ヴェルディ作曲『Don Carlo』

立花さんから、オペラのご案内をいただきました。ありがとうございます。

ヴェルディ作曲『Don Carlo』

Wikipediaで調べたら

低声歌手の活躍する歌劇として知られ(題名役はテノールだが)、フィリッポやロドリーゴ、エボリには難曲ながら魅力的なアリアや、深く内面を語る音楽が与えられていて、低声歌手たちの演唱の充実ぶりが上演全体の成否に大きく関わっており、それぞれの役はイタリア・オペラをレパートリーとする低声歌手にとって目標ともなる大役である。

とのことです。

みんなで観劇(感激)して、ミニ同窓会いたしましょ~♪  (^_^;)

 ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪

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お元気ですか?

さて久々オペラ公演のお知らせをさせてください。

今回はヴェルディ作曲『Don Carlo』

スペイン圧政に苦しむフランドル(現在のベルギー、オランダ辺り)を救おうと立ち上がるスペイン王子ドン・カルロ。

彼の最愛の婚約者エリザベッタはなんと父であるフィリッポ王に政略結婚のために奪われてしまいます。

父と子の葛藤、そしてカルロ、フランドルのために命をかける親友のスペイン・ポーザ侯爵ロドリーゴ(立花役)が織りなす壮大なオペラ!

 ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪

 ではありますが、愛の二重唱もソーシャルディスタンスということで演奏会形式となりました。

小編成のオーケストラ、衣装をつけて可能な限り演じます。

2020年8月18日(火) 18:00開演 (17:30開場)

  ▲これは昨年2020年の日時です。

   今年2021年は違うから間違えないでね (^_^;)

調布たづくり『くすのきホール』

京王線 調布駅 広場口より徒歩5分

時節柄500席のところ最大200席程度の利用またすべてご招待席のみのご案内となりました。

先着10名様をご招待させていただきますのでどうぞ下記立花までメールにてご連絡ください。

立花敏弘  bartoshi@a.toshima.ne.jp

公共施設をお借りするので条件がとても厳しくなっています。

8月5日以降、出演者・スタッフ等関係者に一人でも発熱・咳などの症状が現れたら公演中止だそうで鼻かぜもひけませんね。

直前の中止もあり得ますのでその節はどうぞご容赦くださいませ。

お会いできることを祈りつつどうぞお楽しみに!

 


 

みんなで鑑賞させていただきました

 

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パンフ詳細へ(PDF)

 

立花オペラ「ドン・カルロ」、みんなで鑑賞させていただきました

3時間におよぶ大作、スペイン王室の恋愛悲劇、感動しました

背景には、独立を目指すネーデルランド北部(現在のオランダ)のプロテスタントと、それを認めまいとしてカトリックを守ろうとするスペイン国王フェリペ2世(フィリッポ2世)の対立があり、主人公ドン・カルロがネーデルランドに同情的なので、父親フェリペ2世が激怒します

立花さん演じるロドリーゴ侯爵は、主人公ドン・カルロの親友で、ほとんど主役と言っていい、極めて重要な役柄です

時代は1560年ころ、スペイン黄金時代、私がいま興味を持っている中世西洋史が舞台ですので、大いに引き付けられました

「太陽の沈まない国」と言われていたスペイン(ハプスブルク家)は、この20年くらい後に、無敵艦隊がイギリス海軍に敗れ、没落への道を歩み始めます

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主役「ドン・カルロ」の父、フェリペ2世(→)も、悩みが多かったはずです

この王さま、「書類王」と呼ばれています

当時の王様は、大勢の家臣たちと一緒に領国を巡回して国内の安定を保つのが普通だったのですが、フェリペ2世は地方出先機関と中央政府を書類で結び、国王は首都マドリードから王国を統治しました

現在の官僚制機構の基本である、公文書によるマネジメント・システムを始めた、極めて優秀な王さまだったようです

中国コロナで大変な時期でしたので、入場者を絞り込み、ソーシャル・ディスタンスを呼び掛けたり、関係者の皆様は大変なご苦労だったと思います

ありがとうございました

それにしても、膨大なセリフをイタリア語で演じる訳ですから、スゴいことだなぁと思います

立花さんは、このブログを毎日見ていただいているそうで、重ね重ねありがとうございます

(^_^;)

