ビジネス経済

「すしざんまい」スキャンダル

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社内では、こんな顔して、部下に気合い入れてるのかな?  (^_^;)

「突然おかしいだろ! 広報を通せ!」と激昂する「すしざんまい」社長

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「すしざんまい」の名物社長・木村清(66)を、4月9日に築地の本社前で『FRIDAY』が直撃しました

予告も無くいきなり写真を撮られたのでスゴク怒ってますけど、すでにそこそこ大きな企業になってるのに、マスコミ対応が下手すぎるように思います

顔と体のバランスがちょっと変なのは、フォトショで顔デカに修正したのかな?  (;´Д`)

 

有名寿司チェーンすしざんまい株式会社喜代村)で、悪質すぎるセクハラの実態が明らかになった。

涙ながらに告発するのは、昨年4月に喜代村に入社した小林加奈さん(仮名・21)だ。

「いきなり『胸のサイズは何カップ?』と聞いてきて、私が黙っていると、『触ればサイズがわかる』と言いながら私の胸を鷲づかみにしたんです。セクハラで夢を奪ったあの男と会社を、私は絶対に許せません」

加奈さんは栄養専門学校を卒業後、喜代村に就職。

4月2日から、11人の同期とともに、同社が運営するすし職人養成所「喜代村塾」で3ヵ月間の研修を受けることとなった。

悪質セクハラは、その研修初日から始まったという。

「セクハラをしてきたのは、塾で新入社員の研修を担当していたS課長です。初日から、肩に手を回したり、抱き寄せたりしてきて、私が『やめてください』と言っても、『喜代村塾はみんなで仲良くする風習があるから』と笑うだけでした。

 その後、セクハラはどんどんエスカレートしていった。実技を学ぶ講義では、S課長は私の顎をつかんで強引に酢飯を唇に塗りつけてきました。包丁の扱い方を教わるときには、後ろから抱きついて、ウエストラインや胸を撫でてきた。言葉のセクハラもありました。『チビ』『デブ』と侮辱してきたんです。『蹴りたくなる尻をしている』と言われたこともある」

セクハラは休憩時間も続いた。

「喜代村塾では、講師も一緒に教室でお昼ごはんを食べる。そのときは最悪でした。椅子に座ったS課長が両手を広げて『おいで』と私を呼ぶんです。しつこく何度も呼ばれ、仕方なく彼の膝の上に座ると、抱きしめてくる。他にも、『あーん』と言いながら、使用したスプーンで食べさせようとしてくることもありました」

セクハラに耐えかねた加奈さんは、4月6日に塾の事務長に相談。

しかし、セクハラ行為を謝るだけで、S課長の配置転換などは一切行われなかった。

「私は出社しようとすると頭痛や吐き気がするようになり、病院に行くと『適応障害』と診断されました。そして、4月17日に退職届を出しました。専門学校を出て、『すし職人になりたい』という夢を持って就職したのに、まさかこんな形で辞めることになるなんて……」

その後、加奈さんは弁護士に相談。正式に喜代村に対し抗議した。

だが、同社からは、型通りの謝罪と、「慰謝料として50万円を支払う」という回答が届いただけだった。

セクハラ事案に詳しい弁護士法人・響の坂口香澄弁護士が言う。

「今回のケースで50万円は、安いと言わざるを得ません。辞めてから再就職までに通常3ヵ月程度かかりますから、少なくともその間の月収と、治療にかかる費用、そして慰謝料を合わせて、150万円は支払われるべきです」

S課長の悪質セクハラについて、会社はどう考えているのか。

本誌『FRIDAY』は4月9日、喜代村の名物社長・木村清氏(66)に築地の本社前で直撃。

木村社長は「突然おかしいだろ! 広報を通せ!」と激昂したが、翌日、本誌記者を本社に呼び出し、「会社からの回答」としてこう答えた。

「弊社としては指導の一環と考えております。ただ、それをセクハラと捉えられてしまい、(加奈さんから)相談を受けました。気持ちを害してしまったことを謝罪しましたが、4月17日に退職届を提出してきたため、本人の意思を尊重し退職を認めることにしました。(加奈さんは)4月2日から5日の4日間しか出社していませんが、(加奈さんから)1ヵ月分の給与にあたる金額を支払うことで示談にするとの意向があり、その金額を支払いました。

