93【国内エリア】

天皇陛下 秩父へ

埼玉県をご訪問中の天皇陛下は5/25午前、秩父市の秩父神社に到着され、地元の伝統芸能や文化財をご覧になられた

午後には「秩父ミューズパーク」で全国植樹祭にご臨席になり、お言葉を述べられるご予定

皇后陛下(雅子さま)が体調を崩されてご一緒できなかったことが非常に心配です

私は最近、秩父夜祭り秩父SL旅で、秩父を2回訪れました

秩父SL旅へ

ゴジラ県

佐賀県が情報発信プロジェクト「サガプライズ!」の一環として、新たなプロジェクトとして「ゴジラ対(つい)サガ」を進め、ゴジラを「佐賀県かたち観光大使」に任命した

佐賀県と言えば、目立たない県、地味な県の代表で、東日本の人は佐賀県が九州のどこにあるのか、よく知らない人も多い

福岡県や長崎県という、何かと目立つ県に挟まれて、とにかくヒッソリ目立たない

早稲田を創った大隈重信の出身地なんだけどね

慶応を創った福沢諭吉が大分県出身で、どちらも九州人というのも面白い

そんな佐賀県が、「ゴジラと佐賀県はほぼ同じ”かたち”」と主張している

そう言われればそう見えなくもない、といった程度で、少し無理があるかなぁ

「ゴジラ対(つい)サガ」というキャッチフレーズも、語感にイマイチ破壊力が乏しい

ズバリ「ゴジラ県」と打ち出した方がいいのに!

佐賀県と言えば、有田焼 、伊万里焼、唐津焼、鍋島焼 などの焼き物が有名

幕末には聡明な藩主(鍋島直正)が出て開明的な政策を推進し、明治政府では薩長土の一角(前藩=佐賀藩)となったものの、薩長の影に隠れてイマイチ目立たなかった

佐賀藩(肥前藩)は江戸時代、近隣の藩との交流を長く絶ってきたので、二重鎖国などと呼ばれてきた

その藩風のせいか、九州の中でも孤立感があり、これが今でも「目立たない県、地味な県」という印象につながっているのかもしれない

11年前に佐賀長崎を旅しましたが、やはり長崎県中心で、佐賀県は観るところがやや少なかった印象です

佐賀県の県土のカタチがゴジラに似ているというところから始まった今回の「県おこし」プロジェクトですが、世の中には市とか県とか国のカタチが何かに似ているというのは少なくない

当ブログの11年前の記事「東京都イラ区」では、渋谷区とイラクが似ていることを取り上げた

神奈川県は、犬のようにも見えますね

(^_^;)~♪

 

 

吉本萌慧 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲~♫

 

大野さんのご親戚、吉本萌慧ちゃん(旭川出身、藝大出身、都響メンバー)が、札幌交響楽団と共演しました!

ヴァイオリン 吉本萌慧

札幌交響楽団 Sapporo Symphony Orchstra

指揮 現田茂夫

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64

2025年2月9日(日)15:00~ 札幌コンサートホールKitara

(^_^;)~♪

吉本萌慧「私の音楽はじめて物語」へ

 

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札響(札幌交響楽団)は1961年(昭和36年)に発足した、北海道で唯一のプロ・オーケストラです。

歴代指揮者は、名誉創立指揮者の荒谷正雄、ペーター・シュヴァルツ、岩城宏之、秋山和慶、尾高忠明、マックス・ポンマー、ラドミル・エリシュカ、マティアス・バーメルトなどが務めています。

現在は、名誉音楽監督 尾高忠明、友情指揮者 広上淳一、正指揮者 川瀬賢太郎を擁し、2024年4月から首席客演指揮者に下野竜也、2025年4月からはエリアス・グランディを首席指揮者に迎え、オーケストラのさらなる充実と発展を目指します。

2024年4月現在のメンバー数は、コンサートマスターを含めて75名。

年間の公演回数は道内外で約120回のオーケストラ・コンサートを行うほか、積極的に地域活動に参加し、小編成での教育福祉活動を北海道全域で展開しています。

50周年のヨーロッパツアーなど節目ごとに海外公演を行い、これまでにアメリカ、英国、ドイツ、イタリア、東南アジア、韓国、台湾を訪問、各地で好評を博しました。

北海道を拠点に世界に発信するオーケストラとしてますますの充実を目指します。

 

