スゴ過ぎる!
もう日本の宝と言うより
大リーグの宝 世界の宝! (^_^;)
スゴ過ぎる!
もう日本の宝と言うより
大リーグの宝 世界の宝! (^_^;)
あくまでも構想段階ですので
100%必ず実現する
とは限りません (^_^;)
東京・渋谷区の外郭団体の一般社団法人「渋谷未来デザイン」は13日、同区で行われたイベントで、民間主導で都立代々木公園内に多目的に使えるサッカースタジアムの建設を目指すことを発表した。
「スクランブルスタジアム」と名付けられた構想では、サッカーだけでなく、ライブやイベント会場、さらには防災拠点としての機能も備える。
パネリストとして出席した日本サッカー協会相談役の川淵三郎氏(81)も賛同した。
渋谷区が出資する「渋谷未来デザイン」は主催するイベントで、スクランブルスタジアム構想を発表。
渋谷の象徴・スクランブル交差点をヒントに、多様な人が行き交い、多用な使い方ができるスタジアムを民間の力でつくることを目標に掲げた。
建設地は複数駅から徒歩10分前後でアクセスできる代々木公園内の南部で、球技場や野外ステージなど既存施設がある付近。
緑地を削る必要はなく、3~4万人規模を想定している。
イメージ図は、12年11月の最初の新国立競技場のコンペで最終選考まで残った建築家・田根剛氏(39)が作成。
公園の自然と調和したデザインになっている。20年東京五輪後の着工を目指す。
実現すれば、東京23区内初の大規模サッカースタジアムとなる。
客席とピッチの距離が近いことで、より臨場感を味わうことができる。
出席した川淵氏も「これまでの日本にはない、世界に冠たるスタジアムができることを願っている。全面的に協力していきたい」と支援を約束。
どのクラブを誘致するかは未定だが、東京都がホームタウンのFC東京であれば集客も見込める。
ライブやイベント会場としても活用していく方針で、スポーツとエンタメの発信地となる。
防災拠点としても意義は大きい。同公園は災害時の避難場所に指定されており、最大10万人の受け入れが予想される。
発案者の金山淳吾理事は「災害時にはトイレの確保にもつながるし、VIPルームやビジネスルームを開放して、被災者を受け入れることができる」と効果について話した。
まだ構想段階だが、渋谷区民、東京都民の意見を積極的に取り入れながら実現を目指していく。
▲海浜幕張駅に着いた 東京駅から京葉線で30~40分
▲幕張メッセに向かって歩く 左奥の細長いビルはアパホテル
▲屋台も出てお祭り気分 会場中でもアマゾンがお弁当や飲物を配ってました
▲会場内の様子 ブースの多くはAWS導入/移行のコンサルティング
AWS= Amazon Web Services 企業向けクラウドサービス 業界1位
アマゾンと言うとネット販売のイメージが強いですが 稼ぎ頭はこれ (^_^;)
▲人気のAI(人工知能)とIoTのコーナー
▲来年のサミットは横浜のようです
▲会場で17アイスの実物を発見 (^_^;)
▲この付録のおかげで 学習雑誌『幼稚園』が爆売れ (^_^;)
▲AWS Japan 社長の基調講演(昨年のもの、動画90分)
ジョブズのプレゼンみたいで カッコイイ! (^_^;)
やる前から分かりきっていたことを
今さら反省してどうするの?
