仮宿場「内藤宿」できる

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江戸時代、甲州街道は江戸から甲府までの主要街道として整備されたが、第一の宿場は高井戸であり、距離が長く、旅人は難儀をしたという。

そのうち、現在の新宿二丁目近辺に人家ができ、1625年(寛永2年)には住民の願いにより、太宗寺門前の町屋ができ、これを内藤宿と呼ぶようになった。

「宿」とはいっても、正規の「宿場」ではなく、甲州街道や成木街道(現:青梅街道)を利用する人馬が休憩所として利用していたので、「新宿」と呼び習わすこととなったという。

新宿は 二丁目から 始まったんだね  (^_^;)

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