41【映画舞台】

昭和の新宿

1363921299_photo←表紙写真は昭和43年の新宿三丁目(現在の新宿高校前)

「消えゆく東京の街角」をテーマに写真を撮り続けた故・加藤嶺夫さんの未発表写真を数多く収録した写真全集「昭和の東京1 新宿区」(デコ)が3月7日に刊行され、話題になっている。

加藤さんは1929(昭和4)年東京生まれ。出版社に勤務しながら、東京を散策し、新聞紙上などにルポルタージュを執筆していた。これまでにも昭和の東京を収めた写真集「東京 消えた街角」(河出書房新社)、「東京の消えた風景」(小学館)などを発表してきた。2004年に逝去。2014年に没後10年を迎える。

加藤さんは1966~2000年の間、34年かけて4500枚以上の写真を撮り続けてきたが、発表されたものはわずか数百枚。約4000枚は未発表となっていた。「昭和の東京」と題した同シリーズでは、それらを新宿区、台東区、千代田区、江東区、中央区の5つに分けて編集し、「加藤嶺夫写真全集」の第1期として刊行していく。

同企画を発案した織田桂さんは「加藤さんの長男である万太郎さんご夫婦と知り合ったのがそもそものきっかけ。万太郎さんは自宅に残された大量のネガフィルムを持て余していたようで、加藤さんがたびたび写真を載せていた月刊誌『東京人』にフリー記者として関わっていた私と縁があったことで『ぜひ使ってください』と全ネガフィルムを私に託してくれた」と話す。

織田さんは、当時「東京人」副編集だった鈴木信子さんに相談し、特集号を作ったが、それでも大量のネガフィルムが手元に残り、「いつか本にして発表したいと強く思った」という。いくつかの出版社に企画を持ち込むも、加藤さんがすでに何冊も写真集を出していることなどもあり、「良い反応はもらえなかった」。

そんな中、編集プロダクションで出版社のデコ(千代田区)の高橋社長と十年以上ぶりに再会し、「何か企画はないか」と聞かれ、話したのが加藤さんの大量の写真についてだった。何度も編集会議を重ね、その全てを収めた全集として刊行することになったという。

写真は1区につき200~300枚を収録、全てダブルトーン(2色)印刷で「濃淡豊かに美しく」仕上げられている。「東京論の巨匠」である川本三郎さんと泉麻人さんのダブル監修で、2人の解説・エッセーをはじめ、撮影当時の該当区地図や都電系統図、撮影場所をプロットした現在の地図などを併せて掲載。「新宿区」には、新宿西口商店街(現在の大ガード交差点)や日活オスカーの様子などが収められている。

デコの栗林さんは「すでに新宿区内の書店を中心に、かなり動いている。収録されているのは、ほんの30~40年前の風景だが、今とは全く違うことに驚かされる。写真と今の街角を見比べるのも本書の楽しみ」と話す。

サイズはA5版、160ページ。価格は1,800円。ほか4区は5月以降、隔月で刊行予定。

 

いまも激しく変化する新宿の歴史 (^_^;)

 

新宿の女

shinjukunoonna演歌歌手、藤圭子(61)の「圭子の夢は夜ひらく」などで知られる作詞家、石坂まさを(本名・澤ノ井龍二)さんが9日午後11時23分、都内の病院で死去していたことが11日、分かった。

71歳だった。

関係者によると、石坂さんはがんを患っており、昨年5月18日の誕生日に「来年まで持つかな」と冗談交じりにもらし、最近1カ月の容体は一進一退だったという。

角川博(59)のデビュー曲「涙ぐらし」(76年)、小林旭(74)の「北へ」(77年)など多くのヒット曲を手掛けた。

85年には3355曲のご当地ソングを収録した「全国我が町音頭」(カセットで全51巻)を発売して話題となった。 続きを読む

スタバそっくりのガールズバー

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index(右が本物)

 

若い女性店員がカウンター越しに接客するガールズバーに、コーヒーチェーン・スターバックスのロゴに似た看板を掲げたとして、千葉県警は8日、千葉市緑区の男(32)を商標法違反容疑(商標権の侵害)で千葉地検八日市場支部に書類送検し、発表した。

東金署の発表によると、男は昨年5月~今年1月にかけて同県東金市内で、ガールズバー「スターバー」を営業。

ガールズバーの外壁や店内に米スターバックス社が商標登録しているロゴにそっくりな看板を掲げ、商標権を侵害した疑いがある。

男は「店の名前に合うと思い、ネットで画像を取り込んで加工した」と話しているという。

昨秋、署員が店を見つけて捜査していた。ガールズバーは1月に閉店した。

 

もー少しデザインを変えてから使えば

たぶん刑事事件には ならないのにね~  (^_^;)

 

志村けん

shimuraken indexモデル・菜々緒オフィシャルブログに、1月20日に行われた志村けんの誕生日会の様子がつづられている。

アップされた写真を見ると、優香をはじ め、押切もえ、中山秀征、森下悠里、TBS田中みな実アナウンサーなど豪華な顔ぶれが集結。

また26日発売の「週刊女性」(主婦と生活社)も、誕生日会の 詳細を報じており、志村は中座したAKB48・板野友美を、わざわざ店の入り口まで見送りしていたという。

近年の志村といえば、前出の優香やセクシータレントみひろとの交際のうわさが取り沙汰されているが、相変わらず結婚のそぶりは一切見せていない。

みひろとは最近でも目撃談があることから、交際の有無は定かでないものの、現在も定期的に食事をする仲ではあるようだ。 続きを読む

訃報 市川団十郎

 