 

▼公園終了後のロビーにて 一番右に早くも着替えた立花さん

他にも新宿高校関係者いましたけど 余り集まると集近閉になるからね (^_^;)

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これまでの立花オペラへ  当日の写真へ

 

読書 天武天皇・隠された正体

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天智天皇天武天皇と言えば、額田王(ぬかたのおおきみ)の和歌(↓)をめぐる三角関係が有名

 あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき

 野守は見ずや 君が袖ふる

しかし実態は、こんな優雅な世界ではなかった

著者によると、実は二人の天皇は兄弟ではなく、その後の壬申の乱は、九州系と出雲系の権力闘争ということになる

背後で糸を引くのは、鎌足と不比等という、天才的策略家の藤原親子

乙巳の変(大化の改新)の後の天智天皇の異常な低人気、壬申の乱で天武天皇側に続々と援軍が集まったこと、天皇家が出雲大社を異常に尊重すること、などの理由がスッキリ説明できている

壬申の乱で天武系(出雲系)に移った皇位だが、天武の死後、天武の后であったのちの持統天皇によって、再び天智系(九州系)に戻ってしまう理由も、うまく説明している

天皇家の正統性に関わる重いテーマなのだが、推理小説を読むように楽しめる

(^_^;)

 

レバノン爆発事件の背景

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 非常にミステリアスな事件の背景です

  硝酸アンモニウムが日本の港に置いてないか

 非常に気になるんですけど  ((((;゚д゚))))

 

8月4日にレバノンの港で起きた爆発事故の原因となった運搬船「ロサス」について、元乗組員らは、船主はイーゴリ・グレチュシキンという人物で、ハバロフスク出身の彼は現在キプロスに住んでおり、この船は実質的に捨てられたと話している。

運搬船「ロサス」は、ジョージアのバトゥーミからモザンビークまで硝酸アンモニウムを運んでいたが、2013年に船の故障によりベイルートに停泊。

荷をチェック後、検査官が運搬船「ロサス」と荷をベイルート港に停泊させたという。

差し押さえられた2750トンの硝酸アンモニウムは、2014年からはベイルート港の倉庫で保管されていた。

最近も検査が行われたが、倉庫のひび割れた部分から硝酸アンモニアがこぼれだす可能性があることがわかり、溶接処理をしたという。

運搬船「ロサス」は2013年以降、ベイルート港に「放置」されたままだった。いったいなぜか?

当時の様子を知るロシア人で、運搬船「ロサス」の元船長ボリス・プロコシェフに「シベリア・リアリィ」がインタビューをした。

 

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詳細はここをクリック

 

読書 検非違使

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書名に惹かれて読み始めたが、日本中世史の専門的な論文を集めた本で、素人には読みにくいこと夥しく、かなり飛ばし読みになった

検非違使(けびいし)とは、中世における警察や裁判を扱った役所のことを言うのだが、その中の重要な役目として「ケガレ(穢れ)」を清める仕事の統括があった

例えば天皇がどこかにお出かけ(行幸)するときは、すべての道や宿を清める(清掃し、ケガレをはらう)必要があり、これも検非違使の重要な職務だった

この時代の「ケガレ」とは、まず第一にであって、死人の出た家は一定期間「ケガレた場」とされ、家族も「ケガレた者」として公的な場への出仕が一時的に止められる

「ケガレ」とは、一種の伝染病のようなものと考えられていたようだ

現在でも、家族が亡くなると学校や会社を休んで喪に服したり、葬式から戻ると清めの塩をまいたりするのは、この習慣の名残りだろう

人間や動物の死体は「ケガレ」た存在なので、やがてこれらを直接的に手を下して扱い、さらに清める専門職が登場し、「非人」と呼ばれる特殊集団を形成する

最も清い存在である宮中では、特に「ケガレ」を極端に忌避したので、「非人」の活躍する場も多く、ここに天皇と非人の特殊なつながりが形成された

書名は「検非違使」だが、主たる内容は中世における非人社会の在り方とその変遷であって、実に微に入り細にわたる検討が加えられている

歴史の専門家が学会などで、どんな議論をしているのかが見えてくる(非常に読みにくくて、参っちゃうけど)

