工し、青山ベルコモンズの歴史性を踏まえ、「多種多様」な人が交流する空間を目指し、地上20階・地下2階、延べ床面積約2万2910.61平方メートルの施設に、オフィス・ホテル・商業ゾーンを整備する。

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▲ベルコモンズ 取り壊し完了  (T_T)

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催に伴い新国立競技場の建設も進む青山エリアのにぎわいを見据え、容積・形態の制限を緩和する都の統一的基準を設けた「総合設計制度」を活用。

ホテルは、国内外でホテル・レストランを展開する「Plan・Do・See」(千代田区)が運営する。

現代的な設計の外観は、ガラスファサードのデザインに加え、低層部を「緑豊かで開放的な空間」とし、圧迫感を抑え周囲の街並みや景観との調和を目指す。

1階・2階は店舗、5階~15階はオフィスが入り、商業区画は「青山ベルコモンズの系譜を継ぐ商業ラインアップ」を予定。

オフィスフロアは、コワーキング機能も備えるという。地下2階は駐車場。

3階~4階、16~20階に入るホテルは、3階にイベントスペースを設けるほか、訪日外国人向けにさまざまなジャンルの飲食店を用意。

ルーフトップはレストラン・バーテラススペースとなる。客室数は42室、客室サイズは約30~60平方メートル。

2020年上期の開業を予定する。

入居テナント向けのBCP(事業継続)対策で、非常用発電機や防災備蓄倉庫を備え、北側広場には災害時に温かい食事などが提供できる「かまどベンチ」を設置。

屋上に設置する太陽光パネルから建物内に電気を供給し、環境にも配慮する。

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▲遠近法を無視したパース  (^_^;)

 

黒電話

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 某国の「将軍様」のヘアスタイルに

  とてもよく似てますね  (^_^;)

 

 ほとんど見かけることがなくなったダイヤル式の「黒電話」

そんな電話機が展示されている博物館が、ネット上で話題になっています。

使い方も解説されていて、実際に触れることもできます。

子どもたちに人気の展示について学芸員に話を聞きました。

 黒電話が展示されているのは、奈良県立民俗博物館(大和郡山市)です。

回線はつながっていませんが、実際に触ることができ、電話のかけ方もイラスト付きでこんな風に解説しています。

「1960年代に登場した電話。数字が書いてあるダイヤルの穴に指を入れて右へ回す。指止めの位置まで回したら指をはなす。これをくり返して番号を入力します」

 ツイッターでこの展示が紹介されると、

「博物館入りとは!」

「自分が生きた化石になった気がした」

といった驚きの声が上がっています。

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 「6年前に常設展として『昔のくらし』を新設したときから展示しています」と話すのは、学芸員の茶谷まりえさん。

「昔のくらし」では、黒電話以外にも炭火アイロンや糸車、真空管テレビなど、かつて家の中で使われていたものを展示しています。

電話機については、磁石式から黒電話、プッシュ式への変遷がわかるよう並べたコーナーもあります。

 実際に触ることができる黒電話もあり、社会科見学などで訪れる小学生たちに人気だそうです。

 「ダイヤルの穴に書かれた数字を押してかけようとする子をよく見かけます。

 『Hey siriとか呼びかけるの?』と尋ねる子もいて、時代の流れを感じますね」

 黒電話の展示が注目を集めたことについては、こう話します。

「話題になっているとは知らなくてビックリしています。身近な道具でもけっこう変遷があるので、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちと一緒に来ると、いろんな楽しみ方ができると思います」

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 ガラケーが「昔の電話」として

  展示される日も 近いかも~  (^_^;)

 

新宿高校と日野高校

1982年4月5日坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がオリコンのシングルチャート1位を獲得した。

1982年といえば、私が大学を卒業した年である。

在学中にアルバイトをしていたCBSソニー(当時)のTさんから「就職するのならば新しくできる会社がいい」と薦められ、できたばかりのロンドンレコードを受け、何度かの面接の後、なんとか合格。

4月から入社する予定だった。

社会人になるそれまで、いわゆる卒業旅行として、以前お世話になった、LAで「ハリウッド・ミュージック・ストア」を営んでいるMさんのところへ3か月ほど行く予定を立てていた。

