41【映画舞台】
スター・ウォーズ展 5/4コスプレOK
4月29日より、東京・六本木ヒルズ展望台 東京シティビューで開催中の『スター・ウォーズ展 未来へつづく、創造のビジョン。』。
10年ぶりの 新作となる映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(12月18日公開)に先駆けたもので、映画「スター・ウォーズ」で実際に使用された衣装やアート作 品などを一堂に展示している。
スタウォおたくには たまらない企画です (^_^;)
中條克俊さん「新宿の今昔」27会メンバー
新宿高校27回生の中條克俊さんの寄稿された「新宿今昔―新宿裏町人生探訪」が『歴史地理教育』2014年4月号に掲載されました。
本記事には、「旭町と新宿高校生」という一文がありますが、同窓会報「「朝陽」45~48号、50号を参考にまとめたものだそうです。
このこと以外にも新宿にまつわることに触れてあるので、在校生、卒業生の方々にも紹介して欲しいということです。
なお、中条さんからは、平成25年にご自身の著書『中学生たちの風船爆弾』『君たちに伝えたい朝霞、そこは基地の町だった』『君たちに伝えたい朝霞、キャ ンプ・ドレイク物語』の3冊を寄贈いただいています。
これらは、他の寄贈図書と同様、翌年春に母校図書館に寄贈されました。
以下に、朝陽同窓会HPから転載させていただきます。
俳優の萩原流行さん バイク事故で死亡
22日午後6時すぎ、東京都杉並区高円寺南で、俳優の萩原流行(本名・光男)さん(62)=同区善福寺=が大型バイクと共に倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。
警視庁杉並署はバイクで走行中に転倒したとみて、詳しい事故原因を調べている。
同署によると、萩原さんは青梅街道を走行中に転倒したとみられる。
事故を目撃した人から通報があり、意識不明の状態で搬送されたが、午後7時25分ごろ死亡が確認された。
萩原さんは3月23日、同区の路上でバイクを運転中に転倒し、右腕打撲のけがをして検査入院していた。
萩原さんは東京都出身。
1982年に劇団つかこうへい事務所に入ったのをきっかけに、映画「蒲田行進曲」に出演。
個性派俳優としてNHKの大河ドラマなどで活躍し、明るいキャラクターでテレビのバラエティー番組などにも数多く登場した。
自覚する前に 運動神経の衰えは 進行してるかも
中年暴走族の皆さん 命は大切にね (T_T)
怪獣酒場 リニューアル
昨年3月、一年間の期間限定で川崎にオープンして以来、40~50代の“ウルトラ世代”を中 心に絶大な人気を博した「怪獣酒場」。
ヒーローのウルトラマンに蹂躙され、理不尽に倒されるウルトラ怪獣たちを主役とした“地球初”の居酒屋は、週末には 3時間を超える待ち時間も記録するほどの大盛況の中、惜しまれつつ今年3月末に“地球からの撤退”を余儀なくされた。
しかし、開店当初から常設店としての 営業を望む声が多かった事もあり、このほど「帰ってきた怪獣酒場」としてリニューアルオープンの運びとなった。
14日に行われた内覧会では「店長」のバルタン星人が、怪獣たちを引き連れて記者会見に応じた。
メトロン星人の「野望の部屋」改めペガッサ星人の「要望の部屋」にはスペシャルゲストとして女優のひし美ゆり子さんが登場し、カメラマンのフラッシュを浴びていた。
メニューにもさらなる充実をはかり、ウルトラマンに切断された「ゴモラ」の尻尾を模した「大阪城の悔恨~自虐のローストビーフ」や「タッコングのおススメ!オイルと蛸のハーモニー」等が新たに追加され、リピーターも楽しめることうけあい。
本来ならば宇宙人や怪獣が、ウルトラ戦士から受けた理不尽な仕打ちによるストレスを発散する目的で営業する居酒屋を、怪獣たちの居ない時間帯だけ、地球人 に解放してくれるというコンセプト。
もちろんウルトラ戦士およびその関係者は“入店お断り”だ。
くれぐれも、心身ともに?怪獣気分で日頃の鬱憤を晴らしに 立ち寄ってみてはいかが?
写真の一番左の怪獣
シャコみたいで気持ち悪い (^_^;)
「新宿コマ劇場」の跡地ビル オープン
東京・新宿の歌舞伎町で、6年ほど前に閉館した「新宿コマ劇場」の跡地に、大型の映画館やホテルなどが入った複合ビルが17日オープンするのを前に16日、記念の式典が開かれます。
新宿の歌舞伎町で6年ほど前に閉館した「新宿コマ劇場」の跡地には、30階建ての複合ビルが建設され、ビルには12のスクリーンを備えた大型の映画館、 「シネマコンプレックス」や、970の部屋があるホテルなどが入ります。
8階のテラスには、人気映画シリーズ「ゴジラ」の頭の部分が、初期の映画で設定さ れていた実物大と同じ、地上からおよそ50メートルの高さになるように設置され、16日から毎晩、決まった時間帯に目などが光って口から煙を吐く様子を見 ることができます。
ビルでは17日オープンを前に、16日は記念の式典が開かれ、「セントラルロード」と呼ばれるビルに続く大通りに赤いじゅうたんが敷かれ、地元の商店街の関係者などがパレードを行うことになっています。
一 方、歌舞伎町では、去年から客引きに安い値段で誘われて、店で数十万円以上の高額な料金を請求されるぼったくりの被害に遭うケースが相次ぐなど、悪質な店 が後を絶ちません。
このため、地元の商店街などではビルのオープンをきっかけに、料金が適正で客引きをしていないといった条件に合う優良な店だけを掲載し たガイドブックを新たに発行するなど、幅広い客層を呼び込むため、安全な街づくりに向けた取り組みを進めていくことにしています。
お風呂のカガミがピッカピカ!