 Sは熱心な指導を行っただけのつもりが、結果的に(加奈さんを)不快な気持ちにさせてしまったことを認識し猛省。始末書を提出し、また、(加奈さんに)お詫び状を送りました。弊社はSを現場から外し、かつ1割の減俸を行いました」(カッコ内は編集部補足)

しかしその後、取材に同席した喜代村社員から記者の携帯に連絡が。

「総務の担当者が入院中のため、まだSの減俸処分は行っていませんでした」とのことだった。

いかなる状況であろうと、胸をもむ、容姿を侮辱する行為が「熱心な指導」と認められることはない。

「すしざんまい」は時代錯誤な会社と言わざるを得ない。

『FRIDAY』2019年4月26日号より

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当たり前ですけど お客さんの前ではエビス顔  (^_^;)

 

国際観光客数ランキング

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フランスはパリに集中しているので、ノートルダム火災がどのように影響するか?

アメリカはハワイ、グアム、ラスベガス、ニューヨークとか、いろいろありますからね。

日本は急上昇していて、2018年は約3119万人(速報推計値)で、2020年(オリンピック年)には4000万人を目指してますから、ベストテン入りが近そうです。

 

世界遺産に登録されているフランス・パリのノートルダム大聖堂で発生した火災。

およそ9時間半たった今も鎮火していない

出火したのは、日本時間16日午前2時前で、高さがおよそ90メートルある塔にも燃え広がり、塔の一部が崩れ落ちた。

消防士1人が軽傷を負ったが、住民や観光客に、けが人は出ていない。

大聖堂は修復工事中で、火は、この作業のための足場付近から出たとみられている。

現地の消防当局は失火とみて、火災のくわしい原因を調べている。

パリ市民は、「とても悲しい。なんて無力なの。心が乱れる」と述べた。

現地に住む日本人は、「パリの中心にガンと座っていて、そういうものだから。けっこうショックは大きい」と述べた。

この火災では、塔のほか、屋根の大部分が焼けた。

しかし、消防当局によると、建物内部の損傷は少ないという。

マクロン大統領は、大聖堂を建て直す考えを表明していて、国内外に寄付を呼びかけている。

およそ800年にわたってフランスのシンボルとして愛されてきた大聖堂が火災に見舞われる事態に、フランスの人たちの間に衝撃が広がっている。

新宿 SAKE FESTIVAL 2019

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 虎ノ門「いな吉」では

  月曜から金曜まで毎日

 酒の祭典を開催しています  (^_^;)

 

4月14日(日)、新宿・パークタワーホールにて、総勢30社の小さな酒蔵が全国から集結し、100種類以上のお酒を堪能できる新宿最大級の日本酒イベント「SAKE FESTIVAL 2019」が開催される。

「SAKE FESTIVAL 2019」は、日本酒をはじめとする、東京ではなかなか飲むことのできない酒蔵直送の100種類以上のお酒を思う存分堪能できる日本酒イベント。


当日は、春に飲み頃を迎える春限定酒約10~20種類を用意。

春味わうのにぴったりな日本酒や、桜の花びらを浮かべた、まるで花見しているような気分になれる日本酒カクテルなどが味わえる。


また人気飲食店も出店。“ベストオブシェフ50”にも選ばれた「神楽坂 創彩割烹 清水」、迫力満点の「肉のヒマラヤ」が看板メニューの「焚火家」、コスパが魅力の大衆酒場「祭酒場 斎藤商店」の3店舗が登場し、日本酒にピッタリな料理を提供する。

参加費用は、前売券3000円/当日券3500円(いずれも税込)。

お酒堪能し放題で、イベント限定のオリジナルお猪口付きとなっている。

美味しい料理と春にピッタリなお酒で、特別な1日を楽しんで!