という感じがしますけどね (^_^;)
NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」(日曜後8・00)の第22話が9日に放送され、平均視聴率が6・7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。
4月28日放送の第16話で記録した7・1%を下回り、大河ドラマ史上の最低視聴率を更新した。
同時間帯ではテレビ朝日系「ポツンと一軒家」が20・3%を記録。
番組史上初の“大台突破”となった。
また、TBSはサッカー「日本―エルサルバドル戦」を生中継。
久保建英が史上2番目の年少記録となる18歳5日でA代表デビューを果たすなど注目され、13・8%を記録した。
「いだてん」は1964年の東京オリンピックをテーマに、86年「いのち」以来33年ぶりとなる近現代が舞台の大河。
主人公が交代するリレー形式をとるなど、近年にない冒険的な作風とされる。
20年の大河は、長谷川博己(42)が明智光秀役で主演する「麒麟がくる」。
21年の作品は「現在検討中」(同局関係者)。
新元号「令和」の出典になった万葉集に登場する人々を題材に推す意見もあったが、局内では「いだてん」の不調を受け
「やはり戦国時代以外は、なかなか視聴者に受け入れられない。
冒険的な作品は難しいだろう」
という反省の声が上がっている。
相変わらず スカッとするような
大活躍をしています \(^o^)/
エンゼルスの大谷翔平投手は5日(日本時間6日)、本拠地アスレチックス戦に「3番・DH」で2試合連続スタメン出場。
第3打席に2試合連続となる5号3ランを放つと、地元ファンは「愛してます」の大合唱が巻き起こっている。
らしさ炸裂の一撃だった。
4回2死一、二塁のチャンスで大谷が打席へ、カウント1-1から右腕ペティットの直球を叩くと、打球は高々と舞い上がり、センター方向に豪快な3ラン弾。
MLB公式サイトの解析システム「スタットキャスト」で飛距離400フィート(121メートル)と計測された。
一時1-7とリードされたエンゼルスを、8-7とひっくり返した豪快な一撃に、地元ファンはツイッターで“大谷愛”を爆発させている。
「ショウヘイ・オオタニを愛している。本気です。紛うことなき一撃だ」
「こんばんは、全能なる救世主、ショウヘイ・オオタニについて話をさせてもらえるかな?」
「これはショウヘイ・オオタニの400フィート爆弾。ショウタイムが正式に再開だ」
「愛してます ショウヘイ・オオタニ」
「ショウヘイ・オオタニがエンゼルスと契約してから18か月。正直、いまだに信じられません」
「ショウヘイ・オオタニを愛している。命の全てをかけて守ります」
「ショウヘイ・オオタニは時速99マイルの豪速球で輝けることを忘れないように。そして、400フィート爆弾を打席で炸裂させる。信じられない」
「ショウヘイ・オオタニ、永遠に神の祝福あれ」
「こんにちは、アイ・ラブ・ショウヘイ・オオタニ」
まさに「アイ・ラブ・ユー」の大合唱。
2試合連続弾で本来の爆発力が戻ってきた昨季の新人王。
地元ファンは復調の大谷に惜しみない愛情を降り注いでいる。
これは歩きでがありそうです (^_^;)
東日本大震災で被災した東北の太平洋沿岸部を歩いて、復興を支援する環境省のプロジェクト「みちのく潮風トレイル」(青森県八戸市―福島県相馬市)の全ルート(全長1000キロ)が6月9日、開通する。
「潮風トレイル」は震災後の2011(平成23)年6月に環境省が構想に着手。
福島県と青森、岩手、宮城の4県28市町村を結ぶ長距離の自然歩道で、13年から順次ルートが公表されてきた。
残る岩手県の「田野畑村―岩泉町」「宮古市―大槌町」、宮城県の「南三陸町―女川町」「石巻市―名取市」の4区間で開通準備が整い、6月9日に宮城県名取市で開かれる記念式典で全線開通が宣言される。
ルートには海の雄大な景観を楽しめる場所が豊富で、険しい山や満潮時には通れないコースも設定。
同省などによると、全区間を歩くには慣れた人でも約2カ月かかるという。
外国人の利用も想定しており、仙台空港を活用した誘客策も検討する。
井上尚弥 余りにも強いので
世界中が ビックリしています
ほとんど打たれていないので
試合後もキレイな顔です (^_^;)
WBA世界バンタム級王者の井上尚弥(26)が、ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)準決勝で、無敗のIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)と対戦した。
試合は18日(日本時間19日)にスコットランド・グラスゴーで行われた。
当初この試合は、WBA王者の井上と、IBF王者のロドリゲスとの統一戦の予定だったが、今回の一戦は団体の規定により、王座統一戦ではなく、IBF王座のみがかけられるタイトルマッチとして行われた。
非常に優秀な外交官だった訳ですから
これから皇后陛下として皇室外交に
大いに能力を発揮していただきたい! (^_^;)
皇后になられた雅子さまは、幼少期をニューヨークで、高校、大学時代をボストンでお過ごしになった。
ボストンではどんな高校時代を送られたのか?
