江戸時代

熊本城

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熊本に来ています

熊本地震の被害は甚大で、熊本城の復旧も道途上といった感じです

日本全国の石垣業界(あるのかどうか知りませんけど)は、いま熊本に終結して活気づいているようです

復興に尽力されている方々には申し訳ないんですけど、崩れた石垣というのは、無常感に訴えるものがあって、すごくいいです

崩れた石垣にご興味のある皆さん、いまが見るチャンスですよ

(^_^;)

 

読書 江戸藩邸物語

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先日読んだ『実見・江戸の暮らし』は、主に町人の生活を描いたものだが、この本はその武士バージョンと言える(著者は異なる)

直前まで戦場で殺し合いをしていた荒くれ武士たちが、天下泰平の江戸時代になったからといって、急に頭の回路を切り替えることは出来なかった

17世紀の江戸では、歩いていて刀のサヤがぶつかったとか、道を譲らなかったとか、詰まらない原因で口論となり、斬り合いになることが非常に多かった

「勇と忠」という武士道の2要素のうち、「」が圧倒的に優先されていた

悪く言えば当時の江戸は、凶暴なヤクザや狂犬のような連中がウロウロしている、かなり危険な街だった

そこで遠慮したり後ずさりしたりすれば、「腰抜け武士」と馬鹿にされるので、武士のメンツとメンツが正面からぶつかり合う、実に殺伐とした時代だった

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しかも主君からは「武士にあるまじき卑怯者」として切腹を申し渡されたりする可能性もあるので、互いに一歩も引けない緊張感が満ちていた

やがて江戸幕府や諸藩は、たくさんの法度(行動規範)を定めて対策を講じ、荒くれ武士を平和な時代の従順なサラリーマン武士へと、時間をかけて誘導してゆく

18世紀に入ると、武士道の「」が優先されるようになり、現在の平和な日本が形成されてゆく

本書は、ある藩の江戸藩邸に残された詳細な日記から、当時の「時代精神」をさぐる

(^_^;)

読書 実見・江戸の暮らし

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いやぁ、グイグイ引き込まれるほど面白かった!

歴史の本にはなかなか出て来ない庶民の生活を、実にリアルに分かりやすく描いている

著者は江戸時代の生活を描いた絵を数千枚も所有していて、その絵の中に現れた庶民生活をこまめに拾っているので、文献資料だけに頼った歴史家よりずっと現実感のある描写が可能になっている

歴史書の面白さは、説明力より描写力にあるように思う

著者は江戸時代をテーマにした小説家で、1933年生まれの86歳

いな吉ファンの皆さんはご存じかもしれませんが、著者の小説『大江戸神仙伝』に登場する深川芸者のおねえさんの名前が「いな吉」なんですよね

著者の子どものころの庶民の生活は、現在よりも江戸時代に近かったようなところもあり、最近80年ほどで、日本人の生活スタイルが激変したことがよく分かる

特に面白かったのは、江戸時代の旧暦(太陰太陽暦)と、明治以降の新暦(グレゴリオ暦)の違いで、これほど分かりやすい説明は他に無さそう

歴史の本を読む楽しさというものは、現在とは異なる時代精神に触れることだと思い、そのために最近は中世史関係を多く読んでいるのだが、わずか200~300年ほど前の日本でも、これだけ違う生活があって、それなりに合理的に動いていたことが分かって、非常に楽しむことが出来た

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そんな訳で、いな吉ねえさんの登場する小説も、読みたくなりました!

(^_^;)

 

読書 「おかげまいり」と「ええじゃないか」

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おかげまいり」は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣

数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)で3回起こった

ええじゃないか」は、特に最後の回(慶応3年・1867年)で発生した集団乱舞だが、これは明治元年の前年

著者は1912年生まれの京大出身の歴史学者なのだが、ガチガチのマルクス教信者のようで、階級闘争に結びつかないと価値を認めないようなところがあり、本書が刊行された1968年ころの時代精神(70年安保闘争のころ)が伝わって来る

観光旅行など多くの人には夢のような話だった江戸時代に、伊勢神宮めざして数百万人規模で「民族大移動」をしたという事実に驚く

伊勢神宮の近隣はもとより、遠く九州や東北地方からも、みんな歩いて伊勢をめざした

当時の人口(3000万人くらい)を考えると、長距離を歩ける者の3人に1人くらいが、民族大移動に参加したことになる

60年周期とすると、1867年の次は1927年(昭和2年)で、この時は金融恐慌など社会不安は大きかったが、「おかげまいり」は起きなかった

しかし、少し後に満州事変が起きて日中戦争に突入していくが、このころ日本軍は連戦連勝で、大日本帝国の支配地が広がることに熱狂して提灯行列する国民も少なくなかった

その次は1987年(昭和62年)で、バブルの真っただ中、日本中が狂喜乱舞した時代

さらに次は2047年ですけど、それまで生きてるかな~?