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市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう、本名堀越夏雄=ほりこし・なつお)さんが2月3日21時59分、肺炎のため東京の虎ノ門病院で死去した。

66歳だった。

葬儀などの日程は未定。

おおらかな芸風と華のある風姿で「勧進帳」の弁慶役など歌舞伎十八番の豪快な荒事(あらごと)を得意にした歌舞伎俳優。

2004年5月、歌舞伎座(東京)で十一代目海老蔵襲名披露興行中に、急性前骨髄球性白血病とわかり入院。

 

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大島渚監督の葬儀

 

WS000000肺炎のため死去した映画監督・大島渚氏の葬儀・告別式が、今月22日に東京築地本願寺で営まれた。

前日の通夜にも参列した北野武、弔辞を読んだ坂本龍一など、約700人が参列。しかし多くのファンや関係者が、大島監督最後の大舞台を見守る中で、1人の参列者に非難の目が集中していたという。

「活動家のマック赤坂です。通夜にはおそらく来ていなかったと思いますが、告別式で大暴れしたんです。

『戦場のメリークリスマス』を意識してか、サンタクロースのような赤い帽子を被って参列し、焼香の際には『メリークリスマス!』と叫んでいた。本人が何を期待しているのかは知りませんが、誰も笑いもしないし、ただただ眉をひそめていました」(テレビ局関係者)

マック赤坂と言えば、奇抜な衣装での政見放送が話題となり、数年ほど前には、バラエティ番組や情報番組などでも度々取り上げられていた。

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Life is motion !

 

「整形外科医が教える元気な体の作り方」

(株式会社 幻冬舎 2012.9.20発行 167p 777円+税)

伊藤邦成さん(18回生) の 新著

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紹介文:佐藤喜一先生

(1回・旧 国語科教師 S38~S62)

 

ズバリ標題そのものの本である

年配者が「肩が凝る・足が痛む」と言って整形外科医院のドアを叩く

かなり待たされたあげく、診療は数分

X線などを撮られることもあるが、医師はひとこと、「加齢ですね」、もしくは「老化ですよ」と言い、しかるべきクスリを調合してくれ、「お大事に!」でおしまい・・・

こんな経験をお持ちの方、けっこう多いんじゃないですか

私などは、たぶんそういわれるだろうと思って、自分から「トシですよね!」なんて言ってしまう

そして、機械でカラダを叩いたり、マッサージルームに通ったりして、一時的に快感を愉しむ

「♪いいじゃないの 今がよけりゃ」(岩谷時子詞・いずみたく曲)なんて歌って、慰めている

そうした傾向を著書は戒める

「老化は悪化じゃない!痛いからと言って歳のせいにするなョ!」と訴える

「歳のせいにするのは、歳に責任を押しつけて逃げ出す」ことだと諭す

そして、みずからがみずからのカラダをきちんと維持できる方法を伝授する

そういう一冊だ

著者は古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉を援用して、「元気な体の作り方」を述べる

言葉は「Life is  motion」(生命は動である)

寝たきりにならぬためには関節を「動かすこと」

全ての臓器は動かすことで健康を保つ;ようにできている と

三章から成るが、どこから読んでもいい

なるほどと思ったら、ただちに実践すること

それに勝る効果はない

著者の伊藤邦成君は、ちょうど50年前 昭和38年の入学である

東京医大で修行し、警察病院で多くの患者を治療し、昭和63年から三軒茶屋で開業した

千客万来の医院といっていい

伊藤夫人の三上彩子さんも同じ18回生

才媛のほまれ高く、かってはフジTVの「小川宏モーニングショウ」のアシスタントをつとめた

一人娘の理枝子さんも父親と同じ整形外科医

「あとがき」によれば、こうした家族の支えがあればこそ、この一冊が誕生したとのこと

そうした仲の良い家族のぬくもりがひしひしと伝わってくる一冊でもある

当方は一読して、「教え子に浅瀬を教えられ・・」の感しきり

一読をおすすめする

 

痛いところがなければ 老後もけっこう 楽しいかも~ (^_^;)

 

 

中村勘三郎の死因

bsi1212050748008-p1東京・築地本願寺で12月27日、本葬が営まれる歌舞伎俳優、中村勘三郎さん(享年57)。

舞台復帰を願って食道がんの手術に踏み切ったものの、本人は「進行がん」であることを悟っていたことが後に伝えられた。

治療の選択は果たして正しかったのか。

勘三郎さんは今年7月、12時間に及ぶ食道がんの摘出手術を受けた。一時は病棟内を歩けるほど回復したという。

しかし、ウイルス感染による肺炎を発症し、さらに急性呼吸窮迫症候群や肺水腫を発症。人工肺などで闘病を続け、12月5日、急性呼吸窮迫症候群のため亡くなった。

同時期に食道がんで治療を受けた作家のなかにし礼さん(74)は、摘出手術が難しかったため、放射線治療の一種である陽子線治療で「がんが消えた」と告白している。

勘三郎さんについても、抗がん剤や放射線治療などの選択肢はなかったのか。

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