5月2日付の米紙ボストン・グローブ(電子版)が、過去の記事から、雅子さまの高校時代を振り返っている。
雅子さまが日本からボストンに移住し、ボストン郊外のベルモントにあるベルモント高校の2年生に編入されたのは1979年のこと。
当時の雅子さまにについて、教師の一人、リリアン・カッツ氏が、雅子さまが模範生だったこと、勉学に熱心で、化学、物理、数学、ドイツ語に秀でたこと、クラスのトップ10%に入る成績で卒業したことを回想、「彼女は素晴らしかった。頭が良く、優しく、思いやりがあった」と1993年の同紙の記事で話している。
ベルモント高校の1981年度の卒業アルバムに掲載されている高校時代の雅子さま。写真:boston.com
同紙に掲載された1981年度の卒業アルバムによると、雅子さまは、課外活動では数学チームとフランス語クラブに所属。思い出としては、ケネディ図書館、MASH(マッシュ)、ドイツ語、東京、ESL、エンサイクロペディアなどが記されている。「2年生の初めにここに来て、素晴らしい時を過ごしました。友だちみんなに感謝。友情は永遠」という感謝の一言も添えられている。
ケネディ図書館とは、ジョン・ F・ケネディ元大統領を紹介する映像や写真、遺品など、ケネディ元大統領に纏わる様々な歴史的資料が展示されているボストンにある博物館のこと。
MASH(マッシュ)は、アメリカで1970年代初め~1980年代初めにかけて人気のあった医療ドラマで、朝鮮戦争時、韓国の野戦病院に駐留していた医師たちに起きる出来事を描いたブラック・コメディだ。オーストラリア人ジャーナリスト、ベン・ヒルズ氏の著書「プリンセス・マサコ:菊の玉座の囚われ人」によると、雅子さまの高校3年時のクラスはMASH(マッシュ)の劇を行い、雅子さまはその制作に参加していたという。
同紙は、1993年の記事で、雅子さまが、少女時代、熱心なソフトボールのプレイヤーで、少年たちが一緒に試合をしてくれなかったために、女子ソフトボールチームを結成したことにも触れている。
また、当時、雅子さまはちょっとおてんば娘で、先生が雅子さまに「礼儀正しい日本の女の子にしてはあまりにボーイッシュ過ぎる」と言ったことや、雅子さまの妹たちが彼女を「愛するお兄さん(Dear Brother)」と冗談で呼んでいたという微笑ましいエピソードも紹介。
雅子さまが、大きな野球リーグに入るのを夢見ていたほどソフトボールが得意だったことにも言及している。
「彼女(雅子さま)は3塁を守る能力があり、ボールを校庭の外まで打ち飛ばし、(それを見た)少年たちは驚いてポカンと口をあけ、先生たちは眉をひそめた。彼女のヒーローはみな野球選手だった。彼女は大きな野球リーグに入ることを夢見ていた」
しかし、雅子さまはベルモントに引っ越してからは、テニスやスキーをするために、その夢を断念したという。
とはいっても、雅子さまはベルモント高校でもソフトボール部に所属、背番号11番で2塁を守っていた。チームメイトたちと一緒に写っている写真もある。上記の卒業アルバムでは、雅子さまは課外活動の中にソフトボールを入れてはいないが、ソフトボールの腕前が素晴らしいことで有名だったという。
同紙によると、前述のヒルズ氏の著書には、以下のように書かれている。
「ベルモント高校時代、学業記録以外で、彼女(雅子さま)に関して唯一公になった報道は、ソフトボールが上手いことから、彼女のことを“スラッガー(長打力のある強打者)・マサコ”と呼んでいる地元紙の記事だ」