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都響(東京都交響楽団)は、東京オリンピックの記念文化事業として、1965年(昭和40年)に東京都が設立した、日本3大オーケストラの一つ。

都響のメンバーには、音楽大学で首席クラスの演奏家が集まっている。

音楽家にとっては、超「狭き門」

たとえば、都響のメンバーの一人が定年退職してポストが空いた場合、新メンバーを募集をすると、応募者が50人以上になるのは当たり前。

技術だけでなく、都響との親和性など総合的に判断されるため、合格者がゼロの時もあるという。

 

阿波踊りの達人

昨日今日と連日35度を超える猛暑ですが、そろそろ夏祭りの季節ですね

私はお祭りダイスキで、日本全国の主なお祭りはほとんど見に行ってるんですが、そんな数ある日本の夏祭りの筆頭は、やはり阿波踊りだと思います

世の中が不安定になり、

庶民にストレスが鬱積すると、日本人は集団で踊り出す

と言われています

日本中の老若男女が突然、仕事も家も放り出して踊りの列に加わり、伊勢神宮をめざしたりする(おかげまいり

明和のおかげまいり(1771年)では、300~400万人が伊勢に殺到した(当時の人口は約2200万人)

そんな集団乱舞の最後が、幕末に大流行した「ええじゃないか踊り

民衆のストレスが爆発した狂気という側面もあるのですが、旅支度も無しで急に伊勢をめざしたりする踊り衆に対して沿道の住民は概ね好意的で、食事や寝る場所を提供したり、けっこう牧歌的なほのぼのとした側面もあったようです

「ええじゃないか踊り」の雰囲気を最も良く伝えているのが阿波踊

だと言われています

集団のシンクロナイズが重要な女踊りに比べると、男踊りは個人芸の世界

子供の頃から阿波踊りの世界にどっぷり浸かって生きてきた地元徳島の老人には、上の動画のような、まさに芸術の域に達したような阿波踊りの達人がいっぱいいるようです

私は直接見たことは無いのですが、かつて東京など大都会に花街が隆盛を誇ったころ、その料亭でお客さんたちをもてなすお座敷衆の中に、芸者さんとは別に

幇間(ほうかん)と呼ばれる男性の職業

がありました

この幇間という職業は、「たいこもち」とか「男芸者」「太夫衆(たゆうしゅう)」などとも呼ばれますが、世の中で最も極めることが難しい職業

女性の芸者さんは、若くて美人ならそのお色気だけでもお客は満足しますが、男芸者である幇間は色気なしでお客をもてなし満足させる訳ですから、並大抵ではない

そんな幇間さんたちが、お座敷でどんな芸を披露したのか?

私は見たことないので良くは知りませんが、きっと上の動画のような粋な踊りも披露していたのではないかと想像します

花街の衰退とともに、幇間という職業もほぼ絶滅してしまったのが非常に残念です

咲き誇りし花街文化、風と共に去りぬ

谷崎潤一郎に「幇間」という短編小説があります

(^_^;)~♪

▲ええじゃないか踊り

▲映画「ええじゃないか」予告編

追伸

じいさんの年季の入った踊りもいいけど

やっぱキレイな女性の踊りは最高ですね

(^_^;)

 

セイコーマートの290円のクリスマスケーキ

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全国的に師走となり、街にはクリスマスソングが流れ、何となく慌ただしい季節です

コンビニ「セイコーマートの店頭に、290円のクリスマスケーキが登場しました

「まだ早すぎる」「小さすぎる」などと思ったら、実はこれ「試食用」のケーキ

本番のクリスマスケーキは、一家でそろって食べる「儀式用」なので、サイズも大きいし結構な値段がする

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そんなケーキを12/24に一口食べたら、期待していた味と違ったりして

「あぁー、これ失敗じゃん!」

とガックリ経験をした人も少なくないはず

楽しいはずのクリスマスが台無しになりかねない

そこでセイコーマートが「試食用」ケーキを発売したら

「こーゆーのが欲しかったんだよ!」・・・(*)

と、ヒット商品になったそうです

試食用ケーキを買って味に安心できたお客さんの多くは、本番12/24にも同じ味のセイコーマートのケーキを買うでしょうから、顧客囲い込み戦略としても大成功!