実はこれ 100円ショップで
売ってるの 見つけました \(^o^)/
猫にウォーターベッド
かなり気に入って 楽しんでるようですが
爪で穴を開けないか ちと心配 (^_^;)
現代仏教塾
1955年、東京生まれ 東京都立新宿高校(17回生)卒業。
1981年、およそ一年間インド放浪 1988年、真宗大谷派東京専修学院入学。
翌年卒業。
1995年、真宗大谷流高明寺榊奈川県横浜市)住職となる。
比較思想学会会員(専門:宗教問対話) 。
主な論文に「インド的混沌と祈りの集い」ハンニヤハウス通信(1991年) 、
「<オウム>が突きつけるもの」ハンニヤハウス通信(1995年) 、
「唯識ノート」月刊・雲集1995-2001年まで連載C 「続・唯識ノート」月刊・雲集(2004年) 、
「<呼びがナ>への呼応「大河内了義先生のご講義を開いて」 『連絡誌・大地』第5号(2005
辛) 、
「偽ってはならない」山口県光市母子殺害事件の奔護団を批判した念仏者、浅田正作氏の著書を絶版とした真宗大谷派宗門(の一部と出版部)の言論封殺に対し、浅田氏の弁護人として抗議した対抗論文(2009年5月、 http:〝www.komyoji.netにて配倍中) 、
「<帰命とバクティー>-<無量寿経とバガヴァッド・ギ一夕->における信仰の格山賢比較思想研究遥第38号・比較思想学会(2011年) 、インターネット法着払ttp:/,/www.komyoji.net高明寺の法話) 、
「真宗法話一他力の本来の意味・浄土静註」(2013年9月) 、
「真宗法話一来迎たのむことなし」 (2014年7月) 、
「真宗法話一共に同心にただこの高僧の説を信ずべし・正信偽」 (2014年9月上インターネット講義(http:〟www.komyoji,net現代仏教塾) 、
「第五回現代仏教塾<親鷲の今一浄土真宗と近代仏教学>」 (2014年1月)
まんが・ブッダ伝序章(2014年5月、 http:〝www.komyoji.netまんが「プッダ伝」にて配信中)など。
1955年生まれで17回生
とゆーのは変ですねー
もしかして27会メンバー? (^_^;)
愛と憎しみの新宿
1960~70年代にアングラ文化や街頭デモで底知れぬエネルギーを感じさせた新宿。
80年代以降は地上げや再開発で風景も集う人々も変わったと 語られ た。
だがいま、その街が再び新しい顔を見せようとしていると、批評家の平井玄さん(62)はいう。
自らの半生と新宿の近代史を重ねて『愛と憎しみの新宿』 (ちくま新書)を著した平井さんに聞いた。
「私にとって新宿は『ファウスト』の遍歴物語の舞台。新宿にうごめいていた芝居や音楽、政治運動の担い手や飲み屋のオヤジ、アル中の職人、そうした『悪魔』たちに導かれるうちに、自分自身もデーモンになっていった」
新宿2丁目のクリーニング店に生まれ、現在も新宿に暮らす平井さんは、新宿高校では一学年上の坂本龍一らと高校全共闘を結成、ジャズ喫茶にもぐりこんでは山下洋輔や阿部薫の演奏を聴いた。
そんな平井さんにとって、バブル期を頂点とする80年代の新宿は「栄えてはいたが、死んだ街」だった。「巨大になりすぎて、何でも売っているけど、新宿にしかないものは何もなくなった」。平井さんは一時、新宿を離れる。
商業的な若者文化の先端は渋谷へ、カネのない若者が独自文化を生みだすパワーは高円寺などへ流出した。だが不況下の地価下落で流れが再び変わった、と平井さんはみる。若者が徐々に新宿周辺に戻り始めたというのだ。
たとえばフリーターたちの労働運動の拠点が新宿に置かれている。「フリーターは交通費がかかるところには住めない。どこへでも歩いていけるところに、集まって暮らすしかない。そういう人々の多く住むエリアの一つとして、新宿が再び面白い文化を生み出す可能性はある」
2年前のメーデーでは、フリーター全般労組が中心になり、約40年ぶりに新宿一周デモが実現。平井さんも参加した。いま新宿には、アナーキズムのグッズを扱うショップやビート詩人の朗読会が開かれるカフェなど、「新宿的」な店が生まれているという。
「ふたをされ暗渠(あんきょ)になっていただけで、流れそのものは途絶えていなかった。街の骨格はそう変わっていない。私の本を読んでいまの新宿を歩けば、歴史が二重写しで浮かび上がってくるはずだ」
若い読者からの反応も多いという。かつて10代の平井少年を遍歴に誘った悪魔メフィストフェレスの役を、平井さん自身が担おうとしている。
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一九六〇~七〇年代の新宿。そこは伝説的なジャズ・バーやシネマテークなどが集まる巨大な文化工場だった。風月堂、紀伊國屋書店、文壇バー、ATG新宿文 化をはじめ、異形な場所に奇怪な人間たちがひしめきあって、戦後日本文化の闇鍋を形作った。一方で、歌舞伎町や要通り、旭町や二丁目などなど、喰い物や SEXを入力するとたちまち爆発的に膨張する欲望の街でもあった。新宿二丁目の赤線地帯で生まれ育った思想家が、濁愛、陰謀、宇宙の文学や悪魔の建築、阿 鼻叫喚に劣情有理、ありとあらゆる運動を包みこんだ新宿の奥座敷を七転八倒して活写する異色の地下文化史。