 

中西進氏 「令和」生みの親

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▲国学者の中西進氏 2013年に文化勲章を受賞

親授式で天皇陛下から文化勲章の親授を受ける中西進氏

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 令和商戦 始まりましたね

  今年一番の売れ筋商品は 万葉集かも~

 関連商品で「古今和歌集」「日本書紀」

  なんかもどうかな  (^_^;)

 

万葉集を出典とする新元号「令和(れいわ)」の考案者として浮上している国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏が、政府による1日の新元号発表後、自身の著書を出す筑摩書房(東京)に対し、万葉集は「令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントを送っていた。

同社は増刷にあわせて中西進氏のコメント入りの帯を使い、18日をめどに書店に出荷する予定。

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筑摩書房によると、新元号発表後、書店などからの問い合わせを受け、

中西進『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫、平成24年刊)の重版を決定。増刷は1万部。

2日、中西進氏に重版決定の連絡を入れたところ、中西氏からファクスで

「『万葉集』は(うるわ)しく

  平に生きる日本人の原点です」

とのコメントが送られてきたという。

「令和」は万葉集の梅の花の歌三十二首の序文にある

『 初春の月(れいげつ)にして

  気淑(きよ)く風(やわら)ぎ

 梅は鏡前の粉を披(ひら)き

  蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす 』

から引用。

『万葉集』に収められている歌は、古くて新しい。

恋に焦がれる歌や離別の悲しみをうたった歌、子どもを思う歌や酒を楽しむ歌など、題材は色々だが、その感情が現代人に理解できない歌はない。

例えば、

朝寝髪 我れは梳らじ うるはしき
君が手枕 触れてしものを (作者未詳)

恋人が触れていた自分の髪をいとおしく思い、寝起きで乱れたままだが「とかさないでおこう」と思う歌だ。

恋人と手を握り合い、その自分の手を、しばらく洗わずにおく心と同じだ。

銀も 金も玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも (山上憶良)

「どんな宝物も、子供に比べたら一体何になるだろう」という有名な歌。

親から子供への愛情は今も昔も変わらない、共感を呼ぶ普遍的な内容だ。

1200年の時を経ても廃れず、現代人が読んでも共感できる歌が沢山ある。

まさに「日本人の心の宝」と言っても過言ではない。

新宿高校と日野高校

1982年4月5日坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がオリコンのシングルチャート1位を獲得した。

1982年といえば、私が大学を卒業した年である。

在学中にアルバイトをしていたCBSソニー(当時)のTさんから「就職するのならば新しくできる会社がいい」と薦められ、できたばかりのロンドンレコードを受け、何度かの面接の後、なんとか合格。

4月から入社する予定だった。

社会人になるそれまで、いわゆる卒業旅行として、以前お世話になった、LAで「ハリウッド・ミュージック・ストア」を営んでいるMさんのところへ3か月ほど行く予定を立てていた。

そんな矢先、「邦楽第1弾を2月に出すことになったので、1月からアルバイトとして来てほしい」とロンドンレコードから連絡があった。

渋々、ソ連大使館の脇にあった就職先の会社へ行くと、その邦楽第1弾はYMOの坂本龍一さんとRCサクセションの忌野清志郎さんのコラボレーションだという。

「へえ、YMOとRCとはすごいじゃん」というのが、大学卒業前のアルバイトとしての実感だった。

1月上旬に新入社員となる我々(と言っても3人だが)が集められた時点で、すでにレコーディングは終わっており、ミックスの作業をしているという新富町の音響ハウスに連れて行かれた。

そこにはちょうど夕食のお弁当を食べている牧村憲一さんがいた。

挨拶をすると、「いやあ、今回僕は仲人役ですから」と言って自己紹介をされた。

牧村さんは資生堂のCM音楽のディレクターであり、またレコード原盤のディレクターという立場であった。

そこで初めて「い・け・な・いルージュマジック」とB面の「明・る・い・よ」を聴いた。

聴き終わると、スタジオにいたみんなの顔が“パアッ”と明るくなったのを憶えている。

さて、最初の私の仕事は宣伝だった。

邦楽第1弾であるこの「い・け・な・いルージュマジック」を各媒体に売り込むことである。

そして、ロンドンレコードからの宣伝請負人として吉見佑子さんが小さいけれども大きな声でさっそうと現れた。吉見さんに連れられて、出版社を中心にいろいろなところを回ったものだ。

