音楽嗜好症(ミュージコフィリア)

WS000000今ほど手軽に音楽を聴くことのできる時代があっただろうか。

たとえ、それが電子化された音楽であるにせよ、私たちはいつでもどこにいても容易に音楽を”入手”し、自由に楽しむことができる。

私たちは、音楽の海に浮かんでいるようなものだ。

現代では、音楽的才能に恵まれた一部の人々が音楽を提供し、その他の人はもっぱら音楽を聴く側にまわっているが、原始社会では誰彼の別なく歌い、踊り、音楽を集団で楽しんでいた。音楽はそれほど、人間にとって根源的なものなのだ。

「人間の音楽の能力と感受性が、どの程度生来のものなのか、ほかの能力や性向の副産物なのか――に関係なく、音楽はあらゆる文化において基本であり核である」。

本書の著者であるオリヴァー・サックスは、そう語る。

「私たち人間は言語を操る種であるのと同じくらい音楽を操る種なのだ」と。

本書は、優れた医学エッセイで知られる脳神経科医サックスが、彼ならではの温かい語り口で、音楽と脳との関係をつまびらかにした音楽好き必読の書である。

「音楽嗜好症」を自認する人はもちろん、音楽好きでないという人でも、音楽の力を再認識するに違いない。

私たち人間は音楽を認識する。音質、音色、音程、旋律、和音、そしてリズムを認識する。脳のさまざまな部位を使って、頭の中でこれらをすべて統合し、音楽を「組み立てる」。感情がわくだけでなく、運動する。音楽に合わせて拍子を取り、メロディーの「物語」とそこから生まれる思考や感情を、顔や姿勢に映し出す。

この驚異的な機構は、脳にある単一の「音楽センター」でつくられているのではなく、脳全体に散在するたくさんのネットワークが関与してできているとわかってきた。このネットワークがあまりにも複雑で高度化しているが故に、さまざまな歪み、過剰、破損が生じやすくなる。

たとえば、音楽を知覚したり想像したりする力は、何らかの脳損傷によって弱められる場合がある。「失音楽症」である。あるいは、頭に浮かぶ音楽が抑制できなくなり、耳に残るメロディーがひっきりなしに繰り返される。音楽幻聴が起こることさえある。

音楽で発作を起こす人もいれば、音楽を聴いているときに色が「見える」、「味がする」、あるいは「におう」などの共感覚をもつ人もいる。

治療法としての可能性秘める音楽

音楽はどんな人にも影響をおよぼす――落ち着かせる、元気づける、慰める、わくわくさせる、仕事や遊びのときに団結させて一緒の動きをさせる――ことができる。なかでも、神経にさまざまな疾患を抱える患者に特に効き目があり、治療法としての可能性が大きい。

認知症や自閉症、運動障害をはじめ多くの疾患が「音楽と音楽療法に反応する可能性がある」と、サックスは指摘する。

サックスによると、音楽の神経科学は1980年代まではないに等しかったが、「人が音楽を聴いたり、イメージしたり、さらには創作したりしているときの、生きている脳を見ることができる新しい技術のおかげで」、急速に研究が進んだ。

最新の画像技術による「音楽の知覚と心象、そしてそこに起こりがちな複雑でしばしば奇妙な障害の神経基盤について」の新しい洞察と、「旧式の」観察と臨床記述。両方のアプローチをサックスは本書に組み込み、見事に融合させている。

自らの入院経験などとともに、患者や被験者から聞いた逸話、読者からの手紙、古今の有名人の病歴なども織り交ぜ、「音楽にとりつかれた」人々の経験を追体験するように想像し、共感する。音楽が奏でる一つひとつのエピソードが、心を打つ。

とりわけ、第3部「記憶、行動、そして音楽」に描かれる記憶喪失や失語症、トゥレット症候群、パーキンソン病などに対する音楽の影響力は実に大きく、興味深い。

<音楽は私の生活の大きな部分を占めています。チックに関して言えば、音楽は恵みにも呪いにもなります。トゥレットのことをすべて忘れさせてくれることもあれば、抑えることも耐えることもできないチックの大波をもたらすこともあるのです。>

トゥレット症候群を患う若者の手紙である。

サックス自身が登山中の事故で左足を怪我したとき、行進曲や漕艇の曲(ヴォルガの舟歌など)に合わせてリズムにのり、拍子ごとに体をグイと持ち上げて山を「漕ぎ下る」ことができた経験から、リズムと動きの関係について考察している19章は、多くの人が共感するだろう。

股関節を骨折して何週間も動けなかった高齢女性が、アイルランドのジグ舞曲がかかると「ひとりでに」拍子を取った。そこでサックスらは、彼女を「舞踊音楽攻め、とくにアイルランドのジグ舞曲攻め」にした。数カ月後、彼女は脚と感覚運動システムを完全に取り戻し、歩けるようになったという。

自転車やトライアスロンの競技選手でもある医師は、トレーニング中や競技中に「気持ちを高めてくれて、さらなる努力に駆り立ててくれる曲があること」に気づいていた。ある時、オッフェンバックの『天国と地獄』(『地獄のオルフェ』)の序曲が数小節、頭の中で鳴り始め、「私の能力を刺激し、リズムをちょうどいいテンポに設定し、肉体的努力を呼吸と同期させた」。タイムは自己ベストだった。

同様に、認知症患者には、ダンスやドラムのリズムが貴重な音楽療法になりえる。

「音楽に対する感情反応は、皮質だけでなく皮質下にも広がっているので、アルツハイマー病のようなびまん性皮質疾患にかかっても、音楽を感じ、楽しみ、反応することができる」と、サックスは考える。

認知症の世界をさまよう人たちにとっては、「音楽はぜいたく品ではなく必需品であり、ほかの何よりも音楽に触れることで、自分自身を、そしてほかのいろんなものを、少なくともしばらくのあいだは取り戻すことができる」のである。

ニーチェは、音楽の「力学的」な力、あるいは推進する力――動きを引き出し、推し進め、調節する力――について語り、「リズムは動きの流れを推進し、統合することができる」と考えていた。

サックスは、脳炎後遺症患者に対する音楽の並はずれた力を見たとき、かつて学生時代に読んだニーチェの生理学と芸術に関する小論『力への意志』に書かれた「簡潔なすばらしい明確な表現」がよみがえった、と語る。

「それはあらゆるレベルで彼らを『目覚めさせる』力だ」

ニーチェが予告した音楽の力を、読者は本書のそこここに見つけるだろう。

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