今日はちょうど、刑事コロンボ役のピーター・フォーク没後15年
刑事コロンボの旧シリーズ放映は1968~78年なので、ほぼ半世紀前
前夜放送されたコロンボを、新宿高校の教室で話題にした想い出アリ

当時の日本は70年安保のデモがあったり、まだベトナム戦争が続いていたり、大阪万博を祝ったり
高度成長で豊かになりつつありましたが、コロンボに出て来るアメリカ(LA)の市民生活など見ると「アメリカって豊かな国だなぁ」なんて感じてました
原作者と主演俳優以外は、監督もスタッフも助演俳優も毎回変わるという不思議な体制なのですが、それで常に一定以上の品質と人気を維持しながら、新旧両シリーズ合わせて69話も作られました

私はミステリー(推理小説)が好きなので、小説だと松本清張、ドラマならコロンボ、ホームズのファンです
コロンボの人気作品をネットで調べたら
A「別れのワイン」
B「忘れられたスター」
C「二枚のドガの絵」
がベスト3で、AとBは何度も観ているので、今日はCを観ました
正直、トリックはイマイチですが、俳優さんたちの演技が素晴らしかった
ほとんどの方が、すでに鬼籍に入られているのかと思うと、不思議な感じです
本でも映画でも、昔読んだ(観た)作品を再び味わうこと(再読、再鑑賞)が増えたのは、歳のせいなんでしょうねぇ
初見ではなくても、記憶が薄れていて、初回のように楽しめたりします
上の動画が象徴的に示しているように、犯人とコロンボの知的な対決が最大の見せ場になっています
コロンボシリーズの犯人は、たいてい知性の高い専門職や成功した経営者で、WASPが多く、上流階級の臭いをプンプンさせている

それが、ボロボロのクルマに乗ってサエないコートを着た安月給の刑事に尻尾をつかまれ、追い詰められ、焦燥感を露わにする
コロンボという名前は、コロンブスと同じイタリア系
イタリア系のコロンブスがアメリカを発見したのに、移民としてはイギリス系の方が早く、アメリカ社会の上流階級に確固たる地位を確立した(それがWASP)
遅く移民してきたイタリア系は、白人なのにアメリカ社会では中下流が多い(ヤクザ=マフィアも多い)
勤勉主義の多いプロテスタント(イギリス系)に比べると、享楽主義の多いカトリック(イタリア系)は、資本主義社会の出世競争では不利なのかもしれません
その辺を何となく考慮して、主演俳優にイタリア系のピーター・フォークが抜擢されたのかもしれませんね
視聴者(庶民)からすると、同じ庶民の刑事に感情移入しやすい
上流階級の私生活をノゾキ見する楽しみがあり、さらに気取った連中が転落していくのを見物する爽快感(カタルシス)もある

お代官様と越後屋の悪事を、黄門さまがやっつける場面に通じますが、コロンボはそれに「知的対決」というスパイスが効いている
コロンボが言う「犯人はシロウトだが、刑事はプロ」というのは鋭い指摘ですね
殺人が趣味みたいな連続殺人鬼なんてめったにいなくて、たいていの殺人犯は、やむにやまれぬ事情で、生涯に1回だけの犯行に及ぶ、つまり初犯
そこにはシロウト臭いミスや見落としがあり、それをプロの刑事が嗅ぎ付ける
上で「やむにやまれぬ事情で」と書きましたが、これがコロンボシリーズの奥深いところ
犯人は確かに高知能や大金持ちの成功者で、庶民から見たら上流階級を気取った「イヤな奴」が多いんですが、しかしその殺害動機には、犯人が十分に悩み苦しみ抜いた痕跡がある(それが「やむにやまれぬ事情」)

殺人を正当化する訳ではないけど、もし自分が同じ立場だったら、もしかしたらやるかもしれないなと思わせる、ある種の必然性や納得性がある
犯人の心理描写の中に、ただの気まぐれや快楽殺人ではない奥深さがある
それがあるから、視聴者は刑事コロンボに感情移入すると同時に、殺人犯人にも知らず知らず感情移入している
二つの感情移入に軽重があるにせよ、この対決する両者への相反する感情移入が、視聴者の心にある種の葛藤をもたらし、ドラマを見終わった後に余韻を醸し出しているような気がします
この余韻が、上の作品ベスト3のうち、AとBで素晴らしいんです
Cは、最後のどんでん返しによる爽快感がいいんだけど、犯人の殺害動機の奥深さがイマイチかなぁという印象
(^_^;)~♪
* * * * * * *
追伸
つい最近(6/15)、茨城県下妻市の須藤豊次市長(67)が、首つり死体で見つかりました
警察は事件性が低い(自殺)とみて調べており、マスコミもその線で決めつけるような報道をしていますが、偽装自殺(殺人)の臭いもします
果たして真相はどうなんでしょうか?
(・_・?)