当時、写真週刊誌の先行雑誌であったFOCUSが売れ行きを伸ばしていた。

何とかFOCUSの記事を取れないものかと宣伝会議でも議題に上がり、集英社なども担当していた私がFOCUSへ出向き、売り込むこととなった。

アポイントを取り、会ったのは記事を担当するフリーの記者であった。

今となっては誰だったのか知る由もないのだが。

使う写真は十文字美信さんが撮った宣伝用のポスターを使うことで合意した。

当然、記者としては内容を面白くしようとする。

曲も認知もされ、プロモーションビデオもかなり流れて話題になっていたので、そのPVのことをかなり取材された。

当時、「い・け・な・いプロジェクト」では撮影時のエピソードとして「撮影に使ったお金はすべて本物で、なぜか2万円がなくなっていた」というストーリーを作り、我々はそれを使っていた(2万円が紛失したのは本当の話で、その2万円は牧村さんが個人的に立て替えたそうだ)。

取材する記者に「撮影後、2万円が紛失していたのだけれど、それはもしかしたら清志郎の仕業かもしれないですね。いや、真相はわからないのですよ」と、なんとなくその場を盛り上げるプロモーショントークの延長のように言ってしまった。

FOCUSでの記事は掲載され、ヒットを後押しするための有効な宣伝となり、私はミッションを達成。

当時の役員から「これが欲しかったんだよ! ごちそうするぞ」と言っていただき、吉見さんからも「犬も歩けば棒に当たるのね」とおほめの言葉をいただいた。

しかし、後日、忌野清志郎さんの所属事務所の社長である奥田義行さんが会社にそのFOCUSを持ってやって来た。

ずいぶんとご立腹で、記事の中の「2万円は忌野清志郎が持って行ったことが判明した。

坂本龍一は新宿高校で、忌野清志郎は日野高校。その育ちの違い」という、正確な文面は覚えていないが、そこの部分に赤線を引いて何やら宣伝部長に言っている。

そこから聞こえたのは「これは杉岡がやったことですから」。

「え?! そりゃないでしょう!」初めて味わう大人の社会の仕組み。

だいたい、新宿高校と日野高校で何の育ちの違いがあるのか訳が分からない。

当時は原稿の事前確認なんてことはまったくできなかった。

まあ、そんなことも今となっては40年ほど前の楽しい思い出だ。

後年、間違った記事を見受けるが、撮影で使用されたお金は一部を除きそのほとんどはダミーのお札。

もちろん、清志郎が2万円を持って帰ったという事実もない。すべては私の若さゆえのことである。

【著者】杉岡中(すぎおか・あたる)

「大人のMusic Calendar」編集長。

ロンドンレコードでRCサクセション、坂本龍一を担当。

MIDIレコードを経て角川書店へ入社。

「月刊カドカワ」、「The寂聴」「月刊短歌」などの編集長を務める。

現在は「大人のMusic Calendar」の傍ら、ニッポン放送のサイト「1242.com」で編集を担当。

また瀬戸内寂聴等の書籍プロデュースを行っている。

 

「令和」で万葉集ブーム

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▲旺文社の対訳古典シリーズ「万葉集」より

 

 梅の花の下で開かれた

  初春の宴会の歌ですから

 宴会もブームになるかも  (^_^;)

 

平成に代わる新元号「令和」の出典は、日本最古の和歌集である「万葉集」だ。

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元号が発表されて以降、関連書籍の売り上げがアップしており、版元が緊急重版を決めるなど対応に追われている。

Amazon.co.jpや楽天ブックスなどネット書店を見ると、4月2日時点で最も売れている万葉集関連書籍は、角川ソフィア文庫の「万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川書店編)で、2日までにAmazon、楽天とも品切れになっている。

同書は、万葉集から名歌140首を選び、解説した書籍。

新元号「令和」の典拠となった梅の花の歌も収録されている。

版元のKADOKAWAによると、新元号発表以降、書店からの注文が相次ぎ、ネット書店でも売り切れが続出しているという。

ニーズに対応するため同社は4月1日、8000部の重版を決定。

それでも注文に追いつかないと判断して2日、さらに1万2000部上乗せして2万部重版することを決めた。

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重版分には、新元号が収録されている旨を知らせる帯を付け、4月中旬ごろに配本するという。

角川ソフィア文庫では、万葉集全首に現代語訳を付けた「新版 万葉集」(伊藤博訳注)シリーズ(1~4巻)も売れている。

梅の花の歌が収録された第1巻が得に人気で、KADOKAWAはこちらについても、1万部の重版を決めた。

このほかKADOKAWAは、「新版 万葉集」の2~4巻や「はじめて楽しむ万葉集」など、角川ソフィア文庫の万葉集関連書籍7冊も合計3万部重版する予定。

緊急重版で“万葉集特需”に対応する。

 

