現代史

渡辺恒雄 死去?

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  読売新聞の独裁者、渡辺恒雄氏が亡くなった

   との未確認情報が、11月17日午前10時現在

  流れてますね  ((((;゚д゚))))

 

 

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渡邉 恒雄(わたなべ つねお )

1926年〈大正15年〉5月30日 生まれ。

日本の新聞記者、実業家。

株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。

勲等は旭日大綬章。「ナベツネ」の通称で知られる。

株式会社読売新聞社社長、球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長などを歴任した。

自ら「俺は最後の独裁者だ」と語ったとされ、マスメディアにおいて「球界の独裁者」または単に「独裁者」と呼ばれていることについては、渡邉自身が認めている。

他に「メディア界のドン」「政界フィクサー」「野球界の癌」とも呼ばれている。

 


お盆休み前後で、どこか長閑なムードが漂う8月中旬。

ごく一部の読売関係者は極限の緊張状態にあった。

「主筆が8月16日に自宅で酒を飲んで転び、首を骨折。

 すぐさま病院の集中治療室に運び込まれた」

 ほかならぬ、渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆(92)の非常事態である。

関係者の受けた急報は、こう続く。

「一時はもち直して一般病棟に移されたものの、18日になって容態が急変し、

 ふたたび集中治療室に入っている」

 容態急変。読売上層部に激震が走ったのは言うまでもない。

4年前にも自宅で酔って転び、腕を骨折して1カ月あまり入院。

重病説が流れたことがある。

しかし、今回は骨折が枢要部なだけに、重篤のレベルはその比ではない。

年齢も年齢だ(92歳)。

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▲脳が大きい渡辺恒夫

TOKYO, JAPAN - JANUARY 22 : Tokyo 2020 President Yoshiro Mori and IOC Vice President, Chairman of the Coordination Commission for the Game of XXXII Olympiad Tokyo 2020 John Coates (not seen) attend a press conference in Tokyo, Japan, on January 22, 2016. (Photo by David Mareuil/Anadolu Agency/Getty Images)

▲脳が小さい森喜朗

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▲極端に脳が大きかった大村益次郎 幕末の軍事天才

ほとんど宇宙人 (^_^;)

読売関係者が続ける。

「主筆の入院は社員に伏せられていましたが、

 嗅ぎつけたメディアがあったようです。

その社は、訃報の予定稿まで準備したとも聞こえてきました」

メディア界に君臨し、政治をも動かしてきたドン。

コトの真相を読売新聞グループ本社広報部に訊ねると、主筆自らのコメントとして以下の回答を寄せた。

「自宅で転倒して頸椎の一部を骨折し、入院しています。

 幸い脊髄に損傷はなく、医師からは1カ月ほどで退院できると言われています」

 広報部も、

「一般病棟で治療を受けながら、業務書類に目を通すなど順調に回復しています」

と強調する。

ただ、一部とはいえ、頸椎を骨折するとどうなるのか――。

名古屋第二赤十字病院の整形外科医、飛田哲朗氏によれば、

「頸椎が折れると食事をしたり痰を切る力が衰えます。

結果的に、痰が肺に詰まる誤嚥性肺炎のリスクが急増するのです。

一般論ですが、度合いの軽重を問わず、

65歳以上で頸椎を損傷すると、1年以内に28%が亡くなる

との研究結果もあるほどです」

そして彼はいま、65歳ではなく、92歳である。

主筆の容態を、読売上層部は固唾を呑んで見守っている。

「週刊新潮」2018年8月30日秋初月増大号


ナベツネが亡くなったんじゃないか?

読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄氏の死亡説が昨晩からネット上に流れ、大きな騒ぎになっている。

今朝にはジャーナリストの田中稔氏も〈昨晩、渡辺恒雄氏が亡くなったとみられる。

読売は安倍総理の帰国まで公表したくないようでなかなか認めないが、各社、予定稿準備しているとの情報。

〉とTwitterに投稿。

その後、Yahoo!のランキングでも「渡辺恒雄」がトレンド1位となる事態に。

しかし、その一方で、新聞やテレビはいまだ一切、このことに触れていない。

どういうことなのか。全国紙の政治部記者に問い合わせてみた。

「じつは、昨日、読売本社で緊急のグループ幹部会議がおこなわれたという情報が飛び込んできた。そこから“ナベツネに何かあったのでは”という話が広がり、各社、取材に動きはじめたんです。ただ、いま現在は緊急幹部会が開かれたという話以上の情報がなく、まだ裏は取れていない。しかし、一方で健在を裏付ける具体的な情報も取れない。ナベツネも92歳ですから、なにがあってもおかしくない。それで、各社も訃報の予定稿準備や裏取り取材に走り回っているという状況です」

