内藤新宿 復活

 

歌川広重名所江戸百景』より「四ッ谷内藤新宿」

内藤新宿は、品川(東海道)、板橋(中山道)、千住(日光街道、奥州街道)と併せて四宿(ししゅく)と呼ばれ、江戸の新たな行楽地としても発展し、岡場所(非公認の売春宿)などが繁盛して、

「四谷新宿馬の糞の中で あやめ咲くとはしほらしい」

(馬の糞は活発な馬の往来、あやめは飯盛女・遊女を意味する)と狂歌に詠われている。

これらが災いし、1718年(享保3年)に風紀上の理由から一時廃駅となるも、1772年(明和9年)には復活している。

歓楽街としての新宿の原型は、この時代に既にあったといえるだろう。

このころ太宗寺は、江戸六地蔵のひとつに数えられ、庶民の信仰を集めていた。

また成覚寺は、遊女などの投げ込み寺であった。

投げ込み寺と言えば 三ノ輪の浄閑寺 (T_T)

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