六本木アマンドに「令和」

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 日本国民の7割以上が「令和」に

  親しみを感じているそうです  (^_^;)

 

オープンから55周年を迎える六本木アマンド

2017年6月から透過性の大型LEDビジョンを取り付け、通行人向けに他社や自社の商品などの動画広告を掲示している。

同店が位置する六本木交差点は、月間500万人以上が通る。

動画広告や店内外で企業プロモーションを実施することで、通行人への情報発信や街の活性化に寄与したいとの考えから、大型ビジョンの設置に至った。

今回は、4月1日の新元号の発表に伴い、「令和」の2文字を入れ込んだ画像を、発表当日から流している。

画像は、イラストレーターの夏海さんが手掛けた。

桜をバックに桃色の着物と帽子を着用した女性が令和と書かれた半紙を持っている。

アマンド社長の茂田優さんは

「この度発表された新元号である『令和』を、多くの人により早く親しみを持っていただこうと思い、せんえつながら、人通りの多いアマンドのビジョンに映し出すことにした」

と話す。

「アマンドは昭和の時代より六本木交差点に位置し、トレンドや情報を発信する役割を担ってきた。新しい元号に変わっても変わらぬ発信力を持つことで、引き続き六本木の活性化に寄与したい」

とも。(六本木経済新聞)

ヤマザキ春のパンまつり

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今年もヤマザキ春のパンまつりが始まった。

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祇園祭、神田祭と並ぶ、日本三大祭りの一つであり、春の風物詩として日本国民がこぞって待ち焦がれている。

「春のパンまつり」は、1981年に始まった人気キャンペーン。

商品に付いている点数シールを集めると、必ず「白いお皿」をもらえるのが特徴。

これまでの交換枚数は累計5億枚を超え、昨年は1500万枚がプレゼントされた。

今年の開催期間は2月1日から4月30日(北海道は5月末まで)で、ヤマザキの商品についている点数シールを25点分集めると「白いお皿」が必ずもらえる。

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このお皿欲しさにポイントを集めている人も多い。

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しかし中には、商品を買わずにシールだけ剥がす困った人もいる。

東京都内のあるスーパーでは、

「今年はまだないが、昨年までは多少ありました。シールだけ取られてしまうと、その商品は廃棄しなければなりません」

と話す。店としては非常に痛手だ。また都内の別のスーパーの担当者も

「前回の時は、シールの盗難が多発しました。また、シールを強引に取ろうとしたせいか、商品の袋が破けてしまっていることもあります」

と語っていた。

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集計はしていないため正確な件数はわからないが、シールの盗難は「多発」しているのが現状だという。

しかし、正しくシールを集めるのは、それほど大変ではない。

スーパーでは、3点分のシールがついた「ダブルソフト 6枚スライス」は158円、1点分のシールがついた「薄皮 つぶあんぱん」は108円で売っている。

ダブルソフトを8個とつぶあんぱんを1個、計1372円分の商品を買えば、「白いお皿」をもらえる。

日本三大祭りのお皿が欲しい気持ちは分かるが、やはりちゃんと商品を買ってシールを集めてもらいたい!

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 春のパンまつりと 年末のクリスマスケーキは

  ヤマザキ製パンの 二大イベントです

 美しいソプラノの歌声と 子どもたちの笑顔が

  日本のクリスマスを盛り上げます  (^_^;)

 

詳細はここをクリック

 

夜の中目黒スタバ

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 中目黒駅前のスタバとは違います

  間違えないでね  (^_^;)

 

スターバックスの高級ライン「スターバックス リザーブ(R) ロースタリー トウキョウ」が上海やミラノに続く、世界5店舗目として今年2月に中目黒にオープンしました。