 ナベツネをめぐっては、夏ごろから「体調不安説」が流れていた。

渡邉氏は今年8月中旬、自宅で転倒して頸椎の一部を骨折して入院。読売新聞社は当初公表していなかったが、週刊誌が取材に動いたことから、同月20日に読売新聞社が入院の事実を公表。

〈一般病棟で治療を受けながら、業務書類に目を通すなど順調に回復している〉

とした。

しかし、「週刊新潮」(新潮社)8月30日増大号(8月22日発売)は「一時はもち直して一般病棟に移されたものの、18日になって容態が急変し、ふたたび集中治療室に入っている」という関係者のコメントを掲載していた。

その後、退院したという発表もなく、表に姿を見せることもなくなっている。

ナベツネといえば、政界だけでなく巨人軍に大きな動きがあると必ず取材に応じ、コメントを出してきたが、今回、高橋由伸監督の辞任、原辰徳監督の就任に至る過程でもナベツネの肉声はまったく伝わってこなかった。

そんなところに、今回、読売グループの緊急幹部会議が開かれたという情報が入ってきたため「すわ」となったということのようだ。

さらに昨日、読売ジャイアンツの原辰徳監督が秋季キャンプ地の宮崎県から選手たちを残して「所用のため」として一足先に帰京したことから、「原監督が急に帰ってきたということは、やはりナベツネに何かあったのでは」と憶測に拍車をかけた。

「原監督の件はともかく、読売グループに重大な異変が起きているのは間違いない。ただ、それがナベツネの健康状態に関するものかは正直、わからない。一方では、長嶋茂雄・終身名誉監督にかかわることじゃないかという声もある」(週刊誌記者)

 現段階では情報の真偽について判断できる状態にないが、いずれにしても、今回のメディアの慌てぶりをみて、再認識したのは、マスコミにとってのナベツネの存在の大きさだ。

勝手にしやがれ!

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歳を取って容色が衰えるのは仕方ないことですが、これはちょっと変わり過ぎですね。

右のオッサンがコンサートで、かつての「ジュリーの名曲」を歌う姿は、イメージしづらいです。

「契約上の問題」でドタキャンというのもヒド過ぎる。

70歳なんだから、せめて「健康上の理由」としておけば、ファンも納得するのに。

事務所との関係も、うまくいってないのかなぁ  (;´Д`)

 

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10月17日にさいたまスーパーアリーナで予定されていた歌手沢田研二(70)のコンサートが急きょ中止された。

午後3時半の開場時間になっても入り口は閉じたままで、突如、「契約上の問題が発生したため、中止とさせていただきます」との手書きの紙が張り出された。

同会場は約1万2000人(アリーナ仕様)収容の大ホール。

突然の中止で会場周辺は混乱した。

会場のスタッフは拡声器で

「重大な契約上の問題が発覚したため、主催者、所属事務所等々と協議を重ねた結果、中止という判断になりました」

などと説明した。

SNSでは

勝手にしやがれ!

「倒れたんじゃなく、契約上の理由って?」

「プロじゃない!」

などの怒りの声がアップされた。

さいたまスーパーアリーナなどによると、開演前に会場で中止の案内があり、入場料の払い戻し方法などは後日発表の予定。

沢田の所属事務所は「詳しく分かる者がおらず、申し訳ありません」と話した。

沢田は7月6日からコンサートツアー「70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK」を開催中。

来年1月21日の日本武道館公演まで全66公演が予定されている。

 

 

10連休

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来年の春は日本全体が大変な祝賀ムードになりそうですが、一方で「昭和」が遠くなり、一抹の寂しさを覚えます。

現在30歳以上の人は昭和生まれですから、まだまだ仲間は沢山いるんですけどね  (^_^;)

 

日本政府は10月12日午前の閣議で、天皇陛下の譲位と皇太子さまの新天皇即位に伴う一連の式典を円滑に進めるための「皇位継承式典委員会」の設置を閣議決定した。

安倍晋三首相が委員長を務め、各式典の会場や参列者の範囲など具体的な概要を順次作成する。

安倍首相は閣議後に開かれた式典委の初会合で、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」となられることを示す「立皇嗣(りっこうし)の礼」を再来年4月19日に行うと発表した。

来年に限り、皇太子さまが即位される5月1日と皇太子さまの即位を国内外に示す「即位礼正殿の儀」(即位の礼)が開かれる10月22日を祝日とする方向で検討する考えも示した。

