近所の区の施設へ行ったら会議室で
高齢者団体が「神田川」を歌っていた
みなさん70代、80代といった感じ
若かったあのころ~♪
実にしっくり来ます
あなたはもう忘れたかしら~♪
これもしっくり(認知症で忘れちゃった?)
という訳で、ほっこりしました
(^_^;)
近所の区の施設へ行ったら会議室で
高齢者団体が「神田川」を歌っていた
みなさん70代、80代といった感じ
若かったあのころ~♪
実にしっくり来ます
あなたはもう忘れたかしら~♪
これもしっくり(認知症で忘れちゃった?)
という訳で、ほっこりしました
(^_^;)
日本の音楽に一時代を築いた世代が
いま静かに引退の季節を迎えています
でもその音楽は、永遠です
(^_^;)~♪
――山下達郎さんの世代は、いまだ“現役”の音楽家が多いですよね。
日本のポピュラーミュージックを牽引してきた“戦友”は数多いと思います。
同世代で「友人」と呼べる存在を挙げるとすると。
「坂本龍一君(→)かな。
彼がYMOのメンバーになる前、70年代半ばから2年半ほど、それこそ毎日のように会っていた時期がありました。
数年前、久しぶりにゆっくり話す機会があったんですが、距離感はまったく同じだった」
――『戦場のメリークリスマス』に出演、音楽も担当して以来、“世界のサカモト”と呼ばれて久しい存在ですよね。
今となっては、ちょっと意外な人脈とも思えますが。
「坂本龍一君に初めて会ったのは1974年頃で、福生にあった大瀧詠一さんのスタジオでのリハーサルでした。
それまで面識はなかったんですが、坂本龍一君は新宿高校、僕は竹早高校で、同時期に高校紛争を経験しているんです。
年齢的には坂本龍一君が1級上。
僕が高校サボって茗荷谷の喫茶店で三島由紀夫(→)自決の臨時ニュースを観ていた1年前、坂本龍一君は新宿高校に3人だけだった某マイナー新左翼のメンバーとして、長髪・下駄ばきで新宿高校内を闊歩してたそうです。
ちなみに新宿高校のあと2人は、後年衆議院議員になった塩崎恭久さんと、『アクション・カメラ術』で有名になった馬場憲治さん。
そういう背景もあって、坂本龍一君とは初対面からウマが合った。
新宿のゴールデン街の飲み屋で、坂本龍一君が東京藝大で専攻していた現代音楽について客と論議を戦わせているのを眺めていたり、行きつけのライブハウスの酒を飲み尽くしたり(笑)」
――「政治の季節」を共有された。
「坂本龍一君にしても僕にしても、70年安保で人生が狂ったクチなんです。
これはよく言われることですけど、60年安保を機にドロップアウトした人たちが流れた先が雑誌メディア。
雑誌文化は60年代安保世代が作ったと言えるんです。
同じ世代が年を重ねるのに合わせて、雑誌も対象年齢が上がっていってますよね。
育児雑誌、中年雑誌と来て、今や老人雑誌が花盛りになっている」
前歯のスキマはトレードマークなので、矯正せずに維持したのかな?
「走れコウタロー」なつかしいですね~♪
この歌の中に出て来る変なジジイは
美濃部亮吉(←)という共産党系のアホ都知事で
「悪夢の民主党政権」みたいなことを半世紀前の都政で実行
東京都の重要財源の都営競馬を廃止する一方、超バラマキ行政で都財政を破綻させた
いま都バスが老人無料なのはこいつのせいで、若者は高い運賃を払わされています
いったんバラマキ福祉やっちゃうと、なかなか廃止出来ないという悪い見本です
(^_^;)
ヒット曲「走れコウタロー」などで知られる、フォークシンガー山本コウタローさんが7/4、脳内出血で死去した。73歳。
東京都千代田区出身。一橋大社会学部在学中にフォークグループ「ソルティー・シュガー」を結成し、1970年に「走れコウタロー」が大ヒット。
卒業後の1974年には「山本コウタローとウィークエンド」を結成し「岬めぐり」をヒットさせた。
テレビやラジオ番組の進行役や、講演活動なども精力的に行い、1999年からは白鴎大教授を長く務めた。
▲当時は左翼系(共産主義者)が都知事になるくらい共産主義全盛時代で
若者の長い髪は反体制(共産主義)のシンボルで、反体制デモやってました
今でもこの世代(団塊)は左翼政党(立憲共産)への支持率が高いです
若者が自民党を支持している現在からは、想像しにくいですね~ (^_^;)
フォークソング全盛時代のビッグスターたちが後期高齢者になり、芸能活動を終えつつあります
今は動画がいくらでも見れるので、よほど熱烈なファンで最新の芸能活動を追いたい人でない限り、彼らの音楽を楽しみ続けられるのはありがたい
アルバム名は、「ah-、人生、面白かった」なのかな?
