新宿の女

shinjukunoonna演歌歌手、藤圭子(61)の「圭子の夢は夜ひらく」などで知られる作詞家、石坂まさを(本名・澤ノ井龍二)さんが9日午後11時23分、都内の病院で死去していたことが11日、分かった。

71歳だった。

関係者によると、石坂さんはがんを患っており、昨年5月18日の誕生日に「来年まで持つかな」と冗談交じりにもらし、最近1カ月の容体は一進一退だったという。

角川博(59)のデビュー曲「涙ぐらし」(76年)、小林旭(74)の「北へ」(77年)など多くのヒット曲を手掛けた。

85年には3355曲のご当地ソングを収録した「全国我が町音頭」(カセットで全51巻)を発売して話題となった。

enn1303111220005-n1←石坂まさを(本名・澤ノ井龍二)さんは、東京・新宿生まれ。藤圭子(本名・阿部純子)の名付け親で、1969年にデビュー曲「新宿の女」を手掛けた。

翌70年には 十五 十六 十七と 私の人生 暗かった-の歌詞で有名な「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット。石坂さんと藤の“出世作”となった。

93年には糖尿病で左目を失明、右目もほとんど視力を失ったが、作曲家の弦哲也氏(65)とのコンビで歌手、五木ひろし(64)のヒット曲「おしどり」 (91年)、「べにばな」(93年)、「ゆめかぜ」(2007年)をリリース。

95年にはアルバム「心歌をあなたに」で歌手デビューするなど、積極的な活 動を展開していた。

99年に宇多田ヒカルが大ブレークした際には、夕刊フジで、藤と宇多田の知られざる母子関係について連載。

「宇多田ヒカルと初めて会った日、幼い彼女は僕の前で漫画を読みふけっていた。

それは、母・藤圭子が僕と初めて会った日の姿、そのままだった…」などと綴り、反響を呼んだ。

失明について「歌の形式にとらわれず、自然体で書けるようになった」と前向きに話していた石坂さん。

晩年は関係者に「五木ひろしにもう一度、作詞したい」ともらすなど、最後まで仕事に意欲的だった。

数日後にも密葬が営まれ、後日、しのぶ会が行われる予定という。

 

十五 十六 十七と 私は 新宿高校生  (T_T)

 

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