そんな矢先、「邦楽第1弾を2月に出すことになったので、1月からアルバイトとして来てほしい」とロンドンレコードから連絡があった。

渋々、ソ連大使館の脇にあった就職先の会社へ行くと、その邦楽第1弾はYMOの坂本龍一さんとRCサクセションの忌野清志郎さんのコラボレーションだという。

「へえ、YMOとRCとはすごいじゃん」というのが、大学卒業前のアルバイトとしての実感だった。

1月上旬に新入社員となる我々(と言っても3人だが)が集められた時点で、すでにレコーディングは終わっており、ミックスの作業をしているという新富町の音響ハウスに連れて行かれた。

そこにはちょうど夕食のお弁当を食べている牧村憲一さんがいた。

挨拶をすると、「いやあ、今回僕は仲人役ですから」と言って自己紹介をされた。

牧村さんは資生堂のCM音楽のディレクターであり、またレコード原盤のディレクターという立場であった。

そこで初めて「い・け・な・いルージュマジック」とB面の「明・る・い・よ」を聴いた。

聴き終わると、スタジオにいたみんなの顔が“パアッ”と明るくなったのを憶えている。

さて、最初の私の仕事は宣伝だった。

邦楽第1弾であるこの「い・け・な・いルージュマジック」を各媒体に売り込むことである。

そして、ロンドンレコードからの宣伝請負人として吉見佑子さんが小さいけれども大きな声でさっそうと現れた。吉見さんに連れられて、出版社を中心にいろいろなところを回ったものだ。

当時、写真週刊誌の先行雑誌であったFOCUSが売れ行きを伸ばしていた。

何とかFOCUSの記事を取れないものかと宣伝会議でも議題に上がり、集英社なども担当していた私がFOCUSへ出向き、売り込むこととなった。

アポイントを取り、会ったのは記事を担当するフリーの記者であった。

今となっては誰だったのか知る由もないのだが。

使う写真は十文字美信さんが撮った宣伝用のポスターを使うことで合意した。

当然、記者としては内容を面白くしようとする。

曲も認知もされ、プロモーションビデオもかなり流れて話題になっていたので、そのPVのことをかなり取材された。

当時、「い・け・な・いプロジェクト」では撮影時のエピソードとして「撮影に使ったお金はすべて本物で、なぜか2万円がなくなっていた」というストーリーを作り、我々はそれを使っていた(2万円が紛失したのは本当の話で、その2万円は牧村さんが個人的に立て替えたそうだ)。

取材する記者に「撮影後、2万円が紛失していたのだけれど、それはもしかしたら清志郎の仕業かもしれないですね。いや、真相はわからないのですよ」と、なんとなくその場を盛り上げるプロモーショントークの延長のように言ってしまった。

FOCUSでの記事は掲載され、ヒットを後押しするための有効な宣伝となり、私はミッションを達成。

当時の役員から「これが欲しかったんだよ! ごちそうするぞ」と言っていただき、吉見さんからも「犬も歩けば棒に当たるのね」とおほめの言葉をいただいた。

しかし、後日、忌野清志郎さんの所属事務所の社長である奥田義行さんが会社にそのFOCUSを持ってやって来た。

ずいぶんとご立腹で、記事の中の「2万円は忌野清志郎が持って行ったことが判明した。

坂本龍一は新宿高校で、忌野清志郎は日野高校。その育ちの違い」という、正確な文面は覚えていないが、そこの部分に赤線を引いて何やら宣伝部長に言っている。

そこから聞こえたのは「これは杉岡がやったことですから」。

「え?! そりゃないでしょう!」初めて味わう大人の社会の仕組み。

だいたい、新宿高校と日野高校で何の育ちの違いがあるのか訳が分からない。

当時は原稿の事前確認なんてことはまったくできなかった。

まあ、そんなことも今となっては40年ほど前の楽しい思い出だ。

後年、間違った記事を見受けるが、撮影で使用されたお金は一部を除きそのほとんどはダミーのお札。

もちろん、清志郎が2万円を持って帰ったという事実もない。すべては私の若さゆえのことである。

【著者】杉岡中(すぎおか・あたる)

「大人のMusic Calendar」編集長。

ロンドンレコードでRCサクセション、坂本龍一を担当。

MIDIレコードを経て角川書店へ入社。

「月刊カドカワ」、「The寂聴」「月刊短歌」などの編集長を務める。

現在は「大人のMusic Calendar」の傍ら、ニッポン放送のサイト「1242.com」で編集を担当。

また瀬戸内寂聴等の書籍プロデュースを行っている。