(^_^;)
シンガー・ソングライター、吉田拓郎(76、→)のニューアルバム「ah-面白かった」(6/29発売)が初週売上4.6万枚を記録し、7/11付オリコン週間アルバムランキングの2位にランクインしたことが7/4、分かった。
拓郎のトップ3入りは、9年10/29付で3位に入ったLP「TAKURO TOUR 1979」以来、42年8カ月ぶり。
拓郎は年内で芸能活動を終了予定で、「ah-」は事実上のラストアルバムとなる。
ランキング1位はKing&Princeの「Made in」だった。
いま夜の7時、東京の夜の7時って、いい時間だなぁ
1993年、30年近く前の曲だけど、いい曲だなぁ
バブル崩壊の直後、まだバブルの余韻が残ってる感じ
(^_^;)
近所にラム(羊肉)のお店が出来てました
最近リバイバルしている往年の人気ドラマ
東京ラブストーリー
にうまく便乗して
東京ラムストーリー
(^_^;)
▼平成バージョン バブルムードたっぷり
▼大ヒットした主題歌
▼令和バージョン 平成版を超えるのは無理かな?
▲「夜が来る」 作曲:小林亜星
見た目は相撲部屋の親方みたいでしたけど
作曲家としては超一流!
多くの名曲を残してくださいました
(T_T)
「この木なんの木」の歌い出しで知られるCMソングや、都はるみさんの「北の宿から」などを手がけた作曲家で、俳優としても活躍した小林亜星さんが5/30に心不全のため亡くなりました。
88歳でした。
小林さんは東京都の出身で、大学時代にジャズバンドで活動し、卒業後に本格的に作曲を学びました。
テレビコマーシャルの黎明期だった頃に、CMソング「ワンサカ娘」を手がけ注目を集め、その後も「この木なんの木」の歌いだしで知られるCMソングのほか、「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」などのアニメの主題歌を手がけ、軽快な音楽で人気を集めました。
また、昭和51年には都はるみさんが歌った「北の宿から」が大ヒットし、日本レコード大賞を受賞しました。
俳優やタレントとしても活躍し、向田邦子さんが脚本を担当した昭和49年のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」で頑固な父親の役を演じて人気を集めたほか、平成14年にはNHKの連続テレビ小説「さくら」で主人公の祖父の役を演じました。
伊福部 昭(いふくべ あきら)
1914年〈大正3年〉5月31日 ~ 2006年〈平成18年〉2月8日)
日本の作曲家。ほぼ独学で作曲家となった。
日本の民族性を追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くの管弦楽作品や、『ゴジラ』を初めとする映画音楽のほか、音楽教育者としても知られる。
作曲家の筒美京平さんが7日、誤嚥(ごえん)性肺炎により死去していたことが分かった。80歳。
かねて自宅で病気療養していたという。
故人の遺志により、葬儀はすでに近親者により執り行われた。
「お別れの会」などは、新型コロナウイルスの感染状況などをかんがみ、現段階で行う予定はないという。
筒美さんはレコード会社勤務を経て、作曲家に。
1971年の尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、1975年の太田裕美「木綿のハンカチーフ」、79年のジュディ・オング「魅せられて」、80年の近藤真彦「スニーカーぶる〜す」など数々のヒット曲を手掛けた。
死ぬほど懐かしい! 😭
大分県竹田氏にある豊後岡城の歴史をまとめたマンガ
源義経が活躍したころから明治維新に至る、岡城の歴史をうまくまとめてある
岡城は、難攻不落の名城として有名だったが、明治維新で一時幕府方に付いた藩が明治新政府への恭順を示すために破壊され荒れ果てた
今は石垣だけが残っている
この竹田市で幼少期を過ごした滝廉太郎は、破壊された岡城をイメージして名曲「荒城の月」を作曲した
なお土井晩翠は仙台の青葉城をイメージして作詞したそうなので、九州と東北のコラボですね
(T_T)