かなり昔(25年前のバブル期)の曲なんですけど
まったく古さを感じさせない名曲だなぁ (^_^;)
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まったく古さを感じさせない名曲だなぁ (^_^;)
「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さん(さいじょう・ひでき、本名=木本龍雄、きもと・たつお)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため死去した。63歳だった。2003年と11年に脳梗塞を発症した西城さんは、後遺症やリハビリと闘いながらステージに立ち続けた。郷ひろみ(62)、野口五郎(62)らと「新・御三家」として70年代に一世風靡(ふうび)した。
永遠の“ヤングマン”が天国へと旅立った。
48歳、56歳の時に脳梗塞を2度発症。右半身のまひや言語障害などの後遺症が残ったが、壮絶なリハビリで回復。4月にコンサート出演するなど、最後までステージにこだわった。
甘いマスクに長髪をなびかせ、エネルギッシュに熱唱するスタイルで女性ファンをとりこにした。1974年には「傷だらけのローラ」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「薔薇の鎖」では敬愛する英歌手ロッド・スチュワートばりにスタンドマイクを振り回すアクションで人気を集めた。
79年の「YOUNGMAN」は約140万枚の大ヒットを記録した。自身も考案に携わった「YMCA」の4文字を両手で表現する振り付けも大流行。80年のセンバツ高校野球大会の入場行進曲、近年はCMソングに起用され、世代を超えて愛された。
音楽を愛し続けた63年間だった。ジャズ好きの父親の影響を受け、小学3年生で地元のジャズスクールに通いドラムを始めた。中学1年生の時は3歳上の兄らとバンドを結成し、ビートルズなどの楽曲を披露。楽器を購入するために新聞配達のアルバイトもこなし、岩国の米軍キャンプでも演奏した。
広島・山陽高時代にジャズ喫茶で歌っていた時にスカウトされ、「ワイルドな17歳」をキャッチフレーズにデビュー。郷、野口と“新御三家”としてスターへの階段を駆け上った。私生活では46歳まで独身を貫いたが、2001年に妻・美紀さんと結婚。2男1女と子宝に恵まれた。
幸せまっただ中の03年、突如病魔に襲われた。ディナーショーで訪れた韓国・済州島で脳梗塞を発症。11年に再発し、右足を引きずるなど後遺症が残ったが、家族に支えられながらリハビリに励んだ。1日3~4箱吸っていたタバコも断った。60歳を迎えた15年4月にライブを開催し、「ヒデキ、還暦!」とさらなる活躍を誓っていた。
西城さんは09年にスポーツ報知のインタビューで、死ぬ間際まで役者人生を全うした緒形拳さん(08年死去)を理想に挙げた。「緒形さんのように自分の体が滅びていくまで仕事ができるか。僕は弱い人間だから自信がないけど。これからさらに鎧(よろい)がもう一つできて強くなれるかな」。その言葉通り、最後まで歌手人生を全うした。
フジテレビ系人気アニメ「ちびまる子ちゃん」の原作者で知られる漫画家さくらももこ氏(53)が17日、公式ブログで、急性心不全のため16日に63歳で死去した西城秀樹さんを「秀樹さんが亡くなってしまいました」と追悼した。
さくら氏は西城さんの大ファンで、劇中では主人公まる子の姉が西城さんの熱狂的ファンという設定で何度か登場していた。
西城さんは92年9月まで同作のエンディングテーマ「走れ正直者」を歌うなど、同作と縁も深かった。
さくら氏は「『走れ正直者』を歌っていただきとても楽しいテーマ曲になりました。私達の世代にとって秀樹さんは本当にスターでした。ご冥福を御祈りします」(原文まま)とつづり、劇中に登場した西城さんのイラストを添えてブログを更新した。
西城さんの死去が公表された後、「ちびまる子ちゃん」がツイッターのトレンド入りするなど、関心を集めた。
姉の声を担当した声優水谷優子さんは、2年前の5月17日に死去しており、偶然にも西城さんと命日が1日違いだった。
秀樹さんの俳優としての代表作「寺内貫太郎一家」は1974年にTBS系列で放送された。
東京・下町で3代続く「寺内石材店」の主人・寺内貫太郎(小林亜星)を中心に、秀樹さんが演じた長男周平をはじめとした家族や、近隣の人々との人情味あふれる日常をコメディータッチで描いたホームドラマ。
脚本は直木賞作家向田邦子さん、プロデューサーは久世光彦さんで、平均視聴率は31・3%を記録した。
秀樹さんは大学浪人中で、短気な父貫太郎と何かにつけて衝突する長男を体当たりで演じた。
2人のけんかシーンでは本当に取っ組み合いを行い、当時110キロあった小林に秀樹さんが突き飛ばされ、左腕を骨折して入院したこともあった。
直後には秀樹ファンから小林に抗議の手紙が殺到した。
