三毛ランジェロ・ブオナローティ (1475-1564)
システィーナ礼拝堂天井画 (1508-12)より アダムの創造
イタリア盛期ルネサンス (^_^;)
三毛ランジェロ・ブオナローティ (1475-1564)
システィーナ礼拝堂天井画 (1508-12)より アダムの創造
イタリア盛期ルネサンス (^_^;)
日本のネコはどんぶりに入るのが好きですが、海外のネコの間では、宅配ピザの段ボール箱が好評のようです。(^_^;)
朝陽同窓会の会員の皆さま、明けましておめでとうございます。
昨年3月11日に未曾有の東日本大震災が発生し、各地に大きな災害をもたらしました。今年はその大災害を乗り越え日本にとっても、会員の皆さまにとっても輝かしい一年となりますようお祈り申し上げます。
さて、わが新宿高校は、今年創立90周年の大きな節目を迎えます。この時期にあって戸田校長を新たに迎え、都立高のリーダーたるべく強い意欲のもと、「名門復活」への歩みを着実に踏み出しています。
そんな中、我が朝陽同窓会も母校に負けぬ立派な活動を続けております。昨年11月には4年ぶりに朝陽同窓会名簿を発行いたしました。他校同窓会が依然として個人情報保護法案に怯え名簿の発行を逡巡しているのに対し、わが朝陽同窓会は「名簿あっての同窓会である」との認識のもとに敢然と名簿を発行いたしました。また北海道・宮城・多摩・東海・関西・九州の各支部朝陽会には、昨年も大勢の会員が参加されました。ことに東日本大震災で被害を受けられた宮城朝陽会の方々が、地震や津波に負けてはいられるかと沢山出席されたことに深い感銘を受けました。
戸山高校の同窓会とは昨年度も囲碁・ブリッジ・ゴルフの交流戦を行いました。囲碁は引分でしたか、ブリッジとゴルフは残念ながら惜敗致しました。しかし今年は何とか勝ちたいものと思っています。腕に自信のある方は是非ご参加ください。
新卒業生の朝陽同窓会への加入率を引き上げることは、我々の当面の急務です。すでに学校側にはいろいろ申し入れ、改善を企画いたしておりますが、なんといっても、学校や保護者との強い連携が改善のカギとなります。母校をさらに発展させようという思いはみんな一緒です。更に良き協力関係を作り出すために、若い会員たちのエネルギーとアイデアを頂きながら今年も積極的に取り組んで行きたいと思います。
学校創立90周年を目前にし、この伝統ある朝陽同窓会を今年もさらに発展させるため役員・事務局一同はより一層の努力を重ねる所存です。
会員皆さまのご協力とご指導ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。
なお、今年の朝陽同窓会総会を5月26日(土)に、90周年記念祝賀会を9月29日(土)にそれぞれ予定しております。ぜひご参集ください。
朝陽同窓会 会長 村上 光一
(朝陽同窓会HPより転載)
マーラー交響曲第9番の最終章は死すべき運命のスローな反芻であり、弦楽器のみで演奏される静かなセクションからなる。
10日夜のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏はアイフォーンに中断された。
エイブリー・フィッシャー・ホールの最前列から聞こえてきた耳障りな携帯電話の音――木槌製楽器を模倣した携帯電話の「マリンバ」の音――が楽章の途中で邪魔をした。
徳永慶子さんのいるジュリアード音楽院のすぐ近く
電話の音は直ちに消されず、観客は迷惑そうに頭を振った。音はなり続け、指揮者のアラン・ギルバート氏は左側を振り向き、不快感を露わにした。
数分が経過。静かなセクションに達するたびに、物静かで敬けんな楽器の音を上回り、携帯電話が鳴り響いた。
ついにギルバート氏は業を煮やし、オーケストラを制止した。
フィルハーモニックの広報担当者は11日、ギルバート氏はそれまで、携帯電話音や他のどのような種類の障害でも演奏を停止したことはなかったと述べた。
不愉快な騒音が繰り返し続くなか、ギルバート氏はその音のする方向を向いて、携帯電話をオフにするようきっぱりと求めた。
携帯電話の音――アラームだったとみられる――は、それでも鳴り続いた。
観客も不快に感じていた。たまたま19列目に座っていたウォール・ストリート・ジャーナルの記者には、バルコニー席からのヤジが耳に入った。
ある男性は「いい加減にしろ」と怒鳴り、もう一人は「つまみだせ」と叫んだ。観客も同意のしるしに拍手したり大声を上げた。
こうした騒ぎのなかでも、携帯電話の音は鳴り続けた。
ギルバート氏はその翌日、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、交響曲の「最も情熱的で最も雄大で最も感極まる箇所」で、電話の音により、恍惚状態から引き戻された感じだったと話した。
「感情的にも精神的にも夢の彼方に到達している部分だ。ある意味でショックだった」と語った。
もっと意外なことに、オーケストラのメンバーが定期会員と認識できた電話の持ち主である張本人は直ちに非を認めたり、音を消したりしなかった、と同氏は述べた。
ギルバート氏は、「何度も何度もお願いしなければならかった」と言い、「奇妙だった。持ち主は恥ずかしすぎて、まひしてしまったのかもしれない」と続けた。
ギルバート氏はこの男性の名前を知らないが、オーケストラの顧客関連部署が男性に電話をしてもっと早く行動を取らなかった理由について尋ねる計画だという。
フィルハーモニックの関係者は、この定期会員の名前を明かすことは避けた。
指揮者のギルバート氏自身が呼びかけた後、男性はポケットに手を突っ込み、携帯電話の音を消した。ギルバート氏はこの男性に、「オフになったか、また鳴り出したりしないか」と念を押した。
男性はうなずいた。
ギルバート氏は満足して観客のほうを見た。同氏は、通常は邪魔は無視するのが最善の策だと語った。というのも反応すればその方がかえって邪魔になるからだと話した。ギルバート氏は観客に謝罪を込め、「あまりにも甚だしくて無視できなかった」と語った。
観客からは拍手が鳴り響いた。
ギルバート氏はさらに快活に、「もう一度やりましょう」と述べた。
ギルバート氏はオーケストラの方を向き、相図をして、力強いフォルティッシモのセクションから再開した。マーラー交響曲第9番は最後の物静かな音符に到達し、ギルバート氏は腕を止め、演奏者たちは動きを止めて長い絶妙な沈黙が広がった。
観客は息を止めて聞き入った。
(^_^;) コンサートの携帯音事情、日本よりアメリカの方がひどいのかな?