まさに「天才の発明」です

マーケティングの世界には、「潜在ニーズ」という概念があって、顧客もまだ気付いていないニーズを発見して提供すると、(*)のような反応があって大歓迎されます

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もちろん、潜在ニーズだと思って勝負したら大ハズレというケースもあるけどね

セイコーマートの試食用ケーキには、

「バタークリームデコレーション」

を筆頭に、

「ショコラピスターシュ」

「キャラメルポム」

「モンブラン」

「ショコラブラン」

「抹茶デコレーション」

など、おもわずヨダレが出てくる豪華ラインナップがズラリと並んでいます

同じくマーケティングの世界には

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ホイラーの法則:ステーキを売るな、シズルを売れ!

というのもあって、「シズル」というのは、ステーキがジュージュー焼けるような音

何かを売りたければ「おもわずヨダレが出てくる」ように、商品のセールスポイントを最前面に押し出したマーケティングが重要とされています

結局、ビジネスとか経済って、心理学なんですよねー

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コンビニ「セイコーマート」(→)は、東京では余り見ないんですけど、北海道ではそこらじゅう、セブンイレブンに負けないほど沢山あります

以前、北海道をドライブ旅したとき、その品揃え(特に食品)が素晴らしくて感動し、北海道以外にももっと進出して欲しいなぁと感じました

さすが北海道、日本最大の食品産地(特に乳製品)だけのことはありますよ

(^_^;)

詳細はここをクリック

 

林芙美子の恩師 今井先生

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私は展覧会などへ行っても有料のパンフレット(その展覧会の展示内容をまとめた1000円くらいのパンフレット)はめったに買わない

でも今回の「林芙美子展」(→)のパンフレットは、内容が充実していたので買った

新宿歴史博物館のスタッフの水準は、かなり高いのかもしれない

その中に、芙美子の恩師についてのページがあった

芙美子は極貧の家庭環境で育ち、当時の常識から言えば小学校卒業と同時に女中奉公か何かで社会に出るのが普通だったと思うが、芙美子の文学的才能に気付いた小学校教師のすすめで女学校に進学した

親からの経済的援助は期待できず、昼は学校で夜は学費稼ぎのバイトという生活を送り、しかも周囲は富裕な家庭のお嬢さまばかりという、かなりキツイ女学校生活だったはず

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それなのに芙美子が女学校生活を余りツライと感じていない、むしろ良き思い出の時代らしいのは、この先生がいたことが非常に大きいのだろう

まさに「恩師」と呼ぶにふさわしい、芙美子にとってとても重要な存在で、この人が芙美子の才能を開花させたのかもしれない

性犯罪ばかり起こしている昨今の学校教師どもに比べたら別世界

さらに言えば、芙美子にとってもっと重要な人物は、いち早く芙美子の才能に気付いて進学をすすめた小学校の先生かもしれない

この人がいなければ、今井先生に出会うことも無かったのだ

(^_^;)

 

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▲女学校を卒業して2年21歳、東京での極貧生活の中から送ったはがき

下足番、女工、事務員、カフェーの女給などでギリギリの極貧生活

原稿を雑誌社・出版社に売り込んで回り、ときには拾われた

当時の原稿料は、現金書留や為替で送られてきたので

郵便配達が「林さん、書留でーす」と来ると、芙美子の胸は高鳴った

このころに芙美子がつけていた日記が「放浪記」の原形

 

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▲昭和4年26歳、今井先生へのはがき

前年(昭和3年)に雑誌「女人芸術」掲載の「放浪記」が好評

翌年(昭和5年)に「放浪記」の単行本が出てベストセラー化

芙美子は超売れっ子作家になった

 

「新宿歴史博物館を歩く(林芙美子展)」へ