(^_^;)

 

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▲ええじゃないか踊り

 

▲伊勢神宮

 

映画「ええじゃないか」

 

▲バブルのころのジュリアナ東京

お姉さんたち 今は還暦くらい?  (^_^;)

 

▲最近の伊勢神宮への集団参詣

 

読書 細川侯五代逸話集

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細川幽斎の逸話を期待したのですが、分量的には二代目忠興以降が多く、幽斎の分はわずかでした

江戸時代初期、まだ戦国の血なまぐさい気風がうかがえる逸話も多く、ちょっとしたことで斬り合いになったり、首をはねたり、腹を切ったりしています

武士道の二要素(勇と忠)のうち、勇の比重が圧倒的に高く、「腰抜け」と見られることを極端に嫌った戦国武士の気風が、二代目忠興(とその妻ガラシャ)の逸話に濃厚に表れています

大名も3~4代つづくと、いわゆる「バカ殿」が出るのが普通ですが、細川家では5代つづけて「名君」が出て、藩の基礎を固めたようです

和歌の名人である幽斎は、風雅な歌のほかに、儒教的な「教訓歌」も多く残しました

これが細川家の次の殿様の教育に代々生かされたのではないかと思います

(^_^;)

 

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細川幽斎

 

十三代目

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 あの事件と 奥さんのご不幸で

  すっかり「良い子」になった海老蔵さん

 芸の肥やしは 足りてる?  (^_^;)

 

今年5月に十三代目市川團十郎白猿(いちかわだんじゅうろうはくえん)を襲名する歌舞伎俳優の市川海老蔵(えびぞう)(42)が7日、長男、堀越勸玄(かんげん)くん(6)と東京都内で記者会見に臨み、「気負わず、慌てず、しっかりやれることをやりたい」と意気込みを語った。

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6月に八代目市川新之助を名乗り、「外郎売(ういろううり)」で初舞台を踏む勸玄くんも「楽しみです。がんばります」と話した。

市川團十郎は、江戸時代から続く歌舞伎の大名跡(だいみょうせき)。

海老蔵の父、十二代目團十郎が平成25年に死去したため、團十郎の名跡は7年ぶりの復活となる。

東京・歌舞伎座での襲名披露興行は5~7月に行われる。

襲名披露狂言は、七代目團十郎が家の芸を集めて制定した「歌舞伎十八番」のうち「勧進帳」「助六」など、團十郎家ゆかりの代表的な演目が上演される。

「勧進帳」で武蔵坊弁慶を演じる海老蔵は、

「命がけで向き合う男の姿と、團十郎を襲名する私の姿が

 重なるようにできたらいいかなと思っている」

と語った。

市川海老蔵は昭和52年、十二代目市川團十郎の長男として東京に生まれた。

58年5月、「源氏物語」の春宮(とうぐう)で初お目見え。

60年5月、「外郎売」の貴甘坊(きかんぼう)で七代目市川新之助を名乗り、初舞台。

平成16年5月、「暫(しばらく)」の鎌倉権五郎(ごんごろう)ほかで十一代目市川海老蔵を襲名した。

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新宿高校のとうがらし畑

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真っ赤なトウガラシが、遠く離れた新宿区とフランスを結び付けた。

江戸時代、内藤新宿(現在の新宿区)の名産品だった「内藤とうがらし」を復活させたプロジェクトチームが、トウガラシの産地、フランスのエスプレット村で今月二十六、二十七日に催される「トウガラシ祭」に遠征する。

区内の大学生も同行、「内藤とうがらしを広めてきます」と意気込んでいる。

内藤とうがらしは、江戸時代、内藤家下屋敷(現在の新宿御苑)で栽培が始まった。

近隣の農家にも広まり、宿場で飛ぶように売れたが、都市化などで明治以降は姿を消したとされる。

それを、二〇一〇年発足の町おこし団体「内藤とうがらしプロジェクト」が復活させた。

今では区内の小学校などで栽培され、毎年十月には区内各地で「とうがらしフェア」が行われている。

内藤とうがらしプロジェクトのリーダー成田重行さん(77)は

「活動を始めた時からエスプレット村は新宿のお手本になると注目していた。特産品を町の文化として発信する力がある」

と話す。

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▲収穫期になると家の軒先にトウガラシが飾られる仏エスプレット村