徳永家のおにゃんこコレクションの中から、縁起物の七福神(にゃにゃふくじん)です。
徳永パパ、ありがとー (^_^;)
京都大などのグループは27日、ビールの原料ホップの苦み成分をつくる酵素の遺伝子を見つけたと発表した。健康にいいビールなど新製品の開発に役立つと期待される。論文は英生化学専門誌に掲載された。
ホップはヨーロッパ原産の多年草。その雌花は、麦芽、水、酵母とともにビールの原料となっており、独特の味と香りを出す役割がある。苦みの主成分は苦味酸(くみさん)と呼ばれ約60年前に見つかったが、それをつくる酵素がわからず、どうやってつくられるか謎だった。
京大生存圏研究所の矢崎一史教授(生化学)らはキリンホールディングスなどと共同でホップ「キリン2号」の遺伝子を調べた。ホップの雌花でよく働く遺伝子6613個の中から、遺伝子「HLPT1」に絞り込み、この遺伝子からできるたんぱく質が苦味酸をつくる酵素の機能を持つことを突きとめた。
(^_^;) ビール党には、うれしいニュース
いま、六本木のがってん寿司で食事してきました。
そこで聞いた話だけど、がってん寿司チェーン(社名:RDC=Restaurant Dramatic Company)の創業者、大島敏さんが、つい先日亡くなられたそうです。
まだ61歳。死因は心筋梗塞。さほど年齢が違わないので、ちょっとショックでした。
歯科医から外食チェーンへという異色の経歴。
以下、RDCのHPに載っているトップの自己紹介。
当社は1986年の設立以来、外食産業の慣習にとらわれることなく、時代のニーズに合致した、新しい試みにチャレンジしてまいりました。
一流の職人が握る「寿司屋」の寿司を、「回転寿司」という形態で、お客様により安価に味わってもらおうと誕生させたのが『がってん寿司』です。
がってん寿司は、他社が仕組みや効率を第一に機械化を進めている中、手作りのおいしさ、お客様に心から楽しんでいただくサービスにこだわり、店内での調理を基本に、グループの大きな柱として成長しています。
また、「新のれん分け制度」による分社化を進め、全国展開を視野に入れた戦略にも取り組んでいます。
さらに、「ひとりでも多くのお客様に、安くておいしい料理を召し上がっていただきたい」という思いから、とんかつ店『かつ敏』、ラーメン店『唐麺や十兵衛』、市場場外食堂『大島屋』、など、様々な業態を次々と開発してまいりました。
私たちは、手作りをキーワードに専門店として全く新しい外食産業のありかたを打ちたてています。
今後もアールディーシーは、食へのこだわりとお客様第一主義の姿勢を貫き、社会とともに飛躍する企業として、株式の上場や海外出店など、これからも限りない挑戦を続けてまいります。
歯科医からの転身と外食産業への思い
代表大島の幼い頃からの夢、それは日本一のコックになること。
しかし、一度は親の説得に負け、歯科医療の道へ進むこととなる。
「人を喜ばせることが好き」という大島のやり方は、歯科医の常識を超えていた。患者の名前を覚えようと努力したり、アフターフォローの電話を入れたり…。
歯科業は軌道に乗り、埼玉県でも最も患者が多いと言われるほどに繁盛した。
医療業界では、どんなに手を尽くしても報われないこともある。
一方、外食産業では、優れたサービスを提供すればお客様は必ず喜んでくれる。
「もっとたくさんの人に喜んでもらいたい」
その思いを叶えるために、37歳の時遂に、外食産業への転身を果たす。
「歯科医の道楽で寿司屋ができるわけない」誰もが、失敗を予想した。
しかし、大島の情熱と独自の戦略は、確実に時代の波を捉え、夢は現実のものとなる。
大島は語る
夢は、企業理念を達成すること。Good Personを育てること。
関わった人みんなが夢を実現し、「今の自分がいるのは、RDCに出会えたから」と言われたい。
そして、「お客様・従業員・会社」すべてが幸せになることを目指したい。
安くて美味しい寿司を
食べさせていただいたことに感謝しつつ
ご冥福をお祈りいたします (T_T)
慶応会=徳永慶子さん(とアタッカカルテット)を応援する会
2011年12月24日(土)18時~ 西新宿・ちゃんこ鍋「方屋」