江戸時代

七草粥

 

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七草粥のこころ

「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」、子どものころに一生懸命覚えた春の七草の名前です。

ゴギョウはハハコグサ、ハコベラはハコベ、スズナはカブ、スズシロはダイコンのこと。

この七草をお粥にして1月7日に食べる七草粥の習慣は、江戸時代に広まったそうです。

七草の種類は時代や土地によって異なり、七草がもっと多くなったり、少ない場合もあったそうですが、いつの時代もどんな土地でも、年頭にあたって豊年を祈願し、「今年も家族みんなが元気で暮らせますように」と願いながらお粥をいただくその気持ちに差はありません。

七草粥の知恵

ところで、なぜ七草粥なのでしょう。

七草は、早春にいち早く芽吹くことから邪気を払うといわれました。

そこで、無病息災を祈って七草粥を食べたのです。古くはまな板の上で、草をトントン叩いて刻むその回数も決められていたとか。

こんな、おまじないのような食べ方も素敵ですが、実はこの七草粥、とても理に叶った習慣です。

七草はいわば日本のハーブ、そのハーブを胃腸に負担がかからないお粥で食べようというのですから、正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはちょうどよい食べものです。

また、あっさりと仕上げたお粥は、少し濃い味のおせち料理がつづいたあとで、とても新鮮な味わい。

七草の効用

では、日本のハーブ七草にはどのようなパワーがあるのでしょう。おもなものを次に挙げてみましょう。

セリ 鉄分が多く含まれているので増血作用が期待できます。
ナズナ 熱を下げる、尿の出をよくするなどの作用があります。
ハコベラ タンパク質が比較的多く含まれ、ミネラルそのほかの栄養に富んでいるため、民間では古くから薬草として親しまれています。
スズナ・スズシロ ジアスターゼが消化を促進します。

もちろん、いずれもみずみずしい緑の草ですから、ビタミンがたっぷり含まれています。

 

世界が見た昔の日本

 

12月28日まで

千代田区立日比谷図書文化館

午前10時~午後6時(日曜、祝日は午後4時) 入場無料

 

 

江戸末期から昭和初期の日本の姿が世界にどう伝えられたか、書物を通じて学べる企画展が、千代田区立日比谷図書文化館で開かれている。

展示されているのは、1850年代~1930年代の書籍や雑誌など約30点。いずれも実際に手にとって見ることができ、蓄積された時代を肌で感じられる展示となっている。

展示されているのは、台湾総督などを務めた内田嘉吉氏(1866~1933年)が収集し、没後に当時の東京市立駿河台図書館(現・区立千代田図書館)へ預けられたものの一部。

例えば、米18代大統領ユリシーズ・グラントが退任後の1877~79年に世界を周遊した際の様子を同行者がまとめた本では、1879年に来日した際の印象を

「国民は勤勉で不満はなく、節操を守る気風がある。

今後の富強を指すに欠けるものは一つもない」

と高く評価している。

また、江戸幕府に開国を迫ったペリー提督に同行したドイツ人絵師のスケッチを使った書籍では、当時の交渉の様子などが記され、幕府方の通訳の着物姿が精巧なタッチで描かれ、眺めているだけでも楽しめる。

このほか、国内では発禁になった1936年の米雑誌「フォーチュン」の日本特集号など、貴重な資料を手に取りながら、当時の日本が外国人の目にどう映ったかを知ることができる。

同館では「ほかの図書館では、手にとって見ることのできないような資料もある。多くの人にじっくりと見てもらいたい」としている。

期間は12月28日まで。同館4階の「特別研究室」で、午前10時~午後6時(日曜、祝日は午後4時)。入場無料。問い合わせは同館(03・3502・3340)へ。

 

都立日比谷図書館は いつの間にか

千代田区立図書館になったんだね

ちょっと見た目は

NYアリスタリーホールに似てる (^_^;)

 

▲Alice Tully Hall Lincoln Center

 

水戸黄門まつり

 

昭和36年に始まった祭りで、毎年8月の第1金・土・日の3日間開催されております。

祭り期間中には、千波湖で約4,500発以上の花火が打ち上げられ、山車巡行 、神輿渡御 、水戸黄門パレード、市民カーニバルなどのイベントが開催されます。

とゆーわけで、ドラマ「水戸黄門」は終わりましたけど、まつりは続いています。

今年は8月3日が花火大会。

水戸の阪田邸では、徳永ママや柴田先生も参加して、花火会パーティー(慶応会・江戸水戸文化研究会・花火会)が催されるはずです。

私は一昨年、昨年と楽しませていただきましたが、今年は諸事多忙につきお休み (T_T)

 

一昨年の花火会はここをクリック

ムーンライトながらの写真もあります (^_^;)

 

 

ブラタモリ 新宿高校が登場

 

ブラタモリ 新宿 水道編


新宿高校が登場!