安倍首相は、祝日に挟まれる来年4月30日と5月2日も休日扱いとする方向で調整する方針も明らかにした。

実現すれば前後で10連休となる。

安倍首相は「天皇陛下のご退位(譲位)と皇太子殿下のご即位が国民の祝福の中で、つつがなく行われるよう、政府を挙げて取り組んでいく」と述べた。

式典委は安倍首相のほか、官房長官と3人の官房副長官、内閣法制局長官、宮内庁長官、内閣府事務次官で構成する。

また、官房長官を本部長とする「式典実施連絡本部」を発足させ、会場警備や外国賓客の接遇などを担当する各省庁間の連絡体制を整える。

日本政府は4月、一連の式典の大枠を定めた基本方針を閣議決定した。

式典委はこれに基づき、平成の代替わりの経験を踏まえ、皇室の伝統や憲法との整合性に配慮しながら、現代にふさわしい式典の実現を目指す。

 

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訃報 元横綱輪島

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▲元横綱 輪島

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「貴乃花の実の父親は輪島だ!」という根強いウワサがあります。

確かに顔はよく似ていますし、あの天才的な格闘能力も、輪島ゆずりと考えると納得できます。

世渡り(ゴマすり)が下手で、相撲協会から追い出されたのもよく似ています。

変なシガラミの多い相撲協会では、一匹狼的な天才は生きにくかったのかも  (T_T)

 

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▲元横綱 貴乃花

 

大相撲の第54代横綱輪島で、史上7位となる14度の幕内優勝を果たした輪島大士(わじま・ひろし)さん=本名・輪島博=が下咽頭(いんとう)がんと肺がんの影響による衰弱で、8日午後8時に東京・世田谷区の自宅で死去したことが9日、遺族への取材で分かった。70歳だった。

「黄金の左」と呼ばれた左差しの攻めを得意とし、大関初代貴ノ花と相撲人気を二分。

ライバルの横綱北の湖(いずれも故人)とともに、昭和40~50年代に“輪湖(りんこ)時代”を築いた昭和の名横綱が、平成最後の秋に旅立った。

 

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ミリオン出版 消滅

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2018年11月末日をもって、サブカル分野で異彩を放ってきた「ミリオン出版」がその歴史に幕を下ろすことが明らかになりました。

詳細は、本誌ライターが少し前にすでに報じています。

ミリオン出版は70年代に創業し成人雑誌をメインに大きくなった出版社ですが、80年代に入ってからは様々なカルチャー誌を大ヒットさせてきました。

「S&Mスナイパー」からはじまり、「ティーンズロード」「GON!」「URECCO」「egg」「MEN’S KNUCKLE」「実話ナックルズ」という代表的な作品を筆頭に、膨大な量の派生誌を誕生させます。

名物編集者の比嘉健二氏(のちに社長)は、その類まれなる発想力で他社にはない雑誌を生み出してきました。

ほとんどの雑誌の誕生に関わっており、まさにミリオン出版進撃の鍵となった人物でした。

比嘉健二氏に憧れて入社する編集者も多く、現在でもそのチルドレンは各界に広がり存在しています。

しかし、折からの出版不況、2010年代からの比嘉健二氏不在によってか、コンビニエンスストアを主戦場としていたミリオン出版は次第に規模を縮小していきました。

数え切れなかった月間発行数は激減し、現在は数誌の定期刊行物しかありません。

状況を見れば、ここまで存在し続けたことが「大健闘」だったと言えるでしょう。

ミリオン出版が倒れてしまうことは、業界はもちろん、青春時代にそのカルチャーに触れた40代以上にとっては衝撃的な出来事かもしれません。とても残念ですが、これが現実です。

倒産ではなく、消滅というのがミリオンらしいですね。

ミリオン出版を支えた全員に贈ります。42年間、お疲れ様でした。

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カリスマ編集者の比嘉健二氏は

  ほぼ同世代です

ウラ社会の情報源として

  貴重な存在でした  (T_T)

 

小さなガリレオ

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最近、こんな投稿がSNS上で話題になっていた。

小学3年の理科のテストで「時間がたつとかげの向きがかわるのはなぜですか」という問題が出され、「地球が回るから」と答えたところ、バツをつけられたというのだ。

教師がテスト用紙に書き込んだ正解は、「太陽が動くから」。

「学習したことを使って書きましょう」というコメントも添えられていた。

この理不尽な仕打ちを受けた小さなガリレオの気持ちを思うと、私の心は痛む。

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「3.9+5.1」で「9.0」と答えたら減点!