共演者も個性派ぞろいで、妻に加藤治子さん、長女に梶芽衣子、貫太郎の実母きんは樹木希林(当時は悠木千帆)が演じ、大ファンの沢田研二のポスターに向かい「ジュリー!」と叫ぶのがお約束だった。
お手伝いに浅田美代子、職人に伴淳三郎さん、2月に亡くなった左とん平さん、隣の花屋に由利徹さん、貫太郎の異母弟に谷啓さんが出演。
その後もパート2、スペシャルドラマが放送された。
東京都世田谷区の区制85周年記念式典が8日、世田谷区民会館であり、人気シンガー・ソングライターの松任谷由実さん(63)、2015年にノーベル医学生理学賞を受賞した北里大特別栄誉教授の大村智さん(82)、友好自治体の群馬県川場村との関係構築に尽力した東工大名誉教授の鈴木忠義さん(93)の3人が名誉区民として顕彰された。
賞状と記念の記章、盾を受け取り、会場の「ユーミン!」というかけ声に笑顔で応えた松任谷さんだが、壇上の大型スクリーンに映し出された名前が「由美」となっていることについて「『実』という字なので、お見知りおきいただけると……」と苦笑。
慌ただしく修正されるハプニングもあった。
松任谷さんは「大変栄誉なことだと思って、心から感謝しております」とあいさつして降壇した。
式典を欠席した大村さんは「区内に居を構えて半世紀あまり。緑地、すばらしい公園、美術館が随所にある。研究や仕事に疲れたときには癒やすことも、知識を深めることもできる。すばらしい環境で生活できたことは幸せです」とビデオメッセージを寄せた。
ムーミン とは違いますよ (^_^;)
▲1985年(昭和60年)8月12日月曜日 18時56分26秒
群馬県多野郡上野村 御巣鷹の尾根に墜落
このころ仕事で東京-大阪便には 毎週のように乗っていたので
墜落の報道には戦慄しました ((((;゚д゚)))) 続きを読む
「I LOVE YOU」「卒業」などメッセージ性の強い曲で若者の人気を集めたシンガー・ソングライターの尾崎豊さんが、26歳で亡くなって、4月25日で25年がたつ。
左の写真は1984年3月15日、新宿ルイードで行われたデビューライブでの一枚。
当時18歳。いま生きてれば51歳。
ライブの直前に青山学院高等部を退学していたが、卒業式の日にぶつけて開催した。
心にジンと来ます (T_T)
『NHKのど自慢』で、昭和歌謡を歌う中学生や高校生が増えている。 続きを読む
山下達郎 28年前の なつかしの名曲
バブル景気 華やかな頃でしたねー
ところでJR東海さん 新幹線もリニアもいいけど
熱海~浜松間の 3両編成ロングシートは
旅の気分ぶちこわし 何とかしてよ~ (^_^;)
放送作家の草分け的存在で、マルチタレントとしてテレビ、ラジオで幅広く活躍した永六輔(えい・ろくすけ、本名・孝雄=たかお=)さんが7日に死去したことが11日、分かった。83歳だった。
作詞家として、
坂本九「見上げてごらん夜の星を」
「上を向いて歩こう」
梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」
などのヒット曲を手掛けた。
北島三郎「帰ろかな」
など、作曲家の中村八大さんと組んだ楽曲も多く、永さん、中村さん、坂本さんのトリオは「六八九トリオ」とも呼ばれた。
東京都出身。高校在学中からNHKラジオに投稿していたコントを放送作家の三木鶏郎氏に認められ、放送作家としての活動を始めた。
ラジオに加え、テレビ草創期から番組の企画や構成を手掛け、NHKのバラエティー番組「夢であいましょう」などの人気番組を送り出した。 続きを読む
「恋のバカンス」「恋のフーガ」などのヒット曲で知られる双子の歌手「ザ・ピーナッツ」の妹、伊藤ユミ(いとう・ゆみ、本名・月子=つきこ)さんが5月18日に死去していたことが7月11日、分かった。75歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。
伊藤さんは昭和16年、愛知県生まれ。
双子の姉、エミさんとともに「ザ・ピーナッツ」を結成し、34年に「可愛い花」でレコードデビューした。
卓越した歌唱力とハーモニーの美しさで注目され、音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」に出演。
「情熱の花」「ふりむかないで」など数々のヒット曲を送り出し、高度成長を背景にテレビの普及とともにお茶の間の人気者となった。
NHK紅白歌合戦には34年から49年にかけて16回連続出場。
映画にも活躍の場を広げ、「クレージー黄金作戦」などに出演した。
特に、36年の特撮映画 「モスラ」では、双子の妖精「小美人」を演じて話題を集めた。
アメリカのテレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演するなど海外でも活動した。
日本の歌謡界のトップを走り続けたが、50年に芸能界を引退。
以来、メディアからは遠ざかった生活を送っていた。 続きを読む
昭和31年4月~32年12月ニッポン放送で放映
とゆーことは 27回生が見るのは無理!
でも子どものころ よく耳にしましたね (^_^;)