ロースタリー」とは焙煎所のこと。

焙煎機や豆の貯蔵タンクが置かれた巨大な空間は、お花見時期の前にさっそく中目黒の観光名所となっています。

その空間でのコーヒーを味わうため、連日お客さんが押し寄せるロースタリー 東京は、現在整理券制。

2時間~3時間待ちの状態が続いていますが、おすすめなのは21時以降

22時30分のラストオーダーまで、実は待ち時間ほぼゼロで入場できる日もあります。

生豆からコーヒーになっていく過程を眺めながら、バリスタの淹れ立てのコーヒーが楽しめる1Fや、フォカッチャやピッツァが揃うイタリアンベーカリー、日本のお茶に個性的なフレーバーをつけたオリジナルティーが楽しめる2Fなど、まさに食のエンタテイメント空間です。

夜間のロースタリー 東京がオススメな最大の理由は、3Fにスターバックスのカクテルバー「アリビアーモ(TM) バー」があること。

豆のタンクを背景にしたバックバーには、ウイスキーやジンなどのスピリッツが天井高くまで並べられています。

前酒・食後酒、クラシックカクテルに加えて、クラフトカクテルとして紹介されているのは、中目黒や桜など、この場所をイメージした10種類のオリジナルカクテルです。

日本酒のようにコーヒー&ウイスキーカクテルが徳利から注がれる「TOKYO POUR OVER」、かぶせ玄米茶を使用した食前酒イメージのノンアルコールカクテル「G & C」など、スターバックス リザーブならではのコーヒーや茶葉などの特性に、日本らしさを掛け合わせた創造性の高いカクテルが展開されます。

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なかでも人気なのは中目黒の名がついた

中目黒 エスプレッソ マティーニ」。

希少豆をそれにふさわしい条件で焙煎したスターバックス リザーブのコーヒーに、ウォッカと栗やカカオのリキュールを合わせた苦味と香ばしさが効いている一杯です。

ペアリングとして生チョコレートがセットになっており、ほろ苦さと甘さを行き来できる仕掛けとなっています。

カクテルの価格は1,500円~3,000円とやや高価格であるものの、今回スターバックスに集まったバーテンダーは都内各所から集められた腕利きのメンバーたち。

そしてその場で焙煎されたコーヒー豆の香りを感じながら飲むコーヒーカクテルはここでしかできない体験です。

さまざまなコーヒー体験ができるロースタリー 東京でのカクテルをどうぞお楽しみください。

 

上野東京ライン

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 日本の鉄道は 本当に素晴らしいんですけど

  地方の各駅停車が だんだん減ってきているのが

 青春18きっぷファンとしては 少々残念です  (^_^;)

 

日本を定期的に訪れている筆者(英国人 Colin Joyce)は数年前、都内に「上野東京ライン」という新しいJRの路線ができたことに気がついた。

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上野駅と東京駅はすでに結ばれていなかったか? そう思い、やや困惑した

なるほど、それは都心を走り抜け、5つの都県を一度も乗り換えることなく縦断できる路線であることが分かった。

複数の路線を結ぶ難しい事業を見事に成し遂げたことで、乗客の利便性は高まり、世界最先端の日本の公共交通はさらに良くなった。

南北270キロメートルにも及ぶ鉄道路線の名称に、徒歩で行き来できる都心の2つの駅名を使うのは、かなり控え目な名称に思えた。

しかし、それこそ日本人が自分たちの大きな業績を正しく評価しない、「平成」という時代の典型だった。

平成で成長した日本サッカー

同世代の日本人と違い、筆者は平成以外の日本を知らない。

1992年に英国から来た私には、バブルの記憶も、昭和への郷愁もない。

平成時代に対して日本人の多くが抱く「停滞」さらに言えば「後退の時代」という見方を理解しつつも、自分でそう感じることはなかった。

私は、自分が出会ったこの国に深く感銘を受け、特筆すべき改善する力や、遅れを巻き返す能力に目を見張っていた。

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後者の例として挙げられるのはサッカーだ。

私が学生として神戸に初来日した当時、日本はサッカーの「へき地」だった。

しかし、1993年のJリーグ発足は日本を強豪国へと押し上げた。

日本代表は実力をつけ、国内リーグの人気は高い。

スタジアムは素晴らしく、サポーター層も磐石。

欧州に渡ってトップリーグでプレーできるようになった選手もいる。

関西を代表するクラブチームといえば「ガンバ大阪」。

1993年当時、そう思っていたことを覚えている。

大阪にもう1つ、さらに神戸、京都にもクラブができる余地があるなど想像もしなかった。

これはすべて一世代の間に起きたことだ。

おっと、2002年に日韓が共催したワールドカップ(W杯)の成功に言及し忘れるところだった。

複雑な直通運転の謎

日本について語り出すと、申し訳ないが鉄道の話が止まらなくなる。

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運賃が高く、時刻表は当てにならず、腹立たしいほど遅れがちで、運休することもある(そして休暇シーズンには代行バスに切り替わる)英国に比べ、日本の鉄道の旅がどんなに素晴らしいか、皆に伝えたくて仕方がない。