一方、エスプレット村はフランスとスペインにまたがるバスク地方の人口二千人の村。

新宿とは比べものにならない山あいの村だが、欧州では「エスプレット」がトウガラシを指すほど有名で、たった一品での町おこしに成功している。

村との縁を結んだのはプロジェクトメンバーの川副剛之さん(59)。

フランス在住で、昨年、ふとしたきっかけでエスプレット村のトウガラシ祭を訪れた。

家々の軒先に飾られたトウガラシ。

観光客でにぎわうマーケット。

「二千人の村に二万人が押し寄せていた。ピーマン(現地でのトウガラシの呼び方)祭という名前も面白い」

と感じ、帰国した際に知り合った成田さんに報告。プロジェクトに加わった。

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▲多くの観光客でにぎわった昨年のトウガラシ祭

内藤とうがらしと、エスプレット村のトウガラシは、どちらもマイルドな辛さで、うまみ成分が多いという。

内藤とうがらしの名前の由来が徳川家康に新宿を与えられた内藤家、エスプレットも、かつての領主エスプレット男爵から来ているという共通点も。

遠征隊は約二十人。

うち六人は同区の学習院女子大学国際コミュニケーション学科で内藤とうがらしを栽培・研究している四年生だ。

現地ではフランス人にワサビなどを食べてもらい、辛さの感じ方を調べたり、七味作りのワークショップを行う。

渡辺瞳子さん(21)は

「エスプレット村ではチョコレートにトウガラシを入れるそうなので、参考にしたい」

トウガラシが大好きな星野冬帆さん(21)にとっては夢の村で「現地の人の生の声を研究に生かしたい」と目を輝かせる。

二十万円以上かかる旅費は自腹だけに物見遊山では済まされない。

前田理菜さん(21)は「目的意識をしっかり持ち、卒論の材料を集めてきます」と気合を入れた。

トウガラシ祭ではトウガラシの普及に貢献した人が表彰され、日本人で初めて成田さんが真っ赤なガウン姿でステージに立つ。

「新宿は多文化共生の町。内藤とうがらしで世界とつながる第一歩にしたい」

プロジェクトも豊かな収穫期を迎えたようだ。

彼女らには現地での撮影という使命もある。

それを今年から新宿区にキャンパスを構えた桜美林大学の学生が記録映像に仕上げ、十二月に新宿武蔵野館などで上映する。

製作費約五十万円はクラウドファンディングで調達予定。

同大の太田万葉(まほ)さん(20)は「映像を内藤とうがらしを広めるきっかけにしたい」と抱負。

青木伸之介さん(20)は「町おこしに興味がある人、頑張っている大学生を応援したい人に、ぜひ協力してほしい」と呼び掛けた。

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新宿高校のとうがらし畑で意気込む(左から)

学習院女子大学の渡辺瞳子さん、星野冬帆さん、前田理菜さん、

桜美林大学の太田万葉さん、青木伸之介さん

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▲新宿の都庁の前で内藤とうがらしを手にする

プロジェクトリーダーの成田重行さん

(10月21日東京新聞朝刊「TOKYO発」面に掲載)

 

浅草ほおずき市

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 季節感あふれる催し

  夏が近いのを感じます  (^_^;)

 

江戸時代から続く恒例の「ほおずき市」が、東京都台東区の浅草寺で9日から始まった。

風鈴の音が響く境内には、鮮やかなオレンジ色のホオズキを並べた約100店が出店し、観賞や盆飾り用に買い求める人でにぎわった。

千葉県浦安市から訪れた女性(55)は

「仏様にお供えするためにしっかりしたものを選び、

 家族の健康を願ってお参りもしました」

と笑顔を見せた。10日まで。

 

芸人とヤクザ

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 30年前の動画ですが さすが上岡龍太郎

  なかなか勇気ある発言だと思いますよ

 芸人の興業を ヤクザが取り仕切るのは

  江戸時代からの 永~い伝統ですからね

 社名に「興業」とか入ってるし  (^_^;)

 

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日本の芸能史を振り返れば、美空ひばりの興行に、某反社会勢力が

ガッツリ絡んでたんだよなあ。 闇営業とかいうレベルじゃない。

▼山口組の田岡組長(当時)と美空ひばり

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