こんばんは。 山崎 潤です。

見た方もいると思いますが、10/21のNHK
「ブラタモリ 新宿 水道編」で新宿高校が放送されました。
http://www.nhk.or.jp/buratamori/broadcast/

玉川上水関連の石の下水道が校内にあって、
それをタモリが見に高校内に入りました。

 

再放送は以下です。

総合 2010年10月27日(水)【26日深夜】 午前1時05分 ~ 1時55分
「新宿 水道編」

BS2 2010年10月28日(木) 午前11時00分 ~ 11時51分
「新宿 水道編」

ではまた。

 

 

西新宿に永く住む徳永パパからのメール: 新宿高校以外の部分で、十二社(じゅうにそう)の熊野神社はいつも慶応会の皆さんが集まる赤ホルモンの目の前で、あの店の裏にイチョウの大木や福助と言う古い蕎麦屋があります。昔は十二社池が私の子供のころまであって、危ないからはいっていけないと言われつつも友達の家の敷地だったのでフナとか釣って遊んでいたものです。

新宿の副都心が出来る前は浄水場とその外側に小西六のフィルム工場があってその脇に池があったと思います。

番組でやると思いますが、江戸時代は池の周囲に料亭があって池に船を浮かべて遊んでいたようですから驚きです。

大木戸の外の江戸の郊外の歓楽地だったようですね。そのころの地図にすでに西新宿の家の前の細い道は記載されています。山手通りのほうが後からできたようです。

赤ホルモン


慶応会・西新宿分科会

いつもお世話になってます (^_^;)

 

 

 

 

 

 

内藤新宿 復活

 

歌川広重名所江戸百景』より「四ッ谷内藤新宿」

内藤新宿は、品川(東海道)、板橋(中山道)、千住(日光街道、奥州街道)と併せて四宿(ししゅく)と呼ばれ、江戸の新たな行楽地としても発展し、岡場所(非公認の売春宿)などが繁盛して、

「四谷新宿馬の糞の中で あやめ咲くとはしほらしい」

(馬の糞は活発な馬の往来、あやめは飯盛女・遊女を意味する)と狂歌に詠われている。

これらが災いし、1718年(享保3年)に風紀上の理由から一時廃駅となるも、1772年(明和9年)には復活している。

歓楽街としての新宿の原型は、この時代に既にあったといえるだろう。

このころ太宗寺は、江戸六地蔵のひとつに数えられ、庶民の信仰を集めていた。

また成覚寺は、遊女などの投げ込み寺であった。

投げ込み寺と言えば 三ノ輪の浄閑寺 (T_T)

宿場「内藤新宿」開設

元禄12年(1699年)に新しい宿場「内藤新宿」が開設された

内藤新宿(ないとうしんじゅく)は、江戸時代に設けられた宿場の一つ。

甲州街道に存在した宿場のうち、江戸日本橋から数えて最初の宿場であり、宿場内の新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道(青梅街道)の起点でもあった。

現在の住所では、東京都新宿区新宿一丁目から二丁目・三丁目の一帯にあたる。

東海道品川宿中山道板橋宿日光街道奥州街道)の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれた。地名から四谷新宿と呼ばれることもある。

続きを読む

仮宿場「内藤宿」できる

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江戸時代、甲州街道は江戸から甲府までの主要街道として整備されたが、第一の宿場は高井戸であり、距離が長く、旅人は難儀をしたという。

そのうち、現在の新宿二丁目近辺に人家ができ、1625年(寛永2年)には住民の願いにより、太宗寺門前の町屋ができ、これを内藤宿と呼ぶようになった。

「宿」とはいっても、正規の「宿場」ではなく、甲州街道や成木街道(現:青梅街道)を利用する人馬が休憩所として利用していたので、「新宿」と呼び習わすこととなったという。

新宿は 二丁目から 始まったんだね  (^_^;)

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