来日当時、この国の鉄道システムはすでに十分素晴らしかった。

北は盛岡、南は博多までしか新幹線が延びていないのは当然のことと受け入れていた。

日本の大部分がカバーされていると感じたし、そこから先に行きたければ、特急列車に乗り換えるか、最初から飛行機を利用すればいいと考えていた。

都内を電車で移動するにも、JR山手線を乗り降りして私鉄のターミナル駅間を行き来するのをわずらわしいと思ったことはなかった(何しろ山手線は3分おきにやってくる恐るべき電車だ)。

しかし、そこに「上野東京ライン」が登場した。

他にも直通運転の路線が増えた。

電車に乗ったら途中で別の会社が運行する路線に変わり、その先はおそらくまた別の会社が運行している。

技術的な問題をどう解決したのかは言うまでもなく、運賃をどう分け合っているのか、どの会社が運転手に給料を払っているのか、私にはまったく見当もつかない。

1つではなかった本州と四国を結ぶ橋

1988年に開通した瀬戸大橋も偉業だと感じた。

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行きは電車、帰りは大型トラックをヒッチハイクして橋を往復した。

そして英国に住む家族に、5つの島にまたがるこの驚くべき「2階建て橋」について手紙を書いた。

日本は本州と四国を結ぶ橋を完成させた──。

当時はそれで終わりだと思い込んでいた。

もう1つの連絡橋プロジェクトが進行していた事実に気づかなかったのは、そのせいだろう(後に3つ目の橋建設も始まる)。

恥ずかしいことに、神戸から四国まで、岡山を通らずバスで行けたことに驚いたのはそれから10年後のことだ。

同じく東京湾アクアライン連絡道の建設も、2003年ごろ飛行機から見るまで気づかなかった。

橋梁部がトンネルに変わって海中にもぐる部分が、なぜ水であふれないのかはいまだに謎だ。

「平成日本」は総じて安定

平成の30年間に日本が直面した深刻な問題を、軽んじるつもりはない。

自然災害、政財界のスキャンダル、増大する政府債務、終身雇用の崩壊と非正規労働者の増加、高まる自殺率、少子高齢化など枚挙にいとまがない。

いずれもこの国が解決しなくてならない重大な問題であり、日本で記者をしていた頃は、深く憂慮しながら取材をした。

しかし、平成日本に暮らした1人として、この国の社会は総じて安定しており、回復力と対応力を備えているとも感じていた。

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経済危機が、ロンドンで起きた暴動のような社会の不安定化につながらなかったことをうれしく思っていた(私が物心ついてから、大きな暴動だけでも4回起きている)。

最後にもう1つ、日本で不思議だったのは外国人観光客が少ないことだった。

英国は、1990年代初めまでに年間2000万人の観光客を受け入れていた。

卓越した観光資源と交通インフラを備えた魅力的な国であるにもかかわらず、日本の実績は明らかに実力を下回っていた。

今はそれがどうなったか。私がここで話すまでもないだろう。

筆者 コリン・ジョイス(Colin Joyce)

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英エセックスを拠点に活動するジャーナリスト。

オックスフォード大学卒業後、日本語を学ぶため1992年に来日。

埼玉県の高校で英語を教えた後、週刊誌ニューズウィーク日本版に4年間、英紙デイリー・テレグラフ東京支局に7年間勤務した。

15年に及ぶ日本での生活をもとにした「『ニッポン社会』入門──英国人記者の抱腹レポート」(NHK生活人新書)、「マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの<すきま>」(同)などの著書がある。

*本コラムは、ロイターに掲載され、筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

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 英国人でコリンと言うと

  どうしても、コリン・ウィルソン

 思い出してしまいます  (^_^;)