当初は畏怖され特権を有する専門職だった「非人」だが、やがて「ケガレ」の概念が肥大化し、埋葬、屠殺、革細工などなど、非常に広範な仕事が「ケガレ」た仕事として、特に江戸時代に差別の対象になった

現代でも度々政治問題化する被差別民だが、その起源は古代・中世にまで遡る

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「ケガレ」を嫌う傾向は、現代の日本人にも脈々と生きていて、世界一清潔な生活習慣となって表れている

中国コロナで、みんな一斉にマスクをするようになったことも、関係があるかもしれない

東北地方のある県では、東京から帰省した人を「ケガレた民」として忌避し、「帰れ!」「出て行け!」と罵る「正義の人」まで登場している

(^_^;)

 

読書 実見・江戸の暮らし

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いやぁ、グイグイ引き込まれるほど面白かった!

歴史の本にはなかなか出て来ない庶民の生活を、実にリアルに分かりやすく描いている

著者は江戸時代の生活を描いた絵を数千枚も所有していて、その絵の中に現れた庶民生活をこまめに拾っているので、文献資料だけに頼った歴史家よりずっと現実感のある描写が可能になっている

歴史書の面白さは、説明力より描写力にあるように思う

著者は江戸時代をテーマにした小説家で、1933年生まれの86歳

いな吉ファンの皆さんはご存じかもしれませんが、著者の小説『大江戸神仙伝』に登場する深川芸者のおねえさんの名前が「いな吉」なんですよね

著者の子どものころの庶民の生活は、現在よりも江戸時代に近かったようなところもあり、最近80年ほどで、日本人の生活スタイルが激変したことがよく分かる

特に面白かったのは、江戸時代の旧暦(太陰太陽暦)と、明治以降の新暦(グレゴリオ暦)の違いで、これほど分かりやすい説明は他に無さそう

歴史の本を読む楽しさというものは、現在とは異なる時代精神に触れることだと思い、そのために最近は中世史関係を多く読んでいるのだが、わずか200~300年ほど前の日本でも、これだけ違う生活があって、それなりに合理的に動いていたことが分かって、非常に楽しむことが出来た

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そんな訳で、いな吉ねえさんの登場する小説も、読みたくなりました!

(^_^;)

 

読書 死の国・熊野

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補陀落船(ふだらくせん)って何だろうと思って読み始めた

熊野の海岸から船に乗り、死を覚悟して阿弥陀浄土をめざした補陀落渡海という捨身行

熊野には常にがつきまとう

後白河を始めの院政期の歴代法皇が狂ったように参詣した熊野

やがて下々の民衆まで熊野に押し掛けるようになり「蟻の熊野詣で」と言われるほどに盛況となる

江戸時代になって民衆の行き先は伊勢になり、お祭り化、観光化してゆく

寂れた熊野は、純粋な信仰の場として残っていく

今でも熊野三山など紀伊山地は、修験道など日本の原始信仰を守り続ける聖地となっている

(^_^;)

 

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▲那智参詣曼荼羅 一番下に見えるのが補陀落船

 

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思い出横丁

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 この横丁には

  「鳥園」という焼鳥屋がありまして

 ときどき行くことがあります

  (^_^;)

 

どんどん街並みが変わるメガシティ東京。

ここにきて、新宿西口も再開発されるとの報道が。

小田急百貨店が建つ駅西口から、駅南口の「新宿ミロード」までの細長い地区が対象となっていて、2029年には地上48階建ての高層ビルに建て替わる予定とか。

計画しているのは東京メトロと小田急電鉄で、現在は、

「近隣住民の方々にご説明し、ご理解をいただいている段階」

 (小田急電鉄)