  「9」が「正解」

 なのだそうです いやはや・・・ (;´Д`)

 

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リーマン・ショックから10年

飛騨川バス転落事故から50年

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▲事故が起きた日の現場

岐阜県白川町の国道41号で1968年、観光バス2台が土砂崩れに巻き込まれ飛騨川に転落、乗客ら104人が死亡した飛騨川バス転落事故から18日で50年。

国は事故後、雨量を目安に通行を事前規制する制度を導入、全国で道路の防災対策を見直した。

節目の今年、現場付近の新たな整備も決まった。

関係者は「同じような犠牲者が二度と出ないよう、十分な対策を」と願う。

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 太田添乗員さんが 安全でありますように  ((((;゚д゚))))

 

詳細はここをクリック

80年代シティポップ

2010年代前半頃から日本で「シティポップ」が注目を浴びる様になりましたが、海外でも少し前から話題になっている様です。

テレビ番組『Youは何しに日本ヘ?』(テレビ東京系)でも、日本で80年代シティポップのレコードを探す外国人旅行客が紹介されていました。

7a8520竹内まりやさんの「プラスティック・ラブ」は公開8カ月で、なんと739万回再生されています。

この楽曲は1984年に発表されたアルバム『VARIETY』に収録されたもので、プロデュースは山下達郎さんとなっています。

驚くのは、この動画に付いているコメントです。

 「この楽曲を聴いて80、90年代の日本に行きたかったなと思います」

 「曲は最高だし、彼女は可愛いすぎるし、泣いてしまう。人生で1番素敵な8分間だ」

 「神よ、恋に落ちてしまった」

 「うっかりこれをクリックして、超幸せ」

など、世界中から賛辞が寄せられています。

80年代の日本のフュージョンやAORのリズムはもちろん素晴らしいのですが、録音のけだるい質感がとても気持ち良いですね。

上記のコメントにもありますが、私も80年代の日本に行ってみたくなりました。

そして、『Youは何しに日本ヘ?』で印象深かったのは、レコードを買いに来た外国人がお目当てのレコードを見つけた時のシーンです。

ジャケットを見つめながら、それを試聴して聴き終わると彼はうっとりとした顔で「もう1回聴かせて」と言ったのでした。

そういう感動はもう失われつつあるのではないでしょうか。

それは時代によって失われた自らの音楽体験を振り返る瞬間でした。

初めてCDを手にした時の気持ち、こういう感動はいつまでも忘れたくないもの。

でも苦労して音楽と出会って、それを大事に聴く体験が少なくなっているのは事実ですね。

それは少し寂しくもあります。

ただ前述の「プラスティック・ラブ」に寄せられたコメントは、YouTubeというテクノロジーがあって成立した出来事です。

サブスクリプションなども新しい音楽に簡単にアクセスできる素晴らしい文明の利器です。

とどのつまり「人生で一番素敵な時間だ」と言える経験ができるのであれば、アナログやデジタルというのは実はどちらでもよい事なのかもしれません。

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 日本がバブル景気に沸いていたころですね

  良く言えば「日本が輝いていたころ」

 もう一度そうならないかな?  (^_^;)

藤圭子

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 日本の歌謡界が生んだ 戦後最大の天才

   天才にはよくあることですが

 一般社会(非天才が99.9%以上を占める)への適応には

   困難を極めたようです  (T_T)

 

1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌』)を、個性的なドスの効いたハスキーボイスと独特の凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。

代表曲は「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「京都から博多まで」など。

他の歌手のヒット曲なども幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと言われている。

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最大のヒット曲『うそ』をカバーされた中条きよしは

『こんなにうまく歌われたら、たまんないよ』

と作曲した平尾昌晃に伝えている。

 

 

幼い頃から浪曲師の父・阿部壮(つよし)、同じく浪曲師であり曲師(浪曲における三味線奏者)でもある母・竹山澄子(2010年に死去。享年80)のドサ回りに同行。

旅の生活を送り、自らも歌った。

岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業。

勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。

15歳の時に岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿が作曲家・八洲秀章の目に留まり、上京。

八洲秀章のレッスンを受けながら、いくつかのレコード会社のオーディションを受けるが、全て落選。

このとき落とした審査員って、馬鹿なの?  (;´Д`)

生活のために錦糸町や浅草などで母と流しをする。

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その後、作詞家の石坂まさをと知り合い、石坂まさをの自宅に住み込みでレッスンを受ける。

1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。

以後、石坂まさをと組んでヒット曲を連発。

オリコンチャートで、ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。

37週連続1位という空前絶後の記録を残す。

なお、内山田洋とクール・ファイブとの共作「演歌の競演 清と圭子」も含めると計42週連続1位となる。

シングルにおいても「女のブルース」は8週連続1位、続く「圭子の夢は夜ひらく」も10週連続1位を記録し、18週連続1位という同一歌手での連続記録を残す。

2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。

新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定された。

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藤が自殺した後、照實と光はそれぞれコメントを発表し、藤が1988年頃から精神疾患を患っていたことを公表した。

最後の夫は音楽プロデューサーの宇多田照實。

娘は歌手の宇多田ヒカル

元夫はムード歌謡歌手の前川清。

 

 

▼藤圭子・終焉の地

アトラスタワー西新宿 〒160-0023 東京都新宿区西新宿6丁目25−8

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