つまりまだ正式な決定ではないというが、気になるのは再開発地域の先にある「新宿西口思い出横丁」の行方。

通称「しょんべん横丁」として親しまれているこの地域の歴史は、戦後の闇市に遡る。

日本の情緒を安く味わえると、最近は外国人観光客からも人気だ。

新宿大ガード脇の約2千平方メートルの地域に約80軒もの店がひしめき、1999年には横丁の半分近くを焼く火災があるなど、何度も存続が危ぶまれてきた。

ビル化の話も持ち上がり、03年には地権者たちによる「新宿駅西口地区市街地再開発準備組合」も立ち上がって、多くの店が賛成したと言われたが……。

「『組合』も意見がまとまらず頓挫しました。『思い出横丁』の再開発は、

 行政庁および一般企業を含めまして、俎上に載ることはありません。

 以来、再開発の話は皆無となっております」(新宿西口商店街振興組合)

どうやら、しょんべん横丁はこのまま残るようだ。

「あの存在は現代の奇跡」

とは居酒屋関連の著作も多いライターの大竹聡氏。

「闇市的な雰囲気で多数の店が集まる場所は、すでに大阪や名古屋にはなく、長崎の銅座など日本国内でも数カ所だけ。あの地域の空中権はすごい価値ですから、バブルの時代にもビル化などされずよくぞ生き残ってきたものです。権利関係が複雑なのが、かえって幸いしているんですね」

昭和の名残、いつまで。

 

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読書 闇の修験道

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日本の多くの山は、山伏による修験道の修行の場となっている

この修験道(しゅげんどう)とは何だろうか?

筆者は古代史関係の多くの本を書いている歴史作家で、本書では、この修験道の謎に挑んでいる

筆者によると、日本には縄文時代から続くアニミズム信仰があったが、仏教の流入に刺激されて、7~8世紀ころに上からの官製神道として、中臣神道が形成されてゆく

天智天皇派の中臣(藤原)鎌足と息子の藤原不比等が宮廷(天皇家)を実質支配し、自分たちに都合良く、歴史(日本書紀)と宗教(中臣神道)をまとめていく

この中臣神道からこぼれおちた、従来からの日本古来の信仰が、修験道になったという

このような経緯から、修験道の勢力は反藤原となり、さらに反権力となったので、時の権力者からは敵視されることが多く、「」と呼ばれるようになる

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はるか後の世の、明治維新による廃仏毀釈の真のターゲットは、仏教ではなく修験道だったと言う

藤原氏の権力奪取によって、これまで天皇家を支えてきた旧勢力は疎外され滅ぼされていくが、その残党は壬申の乱で一時復権し、やがてまた藤原氏が権力を奪い返す

こうして平安時代は、藤原氏と反藤原による権力闘争の場となる

その後の日本史の動乱の中で、修験道の勢力は常に、反権力の立場で歴史に関わってくる

著者は、藤原氏こそ日本史最大の悪党と考えているようだ

(^_^;)

 

 

ホームレス・ゴーン

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 家が無ければ

  楽器ケースに

 住めばいいのに  (^_^;)

 

8/4のレバノン・ベイルート港の大爆発で、カルロス・ゴーン(66)の自宅が完全に破壊された。

レバノンの情報筋によれば、ゴーンは首都ベイルートから避難し、郊外に身を寄せているという。

日本から逃亡後、豪邸で優雅に暮らしていたゴーンは、今ではホームレス状態に陥ってしまった。

レバノンが無秩序や、さらに紛争状態になった場合、ゴーンのとりあえずの逃亡先は、陸続きのトルコ、シリア、イスラエルの3国ぐらいしか考えられない。

しかし、イスラエルとレバノンは戦争状態にあり、シリアは戦乱の渦中にあり、またISやアルカイダのような暴力的集団がどのようにゴーンを迎えるか定かではない。

ゴーンはクリスチャンで、イスラムに訴える過激な集団から見れば、ゴーンは異教徒。

日本で不正を働いたゴーンは腐敗のシンボルとも言え、彼らが最も嫌い、否定すべき対象である。

さらにトルコは、ゴーン逃亡を幇助した7人を逮捕した国で、ゴーンをかくまうことなどありえない。

レバノンに残れば、混迷が続く政治社会の中で、快適な生活は送れそうにもない。

レバノンでは、1日4ドル以下で暮らす貧困層が、今年終わりまでに50%に膨らむと予想されている。

ゴーンのような不正を働いた特権階層は、彼らにとって憎悪の対象だ。